表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

7



 まだ早い時間だったが、璃華たちが昨日芭磁に教えられた場所に行くと、すでに大勢の商人たちが忙しなく働いていた。

 隊商の馬車や天幕にもあちこちに花が飾られ、いつも以上に華やかだ。

 彼らのような大所帯の隊商は、街中に店舗を構えていたり商品を卸すなじみの店がない限り、街の外れにある空き地で天幕を張り商いを広げるのが常だ。そこから少数に分けられて空き家や広場に露店を開く。

 バスティード商会は璃華にとって昔から世話になっていた場所だ。そこに雇われている者たちも当然顔なじみである。

 よって彼女へ対しての遠慮もない。


「璃華、久しぶりじゃない」

「元気にしてた? あっ、ちょっと肌荒れてるじゃないの。ちゃんと手入れしてんの」

「おう、お前に似合いそうな新しい踊り子の衣装見つけといたぞ。これ着りゃあ少しは色気もでるだろう」

「昨日、お頭に会ったんだって? みんな璃華が来んの待ってたよ」


 等々声をかけてくれるのは嬉しい。若干セクハラまがいのことも言われた気がするが、おおむねいつもどおりだ。だが、


「ちょっと、後ろの色男なに!?」

「しかもふたりも引き連れてやがるぞ。なんてことだっ」

「璃華のくせに両手に花なんて生意気!」


 などと詰め寄られては心外だ。

 なんといっても魔王とその友人だ。容姿は花でも中身は劇毒、取り扱い注意である。

 入り口周辺で大勢に捕まってしまった璃華は、これでは埒があかないと頭を抱えた。


「あーもう分かった! このふたりみんなに献上するから、解放してっ」

「璃華?」


 璃華がやけくそ気味に叫ぶと、きゃーと黄色い歓声があがる。よく分かっていないらしい夜煌に呼ばれるが、聞こえないふりをした。

 取扱注意の劇物だが、璃華の大事にしている人たちを彼が傷つけることはないと信じられるから、目を輝かせるお姉様がたや興味津々のおじさまがたに潔く差し出すことができる。


「わたしは向こうで話をしてくるから、しばらくみんなに構ってもらってて。凱もいい?」


 むしろ嫌だと言って帰ってくれないかなと期待しつつ黒髪の青年に聞くと、面白そうににやつかれた。どうやら人間に囲まれるこの状況を楽しんでいるらしい。

 璃華は溜め息をつきつつ、不満がありそうな夜煌に大人しくしているようにと視線で言いつけて隊商の奥へと進む。

 会頭である芭磁のいる天幕は覚えている。璃華はこれといった案内を受けず目的の場所までたどり着いた。


「芭磁さーん。来たよ」

「おう、入れ入れ」


 外から声をかけると、太い声が快活に返事をする。幕を捲ると、中には床いっぱいにあらゆる種類の商品を並べて吟味している芭磁がいた。

 彼は璃華を振り返ると、手に持っていた布の端を持ち上げて笑った。

 驚くほど柔らかく、美しい薄紅色の透ける布だ。かなり繊細な生地なのに、綻びなく施された花の刺繍がより華やかさを引き立てている。


「なかなか良いだろう。西の辺境で受け継がれている独自の編み方でのみ織り上げられる紗だ」

「すっごい綺麗。触ってもいい?」


 思わず布に見とれた璃華の手に、芭磁は布を乗せてくれる。

 布は手の中で溶けてしまいそうなほどなめらかで、信じられないほど軽い。


「こんな綺麗なの、いままで見たことないよ。どうして出回ってこなかったの」


 他の商人もだが、芭磁がいままでこれだけの一品に目を付けてこなかったとは思えない。


「あの辺のやつらは偏屈ばかりだ。商売なんかやらんっていう気質でな。なかなか取引に応じてくれなかったのをやっと口説き落としたんだ」

「あら、口説き落としたのはわたしじゃない」


 芭磁の言葉に被るように声をかけながら天幕に入ってきたのは、芭磁の娘である秋沙だ。

 輝く金髪に緑の瞳、健康的に日焼けした顔で鮮やかに笑う美少女である。


秋沙(ときさ)!」

「久しぶり、璃華。外がだいぶ面白いことになっているわよ」


 久しぶりに会った親友に顔を輝かせた璃華へ、秋沙は口元をにやつかせながら答えた。誰もが振り返るような美少女のくせに、こういう表情がよく似合う。

 彼女の言葉に首を傾げた璃華は、少ししてその意味を理解した。置き去りにした夜煌たちのことだろう。まさかとは思うが、あの魔王たちがなにかやらかしたのだろうか。


「や、やばい感じ? あの人たちなにかやらかしたっ?」


 さっと青ざめた璃華に、秋沙は不思議そうに目を瞬かせてからぷっと吹き出した。


「やらかしているのは、どちらかというとうちの方ね。璃華の彼氏たちを寄ってたかって質問攻めよ。忍耐の足りない男なら、早々に逃げ出している勢いよ」

「……いや、彼氏じゃないし」


 とりあえずは彼らも問題を起こしていないようだ。けれどなるべく早く回収してやるべきだろう。

 夜煌は我慢してくれるだろうが、凱の性格はまだ把握していない。万が一我慢の限界が切れたら一大事だ。

 璃華はさっさと本題に入ろうと芭磁に向き直った。


「それで芭磁さん。なにか用があったんじゃないの?」


 確かギルドで会ったとき、一回踊ってくれと言われた気がする。


「ああ、うちがレリルに店舗持ってんの知ってるか?」

「ミララナの店だっけ。けっこう大きかったよね」

「そうだ。その店の前で公演してくれ。もちろん金は払うし、客からの投げ銭もお前さんのもんだ」

「……つまり、じゃらじゃら系で?」

「もちろんじゃらじゃら系よ」


 最後に答えたのは秋沙だ。非常にいい笑顔が輝いている。

 璃華たちの言うじゃらじゃら系とは、体中を飾り立てて踊ることをいう。宝石の付いた髪飾りに耳飾り、鈴の付いた腕輪や足輪、厚い化粧と派手やかな衣装。もちろんすべてこの隊商が商いをしている品々だ。

 下手をすると品がなくなりそうなほどの装飾品を絶妙な塩梅で身につけ、輝くそれらが引き立つような踊りを見せる。そうした踊り子の姿に目をとめたお客たちに、彼女が身につけているものに興味を持たせ、後ろで商品を広げている店に誘導するのが璃華の仕事だ。

 璃華も女の子の性として、綺麗なもので身を飾り立てることは好きだ。旅をしている都合上、たくさんの装飾品は持ち歩けないが、それでも踊るときに使うものはいくつか持っていた。だからこの手の仕事に心躍らないと言えば嘘になる。

 ただこの仕事、非常に疲れるのだ。ひとつの飾りに大した重さがなくとも、積み重ねればそれなりの重量となる。それを重さを感じさせることなく長時間踊りきらなくてはいけない。

よってその公演を二回ほどやると、それだけでその日は使い物にならなくなってしまうのだ。

 芭磁からの依頼だ。もちろん断りたくはない。けれど祭りというかき入れ時でもある。

 悩んでいると、秋沙が璃華の持っていた布を取り上げて彼女の肩にかけた。

 ふわりと肩に掛かる花びらのような感触。きっと持って踊れば風を孕んで美しく翻るだろう。

 踊ったときのことを思い浮かべた璃華に、秋沙は微笑んで首を傾げた。


「報酬は弾むわ。ね?」


 その一言だけで懐柔されてしまう自分は安いだろうか。だが秋沙の微笑には思わず頷いてしまう強制力があるのだ。

 娘の手腕に豪快に笑う芭磁をちょっと睨みつけ、璃華は秋沙とともに天幕を出た。

 公演は明日、祭りの二日目だ。詳しい打ち合わせは明日の朝にするので、璃華は今日分の自分の仕事に行かなくてはいけない。


「それにしても璃華、あなたどこであんな色男捕まえてきたのよ」

「ん? 夜煌のこと?」

「どっちがどっちか知らないけど」

「色の薄いほうが夜煌。黒いほうは夜煌の友だちで、わたしも今日初めて会ったんだよ」


 少し歩けば、さわがしい声が聞こえてきた。大きな隊商はいつも賑わっているものだが、今日のは少し趣が違う。

 おもに女の子たちの高い声だ。商人の娘たちはその気質を受け継いで何事にも積極的である。

 いまもふたりの青年を囲んで、きゃっきゃと楽しそうだ。


「彼氏、大人気ね」

「……だから、彼氏じゃないってば」


 疲れたように反論する璃華に、秋沙がにやりと笑った。


「じゃあ、わたしが狙っちゃってもいいの?」


 璃華は思わず顔を顰めた。

 意地の悪そうな表情から秋沙が本気ではないのが分かる。けれど彼女は璃華をからかうだけだとしても、本当に夜煌へ言い寄りそうだ。なにせ行く町々で取っ替え引っ替え、鬱陶しそうに横髪を払う仕草だけでも色っぽい。


(別に、夜煌が誰とどうしようと構わないけど)


 一緒に行こうと約束はしたけれど、それは義務ではない。彼に新しく大事な相手ができたら、当然離れていくのだろう。それを止める権利など璃華は持っていない。

 視界を遮っていた馬車の横を抜けると、置いてきたときと同じ位置で夜煌と凱が人に囲まれていた。おじさんたちの興味は満たされたのか、いま彼らの周りにいるのは女性ばかりだ。

 その中のひとりが夜煌の腕に手をかける。なにか質問したのか、振り返った彼がそれに答えると、華やかな人垣から黄色い悲鳴があがった。


「璃華。彼氏じゃないんでしょ」

「ないよ」

「眉間、皺。女の子が寄せるんじゃありません」

「……あぅ」


 璃華は両手で額を叩いて眉間を隠した。

 もやもやする。いつもは璃華以外に興味を示さず、会話さえも長続きさせようとしない彼が楽しそうな輪の中にいるのが、どうしてこうも気にくわないのか。


(自分にしか懐かなかった猫が他の人にすり寄ってて、寂しい気分になってるだけよ)


 もやもやする。もやもやする。

 言葉にしづらい感情が自分の中にあるのを感じた。お腹は空いてないのに、無性に何か食べたい気分になる。


(まさかこれが、やけ食いっ?)


 何にやけになっているのかには目を逸らして、初めての衝動に愕然とした。体が資本の璃華は、やけ食いとだけは無縁でいたかったのに。

 悶々としたまま立ち止まってしまった璃華を、秋沙が微笑ましそうに見てくるのがまたいたたまれない。

 どうにも近づけずに困っていると、ふと夜煌が顔を上げた。紅茶色の瞳と視線が重なったと思ったら、それまであまり表情が変わらないようだった彼が、ふにゃりと相好を崩した。

 嬉しそうに笑う顔は、璃華には比較的見慣れたものだ。けれど、周りの一オクターブ上がった歓声に、なぜか璃華の顔が熱を持った。


「あらあら、嫉妬する必要なんてなかったわね」

「……嫉妬違うし」


 訳知り顔で笑う親友を睨むが、もちろん効果はない。秋沙が彼らの元へ歩いて行くので、璃華も渋々後ろに従った。


「はいはい。みんなおしゃべりは終わりよ。仕事に戻って。(ゆい)()()()、あなたたち買い付けの先遣に行くのでしょう。もう準備は出来ているの?」


 さすが会頭の娘。次期バスティード商会の長。

 鶴の一声で従業員を散らすと、秋沙は残った夜煌と凱ににっこりと笑いかけた。


「初めまして、秋沙よ。璃華とは幼馴染みのようなものなの。これからよろしくね」

「どうも」

「あら無愛想。顔はいいのに勿体ない」


 夜煌の一言返事に、秋沙が可笑しそうに笑う。

 彼女の揶揄にぴくりとも反応せず、夜煌は璃華の横に来るとぴたりとくっついてきた。肩と腕が触れあう近さに首を傾げる。こちらを見下ろしてくる表情は、心なしか疲れているように見えた。

 こうやって夜煌がくっついてくるのは、別段珍しいことではない。璃華としては猫に懐かれている程度の認識だ。

 だが秋沙と凱にとっては面白く映るのだろう。二人分の笑い声に顔を赤くした璃華は、距離を取ろうと青年の体を押した。


「ちょっと、夜煌。……どうかしたの?」

「なんかいっぱい質問された。面倒くさかった。疲れた」

「は?」

「慣れない人付き合いにうんざりしたんだろ。優しくしてやれよ、嬢ちゃん」


 珍しくひっついて離れない夜煌に首を傾げていると、凱がにやにやしながら口を挟んでくる。

 確かにいつもの夜煌なら考えられないくらい周りに愛想を振りまいていたから、それが相当疲れたようだ。


「あら、そちらのお兄さんは人付き合いが苦手なの」

「苦手っつーより、必要性の感じない会話に興味ねえんだよな。基本的に無関心、無気力、面倒くさがり、怠惰な性格だからよ」

「……あんたら煩いよ」


 それこそうんざりした様子で夜煌が呟いた。いい加減近い距離に一歩遠のいた璃華の手を素早く捕まえて、凱のことを睨みつけている。

 さすがに捕まった手を取り戻すことは諦めて、璃華は分かりにくく疲弊している夜煌を見上げる。


「珍しいね。疲れるほど会話頑張ったの」


 一度はおさまったはずのもやもやを押さえつけながら言うと、いつもよりも若干低い声になってしまった。

 璃華の平坦な声音に、夜煌が目をぱちくりと丸くする。


「だって、璃華が構ってもらえって言ったから」

「へぇ~」

「ほぉ~」


 つまり璃華が言ったから頑張ったのだと。

 秋沙と凱が意味深な声を出してにまにまと笑っている。

 このとき初めて、璃華は初対面の凱に親近感を覚えた理由が分かった。彼はよく似ているのだ、意地の悪そうな笑顔が似合うあたりが特に、この親友の美少女に。

 璃華は数瞬固まったあと、なにに疲れればいいのか、深々と溜め息を吐き出した。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ