13話リバース、僕の嫌いな人(side永田5/5)
「永田くんて、彼女──いる?」
馬鹿なこと言うなよ、いるわけないだろ!
激高しそうになるのを抑えて、いないと答えると、今度は「好きな人は?」────
浮かれていた気分を一気にどん底まで突き落とされる。
ひとりで舞い上がって、馬鹿みたいだ。
心底脱力した。自分が甘かった。
優しくして、大事にして、頻繁に会いたがるなんて、好きな人にしかしないだろ。
そんなこともわかんないくらい、僕は『範囲外』なのか。
「だ、だって、アミ、って名前、呼び捨てで仲良くて……だって永田くん、会社では女の人に愛想ないって言われてるのに、あの人には優しくて笑顔で、触ったりとか、しかも呼び捨てで」
アミのことを持ち出して、怒ってみせる。
嫉妬なら可愛いけれど、彼女のは、私のこと好きなんだよね? と探っているだけだ。イラっとくる。
先輩が好きだから大丈夫ですよと、そう弁解して欲しいのがバレバレだ。
よかった、じゃあこれからもよろしくねって言われたら、僕は喜べばいいの? ばかにするな。
「先輩にとって僕ってなに?」
そんな、聞いてもしょうがない言葉が口を衝いて出た。
まだ『かーくん』の『めいちゃん』なのはわかってる。
僕はちょっと間借りしただけ。野良猫と同じで、たまに遊びにくるからちょっとかわいがって、それだけ。それでもいいと思ってたのに。
今はもう、それじゃだめだ。
答えが欲しい。一度溢れてしまったら、もう止められない。
自覚してよ、踏み込んだのはあなただ。
先輩が考えを振り切るように激しく頭を振った。
「わ、わかんない……」
僕はわざとらしく大きなため息を吐く。
考えてすらくれないの。
「……もういい。帰る、帰ります」
「えっ!? ど、どうして!?」
「先輩のお望み通り、これからはただの会社の同僚、先輩と後輩でいましょう」
靴を履くと、彼女が焦っているのがわかる。手を振り払えば、ショックを受けたように震えた。
「な、な、なんで! なんでそうなるの? ちゃんと謝ったじゃない! そっちから押し掛けてきたくせに、こんな急に終わりって、ひどいよ!」
「謝って欲しいなんて思ってない。僕とどうにかなる気もないのに、独占欲だけ見せられても迷惑です」
そんな気さえあれば、可愛いと思うのに。
けどそういう風に、見てくれたことは無いんだ。どんなに手を伸ばし続けても、一向に届く気がしない。いつか選んでくれるなんて、もう思えない。
怒りと絶望でめちゃくちゃだ。
忘れさせるなんて、無理だった。
「先輩なんて、嫌い」
ふいに涙が零れそうになり、ぐっと息を飲んで堪えた。
嫌いだ、大嫌い。
「小説、書いてくれませんでしたね」
「…………」
「今まで迷惑も顧みず押し掛けてすみませんでした」
書いてくれないってことがどういう意味かわかってる。
でも、今だって書いて欲しい。
僕にして欲しいことを書いて、可愛らしく強請ってよ。
頼むから、僕を欲しがってよ。全部あげるって、ずっと言ってる。
なのに、想像すら、してはくれないんだ。
『かーくん』と『それ以外』なんだ。
「……なんで先輩なんか。なんで好きなんだ」
ほら。もう諦めるから。
だから今日一日くらい、僕でいっぱいになればいい────。
背後で、玄関の扉がバタンと音を立てて閉まる。
僕は振り返らずに足早に駅へ向かう。
熱くなった顔に冷たい夜風が心地よかった。
未練がましくぐちゃぐちゃになった心が、落ち着きを取り戻していく。
「……あんな告白、最悪だ」
苦しめる為に発する「好き」なんて、醜すぎる。
結局、僕は自惚れていた。彼女の心に食い込めたと、どこかで安心していたんだ。浮かれた分だけ、心が折れてしまった。
続けていく勇気がないから、逃げ出したんだ。
────次の週明けから、視界の端を先輩がチラチラと彷徨くようになった。
「あ、な、永田っ……くん!」
やたら挙動不振で、思わせ振りな仕草がイラつかせる。
言いたいことがあるんなら、ハッキリ言え。僕だって辛いんだ。諦める決心をして避けてるんだ。僕はお友達なんかでいるつもりはない。中途半端な仲直りなんて、いらない。欲しくない。
「永田くん、あの、ごめんなさい……」
謝罪の言葉なんて聞きたくない。
無視を続けていたら、先輩との接点はどんどん減っていった。
会いにいかなければ、全く顔も見ずに一日が終わって驚く。
自分がどれだけちょっかいを出していたのか、客観的に見てしまったようで恥ずかしくなった。
必死だな。なんでだよ、たかがハンカチを差し出してくれて、歌ってくれただけの変な女に。一体何を掴まれたっていうんだろう。
「永田さんて、悪趣味、変態」
休憩室を避け、屋上の柵に寄りかかりながら缶コーヒーを飲んでいると、誰かが声をかけてきた。
振り返ると、憮然として腕を組み、仁王立ちする後輩の姿があった。
「先輩が泣きそうになって謝ってるのを、無視して悦んでる」
「………そんなんじゃありません」
確かにちょっと、気持ちいいとは思っていた。
ざまあみろとも思うし、可哀想で抱きしめたくもなる。
だけど、自分から彼女にアクションすることはもう、ないだろう。
「じゃーなんで先輩のこと無視するんですか。先輩、永田さんに会いたいって言ってましたよ」
「うっ……」
後輩のストレートな攻撃に、思わず項垂れた。
やめろ、揺さぶるな。会いたがってるのはわかってる。でも、仲直りしたくないんだよ。
「ウダウダしてないで、会って、さっさと好きだっていいなさいよ」
好きだとは、言った。言い逃げだけど。
でもちゃんと言ったことには、なってないよな。
正論を吐かれて、ますます項垂れる。勇気が出ない。ふられるってわかってるのに。
「……僕みたいなチャラチャラした不誠実な人間に好かれたって、迷惑だと思う」
「な、なにそれ」
思わず口をついて出た弱音に、後輩が動揺した。
なにを言ってるんだコイツ、という顔でこちらを覗き込む。眉間の皺がすごい。
僕は柵の上で腕を組むと、その中に顔を埋めた。
「だって、これだけ尽くしてるのに全然好きだって思ってももらえないし、信用もないっぽいし、その程度の存在だし。だったらいっそ、諦めた方がいいよ。まだ何もはじまっていないんだから、すぐ元通りになれるし……」
「いや、なれてないだろ」
一度弱音を吐いてしまったら、残りが止めどなく溢れてくる。
そんな僕を呆れた顔で見つめながら、後輩がツッコむ。口調がぞんざいになっている。
なんでこいつにこんなこと話さなきゃならないんだろう。
ああそうか、僕の事情を知ってるのって、こいつだけだもんな。素直に言えば協力してくれた人なんて、たぶん他にも沢山いたのに。
「……だって嫌なんだよ。好きだって言って、特に今は相手がいないからって、なんとなくで付き合うの嫌なんだよ。長いこと一緒にいた人がいなくなった後とかさ。辛くて誰でもいいって思ってさ。でもその後釜に座るだけじゃ、僕は満足できない。もっと真剣に追いかけられないと、応えたくない」
ウジウジと、泣き言を言う口が止まらない。
言いながら、自分がどんどん欲張りになっている事に気が付いた。最初は、誰でもいいなら自分にすればと軽く考えていたのに。
自分の奥底のドロドロした気持ちに気付いて、思わず眉を顰める。
つまり僕は、ずっと元彼に嫉妬していたわけか。
彼よりも僕が欲しいって、自分から追いかけてきて欲しいわけか。
「だあぁぁ! めんどくさっ! なんでそんなに拗らしちゃったのか知らないけど、100%の好きでしか付き合わない許さないなんて、ありえないっすよ!」
後輩がうざったい虫を追い払うように、ブンブンと頭を振って叫んだ。眉間の皺は、鼻の頭にまで及んでいた。
「だって、僕は100%好きなのに、ずるい」
情けなく呟いて、口を尖らせてすねた。
気取ったり取り繕うのはもう疲れた。
「……それさぁ、ちゃんと先輩に言った? あの人そーゆーの伝わらないですよ。でも伝わったら、ちゃんと考えてくれると思うなぁ。永田さんのそーゆうメンドクサイとこも、先輩はたぶん嫌いじゃないっすよ」
「こんな女々しいこと言えないもん」
「だからダメなんだお前は」
ついにお前に格下げされた……。
僕がこんなんだから、ヒナキにも好かれなかったんだろうか。
いや、きっと、こんな姿すら見せようとしなかったから、選ばれなかったんだ。
「いいこと教えてあげる」
「……いいこと?」
僕は腕の中からゆっくりと顔を上げて、後輩を見た。
彼女の眉間の皺は消えて、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
「そのうち、先輩は永田さんを誘い出す『口実』を持ってきますよ」
「『口実』……」
「それが何なのかは知らないけど、乗ってあげて」
「…………」
「たぶんそれが、最後のチャンスだよ」
最後……誘い出す……口実。
それって、絶対────アレだ。
「え、なんで赤くなってんの?」
「なってない」
僕が顔を背けると、後輩は苦笑いして「じゃ、そういう事なんで」と去っていこうとする。
「あ、待って!……ありがとう。感謝してる」
慌てて伝えると、彼女は振り返って「いっこ貸しですよ」と微笑んだ。
何日かして、後輩の言う通り、染谷芽衣子がやって来た。
帰ろうとしていたところを外で待ち伏せされ、腕を引っ張られる。
彼女にしては珍しく強引な手段に驚きつつ、僕はそれに従った。
とりあえず、逃げない。乗ってあげる。
もう大体、何を提案されるのかは解っていた。
「……何か御用ですか」
「うん。ちょっと御用なの」
人気のない路地裏で立ち止まった彼女に声をかけると、僕の腕を両手で掴んだまま、上目遣いに見上げてくる。
逃げることを心配しているのか、腕を抱き締めるようにしがみ付き、体を寄せてきた。近い。近すぎる。
「な、なに、何の用?」
「永田くん……あの、あのね」
「は、はい」
もじもじと恥ずかしそうに視線を泳がせる。
しがみついたままで。
「小説、書いたの。永田くんの小説だよ」
「うん……」
「今更かも知れないけど、頑張って書いたから、永田くんに読んで欲しいの。それで、その」
先輩の顔が、みるみる赤くなっていく。今にも泣き出しそうな瞳で、震えながら訴え縋るように僕を見詰める。
「週末、部屋に来て。お願い」
ぎゅう。腕を掴む手に力がこもる。
密着したささやかな柔い感触に、僕の右腕が甘く痺れた。
ああ、もう。頼むから、外でそんな顔してしがみつかないでよ。僕らまるで、家まで我慢出来ずに盛るバカップルみたいだよ……。
そんな事を考えながら、染谷芽衣子を見下ろす。
必死になっちゃって、可愛い。
周りが見えなくなるくらい、自分が何をしてるかわかんないくらい、必死なのが嬉しい。たまらない。
嬉しくて、嬉しくて、顔が緩むのをもう抑えられそうにない。
僕は明後日の方を向いて、わざと怒ったような顔を作った。
それから考える振りをして、間を置く。
答えは決まっていた。
行くよ、行きます。行かせてください。
「い、行ってあげても、いいですけど?」
しかし、素直になるタイミングがわからない。
かなり不遜な態度で答えれば、彼女はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとう!」
お礼を言いながら、涙目でとびきりの笑顔を見せる。
うう、やばい。罪悪感で胸がチクチクした。
今すぐ抱きしめたいのをぐっと堪えて、素っ気ないフリをする。
仕方ない。覚悟を決めて、きっちりフラれに行ってあげる。
それでその後、仲直りしてあげるよ。
それが先輩の望みなら、しょうがない。
そして僕らは、再び週末の約束をしたのだった。