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20/52

永田くんと私

 週末、土曜日休みの午後。

 久しぶりに、永田が部屋へやってくる────。


 私はドキドキしながら入念に準備をして、彼を迎えていた。


「部屋、片付けたんですね。えらいえらい」


 永田は明るく広くなった部屋をぐるりと見渡して、一応褒めてくれた。

 たぶん気付いてる。

 私が薄化粧をして、髪をちゃんと結わいて、普段は着ないワンピースなんぞを着ている、その変化にも。

 だけど、そちらに関しては一言も言ってはくれない。というか、まともに目も合わせてくれないんですが。


「……」

「…………」


 気まずい。

 クーラーの排気音だけが室内に響く。

 向かい合って囲んだテーブルの上で、麦茶の氷がカランと音を立てた。


 だめだめ、めげるな!

 私は意を決し、プリントアウトしておいた紙の束を永田に手渡した。

 永田が受け取り、会社で書類に目を通すのと同じ様子でペラペラとめくってゆく。

 黙って耐えながら見守るしかないこの時間がしんどい。


 永田、どう思う?

 私の気持ち、ちゃんと伝わるかな?


 恥ずかしさを堪えてドキドキしながら永田を見守る。

 暫くすると、永田は無言でテーブルに小説を置いて────


「ぶっ…! このっ…これ、ぼ、僕ですかっ……ぶふっ」


 腹を抱えて苦しそうに笑い出した。


「な、なにがそんなにおかしいのよ!」


 予想外の反応に私が怒って身を乗り出すと、永田はハヒハヒと息も絶え絶えになりながら、涙目でちょっと待ってと静止した。


「だ、だってさ……」


 妄想小説の永田は、現実よりちょっと繊細で、ちょっと王子様ちっくな言動をしながら、甘々に先輩に迫る。

 ひたすら想いを伝えあって、最終的には身体を求めあいラブラブのまま終わるという、意味もオチも何もない小説だった。


 読み終わった永田は、あまりの乙女領域に身悶えしている。

 確かに、自分をモチーフにこれをやられたら、私だって恥ずかしい。

 でもしょうがない。

 妄想が現実に変わるなら、私が望むのはきっとそれなのだ。


「なんでこうなったの。事件とか、葛藤とか、なんもない──ふふっ」

「笑うな!」


 我慢出来ずに口元を隠す永田に吠える。

 しかし、笑ってくれた事で蟠りが少し消え、いつもの雰囲気が戻ってきた。

 私は内心胸を撫で下ろしながら、麦茶の入ったガラスコップの水滴を指で弄りつつ、上目遣いに永田を見る。


「だってさ、永田くんのこと考えたら、そうなっちゃったんだもん。何回書いてもそうなっちゃう」

「それって……」


 永田が絶句して口元を手で押さえた。


「──ただヤりたいって意味」

「違う! ちがうちがうっ! イメージ! これは私から見た恋愛した永田のイメージで!」

「はあ!?」


 ズバリと図星を突かれたような気がして思わず大慌てで否定すると、その言葉に今度は永田がキレた。


「僕のイメージがなんでこんな好きだのなんだの言って迫る色欲魔なんですか!」

「色欲魔って!」


 バシバシと紙束を叩きながら身を乗り出す永田に、私もつられて前のめりになる。


「だいたい、恰好良いヒーローにしてくれってお願いしたでしょ。発注と違う、やり直し!」

「発注するなら企画書と予算出しなさいよ、産みの苦しみ舐めんな!」

「一人前に語ってますけど、苦しんで産んだのは未来ある赤ん坊じゃなくて排泄物ですからね」

「うわ最低……なんてこと言うの。今、世の中のアマチュア作家全員を敵に回したからね?」

「アマチュア作家なんて先輩しか知りませんし。先輩を敵に回しても全く恐くないですし」

「むうう〜〜! おのれ覚えていろよ」

「おや、もう敗走ですか。さすが逃げるのがお上手ですね」


 ぷいっ、とそっぽを向く永田。

 なんだこの無意味な言い争いは……。

 私は頭を冷やすために麦茶を一気飲みして、鼻で大きく深呼吸した。


「……仲直りしにきてくれたんじゃないの?」

「違います。呼ばれたから来ただけ」

「……」


 かわいくない……。なんなのよその態度、また何に怒ってるの。

 自然と眉間にシワが寄る。永田もしかめっ面だ。


「……先輩って自意識過剰ですよね」

「どういう意味よ」

「だって、僕なんかに囁かれながら、あんなことされちゃうって想像して書いたんでしょ? この変態」


 半目でこちらを見ながら、馬鹿にしたようにフンと笑う。

 確かに、永田くんにされたいって思うこと書いたよ。だけど、それ言われたら死ぬほど恥ずかしいじゃん!


「じ、自分が恋愛小説書けって言ったんでしょ!」

「これ恋愛じゃないしエロだし。どうせこれで僕が喜ぶとでも思ったんだ。書くこと無くて中身なくても、エロけりゃいいだろって」

「そ、そっちこそ、馬鹿にしないでよ! 私は真面目に永田のこと考えてこれを書いたんだよ!」

「先輩の中の僕がわかんない。愛を囁けばいいの? こーやって仲直りしたいならそう言えば。僕も男だし歓迎ですよ」

「ばっ、ふざけないでよ!」

「ふざけてないよ。ほら、仲直りしよ?」


 そう言って、永田は小説の適当なページを開いた。


「『──先輩、可愛い。もっと僕のこと見て、ほら、もっと舌を』」

「うわあああああ!」


 いきなりセリフ音読やめーい!

 私は慌てて永田の手ごと小説にチョップした。


「イッテ! なにすんですか」

「あんたこそなにしてんだ!」


 フーフーと威嚇すると、永田はチョップされた手をさも痛そうに摩りながらこちらを睨みつけた。

 私は負けじと睨み返す。

 沈黙の中、しばし睨み合いが続く。


 と、永田が徐に立ち上がり────



「先輩がッ、泣いて謝るまでッ、音読をやめないッ!」



 宣言して小説を引っ掴むと、妄想ヒーロー永田くんの甘いセリフを棒読みで音読しはじめた。


「『あなたが好きです。全部見せて、僕にあなたの味を教えて──そう囁きながら胸元を舐め、だんだんと』」

「ちょっ、ちょっ、ちょ────!!!」


 それは本当に泣く!

 私の絶叫と抵抗をひらりと躱し、時々こちらを見つめながらニヤニヤ笑う。ムカつく!


「『好きだよ、先輩が欲しい。今すぐ口付けする権利を、僕にちょうだい』」


 顔が近い近い!

 セリフだとわかっているのに、棒読みなのに、読まれる恥ずかしさとは別の意味でも赤面してしまう。


 永田は背伸びして小説を奪おうとする私を避けながら、好きだの愛してるだのを、大嫌いと言ったその唇で次々と紡いでいく。


 こうなったらヤケクソだ!

 こちらも負けじと、妄想小説の先輩の可愛いセリフで応酬してやる。心を込めて読んでやる。だってこっちは本心だって言ってるのに、言わなきゃわかんないみたいだから!


「私だって、永田を感動で泣かす!」


 ……あれ、でもこれ一方的に私の傷だけ広がってないかな?


「『見て……溢れてきた。可愛いね、僕が触れるだけでこんなに感じて。もっとして欲しい?』」


 永田は精神攻撃のためエロ中心に切り替え攻めてくる。

 ただし棒読み。


「『ほら、繋がって────』あ、これはパス。えーっと……」

「『まって、やめないで。いじわるしないで……全部して。永田くんがいいよ、永田くんが好き、私のそばにいて』」

「っ……! えっと。『先輩が望むナラ…僕を、アゲ……ル』」


 私が割り込んでセリフを言うと、動揺した永田は押し込めたような声でしどろもどろに読んだ。棒読みからカタコトになる。

 耳まで赤くなった顔を紙で隠す。効いてる!


 永田が小説を持っているので見えないけど、セリフの数々はなんとなく覚えている。

 私は彼の胸元に迫り、正面からじっと見詰めた。

 紙の横からチラリと覗いた永田は、赤い顔で不安そうに目を泳がせる。

 私は背伸びして顔を近付けながら、さらに愛のセリフを紡いだ。


「『もう永田くんのことしか考えられないの。一緒に笑って、泣いたり、ケンカしたり、いっぱいしよ。ねえ、私の知らないこと、もっと教えて。好きとか愛してるより、もっとその先に連れてって』」


「……っぐは!」


 永田は呻いてヨロヨロとその場に座り込む。

 魔王破れたり。攻撃がよっぽど効いたのか、ちょっとだけ涙声になりながら、赤い顔を手で隠し、ズルいです、卑怯です、と恨み言を繰り返す。


「…これ、こんなの、自惚れちゃうよ……」


 永田が小説をペラペラしながら困った様に呟いた。


「こんな小説書いて、部屋に誘ってさ、なんかオシャレしてるし部屋は片付いてるし……勘違いさせようとしてる」


 そして私を見上げると、キッと眉根を寄せ睨みつけた。

 怒ってる。でも、いつもの、あの顔だった。


「……大嫌い。なんで僕のこと、こんなに掻き乱すんですか」


 切な気に顔を歪めて、上目遣いに私を見る。

 眉尻を下げ頬を赤くしながら、長い睫毛を湿らせて、拗ねたように喉の奥から不機嫌な声を出す。


 ──やばい、かわいい。


 私は沸き上がる何かを堪えながら永田の近くにしゃがむと、わざとムッとした顔を作って言った。


「だって、私も永田くんのこと嫌いだもん。ドキドキさせるし、夜は眠れないし、永田くんのことしか考えられないから嫌い。怒った顔も、冷たい声も、たまに優しく笑うのも、映画で泣いちゃうのも、可愛いとこも、ぜんぶぜんぶ、私の心を奪うから嫌い。だから掻き乱して、私のことだけ考えさせたいの」


「……そんなセリフありました?」


 情けない顔のまま、床に置いた小説を捲る。


「ないよ。私の気持ち」


 首を傾げて見詰めると、永田の手がピタリと止まり、驚いてこちらを見た。

 双眸が見開かれ、ぱちくりと瞬きをする。


「先輩、もしかして僕のこと好き……?」


 永田は信じられないといった表情で、呆然と呟く。


「きらいって、いってるでしょ」


 唇を尖らせてわかりきった誤摩化しをしてみると、今度は困り顔になった。


「それって、僕の言う嫌いと同じ意味?」

「同じだったら、好きって意味になるの?」


 意地悪に笑って首を傾げると、永田の顔がみるみる赤くなる。


「知ってるくせに」

「知らない。まだちゃんと言われてない」

「…………すき」

「きこえなーい!」


 とぼけると、むっとしたようにこちらを睨む。

 にやにやしている私を冷たい目で見つめながら、永田はゆっくりと大きく息を吐いて、言った。


「好きです」


 じっと真っ直ぐに、お互い目を逸らさない。

 そのまま永田は「好き、好きです。先輩、大好きです」と畳み掛けるように攻撃してきた。


「わかった、わかったって!」


 恥ずかしさに耐えられなくてあわあわと静止する。

 だが、永田は益々眼力を強め、射抜くように私を見ながら言葉を続ける。


「次は先輩の番ですよ」


 勢いよくずいとにじり寄る。

 その必死さに思わず微笑みながら、「私も。永田くんと同じだよ」と答えた。

 永田が不満そうな顔をする。


「…………それだけ?」

「嫌なの?」

「そうじゃないですけど……」


 しょんぼりと項垂れて、泣きそうな顔になる。


 ────かわいい。


「わっ……せんぱい!?」


 思わず首に手を回し、ぎゅっ、と抱きしめる。

 永田が一瞬慌てて仰け反った。


「永田くん、好き」


 顔を寄せて耳元で囁くと、永田は一瞬低く呻くような声を出す。そして力一杯、ぎゅっとしがみつくように抱きしめ返してきた。


「……もし今、かーくんが戻ってきても、僕を選ぶって言って」


 硬い声で呟かれ、私はハッとする。

 いつにない弱音に、永田の本当の気持ちを見たような気がした。

 私は考えなしに、どれだけ彼を振り回したんだろう。


「私、永田くんしか選ばないよ。永田くんがいいの。ちゃんと好きになる時間をくれて、ありがとう」


 ゆっくりそう囁く。

 永田は安心したように手の力を抜くと、ふふ、と笑った。


「そんなに計算高くないですよ。ただ単に、僕の方が良くなるのをずっと待ってただけ。臆病な戦法でした。そしたら、こういう、わけわかんないことになって」


 私の首元に顔を埋めて、くすくすと笑い出す永田。


「先輩といるといつもこうです。出会ってから、ずっと僕をわけわかんなくさせる。たぶん、これからもずっと」


 きっと私の知らない所で、永田にも色々あったんだろう。それを思い出して笑っている、そんな感じがした。

 でも、そんなのお互い様だ。

 私は小説に、私の気持ち、したいことされたいこと、色々と詰め込んだけれど、結局、永田にはちっとも伝わった気がしない。


 目の前の人間と向き合わないと、本当に考えていることはわからないんだ。

 推測した永田の気持ちより、この体温がずっとリアルに伝えてくれる。

 私は全身でしがみつくように永田に抱きついた。彼も全身で抱きしめ返してくれる。

 隙間なく密着した体が熱くて、私たちは互いの耳元で蕩けそうな吐息を漏らす。


「ねえ、いつから私のこと好き? 永田くんがずっと何を考えてたのか、私、ちゃんと知りたい」


 話そう。いっぱい、何でも。

 ケンカもして、怒ったりして、また違う顔を見せて。

 私の言葉に、永田がまた笑った。


「先輩に全部教えてあげる。僕のこの一年半のごちゃごちゃを」

「一年半?」

「あぁ……まず、そこからだね」


 そう言いながら、ゆっくりと身体を離す。

 そして私の顎に手をかけると、端正な顔を傾けながらゆっくりと近付けてきた。


「教えてあげる。このキスは、2回目」

「えっ」


 驚いた私の言葉を遮るように、永田はそっと唇を塞いだ。








 おわり




「──こ、これでどう?」


 はぁはぁと肩で息をしながら、プリントアウトしたばかりの原稿の束を差し出す。

 ソファで寛いでいた永田は無表情で受け取ると、パラパラと捲った。読むのが早い。


「……恥ずかしいです」

「あんたより私が恥ずかしいわ!」


 思わずツッコむと、永田はクスクスと笑う。


「この先は書かないんですか?」

「この先って?」

「だから、この続きです」


 そう言ってテーブルに原稿を置くと、ゆっくりとこちらに近付く。

 至近距離で向かい合い、腰に手を回しながら優しく抱き締める。

 顔を見上げると、彼の顔が近付き、そっと唇を塞ぐ。口内で絡み合う柔らかで熱い感触に酔っていると、背後に回された手が、服の裾を手繰り寄せた。


「だめ、エロ小説になっちゃうでしょ。私はあくまでロマンス、恋愛、純愛なの!」


 ピシャリと手を叩いて、身体を離す。


「何が違うんですか」

「レーディングよ!」


 永田はわざと拗ねたような顔をして、大袈裟に手を振って痛がってみせた。が、すぐさま何かを思いついたようにニヤリと笑う。


「じゃ、次はこういうのはどうです? 僕たちは同じ高校の生徒で、先輩は文芸部の3年、僕は運動部の1年生なんですけど……」

「高校生とは思い切ったな」

「面白そうでしょ? そこで、殺人事件が起こるんですよ」

「探偵モノね!」


 そう言いながら座り込んで、テーブルを囲みメモ帳にペンを走らせる。

 段ボールが無くなって、ちょっと永田の物が増えたいつもの部屋に、ペンの音と笑い声が響く。


 週末の夕陽が、ふたりを柔らかく包んでいた────。


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