はじまり
数度教室があってるか確認した後、深呼吸して真新しい扉をゆっくり静かに開ける。知らない顔ぶれ、知らない制服ばかりだが気にとめることも無く、机に張られた番号と自身の受験票を照らし合わせながら歩く。窓際後ろの方、普段なら喜ぶ席だが、別のクラスで受験する幼馴染みを思うとドアから遠い席を恨む
「……すみません、そこ私の席なんで」
私の席の前まで広がって屯する女子生徒数人に声をかける。反省の色も無く吐き出された上っ面だけの声とともに避けてくれたものの、別のグループのところに行って、制服着てない、マジやばい、なんてこそこそひそひそうっとうしい。荷物を置いて開始の時間まで彩のところに避難しよう
「なっちゃん! 最終チェックしようよ!」
「そうだね」
幼馴染み、彩のいる隣のクラスへ行こうとしたら既に彼女は廊下にいた。彼女は周りが男子ばっかりで居づらかっただけだそうなので一安心。おなじく制服を着ていない彼女が周りから謗られたりはしていないようだ。
「なっちゃんは大丈夫だと思うけど……頑張ろうね」
「当然でしょ、まあ彩は特別頑張ってほしいけど」
教室に戻ると先ほどの陰口グループはもう私の話をしている場合じゃなくなったようで、滑り止めは受かってるし気楽にとか聞こえる。普通の学校を受験するならその心構えが普通なんだろうけどね。ここは普通じゃないし、気楽に構えていたらあっという間に置いて行かれるかもしれない。彩には大丈夫なんて思われているらしいがそんな保証も自信もないね
午前中に行われる国語、数学、理科、社会の基礎教養試験が一通り終わり、いったん昼休みに入る。即座に弁当を持って割り当てられた席から離れる。陰口と不満を隣にききながらの食事なんてごめんだ。黒板に貼られた午後からのスケジュールを頭にたたき込んで教室を後にする
「特別試験、どんなのかなあ、緊張するね」
「スケジュールにあったのは筆記45分と実技2時間予定、実技は終わった者から解散。だってさ」
筆記の内容も実技の内容も完全シークレットで臨機応変にこなせない奴は必要ないとでも言いたげだ。筆記の内容は多分能力、魔術の定義とかを聞かれたりするんじゃないか、とか実技は何を相手にするんだろうねとか、箸を進めながら彩と話す。なんとなく嫌な予感がしたから早めに会話を切り上げて、自分のクラスへと戻った
結局あの嫌な予感は杞憂だったのかもしれない。ストレスのかかる環境で一生の決まる試験やってたら、そりゃ不安にもなるだろうし。先ほどまで行っていた筆記試験の自信はあまりあるほどだ。想像していたよりも遙かに基礎の基礎を問われて案外拍子抜けした。これなら彩の方も心配はいらないだろう
「これより特殊グラウンドで実技試験を行う。受験番号を呼ばれたらついてくるように」
さて実践が始まる。私の番は早いほうだし今から武器の手入れをしておこう、と荷物の隣に立てかけてあった刀をとった。柄に滑らないよう、多すぎず少なすぎないように薬を取り、丁寧に丹精こめて塗っていく。滑り止めをしまい、刀身の手入れをしようと鞘から抜く
そこであの嫌な予感が的中していたことを悟る。刃にべったりと塗られた何か、触って大丈夫なものかもわからない、濡らしたり魔術を掛けて反応しないとも限らないそれを試験までにどうしたらいいのか
「迂闊だったな」
戦場において命ともいえる武器を置き去りにした私が馬鹿だった。受かる自信がないからこそ周りを蹴落とす手段に走る可能性を考慮できなかった私が確かに馬鹿だった。隣でくすくすしている糞アマども、犯人に違いないしぶっ潰したい、が証拠もないのにケンカを売れば立場が悪くなるのはこちらだ。激情をぶつけて不合格になるのだけはごめんだし
「受験番号155、佐々城優奈」
思考している間に名前が呼ばれる。どうしたものか。いやどうしたもこうしたもない、現状をどうにかすることができなかった以上、正直に話して猶予をもらえないか頼むしか道はない
「すみません、試験の順番を後回しにすることは可能でしょうか」
「原則不可だ。早く試験にむかえ」
取り付く島もないのか、くそったれ。もう試験開始と同時に魔術でどうにかできるのに賭けとくか。どんな試験かわかんないし、どうにもできないかもしれないけど⋯⋯。諦めて試験会場に向かうべく、試験官に追従すると、試験官がドアから出る直前にすみません、と男性の声がした
「不正行為と思わしき行動を目撃したのですが」
「⋯⋯佐々木優奈、いったん席に就け」
深い海のような髪の青年が、まっすぐ試験官を見つめて立っていた
席に就く際に隣の女を睨むように見ると真っ青な顔をして震えている。どうも不正行為をした自覚があるらしいね。さらにその奥に座っている女は顔色が悪いものの、反論の余地を信じているのか強気な目をしていた
「受験番号167、吉田律己で間違いないな?」
「はい。注意事項にある『試験を意図的に妨げる者は受験資格を剥奪する』の項から発言いたしました」
面倒くさくて……
じゃなくて、当たり前のことしか書いてないだろうと思って見てなかったけどそんなの書いてあったんだ。ジッと彼の言葉を待っていると、突然眼鏡越しに輝く瑠璃色と目が合った。陶磁器のように白く美しい指先をピンとそろえて、試験官にこちらを示す
「あの人の武器に複数人の女子で何か塗っているのを、このクラスにいた人はみんな見ていたと思います」
「佐々城、武器を見せてみろ」
立ち上がり持っていた刀を鞘から出し、刃先に気をつけながら手渡す。ベッタリと塗りたくられた何かは、誰が見ても明らかに妨害目的だった。厳ついおっさん教師が顔を顰めるほどに隣の女はすくみ上がっていく。奥の女は別の女のグループとアイコンタクトをとって余裕綽々といった感じ
「そんな縮こまるくらいならやらなきゃいいじゃない」
自分がやりましたと態度で示す彼女に冷たく言い放つと、しないといじめられるんだと泣き叫ばれた
いじめに怯える彼女をみた青年は、自分の見たものを相手に見せる魔術もあるんですよ、と咎める言葉をはなつ。すると余裕そうだった女どもがマズイと顔を歪め始める。なるほど、いじめられてた奴に実行させて全責任を押しつける予定だったのか
加害者のくせに被害者面しないでほしいな。そんな意味を込めた大きい溜息を吐くとキッと睨まれる。さっきまでしおらしく縮こまってたのに、絶望的な状況で睨み付けられるぐらいなら最初からもっと反抗しとけば良かったんじゃないの?
「なんて脅されてようといじめの被害者だろうと、私の試験を妨害した加害者に変わりはないでしょ。被害者面すんならいじめの実行犯に向けてしなよ」
勘弁してよ、面倒くさいったらありゃしない、と勢い余って口から零れだしてしまった。零れたついでにおっさん教師に刀の手入れをする時間をくれないかと再三頼んでみた。目を見開いていた教師は頷きながらも訝しげに私に問う
なぜ最初に頼んだときにこの刀を見せなかったのかと
「言ったところで私には証拠がありませんし」
「周りが知っている可能性は考えなかったのか?」
「誰かが助けてくれるなんて端から信じちゃいないので」
刀を手入れするために武器庫へと案内されることになった。武器の手入れが終わり次第、試験に挑めるらしい。あんなことに巻き込まれたなんて言おうものなら、彩が報復だなんだと言い出しかねないから黙っておこう。もしバレても、どんな子かなんて記憶にないんだけどね、どうでも良いし
でも、教室を去るときに見た、青年の呆然とした顔が記憶に残ってるのはなぜだろう。そもそもなぜ彼は呆然としていたのか。自分には利益のない、完全なる人助けを達成したにもかかわらず、なぜか彼は喜びもしなかった。彼とまた会えたら聞いてみようか、なんて明日には忘れるだろうアイディアをしまい込んで武器庫のドアを開く
武器庫に待機していた先生に頼んで刀と鞘についていた薬を取ってもらい、自分でも手入れした後、特殊グラウンドへと足を運んだ。何体かの魔物が一体ずつ放たれるから、それをいかに速く、無駄なく狩れるかというテストだった。初めて見る魔物もいたがおそらく物理耐性があるやつ、能力耐性があるやつ、魔術耐性があるやつ、治癒術を使う奴の順番で出てきたと思う
特性を見極めて、なるべく一撃で刈りとるのを心がけたら試験官3人に驚かれた。帰り際にその試験官の1人から、今のところ一撃でこなせた人はいないから自信もって良いよという言葉をいただいた。軽く言葉を交わして、帰路につく
「遅かったね」
既に帰路に立っていた彩は、鼻と指先を赤く染めていた。北区は3月になっても酷く寒さが残っているらしい。家に帰ったら温かいココアでも作ろうか、彩の好きなシフォンケーキも焼こう
前の人が手間取ってたらしいよ、とごまかして治癒術士の試験はどんな感じだったの、と話を変えた。斬傷を治す、毒抜きをする、痺れを取る、荒れている魔物を落ち着かせる、の4つを順番にやったそうだ。他の人は落ち着かせるのに戸惑っていたらしい、まあ普通使わないからね
「落ち着かせるのが一番速かったから苦笑いされたんだよね……」
「その分ポイント高いよ、良かったね」
そうだと良いなあと呟く彼女に習って空を仰ぐ。重苦しい雲からしんしんと降ってくる白が、青空の下桜が降るようになる頃、また2人でここに来られることを願って学校を後にした
「なっちゃん、起きてよ! 早く行こう!!」
寒いから起きたくないんだが。しかもいま春休みじゃん、どこ行くんだよ……。いったん布団を蹴り、ブランケットを肩に掛けて起き上がる。とりあえずあったかい緑茶入れて彩のとこいこうか。もこもこのルームシューズを履きキッチンへのろのろと向かう
「どこ行くのさ、こんな寒いのに」
「……今日、3月12日なんだけど」
キッチンから外出準備をする彩に声を掛ける。12日、なんかあったっけか、とぼーっとしながら2人分の緑茶を運びこたつに潜り込むと、外行きの服に着替えた彼女が合格発表でしょ!!と叫んだ。朝から元気だねというと、もう10時だけど!?という。10時でも朝だよ
「合格発表なんて行かなくても書類届くじゃん」
「早く知りたいんだもん」
行かない方が良いだろうなと思う、けど言っても納得しないのは長年の付き合いでわかってる。行ってらっしゃいって1人で送り出してもいいが、その後彼女は何を考えるかわかったもんじゃない。説得できるのが理想だが、現実的に考えると
「……ちょっとまってて」
私はなんだかんだ幼馴染に甘いような気もする
再度訪れた校舎の前には、発表を今か今かと待つ群衆、その手前には長蛇の列。さすが前代未聞の倍率を誇る超難関校だなと呟いた。発表まであと5分、人だかりは大きくなる一方だった
隣では怯え震える小動物と化した彩がいた。おおかたこんなに人がいる中で自分が選ばれるのかという不安だろう。そして私はこの震えを止める呪文を知っている
「彩はさ、私が受かると思う?」
「え? う、うん、そりゃ頭良いし特訓も頑張ってたし」
「その頭良い私に勉強教わって、特訓の間中ずっと私を治療してた彩が、受かんないと思う?」
この幼馴染はどうしてか自己評価は低いくせに、私へは過大評価甚だしい
ちょっと抜けてることがあるから馬鹿にされることもあったが、地頭は良いし雑学が富んでいる。運動が苦手とは言うが平均から大きく下回ることはない。太っていると思い込んでいるが、多少ふくよかでむしろ女性らしいし、なにより重いと感じる一番の原因は胸が規格外だからだと思う。私の黒髪ストレートを見てうらやましいって言うけど、栗色ゆるふわパーマに加えて大きな桃色の垂れ目をしてる彼女に勝てる人はいないと信じざるおえない
少女漫画のヒロインにありそうな完璧幼馴染だと思うんだけどね
気づいたら口から出ていた幼馴染自慢が終わる頃には、合格者が張り出されていたようで、前方の方が騒がしい。落胆し絶望する悲鳴が、わずかな喜びの雄叫びをかき消している、壮絶な空間へと飛び込もう。なぜか真っ赤になっている彩をお姫様のように丁重に抱えると、慣れたようにぎゅっと身を寄せられる
「“飛翔”」
彩のスカートが捲れないように抱える手の力を強めた。地面を駆けるように空を翔る。こんなに人がいるのに空中から掲示板を見る人は誰1人おらず、簡単に掲示板までたどり着いた。その分注目もされているようだが
「ついたよ、番号探そう」
私は能力者枠の155番、彩は治癒術士枠の73番。お互いがお互いのを探す。相手が受かっているのは疑う余地もないから。合格を先に見つけたのは私だった。その言葉を受け、何度も確認する彼女にちゃんとあるよ、と言いながら自分のも見つける。155を見つけた瞬間、ふっと肩の力が抜けた。思ったよりずっと緊張してた
満足そうな顔を確認したら、来た道を引き返す。私たちを見て空から見れば良いと気づいた人たちを避けていく。人を見なきゃ飛ぶという選択肢もでないなら結果は知れてるけど、ああ案の定悲壮な声が飛ぶ
列から離れた人が公衆電話に向かうのが見える、あちらはあちらで長蛇の列だ。誰に連絡するべきなんだろうこういう時。親? 学校? 学習塾? 訓練所? 幼馴染の視界に入れないよう飛んだが無駄だった。あの長蛇の列を視界に入れずに飛ぶのは机上の空論も良いところか。声を掛けようと口を開くより早く彩が意外にも明るく言った
「帰ろう、なっちゃん」
「……そうだね」
速度を上げて学校近くのマンションへ戻る。405の文字の前に降りたって、鍵を開ける。互いが互いにおかえりとただいまを。待つ人のいない部屋に入り、チョコとアーモンドのパウンドケーキと紅茶の準備をする。後ろに立つ気配を感じて振り返る。逆光で薄く陰って見えにくいが、悲しそうに歪んだ笑顔をしていた。私はそれが見えなかったふりをした