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悪役令嬢は賢者になる―裁きの審判―

掲載日:2026/05/02

※転載、翻訳禁止です。


 目を開けた瞬間、世界が変わっていた。


 ルーフェミヤ・ルドヴァルが自分が異なる存在として生まれたことを悟ったのは、生後三ヶ月のことだった。天井を見上げながら、彼女はかつての記憶をゆっくりと整理していた。前世では平凡な会社員として生き、過労で倒れ、気づけばこの世界に転生していたのだ。


 そして、この世界には見覚えがあった。


 前世でプレイしたことがある乙女ゲーム「星降る恋歌」の世界だった。悪役令嬢ルーフェミヤ・ルドヴァルとして、彼女は転生したのだった。


 ゲームの設定を思い返せば、この世界の結末は決まっていた。ルーフェミヤ・ルドヴァルはゲームヒロインであるバネッサ・ミゼガネーバ伯爵令嬢を虐め、王太子ズクドバ・グルドヴァルの婚約者という立場を傘に着て横暴に振る舞う。やがて王宮のパーティで断罪され、国外追放される。そういう運命だった。


 ――断罪回避を目指しても強制力があるかもしれない。なんとかしなければ。


 もしも断罪が避けられない事態になっても、一人でも生きていけるだけの力をつけよう。


 ある程度の年齢になった時から、ルーフェミヤの密かな修行が始まった。






 ルドヴァル侯爵家の令嬢として、ルーフェミヤには一定の自由が与えられていた。広大な屋敷の庭の奥、誰も近づかない古い図書室に彼女は通い続けた。


 この世界には魔法が存在した。しかも、ゲームでは描写されなかった深い体系を持つ本物の魔法があった。


 ルーフェミヤが最初に手をつけたのは、古代語の習得だった。図書室の奥深く、埃をかぶった棚の最下段に眠っていた古代語辞書を発見したのは、彼女が七歳のときのことだ。家庭教師には秘密で、夜中にろうそくの灯りのもと、古代語の文法を独学で学んでいった。


 古代語を学ぶ理由は明確だった。魔法の根源は古代語にある。現代の魔法使いたちが扱う魔法は、古代語で書かれた呪文を現代語に翻訳して簡略化したものに過ぎない。原典に当たれば、より純粋で、より強力な魔法が扱えるはずだった。


「ルーフェミヤ様、またこんな夜中に……」


 侍女のサラがそっと声をかけてきたのは、ルーフェミヤが八歳のある夜のことだった。サラは侍女の中で最も若く、まだ十五歳だった。茶色の髪を二つ結びにした素朴な少女だが、その目は聡明で、口が堅かった。


「サラ、秘密にしておいてくれる?」


「……ルーフェミヤ様が何かを必死に学んでおられるのはわかります。でも、何のためにそんなに頑張っておられるのですか?」


 ルーフェミヤは少し考えてから、正直に答えた。


「一人でも生きて行けるように強くなりたいのよ」


 サラはしばらく黙ってから、ろうそくを交換した。


「わかりました。私が見張りをしましょう。誰かが来たら知らせます」


 それからというもの、サラはルーフェミヤの夜の勉強の番人となった。彼女の存在は、孤独な修行の中で唯一の温もりだった。


 ルーフェミヤが十歳になる頃には、古代語をほぼ完全に読み解けるようになっていた。同時に、魔法の素養に関しても並外れたものがあることがわかってきた。普通の貴族令嬢が習う初歩的な魔法を軽々とこなし、それ以上の高等魔法も独学で習得していった。


 そして十二歳のとき、ルーフェミヤはある古い書物を図書室の秘密の棚から発見した。


 それは「賢者の道」と題された写本だった。


 古代語で書かれたその書物には、大陸の歴史において最高位の魔法使いとして認められる「賢者」の条件が記されていた。


 賢者とは、単なる魔法使いではない。女神サミナリーゼの加護を受けた者であり、腐敗した世界を清める使命を帯びた者だ。現在、大陸には十一人の賢者がいるとされ、それぞれが賢者名を持ち、どの国の権力にも縛られることなく活動しているという。


 そして賢者には、古代魔法「裁きの審判」というものが使える。これは、罪人が裁きを受ける魔法である。


 過去に、腐敗した国がその「裁きの審判」によって、国中の罪人達を裁き、国が浄化されたとあった。これは、民の間でも語られている伝説だ。


 賢者の条件は三つ。


 一、古代魔法を習得していること。

 

 二、女神サミナリーゼから加護を受けとるもの。


 三、賢者の証、すなわち「賢者の刻印」が体に現れること。


 ルーフェミヤはその書物を何度も読み返していた。


 そして、ある日の朝、体中に不思議な光を浴びている感覚を感じた。ふと目を覚ますと、特に熱く感じた左手の甲に小さな金色の星形の刻印が浮かんでいた。


「……サラ」


「はい、ルーフェミヤ様」


「これを見て」


 サラは手を覗き込み、息を呑んだ。彼女は賢者の刻印について知識を持っていた。民にも語り継がれる伝説だったからだ。子供には「悪いことをすると賢者様に裁かれてしまうよ」と言われるほどだ。


「まさか……賢者の証……」


「そうみたい。でも、誰にも言わないで」


「もちろんです。絶対に」


 その夜、ルーフェミヤは一人で図書室に籠もり、目を閉じた。心の中で女神サミナリーゼに呼びかけると、温かな光が胸に広がり、美しい声が響いた。


 ――ルーフェミヤ。そなたは賢者の資格を得ておる。賢者になりたくば、その道を行くがよい。


 ルーフェミヤは静かに頷いた。長い道のりがようやく一歩進んだのだという感覚があった。


 こうして、ルーフェミヤ・ルドヴァルは秘密裏に大陸十二人目の賢者となった。賢者名「ルーフェ」として。


 王立学園に入学したルーフェミヤは、早い段階から策を練り始めた。断罪を回避しようと試み、婚約者となったズクドバ王太子との関係をよくしようとし、バネッサとの不必要な接触を避けた。だが、その努力は実らなかった。


 強制力なのかシナリオとは、思った以上に頑固なものだった。避けようとすればするほど、不思議と状況は悪い方向へと向かっていった。バネッサはルーフェミヤと意図せず接触し、ズクドバはバネッサに夢中になり、ルーフェミヤへの風当たりは年を経るごとに強くなっていった。


 ルーフェミヤは嫌な予感がした。


 そしてゲームには、そういう描写はなかったのだが、王太子妃教育を受けている内に、この国は腐敗していることに気が付いた。賢者の力を使い、いろいろな情報を基に調べると何度も冤罪と思われるものがあった。貴族の賄賂も横行していた。それは目に余るものだった。

 

 十七歳の秋、ルーフェミヤの予感は現実となった。


 王宮の大広間で行われる秋のパーティに出席するよう命じられたとき、ルーフェミヤは静かに覚悟を決めた。サラに最も良い夜会服を準備させながら、彼女は丁寧に旅立ちの支度も済ませていた。屋敷を出ることを前提とした、最低限の荷物を纏めた。


 パーティ当日、王宮の大広間は煌々と輝いていた。シャンデリアの灯りが貴族たちの宝石を照らし、音楽が優雅に流れ、笑い声と話し声が混じり合っていた。


 ルーフェミヤはその中で一人、静かに佇んでいた。深紅のドレスを纏い、黒髪を丁寧に結い上げた彼女は、どこか近寄りがたい気品を漂わせていた。社交の場では愛想よく振る舞うことを心がけていたが、この日ばかりは笑顔が続かなかった。


 そして、パーティの中盤、音楽が止まった。


 ズクドバ・グルドヴァル王太子が壇上に立った。金髪に青い瞳、長身で整った顔立ちを持つ彼は、この国でも随一の美青年として名高かった。しかしその目には、ルーフェミヤへの侮蔑の色が隠れていた。


「皆に聞いてもらいたい」


 王太子の声が広間に響いた。貴族たちがざわめき、視線が集まった。


「婚約者であるルドヴァル侯爵令嬢ルーフェミヤについて、重大な事実が明らかになった。彼女はバネッサ・ミゼガネーバ伯爵令嬢に対し、長年にわたって嫌がらせと妨害を行っていた。そして暗殺未遂まで犯した。証人もいる。また、彼女の行動は王家の品位を著しく傷つけるものであった」


 バネッサが進み出た。薄桃色のドレスを着た小柄な少女で、その目に涙を溜めながら王太子の隣に立った。


「ルーフェミヤ様には、ずっと怖い思いをさせられていました……」


 その声は震えていたが、ルーフェミヤには演技だとわかった。バネッサの目の奥は、少しも泣いていなかった。


 用意された「証人」たちが次々と前に出て、ルーフェミヤの悪行を語り始めた。その内容は捏造であり、一部は過大に歪曲されたものだった。しかし、広間の貴族たちは信じたいものを信じる。ルーフェミヤへの視線はみるみるうちに冷たいものへと変わっていった。


「ルーフェミヤ・ルドヴァル、婚約を破棄し、お前のような罪人は国外追放を命じる」


 ズクドバの声は冷淡だった。そこには一切の迷いがなかった。


 広間がどよめいた。ルーフェミヤは静かに一歩前に出た。


 父と母の顔を見た。侯爵夫妻は困惑した様子で目を逸らした。声一つ上げる気配がなかった。娘が政治の道具であることは知っていた。しかし、それがここまではっきりと突きつけられると、やはり胸に刺さるものがあった。


 ――やっぱり、そうよね。


 ルーフェミヤは静かに瞳を閉じ、そして開いた。


「……承知しました」


 その声は落ち着いていた。震えも、怒りも、涙も、なかった。


「ただ、申し上げたいことがあります」


 ズクドバが不審そうに眉を寄せたが、頷いた。


「本日をもって、私はルドヴァルの名を捨てます」


 広間がざわめいた。名を捨てるということは、家との縁を完全に切ることを意味した。


「そして、改め名乗らせていただきます」


 ルーフェミヤは手から白い手袋を脱ぎ、両手を広げた。左手の甲に、金色の賢者の刻印が浮かび上がった。広間の空気が変わった。語り継がれる伝説である、その刻印を知る者は目を見開いた。


「賢者ルーフェと、申します」


 静寂が落ちた。完全な、圧倒的な静寂が。


 国王が立ち上がった。王妃が息を呑んだ。ズクドバでさえ、言葉を失って固まっていた。彼らは知っていた。賢者とは何か。その刻印が何を意味するのか。


「そ……れは……」誰かが呟いた。


「それでは」 ルーフェは柔らかく微笑んだ。その笑みは、これまで誰にも見せたことのない、本当の意味で解放された者の笑みだった。


「この国は、腐敗しております。その為、裁きの審判を受けて頂きます」


 ルーフェは、古代魔法を展開した。






 ルーフェが両手を天へ掲げた瞬間、大広間の空気が震えた。


 何かの力が働き、誰も動くことができなかった。


 古代語の呪文が、低く、しかし明瞭に彼女の唇から紡がれた。それは現代語とは全く異なる、原初の言語の響きを持っていた。柔らかく、しかし絶対的な力を感じさせる言葉たちが、幾重にも重なって広間に満ちていった。


 天井を突き破るように、光が広間の上空に現れた。金と白が混じった光は渦を巻き、次第に国中へと広がっていった。それはこの国の空全体を覆う巨大な光の幕となり、そこに映像が浮かび上がった。


 王都だけでなく、地方の村でも、農村でも、海沿いの港でも、人々は空を見上げた。そしてそこに映し出されるものに、声を失った。


 映像は、ズクドバ・グルドヴァル王太子とバネッサ・ミゼガネーバ伯爵令嬢の密会から始まった。それは今から一年前の映像だった。二人は夜の庭園で密かに会い、ルーフェミヤを陥れる計画を話し合っていた。


「ルーフェミヤを断罪させれば、私が貴方の婚約者になれるわ」とバネッサが囁いた。 「ああ、上手くやれ。証人は私が用意する」とズクドバが応えた。


 続いて映し出されたのは、偽証人たちが金品と引き換えに証言を引き受ける場面だった。バネッサがルーフェミヤの侍女に嘘の情報を流し込む場面。ズクドバが父王に対して計略を報告する場面――そして国王が「知っていた」と言う場面。


 さらに――過去、現在と冤罪で裁かれたもの達を陥れた者達の真実も映し出されていった。数々の罪人が、その映像に映し出された。


 広間の中で、次々と悲鳴が上がった。


 天の声が響いた。それは女神サミナリーゼの声だった。人間のいかなる声とも異なる、深く、包み込むような声が大地から天まで届いた。


「これより、裁きの審判を執り行う。この国の民よ、汝らの行いを、神は見ている」


 罪人たちに、その裁きの印とされるものが体中に浮かび上がった。


 裁きの印の色は、それぞれ異なっていた。


 黒の印は、罪なき者を殺したり、自殺に追い込んだもの達に浮かび上がる。体中が蝕まれながら死にいたる。


 赤の印は、欲望の為に他者を陥れたものたちに浮かび上がる。体中に激痛が走る。罪を認め、陥れたもの達の冤罪を自らはらし、更生したならば印は消える。


 橙の印は、不正した者や罪と知っていて協力したもの達に浮かび上がる。定期的に激痛が走る。罪を認め更生したならば印は消える。


 青の印は、罪と知らずに罪人に協力したものたちに浮かび上がる。罪を認め更生したならば印は消える。


「赤の印は、陥れた者達の冤罪を自らをはらし、更生したならば印は消える。橙の印は、罪を認め更生したならば印は消える。

青の印は、罪を自覚し更生したならば印は消える。その印があるうちは、青の印以外は、体にそうとうの痛みを受けるだろう。黒の印は、助ける余地もない。死をもって償え」


 ズクドバ・グルドヴァル王太子の右手の甲に、黒の刻印が浮かんだ。それが広がっていく。その瞬間、彼は膝をついて叫び声を上げた。体中に見えない力が走り、体に激痛が走り、彼の全身を苛んでいく。


「やめろっ……やめてくれーーーーー!!」


 バネッサの首筋には赤の刻印が浮かんだ。そして広がっていく。彼女は倒れこみ、激しい苦しみに顔を歪めた。彼女が体験したことのない痛みが、彼女自身の体に刻まれていた。


 偽証人たちには橙の刻印が浮かんだ。そして広がっていく。金に目がくらんで嘘をついた者たちは、鋭い痛みに悩まされることになった。


 国王と王妃には黒の刻印が浮かんだ。計画を知りながら黙認したり、他にも罪なき者の死に関わったようだ。二人はそのまま、倒れこみ、激しい苦しみが襲いかかった。


 王族の中で、ただ一人――王弟ザルバドス・グルドヴァルにだけ、刻印は浮かなかった。彼は広間の端で蒼白な顔をして立っており、この惨状をただ見つめていた。


 国中に映し出された映像で、誰が何をしたのかが白日のもとに晒されていった。


 広間はもはや混乱の極みにあった。刻印の苦しみに悶える者、恐怖で泣きくずれる者、怒りで叫ぶ者、ただ呆然と立ち尽くす者。


 その中心で、賢者ルーフェだけが静かに立っていた。


 全ての刻印が浮かび終わったのを確認すると、彼女は一度だけ広間全体を見渡した。


「それでは皆様、さようなら」


 柔らかな、しかし明確な別れの言葉を残し、ルーフェは光の粒子となって消えた。テレポートの魔法が彼女の姿を空間ごと移動させ、次の瞬間、彼女は王都の外れの丘の上に立っていた。


 丘の上では、サラが荷物を持って待っていた。


「ルーフェミヤ様……いいえ、賢者ルーフェ様」


 サラは頭を下げた。その目には涙が光っていたが、笑顔でもあった。


「よく待っていてくれたわ、サラ」


「私はルーフェ様についていきます。どこまでも」


 ルーフェは少し考えてから、頷いた。


「……ありがとう。でも、行く当てのない旅は危険なこともある。それでも?」


「それでも」とサラは微笑んだ。


 二人は夜の星空の下、王都を後にした。






 翌朝、グルドヴァル王国は前夜の出来事に打ちのめされていた。


 空に映し出された映像は、国中の人々が目撃していた。村の長老も、農夫も、商人も、貴族も、全員が同じものを見た。王族や貴族たちの謀略や不正。そして賢者ルーフェの裁きの審判。


 王宮内は混乱どころではなかった。国王は黒の刻印の苦しみに顔色を変えながら、それでも威厳を保とうとしていたが、臣下たちの視線は冷たかった。ズクドバは黒の刻印の苦しみで床に伏したまま動けなかった。バネッサは部屋に閉じこもり、食事も取れないでいた。


 貴族たちは二手に分かれた。王家を見捨てるべきではないと主張する保守派と、腐敗した王家に従うことはできないと訴える改革派が真っ向から対立した。


 そんな中、一人の男が静かに行動を起こしていた。


 王弟ザルバドス・グルドヴァル。三十二歳の彼は、王太子とは異なり地味な存在だった。権力に興味がないと言われ、王宮よりも地方の視察を好む実直な人物として知られていた。刻印が浮かなかったことは、多くの者が気づいていた。


 ザルバドスは夜明けとともに、信頼のおける近衛兵と官僚たちを自室に集めた。


「昨夜のことは、皆も見た通りだ」


 低く、落ち着いた声だった。集まった者たちは全員、ザルバドスへの信頼から集まった者たちだった。


「この国を変えなければならない。裁きの審判は、そのための契機だ。腐敗した権力を刷新することは、今やこの国の義務だと思っている」


 誰も反論しなかった。


「国王夫妻と王太子は、動ける状態ではない。もはや、いつ亡くなってもおかしくない。」


「国王は、なんとか言葉を出し、自らの罪を認め退位することに同意した。次の王として、私が暫定的に政務を担う」


 こうして、グルドヴァル王国は静かに、しかし確実に変わり始めた。






 王都から遠く離れた港町コルダーナでは、商人ギルドの会合が行われていた。


 空の映像を見た商人たちは、今後の動きについて話し合っていた。これまで権力者への賄賂で不正な利益を得ていた一部の商人には橙の刻印が浮き、文字通り商売ができる状態ではなかった。


「あの裁きの審判は、すさまじいな。それに、十二人目の賢者様が現れるとはな……」


「賢者ルーフェ様は ルドヴァル侯爵家の令嬢だったというが……」


「貴族の令嬢だったんだろう?信じられるか?」


 一方、王国南部の農村では、長年の税の重さに苦しんでいた農民たちが初めて未来への希望を語り合っていた。不正を犯していた役人には軒並み橙の刻印が浮いており、彼らによる搾取が一時的に止まっていたからだ。


「賢者様が、全部暴いてくださった」


「ありがたいことだ。長年、おかしいと思っていたが、言えなかった」


「これからは変わるだろうか」


 変化の予感が、国全体に漂っていた。


 一方、隣国ではまた別の動きがあった。


 大陸の各地に点在する十一人の賢者たちは、新たな同胞の誕生を感知していた。賢者同士は繋がり合っており、裁きの審判という大魔法が発動されれば、遠く離れた場所にいても感じることができた。


 その中の一人、賢者ゾルティが大陸の西にある隠れ家で目を細めた。


「十二人目の賢者とはな……裁きの審判は百年ぶりよのぉ」


 別の賢者、カスティアは自分の研究室で顔を上げた。


「グルドヴァル王国に現れたとは。それも、ずいぶんと若いねぇ」


 そして、最も早く反応した賢者がいた。


 賢者シェラズ。二十五歳位の姿をした賢者で、茶褐色の髪に知的な橙の瞳を持つ男だった。彼は大陸の東端にある賢者の集合場所「賢者の神殿」で、新たな刻印の輝きを感じ取った瞬間、立ち上がって地図に目を走らせた。


「グルドヴァル王国の……新しい賢者か。俺が迎えに行こう」


 彼は旅の準備を始めた。






 ルーフェとサラは、王都を発って五日が経っていた。


 大きな街道を避け、山間の道を選んで歩いていた。ルーフェはフードを目深に被り、旅人の格好をしていた。サラは同じく質素な旅装束で、荷物を肩にかけていた。


「ルーフェミヤ様……いいえ、ルーフェ様」


「ふふっ、なれないわよね」


「ルーフェ様、これからどこへ行くおつもりですか?」


 ルーフェはしばらく歩きながら考えた。


「まずは大陸を見てみたいわ」


 ルーフェはそう言って笑った。転生者であることは、サラにも話していなかった。ただ、主人として、サラはルーフェを信頼してくれていた。


 街道沿いの小さな宿場町に差し掛かったとき、ルーフェは気になる気配を感じた。


「あら」


 宿場の入口に、一人の男が立っていた。


 茶褐色の髪、橙の瞳。質素だが上質な旅装束。腰には一本の杖を提げており、その先端には小さな宝石が嵌め込まれていた。


 男はルーフェを見て、目を細めた。


「賢者ルーフェだな?」


 ルーフェは男の手の甲を見た。金色の刻印。賢者の証。


「……あなたも賢者ですね」


「ああ、名はシェラズだ。迎えに来た」






 宿の一室で、三人は向き合った。


 シェラズはテーブルの上に大陸の地図を広げ、いくつかの場所に印をつけた。


「十一人の賢者の所在地と、賢者の神殿の場所だ。新しい賢者が現れたと連絡が来て、俺が一番動きやすかったので迎えに来た」


「賢者たちは私のことを知っているのですか?」


「あの裁きの審判は大陸中で感知できた。あれほどの大魔法だからな。しかもこれほど若い新人が現れたとなれば、全員気になるだろうよ」


 サラが茶を持ってきて、隅に座った。シェラズはサラに目を向け、ルーフェに確認した。


「彼女は?」


「私の侍女のサラで、信頼できる人です」


「……連れてきて大丈夫なのか?」


「本人が望んでついてきてくれてます。心配は無用です」


 シェラズは少し考えてから頷いた。


「わかった。では早速だが、賢者の神殿に向かわないか。十二人目の賢者として、他の賢者たちも会いたがるだろう」


「その前に少し聞いてもいいですか?」


 ルーフェは静かにシェラズを見た。


「あなたは何歳の頃から賢者だったのですか?」


「……二十歳のときだ。今から百年以上は経つかな」


「「えっ!」」ルーフェとサラは驚きを隠せなかった。


「……失礼しました」サラは何もなかったように押し黙った。


「もしかして、賢者は不老不死とか?」


「いや、賢者は寿命が300年位と言われている。姿は好きな年齢に変えられる」


「知らなかったわ……」


「まぁ、そうだろうな。ちなみに、ルーフェが現れるまでは、俺が一番若かった」


「そうなんですね。あと賢者になるときは独学で?」


「ほぼそうだ。一人の老魔法使いに師事した時期もあったが、大半は自分でだ」


「なぜ賢者になろうと思ったのですか?」


 シェラズはしばらく黙った。窓の外の暮れかけた空を見てから、口を開いた。


「俺は平民出身だ。才能だけで魔法を学んで、いくつかの国を旅した。腐敗した権力者に苦しめられる人々を、いくつも見てきた。それを正せる力が欲しかった。……それだけだ」


 その言葉の奥にある重さをルーフェは感じ取った。


「……そうなんですね。私とは少し違うけれど、似ているかもしれないです」


「ルーフェは?」


「私は……最初は自分のためでした。でも、途中で国の実態を知ってしまったから……」


 ルーフェは自分の左手の甲を見つめた。


「力を持つということは、使う責任があるということかもしれない。女神がそれを求めているのかどうかはわからないけれど……自分がそう感じました」


 シェラズはルーフェを見つめた。若い女だと思っていたが、その目の奥には年齢に不似合いな落ち着きと深みがあった。


「……そうか」






 大陸の中央部、深い森の中に賢者の神殿はあった。外から見ると古びた石造りの建物に過ぎないが、中に入ると広大な空間が広がっており、不思議な魔法の加護で常に快適な気温が保たれていた。


 神殿の中には、すでに数人の賢者たちが待っていた。


 最長老の賢者ゾルティは、白いひげをたくわえた老人で、目の奥には深い知性が光っていた。


「やっと来たか、十二人目。話は聞いているぞ。わしの名はゾルティという」


「賢者ゾルティ。お会いできて光栄です。ルーフェと申します」


「まあ、座りなさい」


 他にも数人の賢者がいた。賢者カスティア、六十代位の女性で本の虫という見た目どおりの人物。賢者ビクトバ、四十代位の巨漢で見た目に反して細かい魔法が得意だという。賢者リビル、三十代位の女性で癒やしの魔法を専門とする。


 それぞれが独自の個性を持ち、ルーフェを様々な目で見ていた。


「ここで、簡単な古代魔法を見せてくれるかのぉ?」


 ルーフェは右手を上げ、小さく古代語を唱えた。天井に小さな光の幕が広がり、幻想的な魔法を作り出した。その精度と速度は場にいた全員を驚かせた。


「……おお」とビクトバが呟いた。


「制御も正確だのぉ。古代語の発音もほぼ完璧とは」とゾルティが頷いた。


「本当に独学で?」とカスティアが身を乗り出した。


「はい、独学です。古代語の文法書と写本を読み込んで」


「その年で賢者の資格を得られるのだから・・素質があったのだろうな」


 ゾルティは満足そうに頷いた。


「賢者ルーフェよ、これからは我らと共に大陸を守る役目を担ってもらうことになる。よろしく頼むぞ」


「はい」


 ルーフェは頭を下げた。その動作は自然で、驕りがなかった。ゾルティはそれを見て、内心で頷いた。


 夜、神殿の庭でルーフェは星空を見上げていた。サラは早めに休んでいた。


「また星を見ているのか?」


 シェラズが隣に来て、同じように空を見上げた。


「……ここの星はきれいですね」


「森の奥だからな」


 しばらく二人は無言で星を眺めた。


「ルーフェ」


「なんでしょう?」


「俺は……しばらくルーフェと旅につきあっていいか」


 ルーフェはシェラズを見た。


「どうしてです?」


「賢者になったばかりだろう?賢者のことで教えていかなきゃいけないこともあるからな」


ルーフェは少し考えてから、視線を星に戻した。


「わかりました。よろしくおねがいします」


 静かな夜に、二人の賢者の旅が始まった。






 それから半年が経った。


 ルーフェとシェラズは、大陸各地を旅しながら、困っている人々の助けに奔走していた。サラは途中から神殿に留まることを選び、カスティアのもとで魔法の勉強を始めていた。サラ自身に魔法の才能があることが判明したのだ。


「サラ、本当にいいの?」とルーフェは別れ際に聞いた。


「はい。私はここで学びたいと思います。……でも、ルーフェ様が戻ってきたら、また傍に」


「もちろんよ」


 旅の中で、ルーフェとシェラズは少しずつ互いを知っていった。


 シェラズは表面上は淡々としているが、困った人を見ると迷わず手を差し伸べる人間だとわかった。ある村で旱魃に苦しむ農民のために水の魔法を使って地下水脈を引き当てたとき、最低限の報酬のみ受け取って次の町へ歩き出した彼の背中をルーフェは見た。


「あれだけの報酬を断ってよかったのですか?」


「俺には必要な分しかいらない」


 その一方で、ルーフェはシェラズの不器用さにも気づいていた。言葉が足りない、感情表現が苦手らしい。しかし、それを補うように彼の行動は常に誠実だった。


「シェラズは、他の魔法は正確なのに治癒魔法は、荒すぎます」


 ある夜、野営地でシェラズが木の根に足をぶつけて傷を作ったとき、ルーフェは治癒の魔法をしながらそう言った。


「……気にするな」


「気にします。感染したら面倒でしょう」


「ルーフェの治癒魔法は丁寧だな」


「あなたが雑なのです……」ルーフェは苦笑いをした。


 シェラズがルーフェの手元を見つめながら言った。その表情は珍しく柔らかかった。


「ルーフェに治癒魔法をしてもらうのは……悪くないな」


 ルーフェは少し間があってから、視線を逸らした。


「そうですか」ルーフェは少し微笑んだ。


 火の明かりの中で、シェラズも微笑んだ。それはわずかな笑みだったが、ルーフェの胸に妙な温かさを残した。






 グルドヴァル王国では、ザルバドス王弟のもとで改革が着実に進んでいた。


 腐敗した官僚たちは罰を受け、新しい行政の仕組みが整えられていった。農民への不当な課税は廃止され、商人ギルドの不正取引も明るみに出された。刻印を受けた者の多くは、苦しみの中で自らの罪と向き合い始めていた。


 国王、王妃、ズクドバ王太子は、体が蝕まれ苦しみながら亡くなった。


 バネッサは赤の刻印を持ちながら、自室に引きこもっていた。最初は怒りと絶望の中にいたが、痛みが続く中で少しずつ自分の行動を振り返り始めていた。侍女のナナという少女がある日、彼女の部屋にそっと入ってきた。


「バネッサ様、お食事を少し……」


「……なぜあなたは来るの。私はあなたにも酷いことをしたのに」


「そうですが……苦しそうだったので」


 バネッサはしばらく黙ってから、枕に顔を埋めた。


「私は……本当に愚かだった。自分が正しいと思っていた。好きな人のためにしたことだったから」


「……それが全てだとは思わないのでしょうか?」


「……全て?」


「バネッサ様が本当にズクドバ様を愛していたとしても、方法は他にあったと思います。それだけです」


 ナナの言葉は単純だったが、バネッサの胸に刺さった。彼女は翌日から、少しずつ食事を取り始めた。そして一ヶ月後、バネッサの刻印は薄くなり始めた。罪を認めた者への、女神の慈悲だった。


 ザルバドスは新王として即位した後、国を代表して声明を出した。


「賢者ルーフェに謝罪する。我が国が彼女に不当な仕打ちをしたことを認め、改めて感謝の意を表する」


 その声明は大陸中に広まった。






 春の日、ルーフェとシェラズは大陸の東部にある港町に立ち寄っていた。暖かな海風が吹く、穏やかな午後だった。


 港の市場を歩いていると、見覚えのある茶色の二つ結びの髪が目に入った。


「サラ?」


「ルーフェ様!」


 サラはすっかり旅人の格好をして、カスティアと並んで立っていた。前より顔つきがしっかりしており、手に持った書物には魔法陣のメモが書き込まれていた。


「旅に出ていたの?」


「カスティア様にお供させていただいて。私、少しだけ魔法が使えるようになりました」


「見せて」


 サラは右手を差し伸べ、指先に小さな光の球を灯してみせた。初歩的な光魔法だったが、形が安定しており、制御も丁寧だった。


「……上手じゃない」


「まだまだです。でも、魔法が好きです。」


 カスティアが横から口を挟んだ。


「サラは筋がいいんだよ。私が今まで見た中で、上位の素質だよ。魔法使いとして育てる価値があるねぇ」


「カスティア様……」


 その夜、四人で食事をした。賑やかな港の居酒屋で、海鮮の料理を囲みながら、それぞれの今までのことを語り合った。


 サラは魔法の楽しさを話した。カスティアは新しい古代魔法の解読結果を熱く語った。シェラズは旅で立ち寄った村の様子を淡々と話した。


 ルーフェは笑いながら皆の話を聞いていた。


 ゲームの中では悲劇の結末を辿るはずだった悪役令嬢が、今こうして笑っている。傍らには信頼できる同胞たちがいて、旅の行き先には使命があって、自分の足で立てる力がある。


 それは前世では決して持てなかったものだった。


「ルーフェ、何を考えている?」


 シェラズが隣から声をかけた。


「……色々なことを」


「もう少し具体的に言えないか」


 ルーフェは、窓の外の星空を見ながら、「……今の私の人生は、悪くない人生だと思っていました」


 シェラズは少し間を置いた。


「俺もそうだな」


 その声は静かで、しかしはっきりしていた。ルーフェはシェラズの横顔をチラリと見て、また星に視線を戻した。


「……一緒ですね」


「そうだな」


 そっと笑って、ルーフェは杯を口に運んだ。






 春から夏、夏から秋へ。


 大陸では小さな変化が積み重なっていた。


 グルドヴァル王国ではザルバドス新王の下で本格的な政治改革が進み、民の生活は徐々に改善されていった。刻印を受けた者たちの中から、罪を認めて更生した者が現れるたびに、刻印は消滅していった。


 バネッサは小さな孤児院の手伝いをするようになっていた。赤の刻印は徐々に薄まり、彼女の顔つきは穏やかになっていった。


 侍女だったナナが後に語ったことによれば、バネッサが一番最初に言ったのは「私はずっと、誰かに認めてもらいたかっただけだと思う」という言葉だったという。


 そして、賢者ルーフェの名は大陸全土に広まっていった。


 百年ぶりの裁きの審判を行った若き賢者として、その名は伝説の入口に立っていた。


 しかし、ルーフェミヤ・ルドヴァル改め賢者ルーフェ自身は、特にそのことを意識していなかった。毎日、目の前にあることに向き合い、旅をし、学び、時に笑い、時に考え込み、傍らにいるシェラズと小さな言い合いをし、賢者の神殿に戻ればサラやカスティア、ゾルティ老師と話し合いをした。


 ある夜の野営で、シェラズが初めてはっきりとした言葉を口にした。


「ルーフェ」


「なんです?」


「俺はルーフェのことが好きだ」


 焚き火の向こうで、ルーフェは固まった。


「……唐突すぎませんか?」


「そうか?」


「もう少し、段取りというものが……」


「俺にはわからない。でも、言わないとわからないと思ってだな」


 ルーフェはしばらく沈黙した。


「……私は、あなたのことが嫌いじゃないです」


「それは好きということか?」


「正直、まだわかりません。……だから、口説き落としてください」


「口説くってどうやって?」


「私に聞いたらだめでしょう……自分で考えてください」


「……善処する」シェラズは頭をかかえた。


 ルーフェは短く笑った。焚き火の光の中で、その笑みは珍しく柔らかかった。


「旅はまだまだ長いです。時間はたくさんあります」


「そうだな……」


「シェラズは物好きな人ですね」


「ルーフェも、そんな気がするのだが……」


 夜の星空の下、二人の賢者は焚き火を挟んで、静かな時間を過ごした。


 かつてゲームの世界の悪役として断罪されるはずだった少女は、今や自らの力と意志で道を切り開いた賢者となっていた。


 失ったものは多かった。家族の愛情も、婚約者も、生まれ育った家の名前も。しかし手にしたものもあった。本当の仲間、使命、そして自分自身の誇り。


 ルーフェはそっと左手の甲を見た。賢者の刻印が、月の光を受けて静かに輝いていた。


「女神よ」


 心の中で語りかけた。


「私は今、幸せです」


 返事はなかった。しかし、胸の奥から温かさが広がった。それが答えだった。


 大陸の夜空に、流れ星が一筋走った。


 賢者ルーフェの物語は、まだ始まったばかりだった。











誤字報告ありがとうございます。助かります。

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― 新着の感想 ―
「古い書物」に賢者は『現在』十一人、と最新情報が載るのは何故でしょうか?書物自体が魔法の品であったなどの説明が欲しいです。 手に浮かんだ賢者の証を見ただけで場の空気が変わったなら、その図形なり何なりは…
神がクズでなかった事に心から安堵しました 作品によっては『シナリオに逆らう者こそが悪』とか言っちゃう神もいますので
他の方も書いてらっしゃいましたが、「ルーフェ」の家族に刻印がうかんだのかどうか、また浮かばなかったとしてもルーフェを家族として受け入れ、探したのか気になります。 後、家に賢者に関しての本があった理由も…
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