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 店前の公演は午後からなので、璃華は午前中に二つばかり広場の仕事を入れていた。

 腕に不機嫌な猫を抱え、大通りを歩く。どうやら夜煌は、ずいぶん璃華が妥協して選んだ衣装でさえもまだ不服があるらしい。

 だがあれくらい慣れてくれないと、これからの仕事に差し支えがある。

 深々と溜め息をついた璃華をちょっと睨んで、夜煌は腕の中から飛び降りた。そのまま、てててっと横の路地に入っていく。


「ちょっと、夜煌?」


 昼間っから赤ら顔で並んで歩く男たちを避けて路地を覗き込むと、にゅっと出てきた手に手首を掴まれて路地に引っ張り込まれた。

 大通りよりはわずかに薄暗い路地の中、必死の形相で夜煌が璃華の両肩を掴んでくる。


「なにあの服っ! あり得ないからっ」

「あり得なくないから。踊り子の衣装だから」

「布小さすぎっ、肌で過ぎっ、襲われたらどうすんの!」

「だから踊り子の衣装なんだってば」

「いままで着たことなかったじゃん」

「それはそれ、これはこれ」

「うわぁああっ」


 夜煌が勘弁ならんと言わんばかりに、髪をくしゃくしゃにして叫んだ。

 青年の奇行にたまたま通りかかった人たちが好奇の目を向けてくる。

 いつもはそれに恥ずかしくなる璃華だが、珍しく余裕のない様子の夜煌が面白くて大人しく見守った。それに甘噛みとはいえ噛まれた腹いせだ。いつも璃華ばかりが振り回されるのも面白くない。

 苦悩する青年を十分堪能した璃華は、悶々とした空気を発散している彼の背中を勢いよく叩いて、にっこりと笑った。


「夜煌がそばにいて守ってくれるんでしょ。だったらなに着てても問題ないし」

「……」


 彼が頼られたいと思っていることは知っている。普段は素直に甘えられない璃華だが、本当はとても頼りにしているのだ。


「ほら早く行こう。公演の時間になっちゃう」


 わすかに気分を上昇させたらしい夜煌をせき立てて、璃華は軽い足取りでまだ見ぬ観客のもとへと向かった。





 ***





 伸びやかな声が美しい歌を紡ぐ。それは夜煌の知らない歌だ。

 祭りに似合う華やかな曲調。乙女たちの恋を歌う秋沙は確かに美しい娘だろう。いつもは一つに括っているだけの金色の髪は複雑に結い上げられているし、半分伏せられた瞼は愁いを帯びて恋の切なさを訴え、観客をうっとりとさせている。

 そんな秋沙以上に注目を集めているのが、彼女の前で踊っている璃華だ。

 いつもはただ下ろしているだけの髪をくるくると巻き、頭には小さいが大量の髪飾りと額飾り。

 左の手首には三連の腕輪をつけ、そのうちの一つは金色の鈴が付いている。右手に嵌めているのはその鈴が付いた腕輪が一つだけだ。その代わりに二の腕には大きな宝石を付けた幅広の腕輪があり、剥き出しの肩や白い腕を引き立てている。

 足首にも同様の鈴が付いた足輪をつけている。大きく開いた胸もとには真珠とルビーを贅沢にあしらった首飾りがあり、先端についている雫方の真珠が璃華の動きに応じて胸もとで揺れるのが扇情的だ。女性にしては引き締まった腹筋が目に毒である。

 下衣はすねまでのゆったりしたズボンだが、これは猫のまま抗議しまくった夜煌の手柄である。最初彼女たちはもっと足を剥き出しにした衣装にしていたのだ。

 たいへん艶やかな踊り子の衣装だが、璃華の表情や化粧は愁いを帯びた秋沙とは違い、恋の喜びを表現した華やかなものだ。その妖艶さと初々しさが混ざり合ったアンバランスさが多くの観客を魅了していた。

 踊りの伴奏を夜煌ではなく秋沙に任せると言われたときは不満を感じたものだが、この舞を見れば納得できる。

 少女の高い歌声に合わせて、手や足についた鈴がシャンシャンと涼やかな音を奏で、固い靴底が浮き立つような乙女の心のリズムを刻む。

 ふわりとときどき香ってくるのは香水か。普段は香水などつけない璃華だが、ほのかに甘いこの香りは、彼女の魅力を邪魔しない。

 璃華が両端を持った大判の布が陽を柔らかく吸収し、ときに宙を舞い、ときに少女の体にするりと纏わり付く。本当に美しい舞だ。

 夜煌は踊りの邪魔にならない位置で、店の壁によりかかって璃華を見ていた。

 彼女の周りできらきら輝く光が、舞うたびに弾けて周囲に色を与える。指が翻るたび、足が地面を叩くたび、彼女を中心に夜煌の世界が広がる。

 退屈でない、美しい、いつまでも見ていたい世界だ。

 観客から上がった拍手で、夜煌は演目が終わったことに気づいた。優雅にお辞儀をするふたりの少女に、惜しみない拍手が贈られる。

 夜煌は観客が押し寄せる前に、慌てて璃華に近づいた。持っていたマントを、彼女の頭からかぶせる。


「ちょ、夜煌。前見えないって。ていうか、髪型崩れるじゃん」

「いいから、そんな薄着じゃ風邪引くよ」

「引かないよ。今日は暖かいもん」


 そんなことは分かっているが、踊っているとき以外で彼女の肌を他の奴に見せるのが嫌なのだ。それを正直に言うと、なぜか璃華は顔を真っ赤にして怒り出すので、曖昧に誤魔化して彼女の乱れた髪を梳く。

 こうやって夜煌と璃華が話していると、彼女に話しかけたそうだった男たちはすごすごと下がっていく。それでも近づこうとする奴にはちらりと威圧の視線を向けて顔色を悪くさた。

 いつもならこんなことはしない。多少の下心があろうと、夜煌がそばにいれば問題はないし、そういう奴らでも客は客だ。

 だが今日の璃華の格好はいただけない。誰も近づかせたくなかった。

 二回目の公演が終わって、璃華はだいぶぐったりしている。いまだ客の前であって気丈に振る舞っているが、足腰はぷるぷると小さく震えていた。

 璃華の演出した商品を求めて客が寄ってくる中、愛想良く受け答えをしてはいるが、もう限界だろう。

 ふと顔を上げた夜煌は、こちらを見ていた秋沙と目が合った。璃華を下げていいと目で言われて、数人の少女たちと話していた璃華を抱き上げる。

 特別な花を抱えたような柔らかさと香り。幸福感が夜煌の胸を満たす。

 いきなりのことに悲鳴を飲み込んだ璃華に笑いかけ、なるべく柔らかく他の少女に話しかけた。


「この子はもう戻るけど、歌ってた方は残るからごゆっくり。なにかお買い求めの際は店内へどうぞ。なにかあったら、気軽に店員に声をかけてください」


 一回目のときに何度となく璃華が言っていたことを真似してから、夜煌は踵を返した。

 後ろでなんだか甲高い歓声があがったが、どうでもいい。いまはただ、腕の中で固まっている少女を慎重に運ぶのが優先だ。


「や、夜煌。ちょっと、降ろして夜煌。自分で歩ける」

「無理でしょ。生まれたての子鹿みたいな足してるくせに」

「う、生まれたてでも歩くんだよ。子鹿っ」

「ここで無様に転んだら、さっきの踊りが台無しだね。きっと璃華の友だちにものすごく怒られるよ」

「……分かった。大人しく運ばれます」


 絶対転ばないという自信がないのか、璃華は夜煌の腕の中で身を竦めた。

 それが頼られているようで、非常に気分がいい。機嫌のいい夜煌に身を任せて、璃華は疲れた息を吐いた。

 夜煌としては抱き上げても大して変わらないように感じる重量だが、彼女にしてみたら身につけている装飾具はそうとう重いようだ。

 璃華の舞は小道具など使わなくとも魅力的だが、今回は踊りではなくその装飾具の方が主役であるらしい。璃華のおかげで素晴らしい宣伝効果になっていると、前の休憩のときに秋沙がにまにま嬉しそうに笑いながら告げていた。

 店内の奥にある事務室の長椅子に座らせると、璃華はぐったりと背もたれに凭れた。どうやら運ばれている間に、堪えていた疲れが表に出てきたらしい。

 彼女が着替えるときだけ追い出されたが、夜煌はそれからずっと璃華のそばにいた。

 魔法で疲れを取ってしまうのは簡単だ。けれどそれを繰り返していると、基礎代謝が上がらず、人間の体はどんどん弱っていってしまう。

 それに人間の中で暮らしていくなら、過度の魔法はなるべく使わないと、一緒に旅をする最初に璃華と約束していた。


「今日の璃華、すごく綺麗だったよ。花の妖精みたいで、いつまでも見ていたかった」


 璃華のいつもとは違うくるくるの髪の毛に触りながら言うと、彼女は顔を顰めて髪の毛を取り戻した。

 璃華は夜煌に髪を触られることを嫌がらない。たぶん猫にじゃれつかれているくらいの気持ちでいるはずだ。その彼女がこうやって髪の毛を取り戻すときは、怒っているか照れているかだ。今回は後者だろう。顔がかすかに赤い。


「……ありがとう」


 思った通り、璃華はぼそぼそとお礼を言った。ゆっくりとはにかんでいく顔に、夜煌も幸せな気分になる。


「でもやっぱりあの服は嫌だ」

「嫌だって、仕事だし」

「嫌だ」

「……普通の踊り子の衣装だよ」

「嫌」

「……」


 駄々を捏ねる夜煌へ呆れた目を向ける璃華に、もう一度手を伸ばす。

 髪を指に絡ませると、ぺしりと叩かれた。

 なんだかんだと夜煌に甘い璃華だが、彼女は仕事に対しては妥協しない。伴奏のバイオリンだって、及第点をもらえるまで大変だった。たった六日と璃華は驚いていたが、実はかなり必死で練習したのだ。いままで生きてきて、あんなに努力したことはない。

 別に努力を認めてもらうつもりはないので、夜煌は髪の毛を引っ張って彼女を覗き込んだ。


「なら約束して。俺がいないときはぜったい着ないって」

「……分かった。夜煌がいないところではやらないよ」


 諦めたように璃華が頷く。

困った顔がもうちょっと見たくて、夜煌はもう少ししつこく尋ねた。


「本当?」

「本当」

「ぜったい?」

「もうっ、しつこい!」

「まあ、俺は璃華の傍を離れる気ないし」

「だったらいいじゃん! ってか、いいかげん髪離しなさい!」


 そんな調子でじゃれ合っていると、店の方が一段落したらしい秋沙が入ってくる。

 仲がいいのねと言われて気をよくした夜煌は、ようやく璃華を解放する気になった。

 さらにぐったりとしてしまった璃華と夜煌の前にお茶を置いて、秋沙も彼らの向かいに腰を下ろした。店の方はもういいらしい。

 しばらくしは色々と話をしていた彼女たちだが、窓から入り込んでくる陽が赤みを帯びてくると、そわそわと落ち着かない様子で口数が減った。

 その理由は分からないが興味もなかったので、夜煌は璃華の横を陣取りながらのんびりとお茶に口を付けていた。

 一時間ほど経ったころ、外から忙しない足音が聞こえてきて夜煌は扉に目を向けた。まだ璃華たちは気づいていないようだが、それからすぐに男が入ってくる。


「やっぱり見つからないのね」


 立ち上がった秋沙が、男の蒼白な顔に眉を寄せて聞く。

男は首を振って乾いた声を上げた。


「確かに見つかりません。ギルドに連絡もしました。でも、それどころじゃねえですよ。街に合成獣(キメラ)が出たって。それも、なぜか女性を連れ去るところが目撃されたんです」


 璃華と秋沙が息をのみ、緊迫した重苦しい空気が部屋に漂う。

 とりあえず夜煌は、璃華が不安そうだったので横にあった彼女の手を撫でた。

 

 


魔王さまはマイペース。

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