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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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閉店時刻

作者: 雨音トキ
掲載日:2026/03/01

午後十時五十五分。私は駆け込むようにスーパーの自動ドアをくぐった。


「すみません、まだ間に合いますか」


レジにいた店員は無表情で頷いた。十一時閉店。あと五分ある。私は急いで店内に入った。明日の朝食用の食パンと牛乳、それだけあればいい。


店内は蛍光灯の白い光に満たされていた。客の姿はまばらだった。奥の方で、中年の女性がカートを押している。精肉コーナーには、作業着を着た男性が一人。冷凍食品の前には、学生服の少年が立っていた。


私はパンコーナーへ向かった。足音が、やけに大きく響いた。


店内放送が流れた。


「お客様にお知らせいたします。当店は本日午後十一時をもちまして閉店とさせていただきます。お買い物のお客様は、お早めにレジまでお越しください」


機械的な女性の声。それが途切れた瞬間、何かが変わった。


空気が、重くなった。


私は立ち止まった。背筋に冷たいものが走る。振り返ると、レジにいたはずの店員が、こちらを凝視していた。首だけをゆっくりとこちらに向けて。


その目は、焦点が合っていなかった。


「あの」


私が声をかけた瞬間、店員の口から、低い呻き声が漏れた。


「アアアア……」


次の瞬間、店員は走り出した。私に向かって。


私は反射的に後ずさった。何が起きているのかわからない。ただ、あれは人間じゃない。本能がそう告げていた。


「助けて!」


奥から悲鳴が上がった。振り向くと、カートを押していた女性が、精肉コーナーの男に襲われていた。男は女性の肩に噛みついていた。鮮血が床に広がる。


女性は倒れた。そして数秒後、痙攣しながら立ち上がった。


その目は、もう人間のものではなかった。


私は走った。パンコーナーを通り過ぎ、日用品の棚の間に身を隠した。心臓が激しく打っている。呼吸が荒い。


これは夢だ。そう思おうとしたが、肌を刺す冷気と、鼻を突く血の匂いが、現実を突きつけてくる。


店内のあちこちから、呻き声が聞こえてくる。足音。複数。近づいてくる。


私は棚の商品を見た。洗剤、漂白剤、スポンジ、ゴミ袋。


待て。落ち着け。


私は必死に考えた。あれは何だ。ゾンビ? そんなものが実在するのか。でも、目の前で起きている。感染する。噛まれたら終わりだ。


ならば、噛まれないようにするしかない。


足音が近づいてくる。私は洗剤のボトルを掴んだ。角を曲がってきた瞬間、店員の顔が現れた。私は迷わず投げつけた。


ボトルは店員の顔面に直撃した。店員は怯んだ。その隙に、私は反対方向へ走った。


菓子コーナーを抜け、飲料コーナーへ。そこで、学生服の少年と目が合った。少年は私を見て、呻き声を上げた。


私は棚からペットボトルを掴み、投げつけた。一本、二本、三本。少年の頭と胸に当たる。少年はよろめいた。


私はその隙に、店の奥へ走った。「従業員専用」と書かれたドアが見えた。そこに逃げ込めば、少しは時間が稼げるかもしれない。


ドアを開けて飛び込むと、そこは事務室だった。デスク、ロッカー、壁には業務連絡のホワイトボード。


私は慌ててドアを閉め、内側から鍵をかけた。


外から、呻き声と引っ掻く音が聞こえる。このドアが、どれだけ持つだろうか。


息を整えながら、私は部屋を見回した。何か、武器になるものはないか。脱出経路は。


デスクの上には、書類が山積みになっていた。


その中に、一枚の赤い紙が目に入った。「緊急回収通知」と書かれている。


私は手を伸ばし、それを掴んだ。


『本社食品衛生管理部より 至急対応願います


冷凍食品「雪素食品ミックスベジタブル」ロット番号BX-2847に汚染の疑いあり。該当商品を至急回収し、廃棄処分すること。絶対に販売してはならない。接触した場合は直ちに保健所へ連絡されたし。


症状:高熱、痙攣、攻撃性の異常な亢進』


私の手が震えた。


これだ。


ゾンビ化の原因は、この汚染された冷凍食品だ。ロット番号BX-2847。


私は通知書の日付を見た。三日前。つまり、この店は回収指示を受けていたのに、実行していなかった。


デスクの引き出しを開けると、さらに書類が出てきた。店長から本社への返信メールのコピーだ。


『回収は困難。該当商品は既に一部販売済み。残りは冷凍ケース最奥に配置し、セール対象から外した。大事にはならないと判断』


私は歯を食いしばった。隠蔽だ。この店長は、汚染を知っていて隠した。


ドアを叩く音が激しくなった。ゾンビたちが、もうすぐ突破してくる。


私は立ち上がった。通知書を握りしめ、部屋の反対側にある従業員用の裏口へ向かった。


裏口を開けると、薄暗いバックヤードに出た。段ボールの山、業務用冷蔵庫、そして――。


「助けて……」


小さな声が聞こえた。


段ボールの陰から、若い女性が現れた。スーツを着た、おそらく二十代半ばの会社員だ。顔は青ざめ、肩で息をしている。


「あなたは……」


「お願い、助けて。あの人たちが……おかしくなって」


彼女は怯えていた。だが、目は正常だった。まだ感染していない。


私は一瞬、躊躇した。


彼女を連れて行けば、動きが鈍くなる。二人分の音を立てる。見つかる確率が上がる。


でも、見捨てることもできなかった。


「ついてきて。音を立てないで」


私は彼女の手を掴んだ。


バックヤードを抜け、私たちは冷凍食品の倉庫へ出た。巨大な冷蔵室が並んでいる。


そして、その一つに、赤いテープが貼られていた。「要廃棄」。


私はその扉を開けた。中には、段ボール箱が積まれていた。箱には「雪素食品ミックスベジタブル」と印刷され、側面に「BX-2847」のロット番号が記されていた。


「これだ」


「何が?」女性が聞いた。


「感染源。この冷凍食品が、すべての原因だ」


女性は箱を見つめた。「じゃあ、これを……」


「破壊する」


私は箱を持ち上げ、床に叩きつけた。パックが割れ、凍った野菜が散乱する。


次の箱、その次も。片っ端から叩き割った。


その時、倉庫の入り口から、呻き声が聞こえた。


ゾンビたちが、追いついてきた。


「走って!」


私たちは冷蔵室を飛び出し、売り場へ戻った。ゾンビたちが、後ろから迫ってくる。


私は棚を見回した。冷凍食品コーナー。そこに並ぶ商品の中から、汚染されていないものを探す。


「雪素食品ミックスベジタブル」を避け、別の冷凍食品を掴む。カレー、パスタ、ピザ。次々と手に取り、迫ってくるゾンビに投げつけた。


不思議なことが起きた。


汚染されていない商品が当たると、ゾンビたちは明らかに怯んだ。まるで、何かに弾かれたように。


「効いてる!」女性が叫んだ。


私は理解した。汚染された商品と、そうでない商品。ゾンビたちは、汚染源であるBX-2847に引き寄せられ、それ以外のものに触れると拒絶反応を起こす。


ならば、使える。


私は飲料コーナーに走り、ペットボトルを両手に抱えた。女性も、缶詰を掴んだ。


「投げろ!」


私たちは商品を投げつけた。缶詰、ペットボトル、レトルト食品。ゾンビたちは次々とよろめき、後退する。


私たちは出口へ向かって走った。途中、調味料の棚から瓶を取り、床に叩きつけた。ソースやケチャップが飛び散り、ゾンビたちの足を滑らせる。


あと少しで出口だ。


だが、その時、目の前に店長が現れた。


彼の胸には、名札がついていた。「店長 田村」。


田村は、他のゾンビとは違った。動きが速く、目には狡猾な光があった。


「お前……隠蔽した張本人か」


私は叫んだ。田村は、喉の奥から唸り声を上げた。


私は最後の武器を探した。近くの棚には、米の袋が並んでいた。五キロ。重い。


私はそれを持ち上げ、全力で田村に投げつけた。


袋は田村の胸に直撃した。田村はよろめき、背後の冷凍ケースに激突した。ガラスが割れ、中から商品が飛び出す。


そして、割れたケースの中から、あの冷凍食品――BX-2847が転がり出た。


田村は、それを掴んだ。


次の瞬間、田村の体が痙攣し始めた。口から泡を吹き、床に倒れ込む。


汚染源を直接掴んだことで、何かが起きたのだ。


他のゾンビたちも、動きを止めた。まるで、統率を失ったかのように。


「今だ!」


私たちは出口へ走った。自動ドアは、まだ開いていた。


外に飛び出すと、冷たい夜風が顔を撫でた。


私たちは駐車場まで走り、ようやく立ち止まった。


「助かった……」女性が膝をついた。


私は振り返った。店の中では、ゾンビたちが彷徨っていた。だが、もう追ってこない。


「あなた、よく気づいたわね。あのロット番号」


「偶然だ」私は言った。「たまたま、事務室に書類があった」


「でも、あなたがいなければ、私は……」


彼女は涙を浮かべた。私は何も言えなかった。


ただ、私は知ってしまった。


この異常事態には、必ず理由がある。感染源、ロット番号、汚染経路。それを特定すれば、対処できる。


私は、その方法を知る者になった。


女性は立ち上がった。「あなたの名前は?」


「……田中」


「私は斉藤。斉藤香織」


彼女は手を差し出した。私はそれを握った。


「田中さん、これからどうするの?」


私は遠くの街を見た。ビルの窓から、赤い光が漏れていた。あそこでも、何かが起きている。


「行く。他の場所も調べる」


「私も一緒に行っていい?」


私は彼女を見た。彼女の目には、恐怖だけでなく、決意があった。


「危険だぞ」


「一人より、二人の方がいいでしょ」


私は頷いた。


私たちは歩き出した。夜の街を。もう、以前の世界には戻れない。でも、それでもいい。


私は変わった。


ただの会社員だった私が、今は、この狂った世界の真相を暴く者になった。


ロット番号BX-2847。その情報を知ったことで、私は戦える。


他にも、感染源がある。それを特定し、破壊する。


それが、私の使命だ。


店の中から、まだ呻き声が聞こえてくる。でも、それは遠くなっていく。


私たちは、新しい世界へと踏み出した。


恐怖はある。でも、それ以上に、希望がある。


真実を知る者だけが、生き残れる。


そして、人間が人間として生きられる場所を、取り戻す。


夜空には、満月が浮かんでいた。


私たちは、闇の中を歩き続けた。

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