小話4 ふたりきりの花火大会
真夏のお話
私の家の近所を、永田とふたりで歩いていた。
わずかに汗ばんだ手を恋人繋ぎにして、たまにニギニギしながら目を合わせて照れ笑い。
時刻は夕方。
沈みかけた夕陽が名残惜しげに輝くも、刻々と夜の闇が迫る。
静かな青い世界に染まりつつある商店街に、街灯が灯り出した頃だ。
────ドンッ、ドドンッ
突如、花火のような音が鳴り響いた。
「お? なんだろ?」
私が空を見上げると、永田も「さあ?」ときょろきょろする。
花火よりは小さくて、乾いた音。
「あれだ、お祭りのお知らせ……かな?」
永田が、商店街の店に貼られたチラシを指差す。
そこには、本日行われる花火大会のお知らせが書かれている。
どうやら今の音は、その号砲花火らしい。
うわぁ、知らなかった。
長いこと暮らしていた街だけど、私の行動範囲って家から半径200mぐらいしかない。
夕方はご飯食べて小説書いたりしてたし、興味もなかったな。
花火なんて、今まで隅田川の花火大会をテレビで見ながらビール飲むだけだった。か、悲しい……。
行ってみたいなぁ。だけど────
「行くには少し遠いですね」
電車に乗って、さらに歩いて会場へ。
時間も時間だし、今からだと激混みで花火どころじゃなさそう。
残念だけど、今回は諦めるか……。
「…………ちょっと、コンビニ寄りません?」
「へ?」
俯きかけた私に、永田はにっこりと微笑んで手を引く。
なんだろう。喉でも乾いたか、トイレかな?
疑問に思いながらついて行くと、コンビニに入った永田は、入り口付近のあるコーナーで足を止める。
そこには、派手な煽り文句のパッケージに包まれた、たくさんの手持ち花火が陳列されていた。
「え、まさか?」
驚いて彼の顔を見ると、ニヤリと悪戯っ子のように笑う。
「やりましょうよ。近くの土手で、ふたりきりで」
「! や、やるっ」
先ほどまでの残念な気持ちはどこへやら。
私たちは子供みたいにはしゃぎながら花火を選んだ。
*
買ったのは、オーソドックスな手持ち花火の詰め合わせ。
それから、ソーダ味のアイスだ!(重要)
一旦家に帰って、ライターと、ホールトマトの入っていた空き缶、水を入れたペットボトルをビニール袋へ放り込んだ。
ついでに蚊取り線香と虫除けスプレー、懐中電灯も持っていこう。
「用意周到ですね」
「まかせろぃっ」
「いつもそれくらいテキパキできればねぇ」
サクサクと準備する私に、苦笑いの永田。
「よし、準備オッケー!」
私たちは意気揚々と土手へ移動する。
その頃にはもう花火は始まっているのか、遠くで微かにドン、ドンと太鼓のような音がしていた。
あの独特の間が、郷愁を誘う。
夜空に大きな華が咲いた瞬間、パラパラとアラレの散るような音がするのも、また楽しいんだよね。
「今度、浴衣着て、一緒に行きましょう」
永田が静かに囁く。
私は嬉しくなって、うん、と頷く。
浴衣を着た永田はきっと色っぽいんだろうな。少しはだけたら、もう、それはもう、色っぽくてヤバそうだ。
そんな妄想をしながら住宅街を離れ、小高い土手を駆け上った。
「足元に気をつけてくださいね」
夜の河原は真っ暗だ。
永田が手を貸してくれて、転ばないよう慎重に歩く。
みんなお祭りに行っているからか、ここまでずっと、誰にも会わなかった。
なんだか世界の終わりにふたりきりでいるみたいで、寂しくてワクワクする。
虫の声がジージーとうるさいのに、とても静かな夜だった。
足元の砂利に懐中電灯を立て、空き缶に水を張る。
「どれからやります?」
花火の袋を開けながら、永田が訊いてきた。
楽しいのか、声が弾んでいる。
私もにこにこしながら花火を選んで、いっせーの、で火をつけた。
シュボッ、と音がして、棒の先端から極彩色の火花が散る。
「うわあ!」
「綺麗ですねぇ」
「──って、けぶっ……ケムい、煙が!」
「こっち風下だ、反対に回りましょう」
「うわわわわ」
なんて間抜けなやり取りをしている間に、花火は赤や緑に色を変えながら勢いを増し、そしてすぐに萎んでいく。
「あーあ、終わっちゃった」
「なんの。まだまだありますよ!」
ジャジャーン、と効果音がしそうな勢いで花火を取り出す永田に笑う。
「振り回さないでくださいね」
「さすがにしないですぅ!」
子供じゃあるまいし。膨れながら花火を差し出すと、永田が火をつけてくれた。
並んでしゃがみ込み、花火を眺める。
小さな火の華はシュウシュウと音を立てながら盛大に煌めき、やがてゆっくりと勢いを落としてゆく。
火の消えたそれを空き缶に入れれば、最期にジュッと小さく鳴いた。
「なんか切ない」
そんな感想を漏らして、また火をつける。
連続して繰り返していると、すぐに手持ちがなくなってしまった。
「あとは線香花火だけか……」
「じゃあ、その前にアイス食べよ!」
色々なものが雑多に詰め込まれたビニール袋をガサゴソして、中から溶けかけのアイスを取り出す。
「そっちは何味?」
「みかん」
「私ソーダ!」
「なんで自慢げ」
取り出したソーダ味の棒アイスを見せつけると、永田が苦笑する。
「あ、垂れる垂れるっ」
「わわっ」
ふいにアイスが崩れ、私の手にぼとりと落ちる。
その瞬間、永田が唇を寄せ、手に乗ったアイスの破片をパクリと食べた。
「あ……」
私は驚き、赤面して固まる。
しかし永田は何事もなかったかのように、ちゅうっと私の手を吸って唇を離し、
「ソーダ味も美味しいですねー」
なんて言いながら、自分のみかん味アイスにかぶりつく。
「ほら、早く食べないとまた落ちるよ」
「……うん」
くそー、ドキドキさせやがって。
平然とアイスを食べる永田を横目に、がぷりとアイスを一気に頬張り、
「────ウッ!?」
キーン! こめかみに鋭い痛みが奔る。
かき氷食べた時のアレだ。
悶える私に永田が一言。
「ほんと、バカですねぇ」
悪口に聞こえるそれは、なんとも柔らかくあたたかい口調で放たれる。
彼の方を見れば、その瞳はいつだって優しく細められ、私を愛しげに見つめているのだ。
しばし涼んで休憩したあとは、いよいよ線香花火。
長い紐の先端に火をつけると、ぽってりと丸い炎の雫が出来る。
今までの花火とは違う、静かな炎がパチパチと飛び散った。
四方八方に舞う小さな炎の華に、私たちはうっとりして見つめあう。
「ね、あれやりたい」
「なに?」
私の突然の提案に、永田が首を傾げる。
「こう、ふたつの線香花火をくっつけるやつ」
漫画とかアニメとかで見たことがある。
それぞれが線香花火を持って、先端の『たま』をくっつけあう。
『たま』はくっつくと、ひとつの大きな塊になって、落ちて消えるまでの寿命が延びるんだよ。
「あー……できるかな」
やったことないなぁ、と呟きながら、彼は真剣な顔で私の線香花火に自分の花火をそっと近付けた。
ぷっくりとした小さな光の塊が、溶け合うように融合する。
私は息をひそめ、動かないように手にぐっと力を入れた。
歪なふたつの塊は、やがてゆるゆるとひとつの『たま』になっていく。
「────できた!!」
「おおおっ」
そう叫んだ瞬間────
ポトリ、と『たま』は地面に落下する。
「あぁぁー……!」
せっかくくっついたのに、騒いだのがいけなかったか。
私が落胆して地面を見つめていると、
「またくっつければいいよ」
永田がそう笑って、新しい線香花火に火をつけた。
「何度でもやればいいんですよ。ね?」
「うん」
火のついた花火を受け取ると、永田がもうひとつに火をつける。
今度は力を抜いて、静かに近付けた。
そっと身を寄せたふたつの炎が、揺らぎながらひとつになる。
大きな『たま』になった花火は、バチバチと火花を散らしながら長いこと華やかに燃えた。
そして時がくると、ポタリと大粒の涙みたいに落ちていく。
「はぁ……なんか切なくなるね」
「儚いからかな」
「夏も終わりだね」
「ですねぇ」
コテンと頭を寄せあって空を見上げた。
都会じゃ天の川は見えないけど、そこそこ綺麗な星空が広がっている。
「だーれもいないね……」
そう言って暗闇の中でするキスは、なんだか火薬の匂いがした。




