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はじまりは一生の不覚

「ほんっと、ダメんずですねぇ〜」


 長いため息の後、呆れた口調で3才年下の後輩、永田ながたくんは言った。

 私から『10年付き合って29才にして別れた元彼氏』の話を聞いての感想だ。


「ギャンブル借金、無職、夢追い人の役満じゃないですか。てゆーかヒモ。何がよかったんですかそいつの」


 永田くんのキレの良い毒舌に、一緒にテーブルを囲んでいた若い女子社員たちが遠慮がちに笑う。

 会社の休憩室で食後のお茶を飲みながら、雑談という名の尋問は続く。


「そーとー顔が良かったとか?」

「んー、まぁ、ふつー、かな。アイドルの久保川に似てて…」

「えっ、あいつビミョーじゃないですか? それに似てるって、趣味悪すぎ」

「永田くん言い過ぎだよー!」


 三十路間近で貫禄のない負け組平社員の私を笑う彼女たちに悪気はなく、ただ舐め切った態度で止める気のない制止をする。

 永田は何故かイライラした様子で私を軽く睨んでいた。

 なんでそんなこと言われなきゃならないのだ。

 そう思うものの、うまく言葉にならない。


「……じゃあ永田くんは、どんな子と付き合ってきて、どんなんがタイプなのよ」

「僕ですか?」


 私の返しに、永田が驚く。

 お手本を示してみなさいよ、お手本を。そこまでボロクソ言うんなら、よっぽどご立派なんでしょぉねぇ。

 私が正面の永田くんを睨みつけている向こうで、女子達が「知りたい!」と盛り上がった。

 あまりこういう話題をしない永田。顔だけはいい永田。狙っている女子の多い永田。ざまあみろ永田。


「そうですね。好きなタイプは、黒髪で、大人しめな容姿で……」


 明後日の方を見て何事か想像しながら答える。

 その言葉に、茶髪で巻き髪の事務員がサッと自身の髪を掴んだ。黒髪の女子はコッソリとほくそ笑む。


「化粧もあまりしてなくて、ネイルなんて言語道断、服装も清楚系で、ヒールとか高いのは履かなくて、性格は優しくて怒らなくてニコニコしててワガママ言わなくて、逆に僕の言う事きいてくれて料理が出来て」


 まくし立てる注文の多さに女子達の顔が引き吊り出す。

 皆どこかしら引っかかっているのだ。というか、引っかからないのはお母さんくらいだ。


「処女。絶対、処女は譲れません」


 トドメに永田が言い切ると、周囲の空気が凍った。

 あぁ、お母さんの線も消えたな、と私はひとり呑気に思う。


「げ……」

「……最近多いっていうアレ?」

「え、うそ、きもっ……」

「あ、キモイとか言う女も無理っす」


 サーッと潮が引けるように、永田の周りから女子が遠のく。それを尻目に、当の本人は涼しい顔だ。むしろ波が引いてくれたことに満足そうに頷いている。

 へー、なるほどねぇ。

 私はつい、空気を読まずに永田の理想の彼女を思い描き──あることに思い至って笑ってしまった。


「それって、地味でイケてない女ってこと? なら、私かなり当てはまってるなぁ……」


 自虐のつもりで呟けば、永田が素っ頓狂な声を出す。


「はぁ!?」


 黒髪で地味で大人しく、洋服は清楚系の雑誌の服を丸ごと買ってるから清楚系だろうし、忙しくてネイルも化粧もたいしてしてない。性格は知らんが本気で怒った事もあまりなく無害、男を甘やかすことにかけては織り込み済み、一応料理はできる。


 そして、処女。


「先輩、10年付き合った彼氏がいたんでしょ? 同棲もしてて」


 やはりそこに引っかかったようで、永田が怪訝な顔で訊いてくる。


「あぁ……そうなんだけど、ええと」


 どういうことかと周囲が身を乗り出す。

 私は笑いながら、手をぶんぶん振って大したことないですアピールをしながら答えた。


「えっと、彼がね、結婚とか、ちゃんとするまでは順序を守りたいって。それに成功して就職するまでは責任取れないっていうし、結果的に別れちゃったけど、大事にしてくれててね……」


 若干照れながら話していると、周囲の空気がおかしくなっていく。


 ──あ、これ、間違えたな。


 ぶっちゃけ過ぎた私の前で、向かいに座る永田は頭を抱えているし、先程まで馬鹿にしていた女子社員の目はやたら同情的になっていた。


「先輩…それは……彼氏ですらない……」


 永田の憐れみに満ちた呟きが、静かな休憩室にやけに響いた。



***



 染谷そめや 芽衣子めいこ、29歳。

 お局と言われる年齢ながら、昨今は30代の女子社員など珍しくもなく、会社では当たり障りのない無害な先輩として恙無く、地味に、コソコソと生きてきた。


 そんな私が休憩室の辱めにあったのは物凄く珍しいことで、話題の中心になり変なテンションになったからなのか、顔の良い若い男性に詰められて緊張したからなのか、我ながらいらんことを言ったと思う。


 まさか、休憩室で何気なく行われた後輩女子との軽い恋愛話に、あんなに食いつかれるとは。

 たかだか彼氏と別れた、という言葉に、近くに座っていた永田くん含め数人が質問してきた挙句ああなってしまったのだ。


 私の元カレ、通称『かーくん』は所謂ヒモだとは思っていた。

 だが、まさか世間一般では彼氏ですらなかったとは驚きだ。

 『10年付き合ってた彼氏がいました』という、たった一つの誇りの様なものが、粉々に砕け散った。

 どうやら私は10年間、ちょっと大きめなペットを飼っていただけらしい。


 永田の『理想の女は処女』発言はすっかり掻き消えて、その日以来、私への同情が一身に集められていた。

 くそ、私だって、内心は涙が出そうなほど落ち込んでいるのに。

 幸いにも皆大人なので、騒ぎ立てず広がり過ぎず。

 ただ合コンの誘いや、紹介しょっか?などのお声掛けが増えたくらいだったのが有難い。


 だが、悪い事は続くものだ。

 あろうことか、あんな失敗をしてしまうとは────



「先輩」


 退社時間になり、皆が退社して行く中、永田が声をかけてきた。

 あの日以来、若干彼を避けてしまっていた私は、警戒しながらチラリと横目で様子を伺う。


 別部署で働く彼は、終業時間を待ってわざわざやって来た。

 しかもにっこりと微笑みながら。怪しい……。

 最近は残業代やら勤務時間やら煩いため、私も最小限のことだけ急いで片付けて早く帰りたい。

 繁忙期でもないので、人はどんどん居なくなる。ふたりきりになりたくない。


 忙しなく手元を動かしていると、永田が私のデスクまでやって来た。


「なに?なんの用?」


 顔を上げずにぶっきら棒に訊く。

 しかし永田はめげずに身を寄せてくると、小声でそっと囁いた。


「先輩、これ……」


 ペラリ。

 私の眼前に5、6枚のルーズリーフの紙を差し出す。

 束にまとめられたそれの一番上は白紙だが、裏面は手書きの文字でビッシリ埋められているのが透けて見える。


「なに、これ……?」

「こっちが聞きたいです。先日、頂いた資料の中に挟まってました」


 ルーズリーフを手に取り、ペラと捲ると……


「げっ!」


 サーッと血の気が引き、青くなる。


「なんです? これ。この字、先輩の字ですよね」


 そこに連なる文字は、まごう事なき私の字。

 そして紡がれた文章は────


 三十路ダメ女な私を甘やかす、イケメン王子様との夢のようなラブラブロマンス妄想小説であった。


「こーゆーの、書かれるんですね……」


 永田くんの冷ややかな目が痛い。

 な、な、なんでよりによって、こいつに!


 推測するに、書いていたものを間違えてカバンに突っ込んで、資料のファイルに挟まってそのまま渡してしまったのだろう。

 私はなんて迂闊なんだ! なんて馬鹿なんだ!!

 冷や汗が吹き出しだらだらと流れる。私はあわあわしながら永田を見上げた。


「一人でこういうの書いて自分を慰めてるんですね。三十路にもなって、なにやってんだか……」

「こ、こ、これ、よ、よ、よん……!?」

「あ、はい。全部読みました。仕事の資料だといけないんで」


 てへ、と笑う。

 絶対嘘だろ。わかってて読んだくせに!


「あああああ……」


 私は崩れ落ちるように机に突っ伏した。コーヒーに手が当たりそうになり、永田が慌てて隣の机に避難させる。

 地味で三十路で元カレもといヒモを10年飼ってた上に処女の私が、ラブロマンス小説を書く隠れ趣味持ち……終わった……。


「このこと、誰にも言って欲しくないですよね?」


 しばし突っ伏していた私に、永田が静かに尋ねた。

 顔を上げると、オフィスにはもう、私たち以外は居なかった。

 と、いうことは……


「う。まさか……脅す気?」

「とんでもない。交渉の余地はありますよ」

「なにが望みなの?」


 楽しそうな永田を睨みつけながら聞くと、彼は逃げ道を塞ぐように、突っ伏した私の背後から机ごと覆いかぶさり、


「あなたの事を好きにする権利」


 耳元で囁いた。


「ひぁっ?!」


 笑いを含んだ吐息がくすぐったくて飛び上がる。

 うああっ、耳がかゆい!

 耳を搔こうと暴れると、真上から我慢出来ずといった笑い声が降ってくる。


「こういうのが好きなんでしょ? 趣味悪いですねー先輩」


 馬鹿にしたように言って、永田が飛び退いた。

 咄嗟に放った私の肘鉄が空を切る。


「三十路で、処女で、趣味でエロ小説書いてるなんて、終わってる」

「エロじゃないわよ、ロマンスよ、恋愛、純愛なの!」

「ちゃんとした恋愛した事ないくせに?」

「う! うるさい!」


 若干涙目になりながらも、腕をぶんぶん振り回す。

 確かにエロ描写多目の小説だった、確かにそうだった。それを読まれたのも恥ずかしいし、それを経験のない私が書いているのを知られたのも恥ずかしい。消えてしまいたい。

 そう思って目をぎゅっと瞑って俯くと、永田くんは大人しくなった私を前にひとつ唸った。


「ふぅん……。よし、決めた」

「決めたって、なにを?」

「1個目のお願い」

「い、1個目?!」


 一体全体、何個目まであるの? そのお願いは!

 悲鳴のような叫びをあげて永田を見ると、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。


「僕を題材に小説を書いてください」


 両手を広げて、どうぞ! とばかりに宣言する。


「はっ?」


 意味がわからない。

 いや、意味はわかるけど。

 そんな事して一体全体、あんたに何の得があるっていうの?


「だからー。地味でどうしょうもない先輩と、カッコよくて王子様な僕の恋愛小説を書いてください」

「はっ……?」

「年下のイケメンからこんなこと言われるなんて、まさに恋愛小説じゃないですか? あ、僕は断然カッコよく書いて下さいね。持てる限りの力をもって、最高のヒーローにしてください」


 ちょ、ちょ、ちょ。

 注文多すぎない? 注文の多い俺様読者様? てか自分をイケメンて、どんだけ自惚れてるの? その高い鼻っ柱折って差し上げましょうか。

 って、いやいや、まず、相手は私なの?

 私と永田の恋愛小説。それ需要ある? 意味ある? 誰得?

 私が混乱と焦りで不安げに永田を見上げる。


「もちろん、創作には協力しますよ。取材を兼ねたデートでも、恋愛部分の実践でも」


 永田がニヤリと意地悪く笑った。


「ちょっとそれ……なにそれどういうこと?」

「はぁ……ほんと、察しが悪いですね。頭も悪けりゃ顔も悪いし、先輩って良いところあるんですか?」

「ひどすぎる!」

「おっとぉ。だって、真実じゃないですか?」


 怒って詰め寄ると、永田はヒョイと身をかわし、


「……なーんて、嘘。先輩は可愛いよ」


 回り込んで、また後ろから顔を寄せて囁く。

 予期せぬ可愛いに、思わず顔が赤くなった────が。


「今の、使えます?」


 永田のへらへらした声を聞いて、振り返りざま、身体を捻って拳を握り締めると、


「発想がワンパターン!」


 ボディに一撃。

 憐れ永田はリングに沈んだ。


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