その3
家に帰ると、私はさっそく指輪のことを話した。
見た見た? ふたり指輪してたねぇ、やっぱりカップルは指輪するんだねぇ、とわざとらしく。
すると永田は苦笑しながら、
「欲しいんですか?」
と訊いてくる。
当たり前だっ。欲しくないわけあるかっ。だってお揃いだぞ、カップルの象徴だぞ!
素直にコクコクと頷いてみせると、彼は小首を傾げて唸った。
「たぶん近い将来に、婚約指輪、結婚指輪、と指輪イベントのオンパレードなんですけど、欲しいですか?」
「────ハッ」
「欲しいのなら検討するよ?」
そ、そっか。
もう永田の中ではそういう方向にいく前提でいたから、タイミングが難しかったのか。左手の薬指は一本しかないから全部ははめられないもんね。
「見るだけ見に行きます?」
「んっと、ええーっと……そうだなぁ」
少し考える。
私が欲しいのって、指輪なのかな? だったら、結婚するとき手に入る。
お揃いってのがいいなら、服でも、他のアクセサリーでもいい。
カップルっぽいこと、たくさんしたいって願望はほとんど叶えられたし。
そもそも恋人が指輪するのだって、結婚もどきだと思う。
そういう、象徴的な意味。
だから結婚しちゃう私たちには、もう必要じゃないのかも。
「ちょっと待ってて」
私は台所へ走ると、流しに干してあった空のパイナップルの缶詰を手に取って、プルトップをふたつ、力任せにひっぺがした。
「雰囲気だけ欲しい!」
そう言ってふたつのプルトップを差し出せば、永田がプッと噴き出す。
「それじゃ指に嵌まんないでしょう」
「いけないかな」
「少なくとも僕は無理」
ていうか何が始まるの? なんて言いながら、永田はこれまた台所から、パンの袋の口を縛るために置いてあるラッピング用針金を2本持ってきた。
私たちはソファに腰掛ける。
「左手、出してください」
「はい」
厳かに差し出せば、永田は私の手をとって薬指に銀紙で覆われた針金を巻き、輪を作った。甲側にラッピングの要領で可愛らしくリボンを作る。
そして、そっと指から引き抜いた。
「じゃ、お願いします」
同じように私も永田の左手をとり、薬指でリボンを作る。
指から引き抜いて並べれば、それは2つの指輪になった。
こうやって見ると、男性の指って大きい。比べてみて初めて、永田の大きな手が頼もしく思える。
「で? 嵌めてあげればいいのかな、彼女さん」
悪戯っぽく笑いながら、針金の指輪をつまむ。
あらたまってそう言われると、途端に恥ずかしくなった。だけど、ここまでやったらもう最後まで。
私はしおらしく頷いて、左手を差し出す。
「お願いします、彼氏さん」
「了解いたしました」
俯き加減で促せば、永田も神妙な感じでゆっくりと私の手をとり、薬指におそるおそる指輪を嵌めた。
ピッタリとその場所に収まった瞬間、頬が熱くなる。
「病める時も、健やかなる時も、なんちゃって」
「結婚式ですか?」
「ぱぱぱぱーん♪」
「まってまって、僕にも嵌めてから」
私の照れ隠しのおふざけに、永田は真剣な顔で急かす。
あれ、ノッてくるの?
ツッコんでくれて終わりでいいんだよ?
内心慌てながら永田の指に針金指輪を嵌めると、彼はまっすぐに私を見つめる。
「なんでしたっけ──病める時も、健やかなる時も」
「妄想してる時も、ニヤニヤ笑ってる時も」
私が続けると、永田は、ふっ、と唇を歪ませる。
「泣いてる時も、お腹空いてる時も」
「ケンカしてる時も、口開けて寝てる時も」
私たちは鼻先をくっつけ、相手の色んな無防備な姿を想像した。
ぷりぷり怒る永田や恥ずかしがって慌てる永田、細かいこと言って口煩い永田に、得意げでちょっとウザったい永田。
想像すればするほど、笑いが込み上げてくる。
それを堪えつつ、お互いに両手をとって握りあうと、コチンとおでこをくっつけあった。
「……誓います?」
「誓っちゃう?」
「いや、この妄想は、本番までとっておきましょうか」
「そーだねぇ、それもいいかもね」
こそばゆくてクスクスと声を出して笑った後、
「でも、誓いのキスは練習しておきましょう」
なんて永田のふざけた提案に乗って、それはもう念入りに練習した。
****
そんな遊びをしたせいだろうか。
────その晩、夢を見た。
私は、真っ白なドレスを着ている。
くるっと回ると、重たくてよろける。
白いヴェールが、ひらひらと視界を遮った。
目の前には、赤いヴァージンロード。
その先には、白のタキシード姿の永田が立っている。
カッコイイ。こんな格好いい男性が私の伴侶。
だけど、私はよく知ってる。
私が愛しているのは、寝癖がついてたり、映画観て泣いちゃったり、ぶんむくれてたり大笑いしてる、いつもの永田だ。
怒ったり泣いたり喚いたりして、喧嘩したり笑ったりして。
そう思ったら、彼の姿がにじんだ。
少しずつ年老いて、やがてお腹が出たり、ハゲちゃったりするかもしれない。
格好いい服も似合わなくなって、背が縮んだり、ついにはよぼよぼになって。
そしたら、助け合うみたいに手を繋いで歩けたらいい。
私は夢の中で、年老いた彼に手を伸ばす。
差し出した私の手はシワシワで。
そうやって、一緒に年を取っていく。
病める時も、健やかなる時も。
時間をかけて、愛は永遠になっていく。
死が、ふたりをわかつまで──────────────────────────────────────────
「……泣いてるの?」
揺り起こされて、私は現実に戻った。
一瞬よくわからなかったけれど、ベッドの中で布団を被ってボロボロ泣いていたらしい。
暗がりの中、永田が心配そうな顔で、こちらを見つめている。
いつもの永田だ……よかった、まだまだ、たくさん一緒にいられる──。
そう思ったら、ますます涙が溢れた。
「な、なんかっ、悟くんと、夢の中で一生すごしたっ」
「……はい?」
「おじいちゃんになって、おは、お墓に、あああぁぁぁ」
私がしゃくりあげながらそう訴えると、永田は眉をしかめる。
「……えっと、つまり、僕らの人生を死ぬまで夢の中で妄想してしまったんですね?」
呆れたように尋ねる永田に、私はコクコクと頷く。
「バカですねぇ」
「しつれー、ねっ」
本気泣きにシャックリが止まらない。
永田は苦笑しながら、私の背中に手を回し、そっと抱き寄せる。
「悲しいの?」
「かなしい、よう」
「……かわいいなあ、もう」
涙でぐしゃぐしゃな頬に、ぐりぐりと頬ずりをされる。
彼はほっぺを私の涙でぐっしょりと濡らしながら、私を胸の中に囲い込むように抱きしめた。
「僕と死ぬまで一緒にいたいって思ってくれたんですね」
「当たり前だよ、結婚するんだもん」
「当たり前、か」
永田はふいに、ふっ、と息を吐くように微笑むと、やや神妙な声でこう呟いた。
「……父が死んだとき、母は早すぎるって泣いてたな」
「……あ」
私がハッとして顔をあげると、彼は微笑んで、気にしないでというようにゆるく首を振る。
「父と母は、手を繋いで年老いていくことができないんだな、って、それがすごく寂しかった。
だけど母は、父は寂しがりやで母の事が大好きだったから、早すぎるけど、順番だけは、これでよかったんだって言ってました。
見送る幸せも、見送られる幸せもあるのかなって。
一緒に生きるって、そういうことなのかな。
だから、いつか居なくなってしまっても、幸せだった時間はきっとなくならないって、僕は思っているんです」
わずかに遠くを見るような瞳を、私はじっと覗き込む。
「僕の夢は、そういう甘ったるくて忘れ難い日々を過ごすことです。芽衣子と一緒に」
私がなんとなくで妄想するより、きっと永田は何回も何回も、永遠の別れについて考えていたのかもしれない。
そう思うと切なくて、もっと永田を好きになる。
一生、私が笑わせてあげるって、また決意する。
「起きたら、結婚情報誌買いに行こう」
「え、急になんですか」
私の提案に、彼は嫌そうな顔をした。
「一度買ってみたかったんだよねー」
なんとなく、私から具体的なことがしたくて、そんなことを言ってみる。
それを知ってか知らずか、永田は苦笑いしながらも乗ってきた。
「レジに満面の笑みで持っていきそうですねぇ」
「あ、そうだ、この指輪していこっか。で、見せびらかしながらレジへ」
「うわー、変な客だな。指に針金巻いた変人が笑いながら迫ってくる!」
「ルンルンスキップで行くよ!」
「じゃあ僕は、一緒に行くだけ行って、影で見てます」
「え、そこは手を繋いで初めての共同作業しよ?」
「そんなカップル痛々しすぎる……」
「素敵な思い出になると思うな」
「そんな思い出いりません!」
ピシャリと永田が拒否して、私たちは笑う。
笑ったせいで溢れてきた涙を、彼が親指でグイと拭ってくれた。
そしてようやく落ち着いた頃、眠るための静寂が訪れる。
明かりを消した部屋は、青い月明かりに淡く照らされていた。
私たちは並んで天井を向いている。
遠くで走る車の音や、電車の通るカタンコトンという音が、風に乗って流れてきて眠気を誘った。
「10年後も20年後も、変わらずにいられたらいいね」
ふいに呟くと、隣で息を吐くように笑う声がする。
「20年後かぁ……ハゲてもいいですか?」
「お腹たるんでもいい?」
そう返せば、お腹をちょっとつままれて、「それは今も……」なんて茶化される。
「でもなんだろ、そのウカツさが可愛いからいいです」
「脂肪まで愛されちゃってまぁ」
私が笑うと、永田は布団の中で手を触れ合わせてくる。
だから応えるように握り返すと、彼は微笑んだ。
「……変わっても、大丈夫だから」
「うん」
外見が変わっても、生活が変わっても。
ふたりで居れば、何度でも、時間なんて戻る気がするんだ。
明日、目が覚めたら、針金の指輪は私のアクセサリーケースの中に仕舞っておこう。
いつまでも大切に、この日に戻る為のタイムマシーンとして。




