地雷原を突っ走れ!
週末の夜。
外の匂いを連れて、永田が部屋にやってきた。
「お待たせしました! はい、バナナ2種類」
「ありがとう……」
そう言って東京土産のお菓子の箱を手渡してくる。
元気いっぱいでご機嫌な永田と正反対に、私はネガティブアンハッピーモンスターだった。
なんだか色々考えているうちに、わけがわからなくなり、連日あまり寝ていない。
そもそも、どう切り出すか。
私なんかより好きな人がいるんじゃない? そっちに行かなくていいの?
……感じが悪いにも程がある。
「先輩、僕に会えなくて寂しかったでしょう?」
反応が悪いのを見て、戸惑いながらもいつもの冗談を言う永田。
玄関で靴を脱ぎながら、上目遣いに私の顔を覗き込んだ。
「うん……会いたかった」
「またそんな強がりを────って、え?」
今度こそ、永田は本気で慌てる。
「先輩、どうしたの? ほんとに寂しかった?」
「ううん……わかんない。違うの、聞きたいことがあって」
支離滅裂だ。
永田は本気で心配しだしたのか、玄関先で私の両肩を掴み、かがんで顔を近付けた。熱でもあるのかと覗き込む。
間近に迫った瞳に、思わず視線を外す。
「聞きたいことって?」
「永田くん、あの、あのね……その、永田くんて」
私は意を決して顔をあげ、彼の目を見つめた。
「彼女──いる?」
────ガタッ。
永田が、よろめいて下駄箱に打ち当たる。
「……………………はぁ?」
先程までの、心配でたまらないといった表情から、一気に剣呑な目つきになった。思わずビクリと震える。
永田は私の肩を掴んだまま、じっとこちらを睨み据えた。
「彼女。……もしいたら、僕ってなんなんですかね? 彼女放置で他の女のとこ泊まって。先輩は僕がだらしない浮気男だと言いたいわけ?」
「ち、ちがっ……」
「違くないでしょ。僕に今、彼女はいません」
キッパリと言い切って、手を離すとばからしいと言いたげにため息を吐く。
そっか、彼女は、いないのか。
「じゃあ、好きな人は? あの……この前の、アミ、ちゃんとか」
「アミ?」
私が恐る恐る尋ねると、永田は不思議そうにこちらを見た。
「あいつ結婚しますよ。秋に」
「……結婚! じゃあ、片思いだ…」
「はあ!?」
私の呟きに、永田が声を荒げた。
「なに言ってるんです? なんでそう思うんです?」
「だ、だって、アミ、って名前、呼び捨てで仲良くて……だって永田くん、会社では女の人に愛想ないって言われてるのに、あの人には優しくて笑顔で、触ったりとか、しかも呼び捨てで」
永田は俯き、片手で髪をくしゃくしゃに乱すと、低く唸った。
「……あの子、アミさん。阿見、レイナさん、です」
「────苗字っ!?」
勘違い……!
呆気ないネタばらしに、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
ただの嫉妬で、ただの勘違い。
痛い。痛々しい。
そんな私を永田は複雑な顔で見ている。
「彼女は同期で、入社してから研修とかも一緒だったんですよ。結婚するご主人の都合で子会社に行かれて、たまにああやってヘルプで来られるんです。仕事できて、美人で、良い子ですよ。先輩と違ってね」
つまらなそうに皮肉を言って、フンと笑う。
「あーあ、一瞬だけ期待したのに、損しちゃった。先輩、僕のことなんにも見てないんですね。自分が大変だから、僕のことなんてどーだっていいんだ」
「ごめん、勘違いして失礼なこと言ってしまって、ごめんなさい」
私が小さくなって謝ると、永田はキッとこちらを振り向いて叫んだ。
「違う、そうじゃない!」
「ひぇっ!?」
永田はイラつきを抑えるように息を吐いて髪を搔き上げた。
こんな風に怒る永田ははじめてで、私は理由を整理しようと考えるも、混乱と焦りで頭がこんがらがってしまう。
「彼女はいるか、好きな人はいるか、だって?」
苦々しげにため息を吐くと、永田は低い声でゆっくりと話し出す。
「こうやって毎週末一緒に過ごして、先輩の出した答えがそれ? ほんとに何も思わなかったの? ほんとにわからないの?……ガッカリだな……はぁ。なんていうか、報われない」
「た、確かに、彼女はよく考えたらいるはずないってわかるよね……」
「うん。あはは。もう、笑うわ」
乾いた笑いのあと、永田は凍えるような冷たい目で見詰めてくる。
先程までと違い、表情がないのが怖かった。
「先輩は僕のこと、なんだと思ってるの?」
「え、えーと……会社の後輩? より…近いかも。友達? とも、ちょっと違う、よね」
「じゃあなに? 先輩にとって僕ってなに?」
「……」
私にとって永田は何か。
その質問に、私はピシリと固まった。
恋人、というわけでもない。そんな確認はしていない。
寂しい時だけいちゃいちゃと恋人の真似事をして、体の関係さえあればセフレに近い──と、そこまで考えて自分の思考にゾッとする。
いつか永田が言った、擬似彼氏。
私はそれをそのまま受け入れている。
寂しさを埋めてもらうだけで、私は彼に何も与えなくていい関係。
なのに、さらに欲してこんな話を切り出したのだ。
永田の一番でいたい。だけど、これからもかーくんの代わりでいて下さい、って。
私にとって、永田は────
浅ましい考えを誤魔化したくて、激しく頭を振った。
「わ、わかんない……」
永田がため息を吐くのが聞こえた。
「……もういい。帰る、帰ります」
「えっ!? ど、どうして!?」
「先輩のお望み通り、これからはただの会社の同僚、先輩と後輩でいましょう」
私の問いには答えずに、壁に手をついて下がると、脱いだ靴を再び履く。
驚き慌てて止めようとするも、延ばした手を振り払われた。
「な、な、なんで! なんでそうなるの? ちゃんと謝ったじゃない! そっちから押し掛けてきたくせに、こんな急に終わりって、ひどいよ!」
「謝って欲しいなんて思ってない。僕とどうにかなる気もないのに、独占欲だけ見せられても迷惑です」
永田はこちらを見ず俯き気味に視線を彷徨わせた。
独占欲──さっきのアミさんの話だ。
嫉妬、ではなく、独占欲。そうかもしれない。きっとただの嫉妬だったら、永田はもしかしたら喜んだかもしれなかった。
「先輩なんて嫌い」
ふいに永田が涙ぐんだ。
え、なんで────そう思いながら、目を奪われる。胸がきゅうと痛んだ。
「小説、書いてくれませんでしたね」
「…………」
「今まで迷惑も顧みず押し掛けてすみませんでした」
永田はひとつ、丁寧なお辞儀をすると、扉に手をかけた。
私はなんと言っていいのか、言葉を選ぶことが出来ずに呆然と立ち尽くす。
引き止めなくては、でも何を、どう言おう。
「……なんで先輩なんか。なんで好きなんだ」
あっ────。
永田の呟きに、私は弾かれたように顔をあげる。
パタン、と扉が閉まり、空間が震えた。
そこに永田の姿はすでに無く、室内はシンと静まり返っていた。
気がつけば、耳がジンジンと痛むほど熱かった。
なぜだか鼻がツンとして、視界がぼやけた。
追いかけなければならないのに、力が抜けて足が動かない。
──永田、私のことが好きなの?
本当はわかっていた。
じゃなきゃ、どんな理由を付けたって、こんな風に一緒にいるわけがない。
──だったらさっさと言ってくれたらいいのに。
嘘だ。言われたら、きっと警戒して受け入れないか、自暴自棄で付き合うか、少なくともこんなに近付けることはなかった。
永田は、本当に私と一緒に居たかったんだ。
あの笑顔も、あの言葉も、ぜんぶ本物だったんだ。
本気で私の小説のヒーローになろうとしていたんだ。
そう思ったら心臓がばくばくとうるさくなった。
期待するなと自分に言い聞かせてきて、ずっと見ないふりをしておいて、好きだと確信が持てた途端、こんなにドキドキして嬉しいなんて。
私って、なんて自分勝手なんだろ。
思わずその場に座り込んで膝を抱えると、下駄箱の上に置かれたお土産の箱を見上げた。
どんな気持ちで買ってきてくれたんだろう。
きっと一緒に食べたかったに違いない。
「どうしよう。ケンカしちゃった……」
永田は怒って出て行った。いつもみたいな怒り方じゃない。本当に傷つけてしまった。
お願いも聞かず、気持ちの上に胡座をかいて甘えまくったツケが、今ここで巡ってきているんだ。
このまま何もしなければどうなるのか、考えると怖かった。
永田はもう、私を追いかけてくれないかもしれない。