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草食女子が 悪の華  作者: S.U.Y
5/10

土魔将アーシス 静かな理性、見透かす瞳

お待たせいたしました!

夏風邪で臥せっておりましたが、連載再開いたします。

 その公園には、よく二人で足を運んでいた。何気ない風景を眺め、飽くことなく歩きながら様々なことを語り合っていた。だから、はっきりと憶えている。木の一本一本に至るまで、屋根のついたベンチのある休憩所の落書きのひとつまでも。珠代の頭の中に、そこは鮮やかな記憶として存在している。


 鉛色の雲が、空を覆っていた。今が昼なのか、夜なのかもよく判らない。薄暗く、けれどもはっきりと周囲は見える。いつもの場所で、珠代は恋人であった男と向かい合っている。そしてそれを、もう一人の珠代が傍観者となり視界の隅に収めていた。


 男と向かい合う珠代からは、言い知れぬ情念のようなものが漂っている。だが、それは言葉となって男へ届けられることはない。傍観者の珠代は、それをよく知っていた。


 男が背を向けて、珠代に最後の言葉を告げる。珠代が、くたりとその場へ座り込む。それは、単なる追体験ではないのかも知れない。座り込んだ珠代の中に、深く美しい闇の欠片が見えたとき、珠代はそう考えた。


 それでは、今の自分は何者なのか。真新しい記憶の傷口に動じることなく、珠代は考察をする。今の珠代は、珠代であってそうではない。何故なら、こんなにも冷静に遠ざかる男の背中を見つめることさえ、出来るのだから。


 『欲しいな』


 傍観者の珠代の胸の中から、低く深い声が届いてくる。その瞬間、珠代は全身にかあっと強い熱を感じた。珠代の身体が、その声に、純粋な求めに喜んでいるかのように。


 視界が、大きく動いた。珠代では持ち得ることのない、高い視線。それが呆然と心中で涙を流して座り込む珠代へ、近づいてゆく。そこで、珠代の意識は薄れてゆく。高く、高くへ持ち上げられるような浮遊感と、胸の中へ差し込む強烈な痛みにも似た、何かの感情と共に。


「ディアブロ……?」


 呟く自分の微かな声で、珠代は目覚めた。身体をふわりと包む寝具をのけてみると、珠代が寝ころんでいるのはキングサイズの豪奢なベッドである。


「おはようございます、珠代様」


 身を起こした珠代に、メイド服の女性が声をかけてくる。


「お、おはようございます……えっと」


「リミでございます、珠代様。今、リナが朝食の準備を整えております。もう起きられるようでしたら、お召し替えをなさいませ」


 メイドのリミに促され、珠代はドレッサーの椅子へと座らされる。


「私は、カリスティレス様ほど上手ではございませんが……」


 そう前置きをして、リミが珠代へ手のひらを向ける。そこから放たれる桃色の光を、珠代は素直に受け入れた。

 寝起きで少しむくんでいた肌が、しゃんと張りのある艶肌へと変わる。着心地の良い、ふんわりとした素材の夜着が、ぱりっとしたパンツスーツへと変わり、仕上げに肩へストールのような、マントのような布が巻き付いた。


「いかがでございますか、珠代様?」


 桃色の光が収まり、リミが声をかけてくる。


「これ……私ですか?」


 姿見の前で、珠代は呆然と声を上げた。闇色のスーツと深紅のマントに身を包んだその姿は、珠代の知る現実を大きく離れた姿であった。


「とても、お似合いですよ」


 満面の笑みで、リミがそう言った。ふんわりとした雰囲気のリミと並んでみれば、珠代のいでたちはどこか威厳を感じさせる、凛々しいと言えるものだった。


「ありがとう、ございます……リミ」


「お褒めに与り、恐悦至極です、魔王様」


 おずおずと礼を言う珠代に、うっすらと頬を染めたリミが答える。


「でも……良いのかしら。これから、朝食なのでしょう? 汚してしまったら、大変じゃないですか?」


 不安げに言う珠代へ、リミが首を横へ振って見せる。


「大丈夫です。たとえ、珠代様がどれ程ワイルドに召し上がっても、その御召し物が汚れることはありません。万が一汚損が生じた場合でも、私かカリスティレス様が魔力を使えば、元通りになりますから」


 そういうものなのか、と半分くらいの納得をした珠代の耳に、カランカラン、とベルの音が聞こえてくる。同じくそれを耳にしていたリミが立ち上がり、珠代を促した。


「それでは、参りましょう、珠代様。今日の朝食には、土魔将アーシス様も、ご同席なさるそうですから」


「は、はい」


 促されるままに、珠代はベッドへ背を向ける。


「メェー」


 その背中に、柔らかいものが飛びついた。


「ひゃっ……あ、あなた、昨日の」


 もこもことした紅色の丸い動物が、珠代の肩を通って腕の中へと納まる。


「メェー」


「……一緒に、行くの?」


 仔羊を抱いたまま、珠代はリミへ目で問いかける。リミが、こくりとうなずいた。


「連れて行って、問題はありませんわ。ただ、調理場へ入ったりすると、間違ってお料理されてしまうかも知れませんので、どうぞお手元からお放しにならないよう、お心がけください」


 調理場、と聞いて仔羊が不安そうに瞳を潤ませる。


「はい、注意します」


 不安をくるむように、きゅっと仔羊を抱いてやりながら珠代は言った。


「それでは、どうぞこちらへ」


 そうして、リミの先導で今度こそ、仔羊を抱えた珠代は寝室を後にした。




 丸く、大きなテーブルがあった。調味料や飲み物の乗った小テーブルをくるりと回せるような、高級中華料理店で見かけるような食卓だった。珠代が勧められた椅子に腰を下ろすと、待っていたかのように一人の男性が姿を見せる。


 白衣のような、白を基調とした裾の長いコートがまず目についた。それが白衣であれば、この男性はまず研究者の類いだろう。男性の、キラリと光る眼鏡のレンズに珠代は心中でそんな感想を抱いた。

 レンズの向こうに見えるのは、美しく、けれども無機質な光をやどす緑色の瞳。同じ色の髪はぼさぼさだったが、それは男性の全体的な知性ある雰囲気を、損なうことはなかった。


「おはようございます、朝倉珠代様」


 微笑みのように口角を上げて、男性が珠代に会釈する。だが、それは笑みでは無い。顔のパーツを、そう見えるように動かした。ただ、それだけの仕草である。直観的に、珠代はそう悟った。


「おはようございます……土魔将、アーシス」


 硬い表情で答える珠代に、男性の表情が少しだけ動く。小さく開いた口元から息を漏らすその顔には、驚きとも感心ともとれるような色が一瞬だけ浮かび上がる。


「おや、私のことを、ご存じでしたか。名乗る手間が省けるのは、良い事ですが」


「簡単な推察と、消去法です。今日の朝食には、あなたが同席すると聞いていました。私の見たことのない魔将は、残り二人です。雰囲気から、あなたが土魔将であるという答えを導き出すことは、それほど難しくはありません」


 すらすらと、珠代の口をついて言葉が出る。男性、土魔将アーシスの瞳に、今度は興味の色がはっきりと浮かんだ。


「なるほど。ですが……私が小間使いや給仕である、といった可能性もあると思われるのですが?」


 アーシスの問いに、珠代は首を横へ振る。


「あなたの立ち居振る舞いと、纏っている圧力のようなもの……魔力、というのでしょうか。それは、ブレイグやハリィのものと同等、そう思えました。それに、私への給仕は」


 珠代が言い終える前に、テーブルの向こうにカリスティレスが姿を見せる。その手には、二つのグラスを乗せた銀色のトレイがあった。


「魔王様が口にされるものは、この私が直にお運びいたします。そのことに、気付かれていたのですね、珠代様」


 にこやかに言って、カリスティレスがグラスを珠代の前に置き、もう一つをアーシスの前に置いた。


「やあ、カリス。今朝は良い朝だね。君が、人間の女性にそんな態度を取るところを、見ることが出来たのだから」


 置かれたグラスには目もくれず、アーシスがカリスティレスに声をかける。


「アーシス様。珠代様は、ディアブロ様の意志により魔王の座に就かれた御方です。この私が、礼を尽くしてお仕えしない筈はありません」


 揶揄するようなアーシスの視線に、カリスティリスは淡々と応じる。ふーむ、と顎に指をかけたアーシス

が、視線を再び珠代へと向ける。


「ディアブロ様の意志により、ね。私には、ごく普通の、どこにでもいる女性に見えるのだけれど……周囲に埋没することにより、己を守ってきたような、そんな存在にね」


 アーシスの指摘に、珠代は胸の中で小さく息を呑む。わずかな反応に、アーシスがにこりと唇だけで笑う。


「貴女が私を観察したように、私も貴女の所作、視線の振り方、顔色の変化を観察させてもらった。そこから導き出された、先程の言葉は予測というものだね。恐らくそれは、大部分で的を得ていることだろうと、推察する。けれど……それだけでは、理解できないこともあるのもまた事実」


「アーシス様。今は、朝食の時間です。議論なさりたいなら、その後にお一人でどうぞ」


 目を細め、ぶつぶつと言い始めたアーシスへカリスティリスが遮る言葉をかける。うつむきかけていたアーシスの顔が、弾かれたように上げられた。


「そうだったね。検証なら、後でいくらでも出来るからね。ひとまずは、食事にしよう。すまなかったね、朝倉珠代様。私は見ての通り、研究熱心な性質でね。興味深い対象が目の前にあると、どうしてもそちらに意識が行ってしまうんだ」


 照れたように、アーシスが頭を掻く。笑みで応じつつも、珠代はアーシスに油断ならない何かを感じていた。


 グラスの冷えた水を飲み干し、朝食が始まる。最初に出されたのは、丸ごと一個のトマトの浮いた赤いスープだった。スプーンでそれをすくい、口に入れた珠代はほうっと息を吐く。


「……すごく、深い味がします」


「魔界産の、マンドラゴラを煎じて混ぜてあるね。ふむ……なるほど。カリスの、意図が読めた気がするね」


 向かいでスープを口にしながら、アーシスが言う。首を傾げる珠代であったが、アーシスからはそれ以上の言葉は返ってこなかった。


 次は、彩りのある煮野菜の盛り合わせだった。強い苦味の中に、ほのかに甘みが感じられる。恐らく、健康に良いものなのだろう。何となくそう思いつつ、珠代は残らず平らげた。


「……好き嫌いは、無いのかな?」


 アーシスの問いに、珠代は首肯する。


「小さい頃に、大抵のものは克服しましたから」


「それは、それは……ハリィにも、見習ってほしいところだね」


 アーシスの言葉に、珠代は頭の中に幼いふくれっ面を思い浮かべてくすりと笑う。そうしているうちに、メインの料理がやってきた。


「これは……お肉、でしょうか」


 珠代の前に置かれた皿には、骨付きの肉に緑のソースがかかったものが載せられている。ナイフとフォークを使うと、肉はすんなりと骨から離れた。


「ふむ。どうやら、魔界羊の仔の肉だね。柔らかく、臭みも無い。香草のソースが、さっぱりと食べさせてくれるね」


 フォークが珠代の口元へ運ばれる直前、アーシスがしみじみと言う。思わず、珠代はフォークを止めて刺した肉を見る。


「メェー」


 珠代の足元で、紅毛の仔羊がひと声鳴いた。どことなく恨めしげに聞こえるその鳴き声を耳にしつつ、珠代は一口、肉を口へと入れた。

 柔らかく、口の中でそれはとろけてゆく。咽喉を通り抜け、お腹の中へ落ちる頃にはさっぱりとした肉の味と、塩と苦味の絶妙なハーモニーを奏でるソースの味がやってくる。


「……美味しい」


 それ以外に、珠代に出来る表現は無かった。切り分けた肉を、少しずつ、口へと運ぶ。一口ごとに、柔らかく不思議な弾力のある仔羊が舌の上で踊る。気づけば、もう皿の上には骨だけになっていた。


「遠慮なく、食べるものだね」


「はい?」


 カリスティレスが皿を下げ、至福の感覚に浸る珠代にアーシスが声をかけた。首を傾げる珠代に、アーシスが足元の仔羊を指差した。


「その仔を助けるために、昨日は随分と頑張った、と聞いたのだけれど」


「そう、ですけど……それが、何か?」


「今、貴女が食べたのは、その仔と同じ種族の、魔界羊の仔だよ?」


 言われて、珠代は理解した。何を聞かれているのか、ではなく、アーシスが何を聞きたいのかを。


「牧場で、育てられているということは、そういうことでしょう? それを私のために調理してくれたのだから、ちゃんと味わって食べることには、何の躊躇もありません。この仔を、食べるというのなら、話は別ですけれど」


 言いながら、珠代は足元の仔羊を抱き上げてぎゅっと抱きしめる。もふもふと草を食んでいた仔羊は少しもがいたが、ほどなく大人しくなった。


「しっかりと、区別のできる理性はある、か。それは、貴女が()()()()()()()()()のようだね。なるほど」


「私が、本来持っているもの……?」


「疑問のようだね。貴女は、貴女以外の何者でもないのに、と。そう思っているのだね。でも、真実は違う。それは貴女と、初めて言葉を交わした時から、解っていたことなのだけれど……カリスが戻って来る前に、結論だけ告げてしまおうか。彼は、少し面倒なところがあるからね」


 周囲を憚るように、アーシスが声を低くする。首を傾げつつも、珠代はアーシスへ少しだけ顔を寄せる。


「真実って……何でしょうか」


「貴女の魂の中に、ディアブロ様の魂が混在している。とても小さい、それは一欠けらほどだけれど」


「私の中に……ディアブロが……?」


「そう。私がそれを確信できたのは、貴女が私に向けて、アーシス、とごく自然に呼びかけたこと。貴女は本来、初対面の、それも異性の者を呼び捨てにするような人間では、無いと思うけれど……どうかな?」


 アーシスの言葉に、珠代ははっと息を呑む。珠代の反応に、アーシスはうなずいて先を続ける。


「昨日のことをブレイグから聞いて、ある程度の予測は立てていたんだ。けれども今は、それを超える結果に驚いている。何しろ、貴女はディアブロ様の魂を受け容れつつ、なおかつ自我を保っている。これは、奇跡といってもいいかも知れない。それが一過性のものか、それとも永続的なものなのか……とっくりじっくりと調べてみたいところだったのだけれど。そろそろ、カリスが戻って来る頃合いだ。私は、今得られた情報を詳しく、分析してみたくなった。もし、貴女が自分の状態を詳しく知りたければ……私の研究室に来るといい。隅々まで、丁寧に調べてあげよう」


 じっと珠代を見据える、緑の瞳がきらりと光る。ぞくり、と言い知れぬものが珠代の背筋を駆け抜ける。己の全てを見透かすような瞳に、珠代の心臓がどきりと高鳴った。


「……か、考えて、おきます」


 意志の力を振り絞り、やっとのことで珠代はそれだけ答える。その返事に満足したのか、アーシスが満面の笑みを浮かべ、そしてそれを一瞬で消した。


「……カリスには、気をつけて。彼はディアブロ様に狂信に近いものを抱いているから」


 アーシスの囁き声が、珠代の動きの一切を止める。一瞬の後に、アーシスがいた場所に土塊の柱が突き立ち、塵となって消える。後には、アーシスの姿も消えていた。


「珠代様、デザートでございます。魔界羊の乳をふんだんに用いた、プティングをどうぞ」


 直後に出されたプティングに、珠代はなかなか手をつけることが出来なかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

今回も、お楽しみいただけましたら幸いです。

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