ホラーよりコワイのは
その日、私は廊下を歩いていました。
そう、ただ歩いていただけ……なのに、どこからともなく女たちの囁き声が。
「アレが染谷芽衣子?」
「あー、永田さんの……へぇー」
クスクス、という笑い声。怖いです、空耳かもしれません。
「ウザいわ」
「なにがいいのアレの……フツー」
いやだなぁ〜こわいなぁ〜……。
そう思いながら恐る恐る振り返ると、そこには…………!
お化粧をバッチリ決めた、女子力高そうなお嬢さんたちが、こちらを見てニヤリと笑っていたのでした。
ウワァー生霊ダァー!
肌の血色よくて足もちゃんとあるけどお祓いしなきゃー!
……って、ホラー風に茶化してみたけど、ダメージは意外とデカかった。
後輩ちゃんが「永田さんは観賞用になった」って言ってたから、安心してたんだよね。
でも、そっかぁ……取り巻きは結構いたもんね。中には本気の子だって居たに違いない。
ごめんね、こんな年上の平凡女で。
ごめんね、染谷地味子で。
ああいう可愛い子の方が、きっと釣り合いはとれるんだろうな。
すっごい卑屈になってそそくさとその場を立ち去る。
ちょっと胸がズキズキして、だけど永田が好きなのは私なんだもん! とポジティブになろうとしたりして、でもでも元彼にポイ捨てされるほど魅力のない私……と落ち込んでを繰り返す。
とりあえず、永田に携帯でメッセージして落ち着こう。
『永田くん、だいすき!』
『そういうの、いきなり送って来ないでください!』
デスクの下に隠れて送信したら、数秒で返信が来た。
『ごめんね、気持ちの宣言なの』
『……なんかあった?』
『ないけど、言いたくて』
『少しは我慢を覚えましょうね』
ちぇっ。
でもまあ仕事中だし、そうだよね。仕方ないと携帯を仕舞おうとすると、携帯が小さく震え、
『大好きだから、安心して』
────……クゥっ!
思わずニヤつきそうになって、顔をベチンと叩いて天を仰ぐ。
永田、かわいすぎか。なんでいつも一回下げてから上げるんだ。ときめくからやめてよね!
*
おかげで気分も急上昇したので、さっきの事は、まあいっか、と開き直ってお昼休み。
休憩室の机で、ひとりお弁当を食べていると────
「隣、いいっすか?」
そう言って現れたのは、昨日『秘密の場所』で出会った、あの猫目の青年だった。
「げぇっ」
思わず心の音が漏れると、彼は嫌そうな顔をする。
そして私の反応を無視して、椅子ひとつ空けた隣の席に陣取った。
むっ……座っていいって言ってないのに。ムカついたので、無視してむしゃむしゃお弁当を食べていると。
「あぁー忙しい、うちの部署はほんと忙しいなぁー」
「!?」
彼はコンビニおむすびを頬張りながら、聞こえよがしに独り言を始めた。
「まあ花形部署だし、忙しいのはしょうがないなぁー。その中で大手と契約してくるとか、ほんと永田先輩はカッコイイなぁー」
「!!?」
永田の話!?
私は彼の独り言に耳を傾ける。
「本来ならまだ任されないような仕事を、永田先輩は任されちゃったんだよなぁ。忙しいはずだよなぁ」
ええ、そうなの? 永田って、若手の中では相当なの!?
ひゃー、あの大手会社? ほんとに? え、永田が新規開拓した!?
うわぁ、うわぁ、すごいなぁ。将来有望なんだね。
でもそのせいで今、ミスできなくて真剣なんだ。ここのところ切羽詰まってるのは、そういう理由なんだ。
──と、永田の後輩である彼の独り言をひと通り盗み聞きする。
「……ってわけだから、女にうつつを抜かしてる暇なんてないんですよ、永田先輩は」
彼は長い長い独り言を言い終わると、チラッ、と私の方を見る。
私はしっかり彼を見ていたので、バチリと視線が合った。
すると彼は、ドヤッと得意顔をする。意味がわからない。
意味はわからないけど、すごくタメになった。
永田が普段あんまり弱音を吐かないから、そういう部分を知れるのは有り難い。
彼の目的が私への嫌がらせだったとしても、全然害がないから別にいいや。女の子たちの、あの品定めするみたいな目線よりは怖くないし。
そっかぁ、永田は今、そんなに大変な時なのか。じゃあ、あんまり負担かけないようにしなくちゃね。
「ありがとう、名も知らぬ青年よ。永田くんに負担をかけないよう、仕事中のラブラブメールは5回に1回は我慢する!」
「ぜんぶ我慢しろよそれは」
「うふふ」
「笑って誤摩化すな」
鋭いツッコミに私がニヤっとすると、彼は眉をしかめた。
「名も知らぬ青年じゃない。俺は永田先輩と同じ部署の後輩で、松澤慎吾です」
わざわざおむすびを置いてからこちらへ向き直り、彼、松澤くんは、ぺこりとお辞儀して名乗ってくれた。これはこれはご丁寧に。
「私は事務員をしております染谷芽衣子と申しま」
「知ってるって。またの名をダメンズ女。永田先輩に近付く不届き者」
「むっ……なんだとぉ」
カチンときて睨むと、松澤くんは呆れたようにため息を吐く。
「ほんと、何がいいんだろーな、コレの。……俺だったら、もうひとりの方が」
「もうひとりって?」
「────っ!」
松澤くんはハッと我に返って、慌てて口を噤む。
ほほう? なんだか意味深な反応。
彼はなぜか大慌てでガタリと立ち上がり、食べかけのおむすびをビニール袋に詰め込む。そして缶ジュースを手に取って────
「ん? それって缶の『おしるこ』!?」
この暑いのに、ホットで激甘の『おしるこ』って。
びっくりして手を伸ばすと、彼はシュバッとその缶を奪って袋の中へ隠してしまった。
「……糖尿病になるぞぉ」
「う、う、うるせーなっ」
私の茶化しに思いっきり目を吊り上げて、彼はプンスカと怒りながら休憩室を出て行ってしまった。
なんなんだろ、あれ。もしかして、すっごい甘党なのかな?
猫目の青年が『松澤』という名だと判明するという、至極どうでもいいイベントを終えて、私は自分のデスクへと戻った。
チラリと周りを見ると、後輩ちゃんが「はぁ〜お腹いっぱいだぁ」と言いながらチョコを頬張っている。どゆこと。
くすりと笑って、パソコンを起ちあげた。
***
その後も、女子のイタイ視線を感じたり、松澤くんの独り言を聞いたりしながら、数日が過ぎた。
直接的な害はないのでスルーしている。
松澤くんの方は永田に訴えればどうにかなりそうだけど、耐えられないような嫌がらせじゃないし、目をキラキラさせて話してくれる永田の情報は面白い。
「今日のスーツ、すっごいカッコ良かったんですよ。それにネクタイの色がまた」
「永田先輩の愛用ボールペンは結構しますよ。ネットで調べたら、万単位だって……まぁ、マネして買いましたけどね!」
「朝デスクでベーグル食べてたなぁ。俺、食べた事ないんですよね。ウマいんすかねぇ、アレ」
──って、もはや話しかけてるよね!?
いや、嬉しいけどさ永田情報。ベーグル、今度一緒に食べてみるよ。
あまりにも有益情報すぎるので、一度「いつも永田くんのこと教えてくれてありがとね」とお礼を言って『おしるこ』を差し入れしたら、ハッとしてから苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
変な子。だけど、本当に永田を慕ってるんだなぁ。
いいなあ、私もそんな先輩になりたい。後で後輩ちゃんに、私に憧れるか聞いてみようかな。
……いや、やっぱやめとこう。
後輩ちゃんと言えば。
彼女に、クスクスしてくるステキ女子たちの事を愚痴ってみたら、
「悔しいからああやって発散してるだけですよ。ほっときゃいいの、妬みなんて」
と、さらりと言ってくれた。
悔しい、か。
好きな人がとられちゃったの、確かにやり場のない気持ちだよね。と、かーくんを見知らぬ誰かにとられちゃった経験から、そう思う。
だけどそれに申し訳なく思うなんて、やっぱり違う。
私は私で、ちゃんと永田を大好きでいればいいよね?




