第二話 「チョコバットの神」
一本たった三十円のチョコバットは小学生の僕のお財布に経済的だった。
そのパッケージの裏側に「当たり」が書いてあると、さらにもう一本もらえるというのも良い。さらに、言わせてもらえれば、チョコバットの魅力は「大当たり」があるということ。当たると三本のチョコバットが無料で付いてくるというのだから驚きだ。
僕は周りのクラスメートたちよりもくじ運がめっぽう強かった。
だから、クラスメートたちは僕を「チョコバットの神」として崇める。崇め奉る。
クラスで気になる女の子にチョコバットをプレゼントしてあげると、喜んだ覚えがある。その時は自らの力を恐れ、くじ運のない者たちが不憫に思えた!
しかし! 母親や五つ上の姉にあげると、「いらない」との即答。
何故だ! 女の子は甘いものが好きだと相場が決まっているのに。
だって、だって、チョコバットは美味しいんだ!
中までチョコの味がしみ込んでいて、食感はしっとりとしてモチモチ。あれはたまらん。たまらんよ!
僕はその味にすっかり惚れ込み、チョコバット中毒者になった。
そして、僕の身体はもはやオール・チョコバット。
つまり、僕は人間ではない。血だってきっと、オール・チョコバット。
そんな僕が再び人間に生まれ変わった話をしようではないか。
それは僕が学校の帰りがけに寄る駄菓子屋さんに行き、奮発してチョコバットを三本買った日のことだ。
その日は気分もくじ運も絶好調で、「大当たり」を立て続けに取った。もう、僕の記録に追いつける者などいない。
僕が人間になったのはその帰り道のことだった。
道に迷ってしまった僕は気分が浮かれていたせいか、冷静な判断ができないほど変だった。辺りの道が暗くなり始めると、僕の方向音痴ぶりが発揮する。
周りは見知らぬお寺や墓地ばかり。薄気味悪い道はお化けが出そうで怖い。馴染みのある場所も一本違った道を抜けると、頭が混乱し、感覚を頼りに動いてしまう。そして、この時の僕はものすごく感覚重視の方向音痴で冒険者だった。
道に迷って約一時間。感覚重視の冒険によって、太もものふくらはぎがパンパンだった。早く家に帰りたい。そんな思いが沸々と湧いてきた。
スーパーマーケットに面してある裏通りを歩くと、後ろからクラクションが鳴り響く。
白線の内側を歩いていた僕を注意したわけではない。では、何故なのか?
その時は分からなかったけれど、スーパーマーケットの角を曲がった時だった。ふいに窓ガラスに映る僕の姿を見た。
後ろのポケットに差し込んだはずの数本のチョコバットが消えていたのに気づく。僕は恐る恐る、さっきの角を引き返した。
そこには無残にもトラックに轢かれたチョコバットがぺしゃんこになっていた。車道にはカラスたちが集まって、地面にあったチョコバットの中身を漁っていた。
その光景は僕に強い衝撃を与える。
それはもう…トラックの運転手とカラスに直に吐きたいほどであった。そして、家に帰るや否や僕はベッドですすり泣く。あれ以来、チョコバットを見ると、あの光景が目に浮かび僕は僕でなくなるのだ。
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