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永田くんと思い出 (side永田1/5)

 自分のことを、『僕』というのは慣れていない。

 事務的な場では『私』、私生活では『俺』。そんな風に使い分けている人は多いと思う。

 でもここでは、『僕』で統一しよう。

 何故なら僕が今から語るのは、会社の先輩の話だからだ────



****



 永田悟ながたさとる、26歳、牡牛座のAB型。

 3歳年上の様子のオカシな先輩が気になりだしたのは、今から約1年半前だ。


 その少し前のバレンタインデー。

 まだ実家住みだった僕は、会社の人や友達から贈られた、義理だか本命だかわからないチョコを詰め込んだ紙袋を持って帰宅した。

 チョコは好きだ。でも、それらを食べるつもりはない。


「ただいまー」

「お。悟、帰ってきた」

「おかえりなさーい」


 玄関を開けると、中から暖かい空気が流れてくる。

 賑やかな声と共に、兄の賢介けんすけと妹の梨花りんかがひょいと顔を出す。そのそっくりな仕草に笑いながら、革靴とスーツの上に羽織ったコートを脱いだ。


「外、寒い」

「早く入りなよ兄貴、アイスあるよ」

「寒いって言ってるだろ」

「サト兄はアイスいらないって〜!」

「いらないなんて言ってないじゃん!」

「悟、遊んでないで早く着替えてこい」

「はいよ」


 生意気な妹とのやりとりを呆れながら見ていた兄貴が急かす。

 二階の自室に向かう前にリビングを覗くと、台所で母と笑い合う、髪の長い女が視界に入る。


「え、あれ──ヒナキ」


 最近見ていなかったその人物に、心臓が跳ね上がる。

 母と彼女はこちらに気付いて、にっこりと微笑んだ。


「あっ、おかえりなさい、さっちゃん!」


 色素の薄い瞳に、自分が映り込んでいるのがわかる。ゆるく巻かれた長い髪がスローモーションみたいに揺れて、思わず目を奪われた。

 あぁ……周防雛希すおうひなきだ。どうしよう。


「た、ただいま。いらっしゃい」

「お邪魔してます」


 ヒナキがぺこりと頭を下げる。

 母親が「着替えてらっしゃい」と促すので、そのまま踵を返して自室へ向かった。

 階段を早足で上って自室に入ると、ドアを閉め、そのまま寄りかかる。

 早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、数度、ゆっくりと深呼吸した。

 ヒナキ、いつぐらい振りだろうか。前回振られたのは、ええと……確か半年前?


「また綺麗になってるし……」


 白い肌、華奢な身体のライン、整いすぎて恐いくらいの顔。ヒナキは会うたびに垢抜けていく。

 彼女は隣の家に住む幼馴染みだ。

 母親を亡くして父子家庭の彼女は、ご近所同士の助け合いというやつなのか、よく家に泊まりにきた。同じ年の自分とは特に仲が良く、小学校低学年くらいまでは常に一緒にいて、一緒に遊んで、一緒に眠った。


 物心つく頃から大好きだった。

 中学も高校も同じ所へ行き、何度も何度も告白しては、何度も何度も振られている。

 振られてすぐは気まずいが、数日で再び親友に戻り、また元通りの毎日だ。子供の頃から大人になった今でも、ずっとその繰り返しだった。


 そのヒナキが、半年前の告白を断ってから、音沙汰がなくなった。

 どうやら自分の留守中には家に来ているようだから、ついに嫌われたかと覚悟していたのだが。


「まあ、どうせまた元に戻るだけなんだろうけど……」


 安堵のような、諦めのような呟きが漏れる。

 ようやく落ち着いた身体を扉から離して、ネクタイを解き、少し皺になったスーツをハンガーに掛ける。いつもは丁寧に皺伸ばししてブラシをかけるが、今日はそんな気分じゃない。

 カバンと一緒にもって上がってしまったチョコレートの袋は、ヒナキが帰ったら妹にやろう。


 楽な部屋着に着替えると、自室を後にする。

 階段を下りると、談笑が聞こえてきた。


「そっかぁ〜大変だねぇ。で、いつ?」

「うーん、夏くらいかな。都内のね──」


「なんの話?」


 リビングの扉を開けて尋ねると、シン、とした沈黙が降りる。

 ソファに座る面々を見つつ首を傾げながら、ダイニングテーブルの定位置に座ると、母がお茶を出してくれた。


「……ありがとう」

「寒かったでしょ、お仕事お疲れさま。まずは落ち着いてね」

「うん……?」


 言われるがままお茶を飲む。なんだ、この雰囲気?

 妹を見ると、ふいと目を逸らされた。なんだよ。


「悟、ちょっと話があ…」

「さっちゃん、お話があるの」


 兄貴の言葉を遮って、ヒナキが身を乗り出し、毅然とした口調で言った。

 話……悪い予感が走る。

 まさかしつこくしすぎて訴えられるとか?

 ……いやいやいや。

 現実的なのは、もう近寄らないでとか言われることだ。それにしたって、もう半年も近寄ってないけど。


「なに……?」


 恐る恐る尋ねると、彼女は僕の正面の席に座った。兄貴がその隣に座る。

 母と妹は少し離れたソファから、こちらを心配そうに見ていた。

 訳が分からずふたりを見つめると、彼女は意を決したように一度小さく頷いて、じっとこちらを見据えながら、大きくはっきりとした声で言った。



「私たち、結婚します」



 ……えっ。



 無反応だったのがいけなかったのか、兄貴とヒナキは一度顔を見合わせて、再びこちらを見る。そして、もう一度口を開いて、


「私と賢ちゃん、結婚します!」


 大声で復唱した。

 いや、聞こえてるって! うるせーよ天然か!


 そう言ってやるつもりだったのに、口がカラカラに乾いて動かなかった。はくはくと声もなく口を動かした間抜けな自分を、ふたりが申し訳なさそうに見つめている。


 そういえばこいつ、ファザコンだったな……。


 そんな思いが脳裏をよぎる。

 うちは自分が高1の時から父親がいない。

 賢介とは3つしか年は離れていないけど、一家の親父みたいなもんだった。しっかりしてて、優しくて、頼りがいがある。

 父子家庭育ちで父親が大好きなヒナキは、きっと兄貴のそういうところに惹かれたんだろう。


 だからかぁ……。

 自分が受け入れられなかった訳。半年も避けられていた訳。

 全然、気付かなかった。

 自分だけが知らなくて、俺の気持ちは、みんなが知っているのに。


 目の前が暗転するとか、生まれて初めてだ────


 「悟、ごめん!」という兄貴の泣きそうな声と、「わ〜サト兄、お気を確かに〜」という妹の茶化すような声が、ひどく遠くに聞こえた。



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