永田くんと瞬殺
永田に熱烈に慰められたおかげで、片付けをしなければ、という気持ちが膨らんでいた。
我ながら現金なことだが、今ならもしかして、泣いても寄りかからせてくれるかもしれない、独りで悲しまなくて済むかもしれない。そんな気持ちが、立ち止まっていた私を後押しする。
だが、それに反して仕事がだんだん忙しくなってきた。
週明けから少々社内がバタバタしており、今日もやっと休憩がとれて、いつもの休憩室でお昼を食べているところだ。
片付けして、全部無くなってスッキリしたら、ちゃんと永田がヒーローのお話を書いてあげよう。
彼は、どんな話が好きだろう。
──地味でどうしょうもない先輩と、年下イケメンの僕との恋愛小説を書いてください──
ふいに、脅された時のことが蘇る。
あの日の永田、今だからわかるけど相当テンション高かったな。
思い出してクスリと笑う。
私の中では、永田はカッコイイヒーローではない。毒舌ぶって冗談を言いながら、変な所で優しく、ちょっと面倒くさい。すぐ拗ねて、すぐ怒り、だけどよく笑う。可愛らしい人だ。
「染谷先輩、食べないんですかぁ?」
私がうんうん唸っていると、背後から声がした。
振り返ると、紅茶のペットボトル片手に、同じ部署の後輩ちゃんが可愛らしく小首を傾げていた。
彼女は私の手作りのお弁当を見ながら、横の席に座った。
この子とは割と仲が良く、休憩時間はよく話す。彼氏と別れた話をしていたのもこの子とで、それを耳ざとい永田に聞かれたのだ。
「最近、玉子焼きブーム?」
「や、いやぁ、そんなことないけど…」
お弁当の中身はある程度のルーティンで変わってはいるけれど、最近は玉子焼きを欠かさない。そして、量もちょっと多めに入れている。
なぜかってそれはもちろん、永田のためである。
彼が欲しいと言えば、一つ二つ献上しなければならない。いつ休憩室に来るかはわからないので、最後まで食べずに取っておく。
餌を与えているつもりなのに、餌を貰う方が主導権を握っているとはこれいかに……。
そう思いながらも、やりたくてやっている手前、文句は言えない。
「うん、食べちゃう。ちょっと待ってて」
「ごゆっくりぃ〜」
後輩ちゃんは紅茶を飲みながら適当な感じで言った。彼女のそんな気取らない所が好きで、なぜかウマが合う。
私は玉子焼きを口に放り込み、お弁当箱を畳む。と、見計らったように後輩ちゃんが話しかけてきた。
「最近どーです?」
「どうって?」
「オトコ。先輩、彼氏と別れたでしょ、次は?」
「つ、次って! まだ別れたばっかりだよ」
「え? 関係なくない? 別れたらその瞬間からフリーだよ」
そ、そういうもん?
今の子は切り替え早いのねぇと、年寄り染みた気持ちで拝聴する。
「……そっちこそどうなの?」
「あたしっすか? うーん、まぁボチボチ……。前は、永田さん。ほら、あの背が高くてカッコイイ。あの人狙ってたけど」
「え、永田くん!」
私が驚くと、彼女は何を今更と言わんばかりの顔でこちらを凝視する。そういえばこの前私が糾弾されていた時も、早々に永田の囲いギャラリーになってたな。
「……ふぅん。心境の変化でもありました?」
「え、な、なんで?」
思わず聞き返すと、彼女はブッと噴き出した。
「わかりやすすぎ。だから先輩嫌いじゃないんすよ」
「え、えぇ?」
「だって、前は興味無さそうだったし、顔もやっと覚えた感じだったでしょ? なのに今!」
えー、そんな事ない。顔くらい知ってたし。
でも現に何かを見破られているんだから、何かが顔に出ているのだろう。
「この前の、理想は地味な処女発言で、永田さんすっかりヤバイ奴扱いですよ。まぁ冗談だってのは分かってるけど、元々変わってるし、女子に愛想ないし、割りと辛辣だから、みんな恋愛的には解散って感じで」
「へ、へぇ……」
そういえばそんな事もあったね……。永田よ、哀れな。君の体当たりの冗談がえらいことになってるぞ。
私が心の中で同情していると、後輩ちゃんはクスリと笑ってこちらに顔を寄せ、耳打ちしてくる。
「だから、全然大丈夫っすよ」
「へ? 何が?」
「ヤダなぁ、もう!」
訳が分からず聞き返すと、彼女はさらに笑いながらバシバシと私の肩を叩いた。
「あの永田さんの発言、まんま先輩の事じゃないっすか!」
えっ。
いやいやいや、なんか理想はお母さんみたいな話じゃなかった? 私ぜんぜん全くお母さんキャラじゃないし。
ブンブンと首を振ると、彼女は呆れたようにため息を吐く。
「まぁまぁ。期待するのはタダですよ。なんか面白い事あったら、ゼッタイ教えて下さいね?」
「う、うん……」
い、言えない。もう既に相当“面白い事”になっているなんて……。
私が曖昧に微笑むと、後輩ちゃんは片方の口の端だけ釣り上げて、フフンと器用に笑いながら紅茶を飲み干した。
永田ったら、アホな事を言ったもんだ。
彼にとって何の得もない冗談のせいで、折角の高スペックを無駄にしてしまっている。
しかもどうやら私との噂もあるようだ。なんて可哀想なんだ。弁解したい。撤回してやりたい。
だけど、後輩ちゃんは良い子だが勘が鋭い上にミーハーなので、下手にフォロー等すればボロが出まくる気がする。それは困るので、私は黙っておく事にした。沈黙は金。
後輩ちゃんは他にも、永田への女性陣からの評価なんかを教えてくれた。
「顔は良いし仕事出来るけど、冷たいし素っ気ないし取っつきにくいというか、愛想笑い以外であんま笑わないし、踏み込ませないですよね、あの人。まぁソコが良いって人もいるけど……サービス精神の無さが俺様感あってあたしはパス。あ、先輩は無自覚にマゾいから大丈夫っしょ」
永田、散々だな。ついでに私もディスられてるけども。
しかし、見る人によって印象ってこんなに違うんだなぁと思わされる。サービス精神なんて有り余ってると思うのに。
永田の子供みたいな態度や笑った顔。
私だけが知ってるのだとしたら、純粋に嬉しい。懐かない猫が自分にだけ腹を差し出すような喜びを感じる。
それとも、私がそう受け取りたくて、良いように解釈してしまっているのか。幻のような願望なのかもしれない。
「あ、噂をすれば」
休憩室の開け放たれたドアの外に、永田が通り過ぎようとしているのが見えた。
その一瞬──バチリと視線が合う。
目を上げた永田の口元が、瞬時に微笑みに変わった。
そしてすぐに表情を戻すと、そのまま歩を緩めずさっさと通り過ぎて行く。
「ほら、ね」
後輩ちゃんは、なにか特別なものを見たとでも言いたげにニヤつきながら囁いた。
こちらを見て細められた瞳。柔らかく笑んだ唇、流れる髪先。大股で歩く長い脚に、スーツの裾の揺れまでもが、一瞬で瞼の裏に焼き付けられる。
私は眩しさにパチパチと瞬きをした。
──確かに、特別なのかもしれない。
いやいや、そんなバカな。
期待するのはタダだけど、期待したってあんまりいいことはない。
だけど、きっと────永田は、私のことが好きだ。
そう思った瞬間、ぶわっと身体中の熱が顔に集まってきた。
胸がキュウと締め付けられて、汗がだらだら出た。
後輩ちゃんは、そんな私を見ながら長いこと爆笑していた。
その日の仕事終わり。
電車に揺られて帰宅途中、携帯が震えた。
ちょうど人も疎らだったので取り出して画面を確認すると、永田からのメッセージだ。
昼間の事もあり、思わずドキリとする。
『この前、言い忘れてたんだけど』
『……はい』
『今週末は、諸事情により欠席いたします。申し訳ございません』
『用事? 全然いいよ、いってらっしゃい』
どうやら今週末はお泊まり会はナシのようだ。
意味もなく身構えたせいで、なんだか拍子抜けしてしまった。
仕方ない、久々にゆっくりしよう。片付けも、やる気がでたところだし、がんばってみようかな。
次に永田が来たときにびっくりさせてやろう。
びっくりして、その後、褒めてくれるかなぁ……。
『さみしい?』
『ううん、大丈夫。私のことは気にしなくていいよ』
『うそ。寂しいくせに』
『ハイハイ、ソーデスネー』
どうやら寂しいと言わせたいらしい。
『寂しいって言ったらお土産買ってきてあげます』
『寂しい! すっごく寂しい!』
『……さすが先輩、ゲンキンですね』
上げてから、落とす。
私の脳裏に、言う通りにされてちょっと嬉しそうな永田の顔が浮かぶ。
『どこ行くの? 名産なに? どんなお土産かなぁ』
『いや、兄の結婚式に行くだけ』
『結婚式!? お兄さんいたんだね、おめでとうございます!』
『ありがとうございます。式場は東京なんで、駅でバナナのやつ買いますね』
『あー、あれ美味しいよ、好きだよ、楽しみにしてる!』
『まさか喜ぶとは』
喜ばないと思ってのチョイスだったのかよどういうつもりかよ。
東京駅に売っているバナナの名菓は、比較的どこでも手に入る故にお土産としてはガッカリらしい。
しかし、お兄さんの結婚式か。いいなあ。ということは、永田は弟なのか。
なんか意外だな、と一瞬思うが、時折見せる甘えた顔は、確かに弟っぽいとも思う。
『礼服とか着るの?』
『当たり前でしょう』
『永田くん似合いそう。きっとカッコイイんだろうな』
……………。
あれ、返信なくなった。
電車もちょうど駅に着いたので、私はそのまま携帯をカバンに仕舞って家路につく。
次に携帯の画面を見たのは、部屋に帰ってソファに座りながら一息ついた時である。
返事は返ってきており、そこにはこう書かれていた。
『今、妹に頼んだら、式場でスーツ姿撮ってくれるって。写真送りますね!』
……妹もいるんだねぇ。