永田くんと思い出2(side永田2/5)
ヒナキに最初に告白したのは、小学4年生の時だ。
花なんか渡したけど、受け取ってもらえなかったので母にあげた。
中学にあがって2度。2度目は自暴自棄になって、自分がモテはじめたのを良いことに、手当たり次第女の子に手を出し、総スカンを食らう。
高校ではもっと上手くやった。
もっとちゃんと真剣に告白したし、振られた後はもっと隠れて発散するようになった。
ヒナキはどんどんモテだして、男女問わずそれなりにトラブルも多かったけど、いつも傍にいて出来るだけ守ってやった。あんまり必要なかったけど。
だってあいつ、いじめられてても、いつの間にかそいつらと仲良くなってて。知らないうちになんでも一人で片付けて。
あー、俺、いらないじゃん……。
気付いてしまったら、心がどんどん沈んでいく。
それでも日は沈み明日はやってくる。
会社に行かなくちゃ、仕事しなくちゃ。落ち込んでる暇なんてない。もっと忙しく、もっと忙しく。
なんにも考えないように。
一人暮らしも決めた。
家族には散々心配されて止められたけど、気持ちに整理をつけるためと、前向きな気持ちであることを表明し、むしろ明るく振る舞って引っ越した。
実家は居心地が良すぎて甘えていたんだ。そろそろ独り立ちするのもいいだろう。遅いくらいだ。
家事だって楽しい。
料理に、洗濯、掃除だって────
「ねえ、えっと……永田くん、だっけ?」
ふいに声をかけられて、顔をあげた。
目の前には、地味で小リスのような印象の女性が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
驚いて辺りを見回すと、人もまばらな会社の休憩室。
ああ、そうだ。休憩時間にここへ来て、コーヒーを飲んで、そのままうたた寝してしまったのだ。
「はい、永田です。なんでしょう?」
見慣れない女性は、たぶん別の部署の社員だろう。若干幼い雰囲気だが、年上だと思う。
彼女は困ったように微笑みながら、タオル生地のハンカチを差し出した。
「大丈夫? 良かったらこれ、使って」
「え?」
そう言われて、はたと気付く。
頬を濡らして滴り落ち、長机とコーヒー缶にポタポタと垂れている水滴。
「う…っわ、なんだこれ……」
無意識に泣くとかやばいだろ。相当疲れてるのか。
若い女の子じゃあるまいし、たかが失恋ごときで、しかも会社で泣くとか。ないわ。
慌てて頬の涙を拭いながら立ち上がる。と、
「あー、疲れた〜」
「寒かった〜、なんか飲む?」
ざわざわと、外のランチから戻った女子社員が休憩室に入ってきた。
「やばっ……」思わず顔を伏せる。あいつらに、泣いてる所なんて見られたくない!
「こっち!」
ふいに、手を引かれた。
驚くが声をあげるわけにもいかず、顔を伏せたまま彼女について行く。
小さくて暖かい手は思ったよりも強引で、ぐいぐいと乱暴に引っ張りながら、かつかつと大股で歩く。
やがて辿り着いたのは、重い扉の先にある、剥き出しのコンクリートと吹き抜けの……荷物搬入用通用口、兼非常階段である。
「さ、さっぶ……」
春は近いがまだ寒い、ここは結構冷える。
思わず呟くと、彼女は手を離して「えへへ、ごめん」と笑った。
そして、こっちこっちと手招きして、柱の影に消えた。慌てて追いかける。
「うわ、ここって……」
彼女が消えたのは、柱の影にある、人二人分くらいの小さなスペースだった。
何のためにあるのか、ちょっとした建物の隙間である。
「ここね、私の秘密の場所なの。泣きたいときは、特別にここ使って良いよ」
しゃがみ込んでこちらを見上げながら笑う。
「使って良いよ、って……ここは会社の持ち物であって、あなたの所有物じゃないでしょう」
至極当然のツッコミをすると、彼女は目を見開いた後、不満そうに頬を膨らませた。
変な人。そう思いながら、自分も彼女の目線に合わせるためしゃがむ。
「ありがとうございました。助かりました」
一応、軽く頭を下げて礼を言うと、彼女は満足げに笑って、先ほど受け取らなかったハンカチをもう一度差し出した。
「いいよ、いいよ。誰にだって、失敗とか、悩みとか、色々あるもんね」
「……どうも」
どうやら彼女は、僕が仕事の失敗かなにかで怒られてヘコんでいるんだと、勘違いしているようだ。
それはそうだろう。あえて訂正はしないでおく。
涙はすでに止まっていたが、ハンカチを受け取り目頭を押さえると、柔らかなタオル生地からは柔軟剤の匂いがした。
「あ、でもねえ、ひとつだけ難点があるの」
彼女はふいに、明るく良く通る声で言った。
「ここって吹き抜けだから、思いっきり泣くと、声が響いちゃって大変なんだよねえ」
「あー、そうですね」
この会話も反響しまくっている。彼女が上を見上げるので、つられて僕も上を見る。びゅうびゅうと風が通り抜けていった。
「じゃあ、今から歌うね?」
「は?」
「思いっきり泣いていいからね!」
そう言うが早いか、柱の影から階段部分に躍り出て、身振り手振りを添えて大声で歌いだす。
某懐かしアニメの、コロッケを作る行程を歌ったオープニング曲……
……キ、キ○レツ大百科……それを楽しそうに熱唱している。
伸びやかに響く可愛らしい歌声が、わんわんと反響して昇っていった。
なんだこの女。変な女。正直ちょっと、こわい。
全くついて行けずに呆然と見ていると、歌い終わった彼女は僕を振り返り満面の笑みを向けてきた。
「どう? 二番いく?」
二番なんてあるの?
「いえ……もう、だいじょぶです」
よろよろと立ち上がると、彼女は「よかった!」と微笑んだ。
いや、良くない。全く泣けないし驚きと恐怖で色々ふっとんだ。
さっきまで熱を持っていた顔はもう冷えて寒い。早く室内に戻りたい。
「ハンカチ、洗って返します」
「あー、いいよいいよ〜。家で洗うよそんなの」
「いやでも、汚しちゃいましたし」
「気にしないで。ってか、永田くん人気あるから、返してもらうとこ想像すると、正直めんどくさい」
「……」
随分はっきりとものを言う。
僕が反論できず押し黙ると、無意識に半目になっていたのか「そんなに睨まないでよ〜」と笑われた。
「いいんだよ。イケメン無罪! 眼福眼福〜♪」
そう言って、僕の手からぱっとハンカチをひったくると、手を振って社内へ戻って行った。
なんだったんだ、あの人は……。
僕の最初の先輩への印象は、『変な人』。そして、『優しい人』だった。
それから数日。
彼女が誰なのか、なんとなく気になった僕は、社内でそれとなく聞き込みを開始した。
染谷芽衣子……知らないわけだ。
目立たない、地味、仕事ぶりも普通、やや鈍臭い。雑用係みたいなもんで、別部署と連携するような仕事も少ない。 表立って何かをするより、フォローしていることの方が多い。
思ったより年齢もいってるが、女子社員との関係も当たり障り無く、悪口や噂にも上らない。
あんなにはっちゃけた変人さも、会社の中では鳴りを潜めている。
しかし、よく笑う人だな。
どんなに忙しくても、疲れてても、皆の機嫌が悪くても。
気に障らない程度の明るさで、にこにこと微笑んでいる。いつ見ても、楽しそうに、人の居ない所ではたまにコッソリと鼻歌なんて歌いながら。そんな彼女を思わず目で追ってしまう。
そして見つめるたび、あの時のやりとりを思い出して、自分の口元が緩んでいるのに気付く。
あれ……なんだろう。
彼女はヒナキの後に恋に落ちるような逸材ではない。
特別可愛いとも思えないし、性格はまず間違いなくオカシイし、年上だし、社内恋愛なんてまっぴらごめんだ。
なにより、ヒナキの時に感じていたような、好きで好きで気が狂いそうな激情は全くない。
そう、きっと、小動物を見て癒されるような。そんな感じだ。
まぁ、たまにはそういうのもいいか。
妙な縁だが接点も出来たし、あの子なら口も堅そうだ。年上のお姉さんに慰めてもらうのも悪くない。
ああいう子は、少し悲しい顔で「辛いことがあって」とでも打ち明ければ、すぐに世話を焼いてくれるのは経験で知っている。
話すキッカケなんていくらでもある。なにせ彼女は僕のことを知っていた。イケメンとか言ってくれてたし、すでに脈はあるのかもしれない。
「染谷先輩!」
終業後、思い切って彼女の部署に出向き、軽い調子で声をかけてみる。
にっこりと笑顔を作って手を振ると、彼女は驚いたように目を見開き──
「えっと……あ! 永田くん、だっけ?」
ん?
「あれ、この前のこと…覚えてません?」
「この前?……あー、そういえば」
「その節はどうも。あの、ハンカチのお礼がしたいんですけど、良かったら──」
「それだったら気にしないで。ごめん、もういかなきゃ」
んん?
えらくそっけないな。
バタバタと上着を着込んで、声をかける間もなく走り去ってしまうのを、僕はぽかんと見送る。
用事があって忙しいのかな?
拒否される感じでもなく、慌てているようだった。
また明日、話しかけてみよう……。
──それから数日。
どんなに話しかけても、染谷芽衣子が捕まることはなかった。
「そ、染谷先輩この後っ……!」
「ごめん! 電車の時間が!」
「飲み会参加しませんか!」
「パス!」
「実は相談が!」
「上司にGO!」
……もう、何を話したらいいんだろう。
せめて、せめて仕事で接点でもあればなぁ。
ふたりきりにすらなれない。あまりの梨の礫にガックリと項垂れていると、たまたま後ろで見ていた社員達が、わははと笑ったのが聞こえた。
「あーあ、さすが染谷ちゃん」
「永田、あの子はいつもあんなもんよ」
だから気にするな、と笑う。
まじすか。いつもあんななんですか。
「彼氏のために、用がなきゃすぐ帰るんだよ」
「そうそう。付き合ってもうすぐ10年だって」
じゅ…………っ、10年!?
ガーン、と横っ面をバットで殴打された様な衝撃が走る。
10年?! なんだそりゃ!
それならいっそ、結婚しててくれ!
だったらまだ諦めもつくってもんだろうが!!
……え?
いや、諦める、よな?
自分の思考とはいえ混乱しているのか、訳のわからない事を考えている。
そこまで本気で染谷芽衣子を誘い出そうなんて、思ってない。
思ってない……。
そんなに入れ込むほど、彼女と接点は無い。
ただ丁度良く、容易く落とせると思っていただけだ。
そうだ、容易く……。
ふいに、自分の思考が蘇る。
年上のお姉さんに慰めてもらうのも悪くない…
話すキッカケなんていくらでもある…
僕のことを知っていた…
すでに脈はあるのかもしれない…………だと?
ああああああああああ!!
なんだこれすげぇ恥ずかしい!
顔も耳も、つむじまでカッと熱くなる。
やばい、俺やばい。主に頭が。
訂正しよう。
染谷芽衣子と話すキッカケなんてもう無いし、僕を知ってはいたけど興味はない。つまり脈はない。
自分は、ヒナキ以外の女を追いかけたことがない。
追われた事は山ほどあるが、追って捕まえた事がない。
彼氏持ちでガードのむちゃくちゃ硬い女なんて無理だ……。
だけど、僕は気付く。
諦めた方がいいと分析する一方、自分の奥底で何か熱いものが本能を突き動かそうとしていることに。
──こんなに話しかけてるのに。
一人で勝手に恥までかいて、独り相撲なんて許せない。
長く付き合っている彼氏が居るからなに?
ちょっとはこっちを向いて、顔くらい見ろよ。
たぶん自分は、逃げられると追いかけたくなる性質なのだ────
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僕は半ば意地になって、彼女に声をかけ続けた。
相も変わらず梨の礫で、顔見知りの同僚以上に距離を縮めることは難しかった。
休憩室で待ち伏せをしたり、ごくたまに仕事で絡むこともあったが、事態は何の進展も見せず。
それでもやっと顔を覚えてくれて、目が合うと会釈してくれ、機嫌が良い時などは、手を振ってくれたりもするようになった。
でもそれだけじゃ、何も変わらない。
ヒナキへの想いを断ち切れた訳でも、新しい恋に進めた訳でもない。
宙ぶらりんのまま、僕は今日も、休憩室で彼女を待つ。