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永田くんのいない週末に

 日常は滞りなく過ぎて行った。

 仕事は7月を前に段々と忙しさを増して、気付けば永田の顔をもう4日も見ていない。


 暑くなりつつある週末のその日。

 少しの残業の後に帰路へつけば、空っぽの部屋が待っていた。


 今日は永田は来ない。明日は結婚式で忙しいだろう。

 なんとなくテレビをつけるが、土曜だというのにたいして興味を引く番組もない。

 ご飯も適当に済まそうと、コンビニで買ったお弁当と冷蔵庫からお茶を出して入れた。

 片手でスマホを弄りながら食べはじめる。


 ──先輩、お行儀悪い。


 ふいに、永田の叱責が聞こえた気がした。

 驚いてキョロキョロするも、ただの幻聴である。


「1人なんだから、いーじゃない」


 そう独りごちて食べ始めるも、スマホの画面をそっとテーブルに伏せた。

 いかん、遠隔操作されている!

 今やすっかり永田の定位置になったソファから視線を感じた気がして振り返る。そこにはただ、彼が最近よく抱えている私のお気に入りクッションがあるだけだ。

 可愛らしくクッションを抱く永田の姿を思い出して、私がクスリと笑った時。

 ────ブルルッ。

 携帯が短く唸る。メッセージ受信のバイブレーションだ。

 画面には、噂をすれば何とやら、『永田 悟』の文字。


『先輩なにしてる?』

『ご飯食べてます』


 文字だけのやり取りは、私より永田の方が砕けている。


『どうせコンビニでしょ? ちゃんとしたもの食べなよ』

『なんでわかったの?』

『え、当たり? 今日、残業してたみたいだったから、当てずっぽう』

『さすが永田さまご明察。うちの部署に来たの?』

『ううん。通っただけ。でも最近忙しそうだね』

『そうなの。そちらも忙しい中、わざわざ連絡をありがとう』

『だって僕はいつだって先輩を構いたいから』


 さらりと、なんてことを。

 予想だにしない言葉に、心臓が跳ね上がった。

 そういえば永田は、私が好きかもしれないんだった、と思い出す。

 なんて返事しよう。私もだよ? 会いたいよ? 永田の幻聴を聞いたよ? なんだそれカップルか。

 かと言って、私は別に……とか言うほど会いたくないわけでもない。

 私がまごついている間に、携帯はもう一度ブルルと震える。


『あぁ、電車着いちゃった。ごめんまた隙をみて連絡する』


 そ、そうか。なら仕方ないな。

 私は返信しなくて良くなったことに安堵する。


『じゃあ、おやすみ、かな?』

『うん。おやすみ、先輩』

『おやすみなさい』


 シン……。

 部屋に静寂が戻る。

 テレビから賑やかな笑い声が虚しく響いて、それが余計に静けさを感じさせた。食べかけのお弁当がすっかり冷えている。


 私はふと我に返り、自分の姿を客観的に観察した。

 お弁当を放り出し、両手で大事に抱えるようにスマホを持って、猫背で画面に齧り付いている。いかにも必死で、他の全てを投げ打って返信する様は異様だった。


 やばい、やばい。

 こんなに一生懸命になる要素は無い。食べながらサクっと返信すれば良いではないか。

 帰ってからも永田のことを意味も無く思い出している。

 そういえば、さっきソファを見た時に考えたのは、かーくんのことではなかった。あそこは元々かーくんの場所で、少し前までは、永田が座るのを見てかーくんを思い出していたのに。


 まずい……浸食されている。


「あ、明日は片付けをしよう!」


 決意を口に出しぐいっとお茶を飲むと、お弁当の唐揚げをやっつけにかかった。



****



 久しぶりに、日曜に昼まで寝た。

 起きたら日が高くてびっくりする。お腹がすいていた。

 適当にスティックパンを頬張りながら、私は腰に手を当てて部屋を見渡す。


「お、多いな……」


 無論、かーくんの荷物の量である。どこからいこう。

 いや、迷っていては永遠に終わらない。とりあえず燃えるゴミと燃えないゴミ、資源ゴミに分けよう。明日出せるものは先にマンションの集積場に運んでしまって……。

 頭の中でプランを組み立てながら、ゴミ袋を用意する。


「よぉっし!」


 腕捲りをして、いざ、出陣じゃぁ!



 おもむろに、手近なところから段ボールを開けていく。

 いきなり、かーくんの演劇の衣装が顔を出した。キンピカでヒラヒラなセロファンがたくさんつけられた、古着屋で買った安物のGジャン。

 ああこれ、宇宙カウボーイの役をやったときのやつだ……。

 確か宇宙海賊と宇宙カウボーイが戦ってるところに暴走アンドロイドが攻め込んでくる、銃と剣とレーザービーム飛び交うハチャメチャなヤツ。あのかーくんかっこ良かったな。チケット全然売れなかったけど、私も何枚か自腹を切って、全部の公演を見に行った。ものすごく小さいハコだったから、狭くてお客さんを蹴っ飛ばして怒られたっけ。ふふ、懐かしい。


「……って、いかんいかん!」


 つい思い出に浸ってしまった!

 私は頭を振ると、衣装を勢い良く燃えるゴミの中に突っ込む。

 さて、次は……と。

 衣装の下には、かーくんが初めて劇団員の人に紹介してくれた時のシャツがあった。黒い、何気ないシャツ。

 高架下の薄暗い稽古場の近くには、あんまり美味しくないけど安いたこ焼き屋さんがあって。紹介してくれて稽古を見学した後、帰りがけに一緒にそこのたこ焼きを食べた。熱くって、かーくんがたこ焼きを取り落として、シャツの襟にソースのシミをつけたんだっけ。二個目からは私がふーふーしてあげて……って、おい!


「服か。服ばっかりか!」


 もうこの段ボールはやめる。この段ボールは危険だ。

 私は隣の段ボールを開ける。そこには、小物や本が雑多に詰まっていた。演劇関係の台本、かーくんの好きな落語家の本に、セクシーな男になるには、とかの自己啓発本。うん。本は本だ、大丈夫そう。


 あれ?この本、なにか挟まってる──

 そこには、かーくんの下手な字でこう書かれていた。


『めいこは海。なぜなら、女は海だから。

 めいこは魚。なぜなら、うまいから。

 めいこは花。きれいだから。

 そんなわけで、俺はさまようチョウなのだ』


 ……なんだこれは。詩? 詩なのか?

 私はそれを、声に出して読んでみた。

 すごい。ものすごい。ものすごいバカだ。

 才能の欠片も感じられない。そしてそれは更に具合の悪いことに、ゲーテの詩集に挟まっていた。たぶん感化されたのだ。どこがどう感化されたのかはわからないが。


「なんて憎めない奴だ……」


 ふふふ、と口の端から笑いが漏れた。そのまま身体を丸めて、私は笑い続ける。


「かーくん…ふふ……おっかし……ふふふ」


 お腹を抱えながら小刻みに空気を吐き出すと、震えるように声が出て行った。

 笑っているのに、笑いすぎて、目からぽろぽろと涙が溢れる。

 一生懸命、私のことを考えながら書いたんだろうな。字きったないな。ぐちゃぐちゃと鉛筆で消した跡もある。消しゴム使え。まったく、馬鹿だな。馬鹿すぎて、愛おしい。


 私は笑いながら詩集を抱きしめた。

 自分が本当は泣いていることに気がつき、また少し笑う。

 涙はこんなふうに、いつも突然だ。感情が揺さぶられると、抑えていたものが一緒に出てきてしまう。


 泣いちゃったから、終わっちゃうな。でも、もう前ほど悲しくない気がする。人間ってのはゲンキンなもんね。


 さよなら、私の可愛いかーくん。


 しばらくそうしてから、再び、緩慢な動きで片付けをはじめる。


 ……痛い。

 とにかく、何もかもが痛い。

 何か出る度に、思い出の残骸に打ち拉がれて、泣いたり、笑ったり。

 十年分の思い出は、予想以上に重たかった。

 ひとりだったら、きっと今もただ泣いて、向き合うことなんかこわくてできない。立ち上がれずに思い出に埋もれて、本当に死んでしまっていたかもしれない。


 ────その時、携帯のバイブが鳴った。

 顔を上げると、日が落ちて暗くなった部屋の片隅に、画面の明かりが点る。いつの間にか夜になっていた。

 電気を点けて携帯を見ると、『永田 悟』からのメッセージ。


『どう? カッコイイでしょ?』


 いつも通りの調子に乗ったコメントと共に、写真が2枚送られてくる。

 一枚は、永田が得意げにポーズをとっている写真。

 表情が硬い。髪型をびしっと決めて、濃い色のスーツに、白地にグレーのネクタイとチーフ。普段のスーツ姿は見慣れているけれど、こういうのもなかなか華やかで素敵だった。


 そしてもう一枚は、新郎新婦であろう、お兄さんらしき人と、お人形みたいなものすごく綺麗な女の人。そして2人と一緒に楽しそうに笑う、子供みたいな永田と、たぶん妹らしき女の子。

 皆いい顔してる。

 すごく幸せなんだろうな。

 永田家はこんな風なのか。仲良いんだな。永田は、いや、悟くんは、周りの雰囲気からして、たぶんちょっとイジられポジなんだろうな、とか。勝手に想像して、勝手に微笑む。


『ありがとう。すてき』

『それってもちろん、僕が?』

『ハイハイ、そーですよ。永田くん素敵だよ』

『よし、じゃあチョコ味のバナナも買ってやろう』

『ワーイ!』


 えらくご機嫌な会話の後、一通りの祝辞のやりとりを終えて、私はホッと一息つく。

 さっきまでの痛くて冷たい心の重荷が、じわじわと暖められて消えていく気がした。


 段ボールも少しは片付いた。ペースとしてはかなり遅いかもしれないけれど、これでいい。少しでも前進するのだ。


「よぉし、今日はおしまい! ゴミ出して、ビール飲んで小説でも書こうっと」


 よし、撤収!

 私はパンっとひとつ膝を打つと、勢い良く立ち上がった。



****



 その晩、私は初めて、永田の妄想をして小説を書いた。

 お酒を飲みながら、永田のことしか考えず、ただ、ひたすらに書いた。

 出来上がった小説は、実に酷いものだった。

 永田がもし読んだなら、「先輩のえっち!変態!」と罵る可能性のある代物だった。


 翌朝、シラフに戻って読んだ私は、秒で捨てた。



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