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ようこそ新しい関係

 ────朝だ。


 窓から射し込む光にうっすらと目を開けると、誰かが目の前にいる。

 見えるのは胸元だけで、背中に回された腕、温かい体、すうすうと間近で寝息が聞こえる。どうやら抱きかかえられた体勢だ。

 体の下にいつものシーツの感触があり、ここが見慣れたベッドであることに気付く。


「かーくん……?」


 微睡みながら、私は居るはずのない元彼の名前を呼んだ。

 顔を見上げると、その顔は端正な造りをしていた。かーくんとは違う。

 規則正しい上下に、さらりとした髪が揺れる。

 あぁ、そういえば昨日見惚れていた顔だ。


「……永田か…」


 って、なんでベッドに!?

 慌てて身体を離そうとすると、グッと抑えつけられた。


「永田で悪かったですね。先輩」


 パチリと目を開けて、超至近距離で睨みつけられる。怖い。というか今は状況的にも怖い。

 まさか、え? うそ? いや、覚えてないぞ?

 チラリと衣服の乱れを確認するが、昨日の部屋着のまま、特に変化はない。


「あ、あんた、なななにやってんの」

「何もしてませんよ。先輩が寝ちゃってベッドへ運んだら、しがみついて離してくれなかったんで、そのまま一緒に寝ました」


 そういえば寝落ちしたような気がする。

 それはソファの上で、ここはベッドで、昨日いたリビングとは隣の部屋だ。

 しがみついて離れなかったって……えぇー、覚えてない。それは私が悪い、悪いんだけど……


「だ、だからってこれはマズイでしょ!」


 布団から出ようとするも、永田はガッチリと肩を掴んで、さらに足を絡めてくる。逃げられない。


「マズイ? 家に上げた時点でマズくないですか? こうなること、全く想像してなかったんですか? 目が覚めたら裸に引ん剝かれてる可能性は?」

「うっ……」


 永田ならしない、するはずないと、思っていた。自分でも、しないと言っていたではないか。

 私は自分の無防備さに顔を顰め、永田から目を逸らした。


「2人きりで部屋にいて、お酒飲んで寝ちゃったら、朝にはそうなってない方がおかしいって言ったでしょ? しかも自己申告の安全宣言を鵜呑みにして」


 永田が体を起こして上からのしかかる。体重が、重苦しい。


「言いつけを守るなんて、子供じゃあるまいし」


 思わず息が詰まった。

 その通りだ。嘘をついて上がり込み、襲われることだってあるのに。


 私が危機感を覚えて抵抗すると、両手を抑えられ、永田が覆い被さってきた。

 首筋に音を立ててキスをする。

 う、うわあああ! 何やってんだあぁ!


「永田、永田くん、やめようよ。今ならまだ引き返せるよ!」

「……」


 犯人に呼びかける警察官の如く説得にあたる。お母さんが泣いているぞ!

 永田は少しだけ戸惑いながら、耳たぶを甘噛みする。


「永田、重たい。潰れちゃう。骨が折れちゃうよ〜」

「……」


 私がバタバタしながら抵抗すると、うるさいとでも言うように、喉元に思い切り強く唇が押し当てられた。

 ちゅうと吸われ、くすぐったくて思わず「ひぃ!」と叫びながら身を竦ませてしまう。


 え、本気? これ本気なの?

 私が戸惑いながら永田を見ると、一瞬目が合った後、彼はなぜか眉を顰めた。

 けれどすぐにまた首元に顔を埋め、ゆっくりとキスしながら胸へ向かって降りていく。私の気持ちに関心などないように。


 ……そうか、これって自業自得だ。無防備で馬鹿だった私が悪いんだ。

 相手が永田か昨日の彼か、って違いだ。だったら、知っている分だけ永田がいい。


 私は諦めたように目を瞑った。流れに身を任せることにする。

 永田が体をさらに密着させ、押さえつけていた手を服の中に滑り込ませた。内股に押し当てられた下腹部が、火傷しそうに熱い。


「あぁ……男の人って大変だよね……」


 この状況で、私はなぜかかーくんも朝そうなっていたことを思い出していた。


「その状態でオシッコすると、はねるから困るの」

「……」


 私は全身の力を抜いてされるがままになりながら、男性の朝のトイレ事情を想像しブツブツと呟いた。


「まあでも、すぐ掃除したら大丈夫なんだよ。問題はさー、めんどくさがってそのままにすると、後でお掃除のときビックリするんだよね。え、こんなとこ汚れるの? みたいな。だからこまめに、毎日、ちゃんとしたほうが」


「ああぁぁーもう!!」


 バッ、と永田が布団を剥いで起き上がった。

 密着していた体が離れ、ふいに解放される。

 私は驚いて目を開き彼を見上げた。


「もー嫌だ! なんでそんな、中途半端に男慣れして、襲われてるのに馬鹿なこと言うし、頭おかしいんじゃないですか?!」


 てゆーか余裕だな! と、髪を両手でワシャワシャとかき混ぜながら、紅潮した顔の永田が叫ぶ。


「抵抗しろよ、嫌がって、こわがれよ! 目なんか瞑って受け入れるフリしてさ、だけどしたいわけじゃなさそうで、何考えてんのか全ッ然わかんない!……ほんと……むかつく」


 怒りながらも、永田はどこか安堵しているようだった。

 はぁ、とため息を吐き、照れたようにぽりぽりと頭を掻いて、座り込む。

 もしかして本当は、昨晩の私の軽率さへの警告をしたかっただけで、最初から襲うつもりはなかったのかもしれない。

 私が早々に戦意喪失して諦めた態度を取ったことで、逆に焦ったのだろう。どうやって切り上げようか迷ったに違いない。


 彼はしょぼくれて膝を抱え、再び盛大なため息を吐いた。


「はぁ……。先輩、すみませんでした」


 素直に謝ると、不貞腐れた顔で上目遣いにこちらを睨む。ちっともすみませんという顔ではない。


「いいよ。私も悪いし」

「私も悪い、で、やられかけたのを許すんだ。優しいなぁ〜」


 嫌味を言いながら、なんとも言えない顔で笑う。

 そんなこと言うなら、許さなくたっていいけど。追い出して、二度と家に入れないよう対応するけど。警戒しまくるけど。


 ────でもさ。わかってるんだ。普通は途中で止めてくれない。

 昨日も守ってくれたし、今のも、ちょっと脅かしてビビらせたかったんだよね。まあ永田とならいいか、なんて私が思って受け入れたこと、永田はわかるわけないしさ。

 次からちゃんと自分で気をつけるよ。ごめんね、ありがとう。


 私が少し落ち込みながら心の中で反省と感謝を述べていると、吹っ切るように永田がいつもの感じで話しかけてきた。


「でも、ちょっとは参考になったんじゃないですか?」

「参考って?」

「……。先輩。僕がなんでここ数日先輩に付き纏ってるか、お忘れですか?」

「付き纏ってる自覚あったんだ」


 私が笑うと、ジト目でこちらを睨みながら壁に寄りかかった。


「先輩の恋愛妄想エロ三文小説のヒーローたる僕の、実戦によるネタ提供です」

「あぁ……」


 げんなりして布団にくるまると、永田がぺしぺしと布団越しにデコピンで攻撃してくる。


「その様子だと、ナチュラルに忘れてる先輩に僕が会社でうっかり大暴露する日も近いですねぇ」

「ちょっ……! やめてよ、絶対やめてよ!」

「いっそ晒してしまったら、僕のこと気にしなくて良くなるんじゃないですか? どうやって発表します? プレゼンの資料に紛れ込ませますか? 社内メールで誤爆します?」

「いやいやいやぁぁああ!」


 そういえば私、こいつに脅されていたんだった。

 考えるだけで恐ろしい。バレたらもう、会社にいられない。

 10年付き合った彼氏はヒモで、しかも1度も抱いてもらえなかっただけでもキツイのに、本人はキモイ妄想小説を書くのが趣味とか……。救われない。ますます腫れ物扱いが加速してしまう! いや、そんなのはマシで、最悪、社会的に抹殺されてしまう!

 想像してあわあわと慌てると、ぷっ、と永田が噴き出す。

 私は彼をギロリと睨みつけて、その長い足をペンペンと叩いた。


「小説、楽しみにしてますからね」


 ガシッ、と叩いている手を掴んで静止すると、永田はにっこりと微笑んだ。





 顔を洗うため洗面所で、永田のぶんのタオルを出した。

 わざわざ新品を卸すことに遠慮されたが、そこはお客様。ホテルのアメニティで持ち帰った歯ブラシと一緒に恭しく渡すと、苦笑しながらお礼を言う。

 コップも渡すと、中身を取り出して立て、洗面台の上に置いた。

 私の歯ブラシの入ったコップの横────


「……あ」


 そのコップには、まだかーくんの残した歯ブラシが堂々と残っていた。

 永田がちらりとこちらを一瞥する。

 未練たらたらみたいで気まずい。

 が、どうしようもないのでそそくさとその場を退場し、朝食を作るため台所へ入る。

 永田は遠慮したけれど、朝飯くらい食べていけと、半ば強引に引き止めた。貸しを作っておいて損はないのだ。


「ご飯とー、お味噌汁とー、卵。卵はどうする?」


 エプロンを巻いて冷蔵庫を覗き込みながら、洗面所の永田に問う。


「玉子焼きがいいです」

「ノリの佃煮。お魚焼く?」

「お魚はいいです、朝はそんなに……」

「うそ。あ、残り物の肉じゃがあったわ。煮崩れしてるけど」


 私は朝からモリモリ食べる。

 肉じゃがをチンして、ご飯とお味噌汁を用意し、甘い玉子焼きを焼く。

 永田が戻ってきてテーブルを片付けると、テキパキと料理を運ぶ。箸の置き方、ご飯とお味噌汁の位置。そういえば、昨日のビール缶やらはいつの間にかちゃんと洗われて流しに干してあった。

 永田は割りとキチンとしている子のようだ。


「いただきまぁす」


 両手を合わせて言うと、永田も続いて頂きますと呟く。

 私は箸を咥えた状態で、テレビのリモコンをいじくってニュース番組にあわせた。


「先輩、お行儀」

「てへへ」


 つい、ついね。笑って誤魔化す。

 じとっ、と睨まれた後、永田は目の前の大皿に視線を移した。


「この肉じゃが、すごい溶け出してますね」


 小皿に取り分けようとして、永田が苦戦している。


「なんかドロドロに煮ちゃうんだよね。お芋の形とか半壊してるのがいい」

「煮物の柔らかいの好きですけど、これは」


 あんかけになりかけた芋をつまみ口に入れて、「あ、美味しいです」と目を見開く。意外そうな顔をするんじゃない。味付けは別に溶け出してないんだからね。

 

「あ、これ鶏肉ですか? へぇ、牛肉じゃなくてもいいんだ」

「別に豚でもそぼろでもなんでもアリじゃない?」

「うちは牛肉に、絹さやが入ってます」

「だと思った!」


 なんて、下らない話をしながら食事をする。

 こういうのはなんだか久しぶりだ。

 誰かと食べるご飯て美味しかったなぁ。味、違って感じるんだな。

 そんなことをぼーっと考えながら気を抜いてもぐもぐしていると。


「……先輩の玉子焼き、大好きです」


 甘い玉子焼きを口に入れる瞬間、目を伏せてポソリと呟いた永田の言葉に、私は不覚にもキュンときてしまった。



****



 洗い物をしていると、横で永田がお皿を拭いてくれる。

 「うち食洗機あるんです。便利ですよ」「ほほー」なんて話をしながら、黙々と洗う。


「ねえ、先輩」


 ふいに、永田が手をとめた。


「さっき僕が、『お願い』して抱きたいって言ってたら、どうしました?」

「どう……って」


 そうだ。

 永田だからそうしなかっただけで、脅される可能性だってあった。

 うわ、どんだけ無防備なんだ自分。呑気というか、これはもう、そうなってもオッケーと誘っているようなものだと思う。逆に申し訳ない。

 私は蛇口の水を止めると、取り繕わずに話すことに決めた。


「……正直ね、あの瞬間、まあいいかって思ったの。昨日の彼とそうなってたかもしれないし、それなら永田の方が知ってる人だし、まあいいかって」

「あぁ……そう、やっぱり、そっち」


 永田からはなんだか微妙な反応が返って来た。ちょっと引いたのかもしれない。事なかれ主義、ここに極まれりだ。


「うん、だめだよね。だけどさ、寂しいのも確かで、好きとかより先にそれがきてる気がする。誰かと一緒にいたいの。元彼と一緒にいれたら一番だけどさ。今はいないし」

「……これは重傷ですね」


 永田は考え込みながら、うーんと唸った。そしてひとつ頷くと、


「仕方ない、先輩が心配だから、僕が毎週末ここへ来てあげます」

「はっ!?」


 え、毎週? 何言ってるのこの子。


「で、でも今週末の土曜日は仕事だよね?」


 うちの会社は月1しか土曜休みはない。

 週休二日制ではあるが、所謂、完全週休二日制ではなく──まあいいや。


「仕事終わったら。夜から、朝まで」

「い、い、いらないよ! 今日みたいなことあるかもしれないじゃん!」


 学んだばかりの警戒心を発揮すると、永田がフンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「そんな事言って僕を遠ざけるなんて、小説を書く約束を守る気がないんですね。仕方ない、これはまず先輩の仲良しの後輩さんに相談して」

「わーっ! ばか! 卑怯者!」


 私が慌てると、永田が冗談ですと言って笑う。


「しませんよ。今はね。ただ────」


 永田は体を傾けて私の顔を覗き込んだ。彼の焦げ茶色の瞳に私が映り、光に揺れながら細くなる。間近に迫った端正な唇が、柔らかな三日月を描く。


「ちゃんと次の恋愛ができるまで、僕を擬似彼氏だと思って遊んでみませんか?」


 出会ってから初めて、彼はなんとも魅力的に、にっこりと優しく微笑んだ。

 そんなとんでもない申し出ととびきりの笑顔に、ああ、擬似ならいいかも、永田は顔だけならカッコイイし……などと考えて、思わずこくりと頷いてしまった私は、きっと結構大丈夫じゃない。



 ────こうして私の部屋に、永田が通うことが確約された。



 丁度いいので、友人には最近仲良くしている彼氏候補がいると説明して、合コンやら紹介やらは今まで通り不参加にしてもらう。


 私はまだ、かーくんを捨て切る決心がつかないでいる。

 もうちょっと。もうちょっとだけ、こうしていたい。


 そうだ、小説を書こう。


 心の中に溜まったものを吐き出すように、私は毎夜、現実逃避に走る。

 妄想の中でなら、恋愛は思うがままだ。

 あの生意気な永田だって、いつか妄想でひどい目にあわせてやるんだから────


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