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ただ、それだけ

 週明けから、また永田は忙しくなった。


 風邪がまだ治りかけだからあまり無理しないで欲しいけど、仕事だから仕方ない。

 本当は週末の話も色々したい。でも、時間はなさそうだった。


 あの後、とりあえず家族構成や名前などを教えてもらい、頭に入れておいた。

 ご両親は、お父様が永田が高1の時に亡くなっていて、お母様だけ。

 3つ年上の兄の賢介さんが父親代わり。妹の梨花さんは2つ年下。兄嫁であるヒナキさんは同級生……。


 よし、完璧。


 気合いを入れるけれど、どこか憂鬱だ。

 そんな気持ちが伝わったのか、永田とも、あの後はなんだかギクシャクしてしまっていた。

 喧嘩とは違う。

 お互いがお互いに、気を遣いすぎてる感じ。

 本当に言いたい事を言えなくて、伝える術がわからなくて。もやもやをぶつけたら、何かが壊れてしまいそうで。


 今は、どんなに言葉を尽くしても、たぶん埋められない。


 こんな状態で週末ご実家にいくのは、ちょっと不安。

 どっかでリカバーしなきゃと思うけど、気持ちがついていかなかった。





「先輩、元気ないですね」


 朝礼の後、自分のデスクでため息をついている私を見た後輩ちゃんが、そっと囁いた。

 彼女を見ると、そちらも何かあったらしく浮かない顔だ。


「松澤くんとなにかあった?」

「……後で、いいっすか」

「うん、もちろん」


 お昼休みを待って、私たちは連れ立って休憩室へ向かう。


「実は……」


 私はお弁当、後輩ちゃんは紅茶と、コンビニで買って来たというお弁当とパンとおにぎりを広げながら話し出す。


 小声で打ち明けられた後輩ちゃんの話は、ちょっと驚きだった。


 週末、デートすることになったふたりは、最初は楽しく飲んでいたらしい。

 後輩ちゃんは彼氏がいることをちゃんと打ち明けて、松澤くんも、そういうことなら今は友達として、と割り切っていたはずだった。

 後輩ちゃんとしては、ここで線引きをして、ゆっくり進めていくつもりだったのだ。


 だけど二軒目で彼氏の相談をしていると、ちょっと雰囲気が親密になった。

 松澤くんは少し攻め気味で、別れろとアドバイスする。後輩ちゃんは色々考えながら、彼の恋愛観を知る為に黙って聞いていたそうだ。


 そして三軒目に行った時、いよいよおかしくなった。

 距離が近くなって、顔を寄せ合ってお酒を飲んだ。じっと見つめられて相談に乗ってもらううち、わけがわからなくなり──

 そして、そのまま流れに任せてキスしてしまったらしい。

 しかも、結構濃厚なやつ。


 ていうか三軒って、どんだけ飲んでるの。こわい。


「勢いってコワイっす。弱ってたとはいえ、こんなはずじゃ……」


 頭を抱える後輩ちゃん。自己嫌悪がすごそうだ。

 しかも、さらに悪いことに────


 ガタン、という音がして、私と後輩ちゃんは顔を上げる。


 音のした方を見ると、入り口付近で、松澤くんが机にぶつかってよろめきながらこちらを見ていた。


「松澤っ……!」

「うわぁっ」


 後輩ちゃんが立ち上がると、松澤くんは踵を返してすごい勢いで逃げ出した。

 えええ、なんで? なんで逃げてるの?


「……ね? 避けられてるんですよ」


 ものすごい仏頂面でストンと椅子に座り直し、乱暴に紅茶を飲む。

 避けるっていうか、全力で逃げてるよね。


「な、なんで?」

「こっちが聞きたいです!」


 フン、と鼻息荒く言い放つ。

 怒っているけど、きっとそれ以上に傷ついている。

 まっつん、それはいかんよ。なんでそうなったんだ。


「キスしたってことは、まっつんのこと、嫌いってわけじゃないんだよね?」

「……たぶん」


 たぶんかあ。だから後輩ちゃんも、彼を追い詰めきれないんだな。

 向き合うときは、付き合う時だ。そうじゃなかったら、放置して避けあっていた方がいいかもね。


「先輩、その時が来たら、協力して下さい。こっちも片付けなきゃなんないことあるし……」

「まかせて」


 そう言って微笑めば、後輩ちゃんも少しだけ笑ってくれる。

 うまくいけばいいなぁ。宝くじの彼氏さんには悪いけど、どうしてもまっつんを応援してしまう。


「それで、先輩の方は?」


 こちらの話を促され、私は躊躇いつつも、ここ最近の永田との話をかいつまんで話した。

 特に昨日の、『ヒナ』さんの話をすると、後輩ちゃんは思い切り眉をしかめた。


「うわ、それハードルたかっ」

「だよねぇ」

「名前の呼び方に年月を感じますね」

「でしょでしょ」

「もっと怒っていいと思いますよ」

「うんうん……って、え、怒る? ヒナさんの存在に? 永田はなにも悪くないのに?」


 びっくりして彼女をまじまじと見つめると、真剣に見つめ返される。


「悪いですよ! 不安にさせやがって!」

「でもそれは、なんていうかおあいこだよ」

「おあいことか関係ないっしょ!」

「えええええ」


 後輩ちゃんの発言は、私にとっていつも目から鱗だ。彼女は拳を握りしめながら力説する。


「過去の恋人に嫉妬するとかは小さいですけど、永田さんのソレは、重たすぎると思います。怒っていい、怒れ!」

「えー、そこの違い、私には全然わかんないんだけど……」

「だってムカつくじゃん、そんな女の存在」

「感情論!」

「感情の何が悪いんだ、女は心で生きてんですよ、怒りたい時に怒っていいの! それを受け入れられない男がちっさいの!」


 さすがにそれは暴論では……。

 ちょっと引くと、後輩ちゃんが演説の向こうから戻ってくる。


「まあ、それは言い過ぎですけど。我慢するのも大事だけど、ちゃんと怒るのも大事だと思いますよ。それが理不尽な怒りだったとしても、悲しい、だから怒ってる、って伝えないと、微妙なままじゃないですか?」


 それは一理ある。

 けど、理性でそれがなかなか出来ないんだよね。

 こんなこと言うのは悲しいけど、我慢すること、待つことに慣れすぎてしまったせいもある。


「愛されてるだけじゃだめなんですよ、きっと。ちゃんと労力使って解りあわないと」


 労力、かあ……。

 確かに、我慢するのって辛いけど、ぶつかるよりは楽だったりする。だけど好きなら、ちゃんと怒ったり悲しんだりするべきなのかもしれない。


「……それって自分にも言ってるでしょ?」

「はい」


 てへ、と笑っていつもの紅茶を一口。

 私もお弁当を口へ運ぶ。

 あんなにいっぱいしゃべったのに、後輩ちゃんの前に広げられた食べ物はいつの間にか空になっていた。

 さすがだ。




****




 それからというもの、松澤くんと後輩ちゃんの追いかけっこは毎日繰り広げられていた。

 松澤くんも、後輩ちゃんの視界に入るところにわざわざ来る。

 気になっているから見に来ているんだろうけど、毎回見つかっている。


 逃げる松澤、追う後輩ちゃん。

 いい加減、ちょっと話さないとな。後輩ちゃんが可哀想だ。付き合いが長いから、怒った顔の影で、ちょっとションボリしているのがわかってしまう。


 逃げた後、どこかへ消える松澤くんには、心当たりがある。

 あんまり知られてない、永田と私の秘密の場所。




 重たい扉を開けると、ビュウと風が吹き抜ける。

 巻き上がる風の中、せっかくセットした髪型を乱しまくって、階段に腰掛ける松澤くんがいた。


「やっぱり、ここだと思った」

「そ、染谷せんぱっ……」


 私を見て、急いで腰を浮かせる。


「あー、逃げんな。私から逃げてるわけじゃないんでしょ?」

「う……はい」


 そっと手で制して隣に腰掛けると、彼は項垂れながら諦めたように座り直した。

 後輩ちゃんにはまだ頼まれていないけど、今の状況を放っておけなかった。松澤くんの方も限界があるだろうし、少しでも落ち着かせないとすれ違ったままだ。

 私はゆっくりと息を吐いて、なるべく優しく話を聞こうと心がける。


「なんでこうなったの。彼女、可哀想だよ」

「わかってます。悪いとは思ってるけど、結論が……出なくて」

「結論?」


 付き合うとか、そういう話?

 好きなら彼氏からうばっちゃえ、と、簡単にはいかないのかな。

 私が首を傾げると、松澤くんは複雑な顔で語り出す。


「山田に、泣かれたんです。酔ってたからかもしれないけど、あんたはあたしのこと好きなの? 一生懸命好きなの? 必死で好きなの? って」


 眼前で手を組み額をくっつけると、俯いて唸る。

 表情は見えないけど、彼は彼で辛そうだ。


「俺、確かに山田が好きだけど、必死かどうかはわかんない。宝くじ当たったことないから、彼氏みたいにはならないなんて保証もできないし。何に不安を持ってるのかはわかるんですけど、俺、その答えを持ってない気がして」


 ますます沈み込んで、ため息を吐く。


「キスなんてしたら、あとは体の関係だけじゃないですか。仲良くなっていこうって段階はもう飛び越えちゃったわけで、今はそれ以上に前進しようがないっていうか」


 そうなのかなぁ。

 永田は、付き合うのは体の関係だけじゃない、って言っていた。信頼が欲しいとも言っていた。

 結ばれてハッピーエンドなんて、お話の中だけだ。実際はそこからが、また別の始まりなのかもしれない。


「俺が答えをあげられなかったら、もう終わるしかないのかな。でも、それはまだ嫌だって、思ってるんです」


 だから逃げるのか。向き合ったら、壊れるしかないから。

 松澤くんは、もっとじっくり時間をかけたかったんだろう。だけど、こういうのって勢いで変わってしまうこともあるよね。


「ぶつかんないと、答えなんかでないよ」


 後輩ちゃんの受け売りだけど。

 彼女は、壊れるために、責めるために追いかけてるんじゃないと思うの。

 そう言うと、松澤くんはもう一度ため息を吐いて顔をあげた。


「そうですよね……」


 わかってる、単に勇気がでないだけ。

 恋愛に奥手な松澤くんは弱々しく微笑んで首を振ると、私へと向き直る。


「染谷先輩は、永田先輩とすれ違ったりしないんですか」


 う。まさに渦中だ。

 上手くいってる理想の素敵先輩カップルを演じたいけど、嘘をついても仕方ない。


「すれ違いまくりだよー。今だってそうなの、ギクシャク中」

「……あぁ、だから二人共元気ないんすね」


 納得したように笑う。

 永田も元気ないのか。そう思うと、胸がズキリと痛む。


「でも、今まで何回もちょっとずつぶつかってるんだよ。たぶんそうやって、形を作っていくしかないんだよね。

だから逃げたってだめだよ。向き合って、欲しいものを探りあっていくしかない」


 自分に言い聞かせるように、私は呟く。

 そうだよ、ぶつかっていくしかない。そう決めたのに、心では逃げてる。でもそれじゃだめなんだ。

 本当にヒナさんを超えたいなら、永田の横にいてもいい人間になるしかない。

 胸を張って、彼を愛してると言うしかない。


「染谷先輩は素直ですよね」

「……そうかな?」

「そうですよ。性格はすごくアレだけど、善意や愛情に素直なところが、いいなって思います」


 松澤くんが柔らかく微笑むので、言い草にムッとしつつも面映おもはゆくなり、私もつられて頬をゆるませる。


「性格はアレって余計じゃない?」

「だってものすごくアレですよ……この人と付き合える永田先輩、ますます尊敬します」

「どういう意味よ!」


 今度こそ怒ると、彼は大きく笑った。

 少しだけ吹っ切れたような表情に、私はひとまず胸を撫で下ろした。



『そういえば、永田先輩、京都へ行くらしいですよ。聞いてます?』


 そのメッセージが松澤くんから届いたのは、金曜の夜だった。


 え、京都?

 聞いてない。

 転勤? 異動? 永田、いなくなっちゃうの?


 文面を見て一瞬固まった後、永田に確認をとろうとして、ふと手を止める。


 なんて言う? 行かないで、そばにいて、って?

 そんな風に求めて引き止めて我儘言うの?


 かーくんを黙ってハリウッドへ送り出したときのことを思い出す。

 言いたいことや不安は山ほどあった。だけど、それを全部飲み込んだ。

 それが良かったと、今はもう思わない。

 あの時ぶつかっていたら、もっとちゃんと振られて、泣いて、前に進むことが出来たのに。


 だけど、行かないで、という言葉は、29歳の私には幼すぎた。

 どうせなら、もう一歩、あとちょっと前に出たい。


 チラと、携帯を見る。

 メモ帳にしたためた、大量の妄想小説。

 そこには、私から永田への、口に出せない願望や素直な気持ちが詰まっている。

 これは、彼へのラブレターみたいなものだ。

 その中で、妄想の永田くんは絶えず私を愛し、微笑みかけてくれている。


 私は、彼に笑っていて欲しい。

 安心して人生を決めて欲しいし、足枷になりたくない。

 行かないで、なんて違う。


 安心して行って来て。

 もしくは、ずっと一緒にいよう。




 最近は、永田の辛い顔しか見ていない気がした。

 私のために顔を歪ませる永田も好きだけど、でも、笑顔が一番好きだよ。


 気持ちを伝えるって、きっと要求を伝えることじゃない。

 一緒にいたいの。……ただ、それだけ。





 ────明日は月イチの土曜休み。

 いよいよ、永田の実家へ行く。


 私は彼に、何を与えていける?

 一緒に、どう生きていこうか?


 彼のすべてとぶつかって、デコボコした気持ちがまあるくなって、綺麗な円になりますように。






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