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たまごがゆたべたい

 翌日になっても、ドキドキは収まらなかった。


 こんなこと、初めてだ。

 強引にキスされたから?

 余裕のない永田の顔を思い出す。

 嫉妬と情欲にかげった瞳に、ぶるりと背筋を震わせる。

 嫌じゃない、むしろ、嬉しい。

 欲される悦び。それと同時に、どこまでいっても心を伝えきれないはがゆさ。


 大事にされることも、すごくすごく嬉しいのに、

 ああやってぶつけられた理不尽さが、強く胸を焦がす。


 私は永田の彼女なんだ、恋人なんだ。

 私の代わりはいなくて、永田の代わりもいないんだ。


 当たり前のことなのに、じわじわとその実感が身体中を巡っていき、私の頬を火照らせる。


 今日は週末。今夜も、永田に会える。

 ふたりきりで、彼の部屋で。


 今までとなにが違う?

 なにも違わない。

 それなのにソワソワと落ち着かないのは、なにかが変わったからだろうか。




****




 表面上は黙々と仕事をして、お昼休み。


 休憩室でご飯を食べていると、後輩ちゃんがやってきて、「松澤とデートしてみることになりました」と報告してくれた。

 おおう、展開早いな。

 早すぎて少し心配になったので尋ねてみる。


「宝くじの彼氏はいいの?」

「う〜ん、とりあえず、松澤とは、友達として? ほら、こーゆうのって、悩んでもしょうがないってゆーか」


 一晩明けて、彼女もどこか吹っ切れたらしい。

 元々あんまり悩まないタイプだからか、たぶん心の中ではある程度の答えが出ているんだろう。そうじゃなかったらデートしないと思うし。

 うまくいけばいいな。

 そう思いながら隣の後輩ちゃんを見ると、いつもの感じで紅茶を飲んでいた。

 と、ふいにポケットの携帯が震える。


 画面を確認すると、永田からだった。

 お昼休みに珍しいな。今夜のことだろうか。そう思いながら画面を開くと、


『風邪引いた。うつすといけないので、今日はナシでお願いします』


 ええええええっ!


 永田が体調管理を怠るなんて、そう思いかけてハッとする。


 昨晩は、夏だというのにちょっと冷えていた。

 疲れていて、精神的にも張りつめた状況で、どれくらいの時間かはわからないけど外で立ち尽くしていたのなら、体調を崩してしまってもおかしくない。

 そうさせたのは────


『ごめん、私のせいだね』

『いいえ。自己管理、自分のせい』

『看病するから、一緒に帰ろう。今日は早く帰れる? 待ってるよ』

『だめ、うつるって言ってるでしょう。今日はナシ』


 頑なに拒否する。だけど、


『本音は?』


 そう訊くと、しばらく間があった後、携帯が震える。


『会いたい』


 その一言に、永田の葛藤が見えた。

 どの程度の風邪かはわからないけれど、傍にいたい気持ちは同じ。私ならめっちゃ元気だから、気にしないでいいよ。


『まぁ、先輩なら大丈夫か。バカは風邪引かないって言うし』

『なんだとー!』


 最近使いこなしてきた、怒りスタンプをピコンと送る。

 すると永田も、ニヤリ、みたいな画像を送ってくる。


 何往復か送り合って満足した後、今夜のことを話した。

 仕事は体調のこともあって、ちょっと早めに切り上げるらしい。

『無理してた分楽できます』と言うけど、責任を感じているのは明らかだった。少しでも心が休まってくれたらいい。そうしてあげたい。

 何か食べたいものがあるか聞くと、


『たまごがゆたべたい』


 と送られてきたので、『まかせろ!』と返事してやりとりを終えた。

 その後は買い物リストを作ったり、たまご粥の美味しいレシピを調べたりして、後輩ちゃんと雑談しつつ昼休みを終えた。




****




 会社のエントランスへ降りて行くと、永田が柱に寄りかかって待っていた。

 赤い顔でマスクをしているが、思ったよりも元気そうだ。にこやかに片手を挙げて挨拶をしてくる。


「お疲れ様です」

「お疲れさま。お待たせしました」


 連れ立って歩き、会社から足早に遠ざかる。

 駅に近付いた頃、どちらともなく自然と手を繋いだ。手のひらが熱い。

 私はドキドキしているからだけど、永田はそうじゃないよね。

 ゲホゲホと咳をする様子に具合はどうかと尋ねると、「朝はそんなでもなかったんですけど」と掠れ声で答えた。

 うん、早く帰ろう。


「お買い物して帰っても大丈夫?」

「そのつもりです。土鍋とお米はあるけど冷蔵庫空っぽなんで……」


 弱々しく答えながら、駅から家までの間にあるスーパーを教えてくれる。

 電車に乗って数駅。

 人ごみで辛そうな永田を支えつつ、パパッと買い物をして彼の家へ向かった。


 永田の住むマンションは、単身者用のワンルームだった。

 駅から近く、新築で綺麗だ。無骨な感じの外壁周りには様々な植物が植えられていて、それをオシャレなライトが照らしている。うちと大違いだ。家賃高そう。


「ちょっと待ってて下さいね」


 郵便受けを確認し、オートロックを開けて中へ入る。

 へぇー、今時の最新マンションはこんな風になってるんだね。

 私は関心しながら永田の後をちょこちょこついて行く。エレベーターのボタンを押すと、ポン、という音と共にすぐに扉が開いた。


「あぁ、元気だったら、こういう密室で色々したいのに……」


 熱に浮かされているせいか、私よりも妄想が爆発する永田。

 7階のボタンを押して、わきわきと手をいやらしく動かす。


「7階って意外とすぐだからキスくらいしかできないね」

「こんなとこでキス以上なんてしませんよ、当たり前でしょ」

「なっ……だって色々っていうから」

「抱きしめるとか撫でるとか、色々あるでしょ」


 フン、と馬鹿にしたように笑いながら私を一瞥する。くそう。

 ぐぬぬと唸っていると、エレベーターが停止した。永田が開いた扉を手で押さえながら、どうぞ、と促してくれる。

 わぁ、なんかちょっとエスコート感にドキっとしちゃう。

 永田の執事っぷりにニマニマしながら横を通り過ぎると、


「すぐエロいこと考える。この淫乱処女」


 耳元で悪戯っぽく囁かれて、腰をツンと突つかれた。

 ビックリして文句を言おうと振り向くと、永田は「こっちですよ」とさっさと前を歩いて行ってしまう。

 まったくもう。私が淫乱なのは、それを誘発する存在《永田》がいるせいなんだからね!

 赤面しつつ、仕方がないので小走りに後を追いかけた。




 お部屋は、さすがの永田、キッチリ整頓されていて綺麗だった。

 よくある造りのワンルームに、ベッドと机。壁際のシンプルな棚には、ボールペンやら万年筆、文庫本サイズの小説に仕事関係の書籍が並んでいる。

 うーん、これがまっつんの言ってた万単位の……。


「永田くんって、もしかして散財する人?」

「僕が? 貯金通帳みます?」

「……ううん。貯金できる時点で大丈夫だわ」

「ハードル低っ!」


 嫌そうな顔でツッコみながら、わざとらしくため息を吐く。


「でも、コレクターっていうほどじゃないし、邪魔にはならなそうだけどなぁ」


 私は棚を見ながら『一緒に住めない理由』を思い出し呟いた。美少女フィギュアも見当たらない。

 しかし永田には聞こえなかったようで、クローゼットを開けスーツを脱いで、さっさと着替えだす。

 ネクタイ外す仕草って、何度見てもいいよね。あの、グイって指に引っ掛けて緩めるのとか。

 じーっと視姦していると、永田がちょっと恥ずかしそうに「見ないで下さい、変態」と呟く。えへへ、ごめん。


 私は彼に背を向けて、持って来たお泊まりセット入りのバッグを適当に置く。それから台所で買い物袋から食材を取り出すと、許可をもらって冷蔵庫を開けた。


「ごめん、ちょっと限界。ぜんぶ、好きにしていいから……」


 永田は楽な服装に着替えると、辛そうに呻きながらベッドに横になった。

 掛け布団をかけてやり、おでこを触る。あっつい。


「熱計って。枕元にお水置いておくね」

「うん……ありがとう」


 マスクを外そうとするが、私にうつすのが怖いのか頑なに外さない。

 そんな気遣いいらないのに、そう思うけどちょっと嬉しい。

 せめて、と新しいものに取り替えてから、熱を計り、たまご粥を作る。


 お米からなので、ちょっと時間がかかる。

 永田には出来るまで寝てていいよと伝えた。


「……今、ワンルームに住んでてよかったって思ってます」

「なんで?」

「先輩がご飯作ってるとこ、寝転んで見れるなんて最高」

「もー……また馬鹿なこと言って」


 視線を感じて背中がむずむずしちゃうから、そういうのやめて欲しい。

 照れながら少しだけ身じろぎする。


 でも、まぁ、永田が幸せそうだからいっか。

 そう思いながらネギを刻んでいると、背後から安らかな寝息が聞こえてきた。


 なんだかんだ、私も幸せだよ。

 心の中で噛み締めながら、ひとり、そっと微笑んだ。






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