第七話 「TIME」
第七話 「TIME」
1
ある朝のこと。
女子高生の雪は下駄箱の中で妙なものを発見した。
それは一通の手紙だった。
手紙には宛先や差出人が書かれておらず、妙にラフに書かれてあった。
ただ、何を伝えたいのか文面では分からずじまい。手紙の後ろにはハートのシールが貼ってあったので、雪はそれに勘付いた。
「新種のいじめ?」
すると、少し間を置いてから、軽く冗談を言った。
帰りのHRが終わった放課後のこと。
雪は「ジュリエット倶楽部」へと歩を進めた。
ジュリエット倶楽部。それは恋に悩む少年少女たちの相談窓口のこと。
雪は初めてラブレターを受け取った。そして、想ってくれている相手のことを知りたかった。
しかし、実のところ、ジュリエット倶楽部は名ばかりの倶楽部で実質を伴っていなかった。
雪はそのことを概ね知っていたが、別にそこで解決策を見出すつもりはなかったし、なにより、親以外の意見が聞きたかった。
そして、ジュリエット倶楽部のメンバーらにそのことを相談すると、「これはラブレターならぬ、ラフレターね!」と返答された。
ジュリエット倶楽部のメンバーらに「行かない方がいい。これはイタズラだよ」とはっきり言われた。
しかし、考えた結果、手紙の文面に書かれてあった日時と場所に行くことにした。
その日は風が強く、上着をもう一枚羽織った方がいいほど外は寒かった。
陽が差し込んでくる太陽の陽だまりには普段、野良猫がたむろっているのに、この日に限って一匹も猫はいなかった。
指定された場所は学校近くの児童公園だった。待ち合わせ時間はジャスト二時。
公園の隅には青いベンチが三脚あり、その端のベンチに腰掛ける雪の姿があった。
ベンチに座った直後に雪は違和感を感じ取った。そして、どうにも落ち着かない様子をしていた。
それもそのはず、青いベンチは青いペンキが塗りたてのベンチであるからだ。
雪と同じく、すぐに違和感を察知した少年が端のベンチに座っていた。
その少年は雪と同じ高校に通う男子高校生の勇である。
すると、初老の老人が時計台の下で静かに立っていた。
初老の老人の肩には、見たこともないインコが違和感なく自然に乗っかっていた。
雪は声を掛けてくる者を時間が許す限り待っていた。
そして、その者が目の前に現れた暁には、衣服のクリーニング代を支払ってもらうことにしてもらおうと決めていた。
しかし、それは訪れることなく時間だけが過ぎていく。
雪は待つのに疲れ、憔悴した。
背もたれとお尻に青いペンキが付いたまま、公園を後にする雪。
乾いた青いペンキが今までの「青い苦さ」を感じさせるようであった。
2
休み明けの朝、またも雪の下駄箱に一枚の手紙が入っていた。
今度の手紙は脅迫文だった。脅迫文には雪が明日死ぬことを予言する内容が書かれてあった。
「これは……完璧にいじめだ」
帰りのHRが終わった放課後のこと。雪は部室棟にあるジュリエット倶楽部へと歩を進めた。
ジュリエット倶楽部のメンバーらからあの手紙の主は誰だったのかしつこく質問されたが、それに関して何も言わなかった。
いや、あの時の不甲斐なさを誰にも言いたくなかったからかもしれない。手紙の主に嫌味を感じつつあった。
雪は脅迫文をジュリエット倶楽部のメンバーらに渡した。ジュリエット倶楽部のメンバーらはそれを受け取ると、床で笑い転げた。
雪はそうなることを予感していたのか、大して反応はしなかった。
その翌日の朝、突如、地球の周りを回っているスペースデブリの塊の軌道が逸れた。
そして、地球に向かって落下するとの情報が流れた。
落下する場所は地球のどこかだという。きっと、大規模な災害になると思われる。
具体的な落下時刻は未だに分かっていない。
今日、落下するのかも知れないし、それは明日かもしれない。
その道のプロ、どんな天才をもってしてしても誰も分からなかった。
その日は世界中がパニックに陥った。
様々な落下地点の憶測が飛び交う中、通学途中の雪はパニックに陥った群集に囲まれて、運悪く将棋倒しに遭ってしまった。
スペースデブリの塊が落ちてくると思われる日。初老の老人はいつもと変わらない生活をしていた。
生活最低限以下の生活を強いられていたが、特に苦とは感じていなかった。
すると、初老の老人は近くの歩道橋のところで何かを待っていた。
そして、雪がパニックに陥った群集に囲まれて、将棋倒しに遭うところを目撃した。
その後、近くにある児童公園へ向かい、勇と対峙した。
「雪が死んだ」
「……えっ?」
「わしはこの目で将棋倒しに遭ったところを目撃した。おそらく、即死であろう……」
「そ、そんな……本当なのか?」
「ああ、わしは嘘は付かん」
「どうだ、勇、過去へ戻りたくないか?」
「じいさん、どういうことだ?」
「文字通り、過去へ戻るという意味だよ」
「は?」
全く意味が分からない顔をしている勇は初老の老人にどこかへ連れられた。
過去に戻るのは不可能だ。勇の反応は至って正しい。
初老の老人が案内した場所は人が住むには不自由で、一時的に雨宿りができる場所であった。
ただ、その場所が他の場所よりも異質にしていた。
何故ならば、パソコンのキーボードだけが不自然にも置いてあったからだ。無論、パソコンのマウスやデスクトップはない。
「なんだ、ここ?」
「まぁ、適当に座ってくれ。椅子はコンクリートブロックだけどな」
「じいさん、過去に戻るってどういうことだ?」
「勇」
「な、何で俺の名前を知っているんだ。それに雪の名前も」
「それはわしが未来から来た者だからだ」
初老の老人はそう言うと、肩に乗っていたインコがキーボードをいじり始めた。
勇はインコがキーボードをいじっている様子をしばし見つめていた。
「勇、驚かないのか?」
「驚いてはいるさ……でも、何が何だか分からないんだよ!」
「スペースデブリのことか。あれはデマだ。未来の地球は平穏そのものだよ。デマを流した犯人も知っている」
「そ、そうなのか?」
「それよりもわしには雪穂という妹がいたんだ」
「妹?」
「そうだな、雪に良く似ていたよ。雪と会った時はもう旅なんてどうでもいいと思ったくらいだ」
「あのさ、本題、本題忘れてないよね?」
「すまんすまん。つい逸れてしまった。勇よ、インコがキーを取った場所を強く押してみろ」
「それで過去に戻れるのか?」
「ああ」
「嘘じゃないよな」
「嘘ではない。わしは嘘は付かん」
未だに納得していない様子の勇は初老の老人の言った通りにすると、ラブレターを雪に宛てて書いた日へ戻った。つまり、過去へ戻ることに成功したのだ。
勇は今、起きていることにとても驚いたが、やるべきことを見つけると、ただ、そのことだけを念頭に置いた。
3
その翌日の朝のこと。
学校へ着いた勇は雪の下駄箱の中に一通の手紙を置いた。宛先と差出人と簡潔な文章を添えて。
HRが終わった放課後のこと。
雪はジュリエット倶楽部へ赴き、手紙の内容をジュリエット倶楽部のメンバーらに伝えた。
ジュリエット倶楽部のメンバーらは雪に「行った方がいい。これはまさしくラブレターだよ」と言われた。
雪もそのつもりであった。
風が収まった、休み明けの日の朝、雪は自分の下駄箱に妙なものを発見した。それはお礼の手紙だった。
手紙の内容はこうだった。「これで安心して旅が続けられる。雪穂、ありがとう」
スペースデブリは今も地球の周りを回っている。
4
これは遠い未来の話。
一人の少年が窓辺で外の景色を眺めていた。
真夜中になっても、少年はただひたすらに何かを窓辺で待っていた。
少年の名は勇太と呼ぶ。
勇太の傍らに寄り添っているのは妹の雪穂。
二人は幼い頃から宇宙や天体に興味を持っていた。そして、二人はある約束を交わした。
それはお金を貯めて、天体望遠鏡を買うことだった。
待ち焦がれた流星群が二人の目の前から姿を消すと、闇の中で一つの光源が不自然に点滅し始めた。
すると、光源は闇の中をジグザグに移動して、二人がいる部屋に向かっていった。
そして、再び光源を見た時には光源の姿はなく、深い闇が広がっていた。
「あれ、どこいったんだろう?」
勇太はそう言うと、目の前にいたのは見たこともない色や模様のインコだった。
体長は一メートルくらいある。いや、それ以上か。
そのインコは勇太の肩に乗っかったままでじっと動かない。
「キーボード! キーボード! キーボード!」
インコはそう鳴き叫んだ。
「うるさい!」
勇太はインコの鳴き声にたまらず怒り、インコの頭を思いっ切り叩いた。
「………」
「反省したか?」
「ううん」
「はい、キーボード」
雪穂は親切にもインコにパソコンのキーボードを渡すと、器用に足を使ってキーボードを掴んだ。
「ありがとう。君は優しいね」
「ゆ・き・ほ!」
「だって、インコさんが……」
「分かったよ、泣くなって」
インコはキーボードのキーをくちばしで取り外していた。
「あー! 何してるんだよ!」
「まぁいいから、取ったキーを押してみろ」
「えっ?」
「まぁいいから、取ったキーを押してみろ」
「二度も言うな!」
勇太はインコが取ったキーの場所を押してみた。すると、部屋には雪穂がいなかった。
すると、インコは勇太の肩の上でゲップをした。
「あれ、雪穂は? 雪穂ー!」
「飲んだ」
「えっ?」
「飲んだ」
「意味が分からないだけど」
「飲んだ」
「こ、この吐け! 馬鹿インコ!」
勇太はそう言いながら、インコの首を強く締め上げる。
「殺したら、雪穂は二度と戻らないぞ」
「くっ……」
「そうだな……胃袋を満たしてくれたら、雪穂を返してあげる」
「餌か、ちょっと待ってろ」
「餌はちょっと特殊でな」
「高級なペットフードって言いたいの?」
「ううん、俺の餌は『恋の成就』なんだよ」
「恋の成就?」
「ところで今は何時だと思う?」
「今は夜中の二時じゃ……」
勇太は部屋の時計を確認した。時計の針は二時ではなく、三時を示していた。
「ううん。夜中の三時だよ。どういうことか分かるかな?」
「いや、確かに二時だったはず」
「未来」
「未来?」
「ああ、未来だ。なんだったら過去へ戻ることもできるぞ」
「か、過去へ戻してくれ。雪穂がいた過去に」
「いいけど、また飲む」
「止めてやる」
「やってみる?」
インコはそう言うと、覚悟を決めた勇太はインコが取ったキーを押した。
そして、雪穂がいた過去へ戻った。しかし、何度も過去へ戻ったとしても、雪穂はインコに飲み込まれてしまった。
「ねっ、言ったでしょう」
「お前の腹を満たして吐かせればいいんだな」
「うーん、吐かせるとはまた違うけど」
「おい、インコ。その『恋』って何だ?」
「それは未来に行けば、分かるんじゃないかな?」
「連れてけよ」
「うん?」
「俺を未来に連れてけ!」
「その恰好で行くの?」
「不満か?」
「ううん。じゃあ行こうか未来へ」
その後、勇太は「恋のタイムトラベラー」となり、雪穂を取り戻す旅に出掛けた。
二人の部屋には天体望遠鏡が窓辺に静かに佇んでいた。しかし、未だ、その部屋に二人の姿はない。
次の瞬間には二人の姿があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
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