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夜と映画と夢の中


 玄関で待たすようなマネはしなかった。

 だって、そんなことしても無駄なくらいには散らかっていた。

 玄関先に山積みの段ボール、ゴミ袋が積まれている。


「女の一人暮らし……」


 永田はまたブツクサ言っている。


「さぁ、てきとーに座って。ビールあったかな。ツマミはなんでもいい?」


 永田のためにソファから物をどかし、奥の部屋で手早く部屋着に着替えた。戻ってくると、永田が落ち着かない様子でテーブルの上の物を退かしている。

 うちはちょっと、そう、物が多い。


「片付けてる最中だからさ。ごめんね」


 その言葉で、永田は理解してくれたようだ。

 あーなるほどと頷きながら、積まれた段ボールを一瞥した。


「ゴミを追い出した後もまだゴミが出るんですね。勉強になります」


 毒が強いよ永田くん……。しかも追い出したんじゃなくて、出て行っちゃったんだよ……。

 とりあえず、私たちはビールで乾杯し、飲み始める。


 永田はキョロキョロと部屋を見渡した。

 男の痕跡を残しまくった段ボールまみれの部屋は、狭くて寂しく、招き入れたのが申し訳なくなる。

 駅から少し離れた2LDKは築年数も古く、リフォームしてあるとはいえボロい。その代わりと言ってはなんだけど、家賃が安かった。かーくんと2人で住むのに丁度いい所を探すのは苦労したっけ。これが東京なら無理だっただろう。


「この部屋に男を連れ込もうなんて、いい度胸ですね」

「だ、だからそんなつもりなかったって!」

「どーだか」


 本当に。ただ、どういう未来にしたいか決められなかっただけだ。

 決断を迫られるのが早過ぎたのもあるが、誰かをまた好きになりたい、独りは辛いと焦って、決めてしまいたい気持ちもあって。

 苦さをビールで吞み下す。

 永田もビールを飲みながら、無表情でこちらを見ていた。


「永田は私がこうなること、わかってたんだね」

「はい」


 即答かよ。いや、助かったけどさ。

 私は苦い顔をしながら、なんとなく永田の持って来たDVDの袋を漁った。

 簡素なプラスチックのパッケージに、タイトルの書かれたシールを読む。


「……なにこれ。恋愛ものばっかり」

「お好きかと。あんな小説書くくらいですから」

「まぁ嫌いではないけどさー。アクションとかコメディが好き。ちょっと悲しい奴とか」

「悲しい奴とかは、僕も好きですね」


 そう言って幾つか挙げた永田の好きな映画は、悲恋ものが多い。

 私は適当に悲しそうな一本の映画を選ぶと、DVDプレーヤーにセットした。

 部屋の電気を消して、2人並んでソファに腰掛ける。


 「わりと本格的に観るんですね」と、永田が苦笑する。ただの口実だったのに、と。

 テレビの光に照らされて、家具のキワやビールの泡が光った。段ボールでさえ幻想的で、狭いいつもの部屋が、別世界に変わる。

 宇宙にこの部屋だけがぽっかりと浮いているような、世界中から隔離されたような、この世に二人きりのような。

 私はこの不思議な雰囲気が、昔から好きだ。

 映画館とは違う、でも普段の部屋でもない、異空間。


「……中学の頃、初めて彼女の部屋で映画を観たのを思い出しました」


 唐突に、永田が呟いた。


「こうやって、電気を消して寄り添って、恋愛映画を観ました。その映画を観た後、僕は振られちゃったんですけどね」

「……なんで?」


 映画を観ただけで?

 質問を続けようとすると、永田は唇に人差し指をあてて薄く笑った。


「……しっ。はじまりますよ」


 長い宣伝部分が終わり、タイトルが映し出される。

 私は黙って画面を見つめた。




 なぜ永田が中学の彼女に振られたのか、私はすぐに知ることになる。

 永田は映画の後半、泣いていた。

 といっても号泣するわけでなく、ただ溢れた涙がはらはらと頬を伝っていた。

 長い睫毛を濡らし、膝の上に頬杖をついて口元を抑えながら、永田は映画が終わるまで、静かに、静かに泣いていた。


 テレビの青白い光が、涙の川をちらちら照らすと、彼の頰はキラキラと輝いて見えた。

 それがあんまり綺麗で、私は驚きと共にこっそりと彼に見惚れて、映画の内容よりも、彼の涙を鮮明に脳裏に焼きつけていた。死んでしまう可哀想なヒロインを見つめる永田の、苦しそうに歪められた顔も美しい。


 ただ、中学生の女の子にしてみたら、カッコ悪い泣き虫な男の子だったのかもしれない。

 感動屋の男子を可愛いと思えるのは、私がそれなりな歳だからだろう。ましてや普段の性格があんまりなこの人の涙を、良いと思うのは難しいのかもしれない。


「僕は綺麗なものが好きなんです。綺麗だと、つい涙が出る。それだけです」


 映画が終わると、永田は感動したわけじゃありません、と謎の強がりを言って、グイと袖口で涙を拭う。

 私は立ち上がって電気を点けると、ティッシュを箱ごと渡す。永田が鼻をかむのを横目で見ながら、先程、送ってもらった彼との顛末を思い返してみた。


 あのまま永田を選ばなかったら、きっとこの姿は見られなかった。

 永田は自分がこうなることをわかっていて、わざわざ恥ずかしい所を見せてくれた。

 私にはそれが、ちょっとしたご褒美のようで。


「私ね、今日送ってくれてた人、ちょっといいかなと思ってたんだよね」

「えっ」


 ティッシュを取ろうとしていた永田の動きが固まる。


「それは、僕が邪魔してしまったんですか」

「ううん、そういうんじゃなくて」


 慌てて手を振って否定する。そういうんじゃなくて。


「結局あそこで選んだのは私だし。そうじゃなくて、恋したいなって感じになったの。ときめいたっていうか」

「へぇ……ちなみにそれは、どういった場面なんです?」

「場面ていうか、こう、頭をポンポンって優しく撫でられたの」

「は?! それだけ?」

「まぁ、それだけだけど。キュンてした」

「チョッロ!!」

「う、うるさい!」


 驚愕している永田を睨みつけて、でもその顔の目と鼻の頭が赤いのを見ると、笑ってしまう。


「結局寂しかったんだよね。だから流されかけた。でも今日、永田と映画観て良かった。間違いを犯さずに済んだし、何よりすごく、良いもん見ちゃった。なんか、グッときた」

「……」


 私がニヤリと笑うと、意外にも永田は赤面した。


「誰にも言わないで下さいね」


 顔を隠すように袖口で拭う。耳まで赤いのが可愛い。

 ニヤニヤしていると、隠していた顔から目だけを覗かせてこちらを見上げてくる。


「……ちなみに、グッときたのと、キュンとくるのは、違うんですか?」

「え、わかんない。グッとは、心臓掴まれた感じ? キュンは、矢で撃たれた感じ?」

「どっちも殺しにかかってるじゃないですか……」

「そんな物騒な話じゃないですー」


 ふぅむ、と永田が唸る。


「どっちが上かわからないなら、両方させれば良いんですよね」


 そう言って、私を自分の向かいに座らせると、頭をポンポンと軽く叩いた。


「どうです? なんか感じます?」

「な、なにも……」

「おかしいですね。壊れてるんじゃないですか?」


 そんな、昭和のテレビじゃあるまいし。

 ポンポンポンポンポンポンポンポン。


「木魚になった気分……」

「そんなのいいから、さっさとキュンとしておしまいなさい。楽になるから」

「って言われてもねぇ……」


 私は苦笑して小首を傾げた。

 「ちぇっ」と拗ねながら、永田は諦めてビールを一気飲みする。「僕だってすでに頭ポンポンしてたのに」と、納得いかない様子で呟く。そういえば、昼間に髪の毛を弄られた時されたっけ。蛾でそれどころではなかったけど。

 なんだか頭をポンポンされたら、眠くなってきた。今日は色々あったからなぁ。


「永田帰んないの?」

「もう終電ないです。泊めてください」

「だよねー……」

「なんですか? 今更自分の貞操観念の緩さに喝を入れだしたんですか? 男に上がり込まれてる段階で、もう手遅れだと思うんですけど」

「だ、だよねー……」


 辛辣だ。

 永田は2枚目のDVDを見ようと袋を漁りだす。


「眠い」

「僕は朝までDVD観てるので、どうぞ寝室で寝て下さい」

「……何観るの?」

「海外ドラマ」

「あっ。観たい!」

「いいですけど……」


 永田は何か言いたそうにしながらリモコンを弄っている。が、諦めたのかソファに座り直した。

 画面には、私が普段は観ない男女数人の恋愛群像劇モノのタイトルが映し出され、軽快なテーマソングが流れ出す。

 この作品にはゾンビも急患も殺人犯も超能力者も出てこなさそうだ。


 ひとつ欠伸をしながら、追加のビールをプシッと開ける。

 永田が隣で、やはり何か言いたそうにこちらを見、また視線を戻す。

 この作品なら、彼が泣くこともないんだろうな……。


 程なくして、私は蕩けだす意識と戦わねばならなくなった。

 そしてその戦いは、長く険しい5分くらいの時間を経て、敗北という結果になったことを、ここにお伝えしておこう。


 暗転する意識の中、「やっぱり……」という呟きが聞こえたような気がした────。



****





 ふわ、ふわ、ふわ。


 めいちゃん、めいちゃん。


 ……なんだか、良い夢を見ている。


 かわいいめいちゃん。大好きだよ。


 ふわふわあったかい空間で、かーくんに抱き締められている。

 私はかーくんに、彼のどこが好きで、どれだけ想ってるかを語ると、彼は嬉しそうに笑う。


 かーくん、あのね、私、かーくんのこと、忘れたくない。

 だから帰って来て。待ってるから。


 彼の体に触れると、頭を撫でてくれた。

 泣きながらしがみつけば、たくさんキスをして、抱きしめてくれた。


 「めいちゃんは本当に、しょうがない子だなぁ……」


 なんて言いながら、優しく笑う。

 それを聞いて、私もえへへと笑うのだ。




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