第九話 「蕾(つぼみ)の頃」
第九話 「蕾の頃」
来年の四月から僕は大学生となる。大学は実家から遠く離れた場所にあるため、実家から通うのは難しい。
つまり、学生寮に住むか、アパートを探してから下宿をするかの二つの選択肢に絞られるわけだが、僕は後者を強く希望した。
両親ともに前者を勧めたが、僕は聞く耳を持たなかった。結局、最後は僕の意見に賛成し、一人暮らしを決めた。
しかし、母方の祖母だけは僕の意見に賛同しなかった。僕を納得させるほどの理由はなかったが、多分、頼りにされていないのであろう。心配性なのだ。祖母は。
実家で物件探しに勤しむ僕の姿を見ると、決まってちょっかいを出す祖母であったが、両親の説得に負け、あれから、僕との距離を置いている。
出発の時、両親が玄関先で見送る先には祖母の悲しげな顔があった。僕はそれを深夜の夜行バスに揺られながら、ふと思い返している。
何か一言言えば良かっただろうか? でも、何と言えば良いのだろう? 「頑張るよ」とでも言えば良かったのだろうか。そういえば、「行ってきます」としか言わなかったな。
腑に落ちないこのモヤモヤした気持ちは早朝まで続いた。
下宿先のアパートの一室で実家から送られてきた荷物を整理している。入学してから早三か月、今の生活に慣れた。
実家から届いたのは夏物の服であった。未だにアルバイトをしていないため、稼ぎがなく、まだ自分の服を買えないのだ。
家事を一人でこなせるようになったのに、稼ぎがない。学生の身分でなかったら、僕は「主夫」だな。
今まで、家族と実家暮らしだったが、一人暮らしをして気づくことがある。それは大学から帰ってくると、自然と「ただいま」と言ってしまうこと。何だか、誰もいないと寂しい気持ちになる。
気を紛らわせるために、大学で知り合った友人たちを下宿先に招いたこともあった。その時、上級生にもなると、同棲する者も出てくると話を聞いた。
そうしたら、しばしばする「ただいま」も無意味にならないのかもしれない。僕はそんなことを思い、未成年ながら、友人たちと酒を飲みかわす。
単位を取るのに、日々忙しくなると、レポートや課題が毎回のように出される。大学は基本的に「研究機関」であることを実感した。
さっき、校内の廊下ですれ違った教授に話しかけられ、「こんなことでは、大学生は務まらんぞ」と言われてしまった。
宿題の提出が間に合わなかったことを直接、先生から言われているみたいで、ここは高校か! と思ってしまう。
大学生となると、すぐに成人、大人の仲間入りとして迎えられると思っていたが、大学に進むと、高校みたいに先生からの直接の指摘が入る。
すべての大学がそうであるか分からないが、僕の進んだ大学は僕をまだ子供として見ているようだ。
子供として見られるのは、慣れている。しかし、慣れ過ぎてはいけない。自制とか向上心というものが僕の中でちゃんと働いている。
一人暮らしをした理由は自立心の芽生えから生じたものだった。両親はそれをどう思うのだろう。親心から息子を手放したくはないのだろうか?
祖母から見れば、僕は可愛い孫として思っているのだろう。それはずっと変わらないものとして、祖母の中で内在するのだ。
そのことが今の僕にとって、邪魔でしょうがなく、ひどく困惑してしまう。
話は変わるが、
「大学は楽しめば、勝った者だ」とはよく言えたものだ。とはいえ、大学自体、軽視されている今の世の中では、それが正論なのかもしれない。
「お金がないなら、同棲すれば良い」とか「授業時に代役を頼めば、出席扱いにしてもらえる」といった甘く軽い考えは今に始まったことではないだろうけど、僕はそれら、甘く軽い考えに染まっていくのが怖い。今だってそうだ。いつも安らぎを与えてくれる恋人が隣に寝ているこの時であっても。
ギャンブルは人をダメにすると僕は思う。競馬やカジノなどはその類である。お金で夢を買うなんて目先を考えていない人がする者だと思っていた。
しかし、大学生になると時々、その気持ちがおおよそ理解できる気がする。充実な毎日とはかけ離れた世界。「鬱屈」や「退屈」といった言葉が先走る。
僕の友人はそういう大学生特有のそんな流行り病のようなものに罹り、金銭トラブルも引き起こし、大学を中退してしまった。
友人が中退して半年も経つと、名前や存在も忘れられる。気に掛ける人も次第にいなくなる。そういった儀式みたいのにも馴れてしまう。それも怖いと僕は思う。
恋人と半同棲の日々の中、実家に帰る機会が巡る。年末には実家へ帰省し、家族一緒に年を越そうと約束していた。
久しぶりに実家に帰省すると、大分、家の雰囲気が変わっていた。長年使っていた僕の部屋が物置きになっていたこと。また、僕の知らない間に犬を飼い始めていたこと。
僕は犬や猫の毛に含まれるハウスダストなどにアレルギー反応してしまう体質で、ペットを飼うことはNGだったのだ。
僕の居場所はこの家にないように思えた。今も両親は僕よりも吠える犬の方ばかり気にかけている。
しかし、祖母は違う反応を見せた。僕の姿を見て、泣いていたのだ。
あの涙は孫が帰ってきてくれたことへの嬉しい悲鳴だ。僕は驚きを隠せなかったが、同時にこうも思えるのだ。今まで得てこなかったことがこの瞬間にあったのではないかと。久しぶりにそう錯覚せざるを得ない心境に胸を打たれた。
そして、僕はこれまでの祖母に対する苦言を悔いた。願わくば、何か、何か祖母のためにできないかと思い始める。
僕は思い返す。まだ幼い時に乳母車で僕を押してくれたことを。そして、電車の踏切で立ち止まり、僕に優し気な素顔を見せたことを。そして、三月のこと。
実家に帰省した僕は祖母を連れて、近くの河川敷へ向かった。カメラを祖母に向ける僕。河川敷沿いには、大きな木に蕾が出ている。祖母の眼差しはあの頃と同じ輝きをしていた。
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