親と子と天下人
天正19(1991)年某月某日――京の都。
一代で関白にまでのし上がった、天下人・豊臣秀吉。
その秀吉の甥である豊臣秀次の屋敷に、一人の男が招かれていた。
かつて、織田信長に寵愛を受けた織田の旧臣、蒲生氏郷である。
現在は豊臣政権の重鎮として奥羽平定後に発生した、葛西、大崎の旧臣による決起――いわゆる葛西大崎一揆を秀次と共に鎮圧したばかりだった。
「まずは、葛西大崎一揆の鎮圧、大義であった」
「はっ……」
氏郷はそう言って頭を下げるが、心から忠誠を誓っているようには見えない。
だが、それこそが秀次の欲していたものだった。
「氏郷、一つよいか?」
「なんでしょうか?」
「訪ねたい事がある」
「ならば、他にも聞くべき相手がいくらでもいるでしょう。秀次様は関白殿下から優秀な家臣を多く与えられているのですから」
「だからこそだ。儂が殿下の甥とあって、殿下からつけられた家臣共ではどうしても遠慮がちな事しか言わん。だが、お主は儂や殿下に対してよい感情を抱いておらんであろう」
「そのような事は」
「遠慮はいらん」
「そうですか。 ……ならば遠慮なく言わせてもらうが、殿下の天下は長くは続かんな」
氏郷の言葉づかいが崩れる。
もとより、この男は秀次を、そして秀吉に好感情を抱いていない。元々、彼は信長にその才を見出されて信長に仕えた。
だが、本能寺の変で信長が横死してしまった。
時勢を読んで、秀吉に仕えたものの彼の忠誠の対象はあくまで信長だった。
「その根拠は?」
無礼ともとれる氏郷の発言ではあったが、秀次は気にする事なくたずねる。
「殿下に不安を抱いているからよ。どの大名も」
「殿下に? なぜじゃ?」
「儂もそのうちの一人じゃ」
「しかし、殿下のおかげでそなたは100万石近い大大名になれたではないか」
この葛西大崎一揆が平定された後、一連の騒動の黒幕と疑われて本貫の地を没収された伊達政宗の旧領なども含めて氏郷の石高はおよそ92万石にまでなった。
豊臣一門を除くと、これよりも上に来るのは徳川家康や毛利輝元ぐらいであり、別格といってもいい扱いだった。
「確かにな。その点に関して不満はない」
「ではなぜじゃ?」
「勘違いするな。儂らが抱いているのは不満ではない、不安じゃ」
「不安? どういう事じゃ?」
怪訝そうに訊ねる秀次に、氏郷は答える。
「殿下はな、確かに気前が良い。力量を評価し、それに見合った恩賞を与える」
「ならば問題はないではないか」
「人の話は最後まで聞け」
ちっ、と軽く舌打ちするような音が聞こえる。
「だが、その子に関しては別じゃ。その子に力量がないと判断すれば容赦なく親の代に与えたものを容赦なく奪い取る」
「そのような事は……」
秀次は反論しようとしたが、氏郷にぎろりと睨まれる。
「丹羽殿の事を忘れたか?」
氏郷が言うのは、加賀の丹羽長重、そしてその父でありかつて織田家五大老といわれた丹羽長秀の事だった。
賤ヶ岳の戦いが終わった後、畿内から反秀吉勢力を一掃し、かつての織田五大老の生き残りで秀吉が気を使わなければいけない人物は彼のみとなっていた。
また、秀吉が羽柴姓を名乗っていた際は羽柴の「羽」の字は彼から賜ったものでもある。
そういった意味で、別格の存在でもあったのだ。
ために、秀吉は長秀に越前・若狭・加賀の三ヶ国を与えておりその石高はおよそ120万石にまで達していた。
当時の秀吉は長秀をそれだけ認めていたのだ。
だが、あくまでそれは「丹羽家」ではなく「丹羽長秀」にすぎなかった。
彼の子である長重に器量なしと判断した秀吉は、当時敵対していた越中の佐々成政との内通や九州征伐での家臣の不始末を理由に越前や若狭を取り上げられ、一時は4万石にまで領土を削られてしまった。
しかもこの際に、丹羽家家臣だった長束正家の才に目をつけて引き抜いている。
さすがにやりすぎたと秀吉も思ったのか、小田原の陣での功績を認め、12万石ほどに石高は戻ったものの全盛期の10分の1に過ぎない。
「殿下はな、一代で成り上がった為か親子の情を理解しておらん」
秀吉が幼少期の事を語る事はほとんどない。
父に関してもだ。
また、子供も生まれていない。長浜城主時代に長男を授かったともいわれるが、真偽は不明だ。少なくとも、この時点では存命していない。
「親はな。どんな不出来な子であっても、遺したいのよ。自身の築いた領地を。そして地位や名声を」
だが、と氏郷は言葉を続ける。
「今後ももしかしたら、同じ例が出てくるやもしれん。だからこそどこも不安なのよ。家臣が一枚岩でなく、しかも一代で成り上がったような家などはまず対象になるであろうな」
「それは……」
間違いなく、目の前にいるこの男も当てはまる。
「お主もそうだというのか?」
「そうなるであろうな。安泰といえるのは殿下と昵懇の仲の前田殿と、自身の子を殿下の養子にまでした徳川殿、それに宇喜多殿くらいだろう」
「しかし、今はそうではないだろう」
秀次は反論する。
それは、秀吉のためか。それとも、自分の中に膨れ上がる不安を打ち払うためか。今の秀次には分からなかった。
「今、殿下はようやく子を授かっている。自分にも子ができたのだから――」
今の秀吉は、待望の一粒種・鶴松を授かっていた。
自他ともに、天下の後継者とされる存在をようやく手に入れていたのだ。
「むしろひどくなるだろうな」
氏郷はばっさりと切り捨てた。
「自分がこれまでにした事を考えれば、他の大名も同じように――と考えるだろうな。何せ、幼君を神輿にしての主家乗っ取りなどどこかで聞いたような話ではないか」
「……」
秀次は押し黙る。
秀吉は、信長の嫡孫である三法師(織田秀信)を傀儡として事実上の主家乗っ取りをやっているのだ。
他家も同じように、などと考えても不思議はない。
「そうなれば、真っ先に粛清対象になるのは誰であろうかのう」
くく、と氏郷は小さく笑う。
だが、秀次は笑えなかった。
そうなれば、粛清対象には自分も含まれる。豊臣一門であり、右大臣という高位にあり、石高も抜きん出ている。年齢的にも若く、十分な脅威になりえる。
「いっそのこと――おっと、この先はさすがにまずいか」
現在、秀吉の子である鶴松は病床に臥せっていた。
暗に彼がこのまま亡くなった方がよいのでは、と氏郷は言っているのだ。
秀次はそれを察しながらも、答えが出てこなかった。
長い沈黙が流れる。
やがて、これで会話は終わったと考えたのか氏郷が立ち上がった。
「邪魔をしたな」
「……」
一度は呼び止めようとしたが、言葉にはならなかった。
それを、退室の許可だと考えたのか氏郷は部屋を辞した。
(叔父上、いや殿下がまさかそんな――)
氏郷が去った後も、秀次はなかなか不安が消せずにいた。
だが、不幸にもその嫌な予感は的中することになる。
この年に鶴松は死去したが、その後、拾(秀頼)が誕生する。それ以降、秀吉と秀次の関係は複雑なものへと変わっていった。
蒲生氏郷は、この4年後に急死した。
彼の死後、この時の言葉を予見するかのように秀吉は氏郷の子・秀行に大国の主としての器量なしとして90万石の大削減を命じる。
秀次や家康の取り成しによって12万石は安堵されたものの、蒲生家は大国の地位を失い、単なる一大名に格下げされた。
その数か月後に、秀次も謀反の疑い――いわゆる秀次事件によって切腹に追いやられた。