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永田くんとかーくんの残骸

「先輩。いつになったらこのゴミの山、片付けるんですか」


 そろそろ暖かくなってきた、月1休みの土曜の夕方。

 そう言って永田が苦々しげに見つめた先には、夕陽に照らされた山積みの段ボール。

 中はもちろん、整頓の途中で手つかずになっているかーくんの私物である。

 私はギクリと肩を震わせて、恐る恐る口を開いた。


「め、めんどくさくて……」

「さっさと連絡して引き取ってもらって下さいよ」


 永田の目は据わっている。

 いつもは私のことに口出ししない永田も、コレ(・・)に関しては遠慮せず苦言を呈す。なぜなら、私が立ち直れない元凶のひとつであるのが明らかだからだ。

 それに加えて、かーくんの荷物はやたら多くて狭い部屋を圧迫していた。

 他人の荷物を片付けるのは苦手だ。しかも、困ったことに……


「全部捨てていいって言われてるので……」


 かーくんは着の身着のまま出て行って、荷物は全部捨ててくれという。

 だけどそんなの、勝手に捨てることは出来ない。本当に大事なものはないのか。整頓して段ボールに詰めても、送り先もわからない。


「捨てていいって……今まであまり聞かないようにしていたんですけど、元彼は一体、どんな状況で出て行ったんですか?」


 永田が恐る恐るといった感じで尋ねる。


「ええっと……」


 言葉を濁すと、仁王立ちだった永田は長くなりそうだと思ったのか、その場に座り込んだ。

 しょうがないので私も座り込んで膝を抱える。


「まず、ハリウッドへ行くって言って、3ヶ月くらい行方不明だったの」

「はあっ!?」


 素っ頓狂な声が返ってくる。

 あ、前提を説明するのを忘れていた。


「えーと、その前にまず、彼は演劇をやっていました」

「あ、はい……」

「夢はハリウッドスターで、小さな劇団で劇団員をやりつつ、毎日頑張っていました」

「……働きもせず?」

「う、うん。でも、ほんとにちゃんと毎日頑張ってたんだよ」


 私がフォローすると、永田は冷ややかにこちらを一瞥して、不機嫌そうにふぅんと唸る。


「で、ハリウッドへ行くって言うから、頑張ってねって応援して送り出して、そこから連絡が途絶えて────忙しいのかなって思ってたら、ある日……」


 思い出して、言葉が詰まる。

 少しだけ顔に熱が上り、目に涙が滲んだ。

 スウェットのズボンをぎゅっと握りしめ、言葉を絞り出す。


「実家に帰って、結婚、するって」


「うわ……」


 永田が絶句する。

 そして彼の言うことには、


「まず、ハリウッド、行ってないですよね。それ」


 薄々そうじゃないかと思っていた疑念を、ビシリと突いた。


「やっぱりそう思う……?」

「ええ。で、本命がいましたよね」

「そ、それはどうかなあ!」


 思い切って抗議すると、何言ってんのこいつ、という目で見られた。

 居た堪れない。確かに結婚するってそういうことだ。

 あんまり考えないようにしてきたけれど、やっぱりそうなのか。私はかーくんの彼女ですらなかったのかな。


「でも、だって……十代からの付き合いだもん……いつも愛してるって、言ってくれてたもん……」


 なんとなく察しながらも、口からは強がりめいた否定が溢れ出す。

 永田が、呆れたようにため息を吐きながら頭を掻いた。


「三十路を目前にして、面倒くさいから捨てられたんじゃないですか?」

「そ、そんな……そんな事に拘る人じゃないよ!」


 かーくんはそんな人じゃない。

 純粋で、可愛くて、一生懸命で。


 ──めーいちゃん。愛してる、お金貸して?──

 満面の笑顔で可愛らしく強請るかーくんが、脳裏に蘇る。

 脳裏に蘇る時まで、お金を催促してくるのが可笑しくて、ちょっと笑う。


 笑いながら、ふいに涙がひとつ、零れた。


 今まで堪えていたものが、一瞬だけ緩んでしまったのだ。

 その隙に、仕舞われていた涙が後に続こうとするのを、私は慌てて必死で堪えた。

 溢れさせてなるものか。私は泣かない。泣いたら、終わってしまう。終わりになってしまう。


 泣くのを我慢しても、荷物なんかあっても、かーくんはもう戻って来ない。

 それは痛いほどわかっている。けど……


「でも、楽しい思い出いっぱいあるし。出掛けなくてもお金無くても。暫く連絡もなくいなくなった時もあるけど、ちゃんと帰ってきたし。今も、飽きたら帰ってくるかもしれない。ごめん、って言われたけど、さよならって、言われてないの」


 無駄な期待、意味のない足掻きを口にしながら、それに縋る。

 永田が苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。


「実家に帰るんだって、彼の実家は飛行機の距離なの。お金貸してあげてないのに、どうしたんだろう。誰かと帰ったのかな。ちゃんと、やってるのかな。それを知る事も、もう出来ないのかな……」


 無邪気な笑顔で金銭をせびるかーくんを思い出す。

 ご飯は食べてるのか、幸せなのか。そんな事ばかりが気になった。


「電話もメールも通じない。だけど、荷物があったら、取りに来るかもしれないし」


 だから片付けられない。

 スマホにしても、携帯の番号は変えなかった。かかって来ることは、付き合っていた時でもほとんど無かったけれど、もしかしたら。

 何か困った事があれば、きっと私に連絡が来る。そして私が一番最初に、助けに行ってあげるんだ。


「ほんと……引くほどバカですね」


 苛々した表情で眉根を寄せ、私の頰のたった一粒の涙の跡を、自らのパーカーの袖口で強引に拭ってくれる。ゴシゴシと力強く拭かれて、私は顔を歪めた。


「いたい、いたいって」

「そんな、酔った涙とか見たくないです」


 言いながら、両手で頰をこねくり回す。

 いだだだ! な、何すんのよ!


「小説のヒーローなら、ヒロインに優しくしてよぉ」

「うるさい。先輩なんて、思い出に埋もれて死んでしまえ」


 ひどい! と抗議する間も無く、両手でぶにっと頬っぺたを潰す。

 ぐぇっと呻いて、挟まれた手の中では、押し潰された唇がアヒルみたいになった。

 永田は一瞬だけ、ふっ、と下を向いて噴き出すと、すぐに真面目くさった顔を作り、こちらに向き直る。


「小説のヒーローだったら、こんな時、どうするんです?」


 頬を挟む手を緩めて、そっと甲側の指で撫でられる。

 なんだか瞳が優しい気がして見上げれば、視線が絡んだ。顔が近い。


「……抱き締めて……キス?」

「じゃあ、そうやって慰めてって、僕に強請ってみて」

「う……。で、できないよ……」


 顔を逸らして、永田の手を押し退ける。あっさりと手は引いたが、依然距離は近いまま顔は眼前に迫っている。


「どうして? ヒロインに優しくしたらダメ? それとも、僕じゃ嫌?」

「そ、そういうわけじゃ……」


 甘く囁かれて、どぎまぎする。

 これも小説の為なんだろうか。それとも、擬似彼氏としてか。


「慰めてもらっても、永田くんにお返しも出来ないし……」

「お返し? そんなの、小説を書いてくれたら全部チャラですよ」


 永田が平然と言う。

 今更ながらに、私はそれに違和感を覚える。


「……じゃあ、書くから脱いでって言ったら本当に脱ぐの?」

「いいですよ」

「抱いてって言ったら抱くの?」

「う……ん?」


 不穏な空気を察して、永田が怪訝な顔をした。

 前から疑問に思っていた。どうしてだろうと。


「よく、わかんないよ。それで永田に何の得があるの」

「……」


 単に脅すなら、色々と要求することも出来る。なのにいつも、彼にとって意味のなさそうな『お願い』しかされていない。その最たるものが『小説』だ。

 彼は困った顔をして、身体を離し距離をとる。私は足下に視線を彷徨わせながら言葉を待った。


「僕は、泣いている先輩が嫌いです」


 やがて開口一番、永田は私に言い放つ。


「小説、面白いですよ。書いてる内容はとんでもなくてよくわからないですけど、書いてる先輩が面白いです。先輩はいつもにこにこしてて、大人しそうなのにバカで、変人で、裏でこそこそエロ小説書くような人で──それを発見した時の僕が、どんだけ衝撃だったかわかります?」


 そう言って、クスリと笑う。たぶん知った時には爆笑したんだろう。


「なのに今は、うじうじして、なんてゆーかウザい。面白くない。せっかくこんなに近くにイケメン主人公のモデルがいるのに。僕を好きにしていいって言ってるのに。いくらでも僕で妄想していいから、面白い先輩に戻って、僕を楽しませてよ」


 今度は急に怒りだす。情緒不安定か、永田。

 私は端々に悪態の入った言葉を黙って聞いていたが、ふいに思い出して口を挟む。


「最初は、あんたが私を好きにする権利が欲しいって言ってたよね?」

「そうです。でも、僕が先輩を自由にして、先輩が脅されながら嫌々僕に従うなんて。そんな関係、絶対嫌です。だって、そんなの、全然意味がない!」


 永田にしては珍しく、声を荒げた。

 ──なんとなくわかる。

 私はその言葉を聞いて、私とかーくんとの関係に置き換えていた。

 かーくんにとって私は、自由に使って、なんでも言うことを聞く存在だった。大事にする必要もなく、飽きたら気軽に捨ててどっかに行ける。なんでも言うことを聞くんだから、いらないって言われても聞くだろうと。

 別れ話だってちゃんとしてくれないのは、きっとそういうことだ。


「その……つまり、僕は──」


 言いたいことが混濁してきたのか、急にもごもごと口籠る。上目遣いでこちらを伺うように見るので、私は首を傾げた。


「笑えない先輩が嫌いです。先輩なんて、さっさと元気になって、僕を題材にアホみたいな小説でも書きまくれば良いんですよ。それを見て笑うのが、延いては僕の得になるんです」


 なんだそれ。

 ふん、と偉そうに鼻息を吐いて、子供がすねたみたいな態度をとる永田に、私は苦笑する。


「永田くんって変だよ」

「……馬鹿にしないでいただけますか」


 思わずそう呟いた私を、永田が心底嫌そうな顔で睨みつけた。


 つまりは、彼の「小説を書いて下さい」は、ずっと私を慰めてくれていたってわけだ。

 激励し、発破をかけてくれていたのかもしれない。

 嫌い嫌い言われたが、でもそれは裏返しで、泣かないで、笑っていてって意味だということは、鈍い私でもわかってしまう。

 こんな捻くれて面倒くさい優しさと、自分を好きにしていいと言われて、舞い上がらないわけない。


 それってさ──もしかしてさ、私のこと────。


 いやいや、単に面白がっているだけじゃない?


 期待する気持ちと、それを諌める心の声がせめぎあう。

 ドキドキしながらチラリと永田を盗み見ると、目が合った。

 彼の瞳が私をじっと捉え、笑みを含んで細くなる。

 その目線に、思わず私の頬は熱くなり────


「先輩の顔、真っ赤だ」


 永田が無邪気に笑った。

 一瞬、赤面したのがバレたのかと焦るが、すぐに窓から差し込む夕陽のせいだと気付く。沈みかけた太陽は一層赤さを増し、最後の光で部屋を眩しいくらいに照らした。


「永田くんだって、真っ赤じゃん」

「これは先輩を見てるからだよ」

「また馬鹿なこと言って」


 永田の冗談に、照れたのがバレないよう慌ててそっぽを向く。


「片付け、頑張って下さいね」


 私の耳に、小さな笑い声と応援の言葉が優しく響いた。


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