『終わらない祝勝パレード〜誰にも愛されなかった俺は、異世界で最強の勇者になり、永遠の居場所(ご都合主義)を手に入れた〜』
プロローグ:誰にでも訪れる、幸運な転生
雨の降る、深夜の交差点だった。
連日の深夜残業でフラフラになっていた俺――佐藤海人、24歳の身体は、信号無視で突っ込んできたトラックを避けることができなかった。
ドンッ、という衝撃のあと、意識はふっと途切れた。
痛いとか、苦しいとか、そんな感覚すら抱く暇もなかった。
ただ、最後に思ったのは「ああ、俺の人生、毎日家と会社の往復だけで、結局何もないまま終わっちゃったな」という、少しの未練だけだった。
「――目を覚ましてください、海人さん」
鈴を転がすような、美しく澄んだ声。
気がつくと、俺は真っ白で暖かな光に包まれた、神殿のような場所に立っていた。
目の前には、透き通るような金の髪と、慈愛に満ちた青い瞳を持つ絶世の美女が微笑んでいた。
(……え? 女神様……?)
「はい。私はこの次元を管理する女神です」
女神様は、俺の心を読んだかのように優しく頷いた。そして、ふわりと俺の前に降り立つと、その細く白い手で、俺の頬をそっと撫でた。
「あなたは元の世界で、誰にも認められない孤独の中で、それでも文句を言わずに真面目に働き続けました。……その美しく気高い魂は、決して無駄にはなりません」
その言葉を聞いた瞬間、俺の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
誰も見てくれていないと思っていた。俺の人生なんて空っぽだと諦めていた。でも、神様はちゃんと俺の頑張りを見ていてくれたんだ。
「あなたのその優しさを必要としている世界があります。魔王軍の脅威に晒され、滅亡の危機にある『ルミナス王国』……。どうか、彼らを救ってくれませんか?」
「俺なんかで、いいんですか……?」
「あなただから、お願いするのです」
女神様は満面の笑みで、ポンッと俺の胸に手を当てた。
「転生の祝福として、あなたに特別なスキルを授けましょう。あらゆる知識と最適解を導き出す神の頭脳、【超賢者】。そして、すべての魔法と剣術を極めることのできる勇者の素質です」
「【超賢者】……!」
「さあ、新たな人生の幕開けです。今度こそ、あなたが心から笑える、幸せな未来を掴んでくださいね!」
視界が、さらに眩い光に包まれていく。
俺は涙を拭い、力強く頷いた。
確信した。
俺は流行りの転生モノ主人公のように、チートスキルで無双して美少女に囲まれるような、"ご都合主義"の夢の異世界生活が始まるんだ。
(ああ、俺の人生は無駄じゃなかった。神様、ありがとう。俺、絶対にその世界を救って、今度こそ……今度こそ、最高の仲間たちと幸せになってみせる!)
光に吸い込まれながら、俺は新たな希望に胸を躍らせていた。
それが、俺――最強の勇者としての、華々しい異世界ライフの始まりだった。
第1章:俺の最強で最高の異世界ライフ!
目を開けると、そこは荘厳な大理石の玉座の間だった。
床には幾何学的な魔法陣が光り輝き、ステンドグラスからは暖かな陽光が差し込んでいる。
「おお……! 勇者様! よくぞ応えてくださった!」
豪奢なマントを羽織った初老の王様が、涙ぐみながら俺の手を握りしめてきた。
そしてその後ろから、ふわりと甘い香りを漂わせて歩み出てきたのは――金糸の髪と、透き通るような白い肌を持つ、信じられないほどの美少女だった。
「お待ちしておりました、勇者様。私はこの国の聖女、リリアと申します」
リリアは胸の前で両手を組み、潤んだ青い瞳で俺を見つめ上げてくる。その視線には、出会って数秒だというのに、すでに絶対的な信頼と、熱烈な好意が込められていた。
(……す、すげえ。現実のアイドルなんか目じゃないくらい可愛い……! しかも、俺のこと『勇者様』って……!)
王様の話によると、このルミナス王国は魔王軍の脅威により滅亡の危機にあるらしい。だが、不思議と悲壮感はなかった。城はどこまでもピカピカで、リリアの笑顔を見ていると「俺が絶対になんとかしてやる!」という力が自然と湧いてくる。
女神様がくれたチート能力【超賢者】が、俺の脳内に『全ステータスカンスト・全魔法使用可能』という無敵の証明を告げていた。
そこからの日々は、まさに『怒涛の快進撃』だった。
翌日、街へ視察に出た俺とリリアは、広場で偶然、奴隷商人に囚われていた獣人の少女を見つけた。
「お、俺が買う! 痛い思いはもうさせない!」
初期装備として渡されていた金貨を差し出すと、ボロボロの(といっても、なぜかやたらと綺麗なビキニアーマーを着た)犬耳の少女・ミューは、俺の胸に飛び込んできた。
「ご主人様ぁ! ミュー、あなたのために一生懸命尽くしますぅ!」
俺の頭を撫でる手にすり寄って、ミューはブンブンと尻尾を振った。
冒険者ギルドに行けば、お約束のように柄の悪いAランク冒険者に絡まれたが、俺が指でデコピンを一発放つと、そいつは「ぐふっ!?」と壁まで吹っ飛んでいった。
その圧倒的な力を見て、ギルドの隅にいた超絶美少女の双子メイド、セラとマーラがその場で跪いた。
「「素晴らしいお力……! 私たちを、カイト様専属のメイドとしてお傍に置いてくださいませ」」
たった数日で、俺の周りには俺を絶対的に肯定してくれる、最強で最高の美少女パーティが完成していた。
現実世界での、誰からも名前を呼ばれなかった惨めな日々が嘘のようだ。ここでは俺が主人公で、俺のやることなすこと全てが称賛されるのだ。
そして金曜日、ついに魔王軍の四天王『爆炎のアニキ』が王都の門前に現れた。
だが、俺が適当に聖剣を振るうと、アニキは「ば、馬鹿なあああ!」という叫びと共に、あっけなく大爆発して消し飛んだ。
続く土曜日には、ついに魔王本人が王都の前に姿を現した。
禍々しいオーラを放つ骸骨の王。だが、俺は城のバルコニーから、女神様に貰った光の魔法を片手で放つだけでよかった。
魔王は光に包まれ、「ぐおおお……勇者よ、見事だ……!」と消滅していった。
「や、やった……! 本当に俺、世界を救っちゃったぞ……!!」
後ろで応援してくれていたリリアたちが、一斉に俺に抱きついてくる。
「流石ですわ、カイト様!♡」
「ご主人様、かっこよかったぁ!♡」
「「私たちの誇りです、ご主人様」」
柔らかくて温かい彼女たちの感触と、甘い香りに包まれながら、俺は天にも昇るような心地だった。
そして、日曜日。
王都のメインストリートは、俺たちを称える国民の歓声で揺れていた。
「勇者様万歳!」「ありがとう、俺たちの英雄!」
どこまでも澄み切った青空から、無数の色鮮やかな紙吹雪が舞い落ちる。
王様から勇者の勲章を胸につけられ、俺はオープンカーの上で、隣で微笑むリリアの手を強く握りしめた。
(ああ……俺の人生は無駄じゃなかった。俺の居場所は、ここにあったんだ)
現実の辛かった日々も、トラックの痛みも、全てはこの最高のハッピーエンドを迎えるための試練だったのだ。
歓声に応えて手を振る俺の顔には、これまでの人生で一度もしたことがないような、心からの満面の笑みが浮かんでいた。
俺は、この世界でずっと、みんなと一緒に幸せに生きていくんだ――。
第2章:再起動される月曜と、使い回しの狂気
最高に幸せな気分のまま、俺はホテルのような王城のスイートルームで目を覚ました。
窓から差し込む、完璧な角度の朝の光。
(……あー、よく寝た。昨日のパレード、最高だったな)
身体を伸ばし、バルコニーのカーテンを開ける。
昨日は王都中をパレードして、国民と一緒に歓喜に沸いたんだ。きっと街はまだお祭り騒ぎの余韻に包まれて……。
「……え?」
窓の下を見下ろした俺は、心臓がヒュッと冷えるのを感じた。
ない。
昨日、空が見えなくなるほど撒き散らされたはずの、色とりどりの紙吹雪。飲み明かした屋台の残骸。それらが、微塵も残っていないのだ。
王都の石畳は、まるで今朝作られたばかりのセットのように、不自然なほどピカピカに光を反射していた。
コンコン、と規則正しいノックの音が響く。
「おはようございます、勇者様♡ お目覚めはいかがですか?」
ドアを開けて入ってきたのは、愛しの聖女・リリアだった。昨日、パレードの馬車の上で俺の手を強く握り返してくれた、大切な女の子。
俺はホッとして歩み寄ろうとした。
「なぁ、リリア。街の掃除、早すぎないか? 昨日のパレードの後片付け――」
「パレード……? まあ、勇者様。魔王軍を討伐したあとの、未来の祝勝パレードのお話ですか? 気が早いですわ♡」
ピタリ、と。俺の足が止まった。
「は……? 未来? なに言ってんだ、昨日やっただろ。魔王も倒して……」
「……? 勇者様、寝ぼけていらっしゃるのですね。魔王軍は今、この王都のすぐそこまで迫ってきています。でも大丈夫、勇者様がいれば、きっとこの国は救われますわ♡」
小首を傾げるリリアの笑顔は、完璧だった。
完璧すぎて――俺がこの世界に召喚された『先週の月曜日の朝』に見た角度、声のトーン、瞬きのタイミングと、1ミリの狂いもなく全く同じだった。
嫌な汗が背中を伝う。
冗談だろ。俺は慌てて部屋を飛び出し、城下町へ向かった。
すれ違う兵士。パン屋の親父。昨日「ありがとう、俺たちの英雄!」と泣いて手を握ってくれた男が、そこを歩いていた。
「お、おい! お前、昨日は――」
「あ、ああ……! 勇者様! 魔王軍が、もうすぐ四天王が来てしまう……! もうおしまいだ!」
パン屋の親父は、死んだ魚のような目で、棒読みのセリフを口にした。
顔の筋肉が全く動いていない。恐怖を語っているのに、その瞳には何の感情も乗っていなかった。
(……嘘だろ。なんだこれ。ドッキリか? 誰か、嘘だと言ってくれよ!)
混乱と恐怖を抱えたまま、翌日の火曜日を迎えた。
けたたましい警報音が鳴り響き、俺はヒロインたちと共に王都の正門へと駆けつけた。
「勇者様! 四天王の一人が、単独で門の前に!」
リリアの悲痛な声に、俺は剣を抜いて門の外を睨みつけた。
そこに立っていたのは、全身から冷気を立ち昇らせる、青白い肌の魔族だった。
「フフフ……私は四天王の中でも最強。我が名は『氷の貴公子』。勇者よ、貴様の命、ここで凍らせて――」
「……おい」
氷の貴公子の言葉を、俺は震える声で遮った。
「お前……『爆炎のアニキ』、じゃないよな……?」
「何を言うか。私は氷の――」
「ふざけるなッ!!!」
俺は叫んでいた。胃液が込み上げてくるほどの、強烈な吐き気。
目の前の『氷の貴公子』。こいつは、先週俺が倒した『爆炎のアニキ』と、全く同じ体格、全く同じポーズ、全く同じセリフの間の取り方だった。
違うのは、ただ『赤い肌』が『青い肌』に変わっているだけ。
声優すら同じだ。ただ、ボイスエフェクトが少し変わっているだけで。
「お、おいリリア! あいつおかしいだろ! 先週倒したやつに青いペンキ塗っただけじゃないか! セリフも一緒だぞ!」
「まあ! 勇者様、何を仰っているの? あの恐ろしい冷気……先週の炎の魔族とは比べ物にならない強敵ですわ!」
「は……?」
リリアは、本当に、心の底から怯えているような完璧な演技で震えていた。
『ピロッ』
その時、俺の脳内に、女神から貰ったチート能力――【超賢者】の無機質な機械音声が響いた。
『解。対象は個体名:氷の貴公子。炎の魔族とは構成物質が100%異なります。勇者様、あなたは極度の疲労により、視覚と記憶にノイズ(不具合)が生じています』
「不具合だと……? ふざけるな、俺の目は正常だ! どこからどう見ても使い回しだろうが!!」
叫ぶ俺を置き去りに、氷の貴公子は先週全く同じタイミングで見せた「大ぶりの突進モーション」で突っ込んでくる。
俺は半狂乱になりながら、ただ反射的に聖剣を振った。
ザシュッ、という軽い音。
剣が触れた瞬間、氷の貴公子は「ば、馬鹿なあああ!」という、先週のアニキと寸分違わぬ録音音声(WAVデータ)と共に、チカチカと不自然に点滅して爆発四散した。
「すごいですわ、勇者様! あの強敵をまたもや一撃で!」
「「さすがはご主人様です」」
後ろで棒立ちしていたヒロインたちが、完璧な笑顔で一斉に拍手をする。
パチパチパチ、という乾いた音が、俺の頭の中で反響する。
(……狂ってる。この世界は、狂ってる)
俺の足元には、氷の貴公子が落とした『銅貨1枚』が、空中に不自然に浮いたままクルクルと回っていた。
逃げ場なんて、どこにもなかった。
俺が手に入れた「最高の居場所」は、ただ同じ1週間を、ガワだけ変えて永遠に繰り返すだけの、低予算のプログラム(地獄)だったのだ。
第3章:愛の鞭、あるいは絶対肯定の檻
水曜日。「風の四天王」が来た。
予想通りだった。火曜日の「氷のヤツ」と全く同じモーション、同じセリフの尺。ただエフェクトが緑色になっただけの、安っぽいコピー品。
「飽きたんだよ、その動き……!」
俺は叫びながら、怒りに任せて聖剣を叩きつけた。
ザシュッ。軽い音と共に、魔族はまた同じ断末魔を上げて爆発四散した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息が荒いのは、疲れたからじゃない。腹の底から湧き上がる、ドス黒い怒りと虚無感のせいだ。
なんだよこれ。俺はあと何回、この茶番を繰り返せばいい?
後ろを振り返ると、いつものようにリリアたちが完璧な笑顔で拍手していた。
「素晴らしいですわ勇者様! あの風の刃を物ともせず!」
「ご主人様、最強ぉ!」
その笑顔を見た瞬間、俺の中で何かがプツンと切れた。
王城の自室に戻ると、俺はすぐにドアに鍵をかけた。
部屋には、俺の帰りを待っていたリリア、ミュー、そして双子メイドのセラとマーラが揃っていた。
「おかえりなさいませ、勇者様♡ お風呂になさいますか? それとも――」
「……なぁ、いい加減にしろよ、お前ら」
俺はリリアの言葉を遮り、低い声で言った。
部屋の空気が凍りつく……いや、そう思ったのは俺だけだった。彼女たちは依然として、ニコニコと俺を見つめている。
「どうかなさいましたか? カイト様」
セラが小首を傾げる。その完璧な角度に、俺は吐き気を催した。
「とぼけるな! わかってるんだぞ。この世界はループしてる。お前らは先週と同じことしか言わない。あの魔族も使い回しだ。……なぁ、これは何のゲームだ? 俺を馬鹿にして楽しいか!?」
俺はリリアの肩を掴み、激しく揺さぶった。
頼む。怒ってくれ。怯えてくれ。「何を言っているの?」と本気で気味悪がってくれ。人間らしい反応を返してくれ!
しかし、リリアは困ったように眉を下げただけだった。
「まあ……勇者様。連日の戦闘で、少し気が立っていらっしゃるのですね。可哀想に。私が癒やして差し上げますわ。さあ、ベッドへ……」
まるで駄々をこねる子供をあやすような、慈愛に満ちた目。
俺の言葉は、何一つ届いていない。俺の絶望は、彼女の「全肯定フィルター」の前では無意味なノイズでしかないのだ。
「……ふざけるな」
視界が赤く染まる。
俺は衝動的に右手を振り上げ、そして――。
パァンッ!!
乾いた音が、広い部屋に響き渡った。
俺の手のひらが、リリアの美しい頬を思い切りひっぱたいていた。
「……っ!」
やってしまった。女に、しかもこんな美少女に暴力を振るうなんて。
俺は自分の手のひらを見つめ、激しい自己嫌悪に襲われた。これでいい。これで彼女たちは俺を軽蔑し、罵倒し、この部屋から出ていくはずだ。
だが。
「あ……ぁ……♡」
リリアは、赤く腫れ上がった自分の頬に手を当て、とろんとした熱っぽい瞳で俺を見つめ返してきた。
「カイト、様……? なんという、激しい情熱……」
「……は?」
「言葉では伝えきれないほどの愛を、こんな形で私にぶつけてくださるなんて……! 頬が熱い、カイト様の愛で、私の顔が燃えていますわ……っ!♡」
リリアは恍惚とした表情で、叩かれた頬を愛おしそうに撫で回した。
俺は凍りついた。なんだこいつ。今、俺は殴ったんだぞ?
恐怖で後ずさる俺の背中に、今度はミューが興奮した様子で飛びついてきた。
「すごいすごーい! ご主人様、オスって感じ! ミュー、そういう乱暴なのゾクゾクしちゃう! ねえねえ、ミューも殴って? 躾けてぇ!♡」
尻尾をブンブンと振り回し、期待に満ちた目で俺を見上げてくる獣人の少女。
そして、部屋の隅では、双子メイドが完璧なユニゾンで拍手を送っていた。
「「素晴らしい指導力です、ご主人様」」
「ええ、マーラ。言葉の通じぬ相手には、時に肉体的な対話も必要。それを実践されるとは、なんと合理的な判断」
「さすがは私たちの主。その男らしさに、子宮が疼いてしまいます」
彼女たちは、真顔で、しかし瞳を爛々と輝かせながら俺を絶賛していた。
「…………あ、あぁ……」
俺は膝から崩れ落ちた。
ダメだ。通じない。
俺が何を叫んでも、暴力を振るっても、彼女たちはそれを一瞬で「愛」や「指導」や「男らしさ」に変換して、俺に投げ返してくる。
彼女たちには「否定」という機能が最初から実装されていないのだ。
腫れ上がった頬で幸せそうに微笑むリリアを見上げながら、俺は理解した。
ここは、俺がどんな怪物になっても許されてしまう、逃げ場のない地獄なのだと。
第4章(前半):血塗られたアクロバティック全肯定
木曜日。
昨夜の狂気がまだ頭にこびりついている。俺は、自分が狂ってしまったのか、世界が狂っているのか、その境界線すら分からなくなっていた。
王城の中庭。
ティータイムの準備をしている双子メイドのマーラが、俺に微笑みかけてきた。
「カイト様、本日の紅茶はアールグレイになさいますか?」
いつもと寸分違わぬ、完璧なメイドの笑顔。
その首元をぼんやりと見つめながら、俺の頭の中に、どす黒く、ひどく冷たい思考がよぎった。
(……もし、こいつを『壊して』みたら、どうなる?)
暴力程度じゃダメだった。なら、絶対に修復不可能な『死』を与えれば、さすがのシステムもエラーを吐いて、俺を拒絶するんじゃないか? 俺を「人殺しの悪魔」として認識してくれるんじゃないか?
気づけば、俺は腰の聖剣を抜いていた。
「えっ――」
マーラが小首を傾げた瞬間、俺は全力で剣を振り抜いた。
――ザルッ。
肉を断ち、骨を砕く、ひどく生々しい感触が両手に伝わる。
ドスッ、と。マーラの美しい頭部が芝生に転がり、首の断面から間抜けなほど大量の血が噴き出した。
「あ……ぁ……」
やった。やってしまった。
鉄の匂いが鼻を突く。作り物だと思っていた世界で、俺は確かに『人』を殺したのだ。
手から聖剣が滑り落ちる。強烈な吐き気と、取り返しのつかない罪悪感が全身を貫いた。
「ひ、ひぃっ……!」
悲鳴を上げながら後ずさる俺の視界に、紅茶のトレイを持った妹のセラが入ってきた。
姉の首無し死体を、セラが見下ろしている。
(頼む、俺を罵ってくれ! 人殺しと叫んで、衛兵を呼んでくれ!!)
俺が血の涙を流さんばかりに祈った、次の瞬間。
「……ああっ! カイト様……!!」
セラはトレイを放り出し、頬を紅潮させて俺の足元に跪いた。その目は、狂気的なほどの感動に打ち震えている。
「なんという、なんという慈悲深さ……! 私たち双子は、常に『二人で一つ』という呪縛に囚われていました。それを、カイト様は物理的に姉を『切り離す』ことで、私という『個』を完全に確立してくださったのですね……ッ!」
「……は?」
「ああ、私だけのカイト様! 姉の分の愛も、私が全てあなたに捧げますわ!! 素晴らしい解体、最高の愛の証です!!」
セラは、姉の血の海に膝をつきながら、恍惚とした表情で俺の脚にすり寄ってきた。
「ち、ちが……俺は、殺したんだぞ!? お前の姉を!」
「ええ、ええ! その血塗られた御手すらも愛おしい……♡」
狂っている。
その騒ぎを聞きつけて、リリアとミューが駆けつけてきた。俺は絶望的な期待を込めて彼女たちを見た。
だが。
「まあ……! 勇者様の剣の冴え、なんて芸術的なのでしょう! マーラも、勇者様の聖なる剣の錆となれて、本望ですわね♡」
リリアは、転がっているマーラの生首を見て、うっとりと両手を組んだ。
「あははっ! 赤いお水がドバーッて出てる! ご主人様すごーい! ミューのお首もチョンパしてみるぅ!?♡」
ミューは無邪気に尻尾を振りながら、血溜まりの上でピョンピョンと跳ねている。
「あああああああああああああああああッ!!!!」
俺の喉から、人間のものとは思えない絶叫がほとばしった。
狂気。圧倒的な狂気。
俺がどれほどの罪を犯しても、どれほど心をすり減らしても、彼女たちの「全肯定フィルター」は、この惨劇すらも『極上のエンターテイメント』や『深い愛の表現』へと変換してしまう。
俺の罪は、誰にも裁かれない。
俺の痛みは、誰にも理解されない。
「くるなっ! くるなぁぁぁぁっ!!」
俺は血塗れのまま、城の廊下を全力で逃げ出した。
「お待ちくださいカイト様ぁ♡」「もっと見せてー!♡」という、恐ろしいほどに明るい声が背中を追いかけてくる。
自室に転がり込み、幾重にも鍵をかけ、俺はベッドの隅でガタガタと震えながら丸くなった。
両手には、マーラの骨を断った重い感触が、確かに残っている。
「俺は……俺は……っ」
胃の中のものを全て床にぶちまけ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺はただ泣き叫んだ。
やがて、許容範囲を超えた極度のストレスが脳のヒューズを焼き切り、俺は暗い意識の底へと落ちていった。
第4章(後編):時計の止まった部屋と、新品の命
――ハッとして、目を覚ました。
床に丸まって突っ伏したまま、全身が嫌な冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げる。
吐瀉物の酸っぱい匂い。
(……夢、じゃない。俺は、狂って……人を、殺したんだ)
震える両手を見つめる。肉を断った生々しい感触が、まだ手のひらにこびりついている。
だが、ふと違和感に気づいた。
壁掛け時計の音が、しない。
見上げると、文字盤の秒針が『4』の位置でピタリと止まっていた。
壊れたのか? いや、違う。窓の外を見て、俺は息を呑んだ。
太陽の位置が、俺がマーラの首を刎ねた「午後3時すぎ」の傾きから、1ミリも動いていないのだ。
風も吹いていない。空に浮かぶ雲も、写真のように完全に静止している。
(……時間が、止まってる……?)
ゾッとした直後。
俺が幾重にも鍵をかけたはずの自室のドアが、物理法則を無視して、ガチャリと何の抵抗もなく開いた。
「――カイト様、本日の紅茶はアールグレイになさいますか?」
入ってきたのは。
先ほど、俺がこの手で首を刎ね、血の海に沈めたはずの双子メイドの姉、マーラだった。
「……ひっ」
俺は喉の奥で引きつった悲鳴を上げた。
銀のトレイを持つ彼女の首には、傷一つない。制服に血の染み一つない。
セラが絶賛し、リリアが微笑み、ミューが跳ね回っていたあの惨劇の痕跡が、彼女の身体から完全に消去されている。
幽霊なんかじゃない。アンデッドでもない。
彼女はただ、システムによって『破損する前の最新データ』から再読み込み(リロード)されただけの、真新しいアセット(肉人形)なのだ。
「……あ、あぁ……ああっ……!!」
マーラは小首を傾げた。
その角度、瞬きのタイミング、そして発したセリフ。
全てが、俺が彼女を殺す直前の『数時間前』と全く同じだった。
世界が、俺に要求しているのだ。
『先ほどのプレイは不具合により中断されました。セーブデータからやり直します。さあ、正しい選択肢を選んでください』と。
俺の罪悪感も、吐き気も、命を奪ったという一生消えない十字架も。
このペラペラな世界は、ただの「エラー」として処理し、俺の心を一切無視してリセットをかけたのだ。
「くるな……! 近寄るなああああッ!!」
俺は絶叫しながら、マーラを思い切り突き飛ばした。
ガシャンッ!とティーカップが砕ける音を背中に聞きながら、俺は部屋を飛び出した。
廊下を走る。
窓の外の景色は、やはり完全に静止している。
(逃げなきゃ……! ここにいたら、俺は俺じゃなくなる! 俺の心まで、アイツらと同じ空っぽのデータに書き換えられてしまう!!)
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、転がるように階段を駆け下りる。
正気でいること自体が、この世界では最大の拷問だった。
俺はただ、この狂気から逃れるためだけに、止まった時間の王都へと飛び出していった。
第5章:血の祝祭と、システムのアクロバティック解釈
止まった時間の中、俺は王城を飛び出し、城下町へと駆け込んだ。
その瞬間だった。
『ピロリン♪』
脳内で間の抜けた効果音が鳴り、静止していた世界が唐突に動き出した。空が禍々しい紫色に染まり、けたたましい警報音が鳴り響く。
今日は金曜日。「土の四天王」の襲来イベント発生日だ。
「グハハハ! 我こそは四天王が一人、剛腕のタイタン! 勇者よ、出て――」
門の前に、茶色い岩肌の大男(※火水木の四天王と全く同じ骨格の使い回し)が現れ、いつものテンプレ台詞を吐き始めた。
「……うるさい」
俺の中で、何かが完全に焼き切れた。
またか。またこの茶番か。俺はこんなことのために、あんな思いをして、人を殺して、発狂したのか?
「無視するな! 貴様、この私の筋肉が――」
「うるさいんだよッ!!!」
俺は叫びながら、四天王に背を向けた。そして、逃げ惑うふりをしてテンプレ通りの悲鳴を上げている、近くのモブ市民たちに向かって聖剣を振り上げた。
壊してやる。この世界の全部を、俺の手でめちゃくちゃにしてやる。
そうすれば、さすがにこの世界も俺を「エラー」として認識するはずだ!
「うおおおおおおおッ!!」
――ザシュッ! ドスッ!
俺は手当たり次第に、市民を斬りつけた。パン屋の親父、花売りの少女、逃げ遅れた老人。
鮮血が舞い、肉が裂ける。俺は泣きながら、嘔吐しながら、それでも剣を振るうのをやめなかった。
「俺を憎め! 罵倒しろ! 化け物と呼んでくれ!!」
俺は血涙を流しながら叫んだ。だが、返ってきたのは、地獄のような光景だった。
「あ、ありがとうございます、勇者様……! あなたの聖剣で浄化されるなんて、この上ない名誉……!」
腹を裂かれたパン屋が、恍惚とした表情でそう言い残し、光の粒子となって消えた。
「まあ! 勇者様は、この街の人口密度を適正化するために、心を鬼にして間引きを行っているのですね! なんという慈悲深いご決断……!」
腕を切り落とされた婦人が、痛みを全く感じていないような完璧な笑顔で、俺の暴挙を「高度な政治的判断」へと脳内変換した。
違う。違う違う違う!!
「はぁ、はぁ……な、なんだ貴様は……!?」
背後で、放置されていた「土の四天王」が、慄いたような声を上げた。
俺は振り返り、血塗れの顔で彼を睨みつけた。
「次はてめえだ、使い回しのゴミデータが」
その瞬間、四天王の岩肌の顔が、驚愕と――奇妙な「畏怖」に歪んだ。
「な……なんという残虐非道! 守るべき民草を、躊躇いもなく肉塊に変えるとは……! き、貴様、本当に勇者か!? いや、その冷酷さ、我ら魔族をも凌駕する『真の魔王』の風格……!!」
四天王は、ガタガタと震えながら(※そういうモーションで)、俺にひれ伏した。
「素晴らしい……! その圧倒的な『悪のカリスマ』に、このタイタン、感服いたしました! あなた様こそが、この世界の支配者に相応しい!!」
拍手。
パチパチパチパチ……。
血の海の中で、生き残った市民たちと、敵であるはずの四天王が、一斉に俺に向かって拍手を送っていた。
「勇者様万歳!」「真の魔王様万歳!」「一生ついていきます!」
称賛の嵐。全肯定の暴風雨。
俺がどんなに残酷なことをしても、世界はそれを「勇者の偉業」か「魔王のカリスマ」という、用意されたテキストボックスの中に無理やり押し込んでしまう。
俺は、ただの「人殺し」にすらなれない。
聖剣が手から滑り落ち、血溜まりにチャポンと沈んだ。
俺は、拍手喝采の中心で、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
第6章:安いポルノと、通じない魂
全てを諦めた。
大虐殺すら肯定されたあの夜、俺の心は完全に折れた。
どうせここは、俺の脳内麻薬を引き出すためだけに作られた、都合の良い箱庭だ。
なら、もういい。抗うのはやめた。俺はこの狂った世界で、ただ快楽だけを貪る豚になってやる。
その夜、俺は聖女リリアの寝室のドアを叩いた。
「勇者様……♡ お待ちしておりましたわ」
月明かりに照らされたリリアは、神々しいほど美しかった。
だが、ベッドに押し倒し、肌を重ね合わせた瞬間から、俺の胃の奥で冷たい絶望が渦を巻き始めた。
――何もかもが、不自然だった。
彼女の吐息は、耳元で囁かれているのに、まるで別録りされたスタジオ音声(WAVデータ)のようにクリアすぎた。
どんな体勢になっても、彼女の髪は絶対に俺の顔にバサッとかかることはなく、まるで「見えないカメラ」に向けて常に一番美しい角度を維持し続けている。
息苦しさも、汗のベタつきも、体重の重みすら感じない。
「ああっ♡ 勇者様の……熱い情熱が、私を満たして……♡」
汎用性の高い、誰にでも当てはまるテンプレの喘ぎ声。
俺は、まるで精巧なラブドール……いや、VRポルノのホログラムを相手に腰を振っているような、強烈な虚無感に襲われた。
快楽の底で、俺はたまらず動きを止めた。
「……なぁ、リリア」
「はい、勇者様♡ もっと激しく、私を……」
「聞いてくれ。俺、勇者なんかじゃないんだ」
俺は彼女の肩に顔を埋め、縋るように、堰を切ったように話し始めた。
「元の世界じゃ、俺はただのゴミだったんだよ。毎日毎日、誰とも喋らずにパソコンの画面を見つめて、上司からは名前すらまともに呼ばれなくて。……友達もいなかった。女の手を握ったことだってなかった。誰の記憶にも残らない、空っぽで惨めな人生だったんだ……っ!」
涙が溢れ出た。
これが俺の真実だ。「佐藤海人」という人間の、みっともない本当の姿だ。
お願いだ。軽蔑してくれ。「気持ち悪い」と突き放してくれ。慰めなんていらない。ただ、等身大の『俺』を、人間として見てほしかった。
しかし。
リリアは一瞬だけ小首を傾げると、暗闇の中で瞳を爛々と輝かせた。
「まあ……! 勇者様は元の世界で、ご自身の強大すぎるお力を隠し、愚かな民衆を裏から見守る『影の支配者』を演じておられたのですね!」
「……は?」
「誰にも気づかれない孤独の中で、ただ一人、世界の均衡を保つための仮の姿……! なんという高潔な精神……! その惨めな生活すらも、あなたの神聖なる魂を磨くための試練だったのですね!!」
リリアは恍惚とした表情で、俺の背中に腕を回した。
「ああ、なんて気高く、美しいお方……! 誰にも理解されなかったその尊い痛みを、私が全て、この体で癒やして差し上げますわ!!♡
――ブツン、と。
俺の中で、最後に残っていた『人間としての命綱』が切れる音がした。
ダメだ。
こいつらには、俺の『痛み』すら届かない。俺がどれだけ惨めな弱さを差し出しても、この世界は自動的に『勇者様の素晴らしい美徳』というラベルに貼り替えて、シュレッダーにかけてしまう。
『ピロッ』
【生殖行動の停滞を検知しました。幸福ホルモンを強制分泌します】
脳内に無機質なシステム音声が響いた瞬間、俺の意思とは無関係に、下半身から強烈な快楽が脳天へと突き抜けた。
「あ、あぁ……ああっ……!!」
心は絶対零度に冷え切り、孤独のどん底で悲鳴を上げているのに。
肉体だけが、システムに操作されて都合よく絶頂へと向かっていく。
「勇者様、勇者様っ……♡」
完璧なアヘ顔を浮かべるリリアを見下ろしながら、俺は声を上げて泣いた。
愛もない。理解もない。ただ設定された快楽だけが、機械的に俺の脳を焼いていく。
嫌だ。こんなの嫌だ。助けて。誰か、俺を、人間として見てくれ。
声にならない絶叫は、甘ったるいテンプレの喘ぎ声に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
第7章:未実装のゲームオーバーと、終われない命
疲れ果てた。
抵抗することも、絶望することも、もう何もかもが面倒くさくなった。
ここは、俺を永遠に全肯定し続ける無間地獄だ。
狂うことも許されず、逃げることもできず、ただシステムの要求する「幸せな勇者」を演じさせられるだけの檻。
ならば、答えは一つしかない。
俺という存在そのものを、この世界から『削除』する。
深夜。ヒロインたちが寝静まったのを見計らい、俺は自室のバルコニーに立った。
手には、あの憎たらしいほどピカピカな聖剣。
(……これで、やっと終われる。俺は、俺の意志で、俺を終わらせるんだ)
躊躇いはなかった。
剣の切っ先を自分の心臓に当て、柄を壁に固定する。そして、思い切り前に倒れ込んだ。
――ゴリュッ。
骨を砕き、心臓を貫く、生々しく熱い激痛。
口から大量の血が溢れ出し、視界が急速にブラックアウトしていく。
ああ、痛い。だけど、これでいい。
最後に感じたのは、圧倒的な安堵感だった。
女神の用意したシナリオを、俺はついに自らの手で破壊したのだ。永遠の休息が、静寂が、俺を迎え入れてくれる――。
『ピロッ』
【致命的なダメージを検知しました】
【パッシブスキル『勇者の不屈』が発動。……失敗。対象の生命活動が停止しています】
【エラー:勇者の消失は進行フラグに致命的な障害を及ぼします。強制ロールバックおよび、聖女の蘇生シーケンスを強制作動します】
脳内に響く、無機質なアラート音。
次の瞬間、俺の身体を、温かく暴力的な光が包み込んだ。
「……っ、ぁ、あぁっ!?」
目を見開く。
肺に空気が無理やり押し込まれ、貫かれたはずの心臓が、強制的にドクンと嫌な音を立てて脈打った。
「――あああっ! 勇者様、勇者様っ! 目を覚ましてくださいませ!」
俺を見下ろしていたのは、大粒の涙を流す聖女リリアだった。
周りには、ミューや双子メイドも集まり、悲痛な顔で俺を囲んでいる。
(……嘘、だろ? 俺は、死んだはず……)
「よかった……本当によかった! 勇者様がご自身に剣を突き立てられた時は、私、どうにかなってしまいそうでした……っ!」
リリアは泣き崩れ、俺の胸にすがりついてきた。
その言葉を聞いて、俺の中に一縷の希望が生まれた。
(……伝わったのか? 俺が限界を迎えて、自殺を選んだという『絶望』が。彼女たちに、ついに俺の心が届いたのか?)
「ごめ、ん……俺、もう、無理なんだ……ッ。この世界で生きていくなんて……」
掠れた声で、俺は本音を絞り出した。これでやっと、終わらせてくれる。彼女たちも、俺を解放して――。
「ええ、わかっていますわ、勇者様」
リリアは、スッと顔を上げた。
その瞬間、彼女の顔から『悲しみの表情』が、たった0.1秒で完全に消失した。
「全ては、この私に『究極の蘇生魔法』を習得させるための、勇者様の大いなる試練だったのですね……!」
「…………え?」
「ご自身の命を懸けてまで、私という聖女を一段階上のステージへと導いてくださるなんて……! 嗚呼、その尊い自己犠牲の精神、私の胸を激しく打ちましたわ!♡」
リリアの瞳には、涙の跡すらない。ただ、頬を紅潮させ、恍惚とした表情で俺を絶賛している。
「あははっ! ご主人様、死んだフリ上手だったねぇ! ミュー、すっごくビックリしちゃった!♡」
「「ええ。勇者様の命を賭したサプライズ、我々の感情プロトコルを大いに刺激いたしました。素晴らしい余興です」」
違う。
俺は、本気で、死のうとしたのに。
こいつらは、俺の『死』すらも、イベントを進行させるための『フラグ』か『余興』としてしか処理していない。
『ピロッ』
【HP/MPが全回復しました。ステータス異常:なし】
視界の端で、システムウィンドウが冷酷にそう告げた。
終われない。
俺の命すら、俺の所有物ではない。
この世界には『ゲームオーバー(死)』という機能自体が、最初から実装されていなかったのだ。
「さあ勇者様、起き上がってくださいな! 今日も素晴らしい一日が始まりますわ!♡」
リリアの完璧な笑顔を見上げながら、俺の口からは、もはや言葉ではなく、ヒュー、ヒューという空気が漏れる音だけが響いた。
目の焦点が合わなくなる。
俺の心は、この瞬間、音を立てて完全に粉砕された。
――ああ。もう、どうでもいいや。
何を言っても、何をしても、死ぬことすら許されないのなら。
俺はもう、ただの『勇者というプログラム』として生きるしかないのだから。
エピローグ:仕様書通りで"ご都合主義"の楽園
どこまでも澄み切った青空から、無数の色鮮やかな紙吹雪が舞い落ちる。
王都のメインストリートは、俺たちを称える国民の歓声で揺れていた。
「勇者様万歳!」「ありがとう、俺たちの英雄!」
オープンカー(馬車)の上で、俺は歓声に応えてゆっくりと手を振る。
視界の端で、一枚の赤い紙吹雪が物理法則を無視して空中でピタッと止まり、また少し上にループして落ちるのを繰り返している。
しかし、俺の心はもう、微塵も波立たなかった。
「勇者様、素晴らしいパレードですわね♡ これも全て、あなたが世界を救ってくださったおかげですわ」
隣で微笑む、愛しの聖女リリア。
「ああ、そうだな。みんなの笑顔を見ていると、俺も心から幸せだよ」
俺の口から、淀みなく、完璧なトーンで『勇者のセリフ』が紡ぎ出される。
彼女の髪が不自然に同じ揺れ方をしていようと、沿道のモブたちの顔が全員同じコピペであろうと、もうどうでもいい。
だって、俺は『勇者カイト』なのだから。
ふと、頭の奥底で、ひどくノイズまじりの『夢』の残滓がフラッシュバックした。
(――狭くて暗い部屋。パソコンの画面。誰にも名前を呼ばれない孤独な日々。交差点。トラック。……サトウ、カイト?)
誰だ、それは。
ああ、きっと連日の魔王軍との戦いで、少し疲れているのだろう。あんな惨めで、誰にも愛されない空っぽの人間が、俺であるはずがない。
俺は、生まれながらにして選ばれた光の勇者。
美しい聖女と、可愛い獣人と、忠実なメイドたちに愛され、世界を救うために存在している、最強の主人公だ。
そうだ。そうに決まっている。
そうでなければ、おかしいじゃないか。
脳の奥で警鐘を鳴らし続けていた「100%の正気」は、俺自身の手によって完全にコードを引き抜かれ、ゴミ箱へと捨てられた。
痛いのも、苦しいのも、孤独なのも、もうたくさんだ。
現実の辛さから逃げ出した男は、異世界という名の残酷な檻の中で、ついに『自分自身からの逃避』という最後の扉を開けたのだ。
ここは天国だ。俺を永遠に全肯定してくれる、優しくて甘い、仕様書通りで"ご都合主義"の楽園。
「――カイト様? どうかなさいましたか?」
「ん? いや、なんでもないよ。ただ……この平和な世界を、俺は永遠に守り続けるって、そう誓ったんだ」
「まあ……!♡」
ヒロインたちが、一斉に俺に熱い視線を向ける。
パチパチパチパチ、と。王都中から、俺を肯定する乾いた拍手が鳴り響く。
だから俺は、今日がもう何回目の日曜日なのかを考えるのをやめて。
死んだ魚のような瞳の奥に、完璧にプログラミングされた『勇者の笑顔』を貼り付けて、いつまでも、いつまでも手を振り続けた。
――物語は終わらない。ハッピーエンドは、永遠に続く。
【続編】『仕様書通りの絶望 ―高精細な純愛の檻―』
序章:高精細な違和感(Ver 2.0 パッチノート)
どこまでも澄み切った青空から、無数の色鮮やかな紙吹雪が舞い落ちる。
そんな狂った日曜日の夢から、俺は目を覚ました。
「…………っ」
重い身を起こし、ベッドの上で頭を抱える。
何度目かわからない、月曜日の朝。俺がこの狂ったループ世界で「自分を諦め、勇者というプログラムとして生きる」と決めてから、どれだけの時間が経っただろうか。
窓から差し込む朝日に、ふと違和感を覚えた。
これまでの、明度と彩度を最大まで引き上げたような不自然な光じゃない。空気中を舞う微小な埃までが、チカチカとリアルに反射している。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
「……おはようございます、勇者様」
ドアを開けて入ってきたのは、専属メイドのマーラだった。
俺は反射的に、いつもの「完璧な笑顔」を顔に貼り付けようとした。どうせ彼女も、WAVデータのようにクリアで無機質な声で、テンプレの挨拶を口にするのだから。
しかし。
「カチャカチャカチャカチャ……ッ」
彼女が銀のトレイに乗せて持ってきたティーカップが、異常な音を立てていた。
見ると、トレイを持つマーラの手が、尋常ではないほど小刻みに震えている。
「え……?」
俺の顔を見た瞬間、マーラの瞳孔がヒュッと収縮した。
これまでの、ハイライトが固定された人形のような目じゃない。そこには明らかな「恐怖」と「生存本能」が泥のように渦巻いていた。
彼女はトレイをテーブルに置くや否や、無意識のうちに自分の『首筋』を右の掌で何度も、何度もさすり始めた。
――それは、前のループで、俺が発狂して彼女の首を聖剣で刎ね飛ばした、まさにその切断面だった。
「ひっ……ぁ、申し訳、ありません。少し、冷えまして……」
彼女は引きつった笑顔を作ろうとし、失敗して泣きそうな顔のまま部屋を逃げ出した。
俺はベッドの上で凍りついた。
(……記憶を、引き継いでる……? それに、あの震え方は『死の痛み』を、人間のトラウマとして完全に記憶している反応だぞ……!?)
その日の午後。俺の違和感は、決定的な絶望へと変わった。
警報音が鳴り響き、王都の門前に魔王軍の四天王が現れたのだ。
「フハハハ! 我は四天王が一人……!」
現れたのは、色違いの使い回し(パレットスワップ)ではなかった。
装飾過多なまでに緻密にデザインされた鎧。テクスチャの解像度が跳ね上がった、おどろおどろしい魔族の肉体。そして、そいつは戦いの最中、自分がいかに迫害されて魔族へと堕ちたかという「重厚で悲劇的なバックボーン」を涙ながらに語り始めた。
(……なんだこれ。豪華すぎる。俺の知ってるチープなクソゲーじゃない)
俺は舌打ちをし、いつも通りに聖剣を適当に振るった。
だが。
「……ッ! 重い……!?」
これまでは大根でも切るように『ザシュッ』と消滅していた魔族の肉が、強烈な反発力を持って俺の腕の筋肉をきしませた。
【超賢者】のチートによるワンパン補正が消えている。UIの端にあった「必殺技」のショートカットも存在しない。
「うおおおおッ!」
必死に剣を押し込み、なんとか四天王の首を切り裂いた。
その瞬間。ドバッ、と生温かい液体が俺の顔面に降り注いだ。
「かはっ……、見事だ、勇者……俺の、妹に……」
リアルな血の臭い、臓物のむせ返るような悪臭。命を強制終了させたという、重すぎる手応え。
俺は血塗れのまま、その場に四つん這いになり、胃液を吐き出した。
(違う。痛覚の実装。敵AIの高精細化。……難易度が、狂ったように上がってる。これは、ただのアップデートじゃない)
「勇者様……!!」
背後から、リリアたちヒロインが駆け寄ってくる足音が聞こえた。
前作までの彼女たちなら、俺が血とゲロに塗れていようと、「素晴らしい芸術的な戦いですわ♡」と全肯定のアヘ顔を浮かべていただろう。俺は自嘲気味に笑おうとした。
だが、俺の背中に触れたリリアの手は、熱く震えていた。
「カイト様……ごめんなさい、カイト様……ッ!」
振り返ると、リリアの美しい青い瞳からは、ポロポロと大粒の涙が溢れ出していた。ミューも、双子のセラも、全員が顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「ご主人様、痛かったよね、辛かったよね……! ミュー、全部思い出したよぉ……!」
「私たち、何も知らずに、あなた様をこんな血みどろの戦いに一人で……っ」
彼女たちは俺にすがりつき、俺の血塗れの鎧を抱きしめて、人間のように、いや、本物の人間として泣きじゃくった。
狂ったループの中で、俺が死ぬほど欲しかった「理解」。
「勇者カイト」の痛みに対する、本物の同情と、記憶の共有。
普通の男なら、ここで「奇跡が起きた」と涙を流して彼女たちを抱きしめ返すだろう。
だが、俺の心は絶対零度に冷え切っていた。
(……ああ、なるほど。そういうことか)
俺は、泣き崩れるリリアの完璧なつむじを見下ろしながら、脳内で冷たく結論づけた。
(無機質な全肯定(Ver 1.0)じゃ、俺の心が壊れてゲームオーバーになるって、運営(神様)は判断したんだな。
だから、難易度を上げて没入感を持たせた上で、俺が一番弱っている絶妙なタイミングで……**【ヒロインがループの記憶を取り戻し、主人公の孤独に寄り添う】っていう、最高にエモくて都合の良いパッチ(奇跡)**を当てやがった)
彼女たちの涙は本物だろう。彼女たちの心も、新しく実装された本物なのだろう。
だが、その「本物」が用意された【タイミング】が、あまりにも物語として完璧すぎた。
俺をこの世界に縛り付けるための、より高度で、より悪質な、ご都合主義。
終わらない祝勝パレードは、その解像度を上げて、俺の正気を完全に殺しに来たのだ。
第1章:白紙の過去と、本当の涙(リリア視点)
「――あっ」
目覚めた瞬間、頭が割れるような痛みに襲われました。
シーツを握りしめ、荒い息を吐きながら身を起こします。窓から差し込む朝の光が、なぜかひどく冷たく、リアルに感じられました。
脳内に、濁流のように「記憶」が流れ込んできます。
勇者様が魔王を倒した記憶。歓声に包まれたパレード。そして――また月曜日の朝に戻る記憶。
一度や二度ではありません。何十回、何百回と繰り返された、無数の「一週間」。
(……私たち、ずっと同じ時間を繰り返していたの……?)
さらに恐ろしいのは、そのループの中で勇者様が起こした数々の「凶行」の記憶でした。
彼が絶望し、泣き叫び、市民に剣を向け、そして自らの胸に刃を突き立てた記憶。
そのすべてに対して、私は――ううん、私たち全員が、不気味なほど完璧な笑顔で「素晴らしいですわ、勇者様!」と全肯定し続けていたのです。
「私……なんて恐ろしいことを……っ」
吐き気が込み上げました。彼があんなに血の涙を流して助けを求めていたのに、私はただ与えられたセリフを再生するだけのお人形だったのです。
私は震える足でベッドから降り、メイドたちの部屋へ向かいました。
「ひっ……いや、いやぁっ! 切れる、痛い、首がぁっ!!」
「マーラ、落ち着いて! 大丈夫、傷なんてどこにもないわ! ほら、私を見て!」
部屋のドアを開けると、ベッドの隅でマーラが錯乱したように自分の首を掻きむしり、セラが必死に彼女の背中をさすっていました。
昨日まで「完璧な双子メイド」として微塵の乱れもなかった彼女たちの姿は、そこにはありません。マーラの瞳には、かつて勇者様に首を刎ね飛ばされた時の『死の恐怖』が、鮮明に焼き付いていました。
「リリア様……! マーラが、突然……それに、私も、変なんです。とても恐ろしい夢を、何度も、何度も見たような……」
セラの言葉に、私は首を横に振りました。
「夢では、ありませんわ。セラ。……あなたも、思い出したのですね」
「え……?」
そこへ、パジャマ姿のミューも目をこすりながら入ってきました。
「ねえ、お姉ちゃんたち……ミュー、なんか変なの。ご主人様が、いっぱいいっぱい死んじゃうの、見た気がする……」
私たちは、一つの部屋に集まりました。
そして、互いの記憶をすり合わせるうちに、ある「決定的な違和感」に行き当たりました。
それは、未来の記憶ではなく――過去の記憶についてでした。
「セラ、マーラ。あなたたちは、魔王軍に滅ぼされた村の生き残りでしたわね」
「はい……そうです。私たちは二人で手を取り合って、村から逃げ延びて……」
「では、その村の名前は? お父様やお母様の顔は? 逃げる時に通った森の景色は?」
私の問いかけに、双子はハッとして顔を見合わせました。
「え……? 村の、名前……?」
「お母様の、顔……。どうして、思い出せないの……? 悲しい記憶のはずなのに、何も、何の情景も思い浮かばない……っ!」
ミューも、大きな耳をパタパタと下げて震え出しました。
「ミューも……。ミュー、希少種族の生き残りで、悪い奴隷商人に捕まってたはずなのに……。ムチで叩かれた『痛さ』も、暗い檻の中の『匂い』も、なんにも覚えてない。ただ、『そういう可哀想な子供だった』っていうことしか、頭にないの……!」
冷たい汗が、私の背中を伝いました。
私自身も同じだったからです。
「私も、ですわ」
私は自分の両手を見つめました。
「私はルミエール聖教国の孤児院で育ち、神に見出された聖女……。でも、それだけです。孤児院の先生の顔も、壁の木目の色も、温かかったスープの味も。……私の過去には、ただ『数行の説明文』があるだけで、人間としての『生きた記憶』が、何一つ存在しないのです」
まるで、誰かが雑に書き殴った台本の、設定資料を読まされているような感覚。
私たちは「勇者様を愛する」という役割を果たすためだけに、雑な背景を貼り付けられて、この世界にポンと配置されただけの存在だった。
この世界は、誰かが作った箱庭。
そして私たちは、中身が空っぽの人形だったのです。
「ああ……っ、勇者様……!」
私は、両手で顔を覆って泣き崩れました。
恐ろしい世界の真実に気づいた恐怖ではありません。たった一人、この薄っぺらい狂気の世界で、本当の痛みを感じながら戦い続けていた、孤独な彼のことを思ったからです。
「彼は、一人だけ『本物の人間』だった。だからあんなに苦しんで……あんなに、狂ってしまったのに。私たちは、彼を癒やすどころか、空っぽの笑顔で彼を追い詰めていた……っ!」
マーラも、セラも、ミューも、静かに涙を流していました。
設定だけの空っぽな私。
でも、今この胸の奥を締め付けている『彼への後悔』と、『彼を救いたいという想い』だけは、絶対に誰かに書かれた台本なんかじゃない。
(勇者様……ううん、カイト様。今度こそ、私があなたを。……どんなに惨めでも、どんなに壊れていても、私だけはあなたの『本当の痛み』に寄り添ってみせますわ)
朝の光の中、私はきつく両手を握りしめました。
これが、私たちが『心』を手に入れた、残酷で、そして愛おしい月曜日の朝の出来事でした。
第2章:崩壊する属性と、ルート分岐の幻視(カイト視点)
火曜日の朝。
俺は城の長い廊下で、トランクケースを手にしたマーラとすれ違った。
彼女は俺の姿を認めた瞬間、ビクッと肩を震わせ、首筋を庇うように一歩後ずさった。その瞳には、かつて俺が彼女の首を刎ね飛ばした『死の恐怖』が、ありありと浮かんでいる。
「……どこへ行くんだ」
俺が低く尋ねると、マーラは震える唇を噛み締め、だが、はっきりとした声で答えた。
「出ていきます。王都を、この城を」
「魔王軍が来てるんだぞ」
「それでも構いません。ここにいたら……私は、ただの『セラのコピー』として死ぬだけですから」
マーラの言葉に、俺は眉をひそめた。
「私と妹のセラは、ほくろの位置から声帯の震え方まで、完全に一致しています。血の繋がった双子だとしても、あり得ない。……私たちは、誰かが作った『双子メイド』という記号のために、同じデータを使い回されただけの存在なんです」
マーラは俺を真っ直ぐに見据えた。
恐怖に満ちた目。俺という人殺しの怪物を恐れながらも、彼女は「自分」を獲得するために、この居心地の良いハーレム(箱庭)から脱却しようとしていた。
「私はもう、誰かのための属性ではありません。私は、私を探すために行きます」
一礼し、早足で去っていくマーラ。
その後ろ姿を見送った俺の背後に、妹のセラが立っていた。
「……止めなくていいのか? お前の、たった一人の姉だぞ」
「姉……? 誰の、ことですか……?」
俺の問いかけに、セラは空虚な瞳で首を傾げた。
その瞬間、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
セラの顔から、表情が抜け落ちていた。声の抑揚も、前作の「WAVデータ」よりもさらに平坦になっている。
マーラが「双子」という設定を放棄して去ったことで、残されたセラは「双子の妹」という彼女の存在理由を喪失してしまったのだ。
「私は、メイドのセラ。お茶を、淹れますか……? カイト様……」
棒読みのセリフ。焦点の合わない目。
彼女は急速に「名有りのヒロイン」から「名無しのモブNPC」へと退行していく。システムが、属性を失った彼女の処理を持て余し、ただの背景データへと変換しているのが目に見えるようだった。
(……狂ってる。自我を手に入れても、設定を失えばゴミ箱行きかよ)
俺は吐き気を堪えながら、中庭へと足を向けた。
中庭では、眩しい太陽の下、ミューが旅支度を整えていた。
背丈よりも大きなリュックを背負い、俺を見ると、かつてのように「ご主人様ぁ!」と盲目的に飛びついてくるのではなく、少し照れたように、しかし力強く微笑んだ。
「カイト」
ご主人様、ではなかった。
対等な、ひとりの人間としての呼びかけ。
「ミューね、思い出したの。ミューには、お父さんもお母さんもいない。どこで生まれたかも、何が好きだったのかも、空っぽなの。……誰かが、ミューを『かわいそうな奴隷』にするために、適当に作っただけなんだって」
ミューは、自分の足元を見つめながら言った。
本来なら、リリアたちのように絶望して狂ってもおかしくない事実だ。だが、彼女は違った。獣の耳をピンと立て、どこまでも澄んだ目で俺を見上げた。
「でもね、カイト。過去が真っ白ってことは、これから何にでもなれるってことだよ! 誰かが書いたお話じゃなくて、ミューが自分で、ミューの冒険を作るの!」
それは、この箱庭の世界で、彼女だけが導き出した「希望」だった。
設定からの完全な脱獄。最も自分を持っていなかったはずのロリ獣人キャラが、一番最初に「自由」を勝ち取ったのだ。
「カイト」
ミューは、俺に向かって小さな手を差し出した。
太陽の光を背に受け、その笑顔は、かつて俺が憧れた「異世界ファンタジー」のヒロインそのものだった。
「一緒に行こう? 魔王とか、勇者とか、そんなの全部やめて。二人で、誰も知らない世界を見に行こうよ!」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の脳内で、けたたましいアラートが鳴り響いた。
(……なんだ、これは)
俺の網膜に、ありえないものが幻視された。
ミューの差し出した手の横に、空中に浮かぶ半透明のウィンドウ。そこには、白抜きされたシステムフォントで、こう書かれていた。
【選択肢 A:勇者の使命を捨て、ミューと共に新しい世界へ旅立つ】
「……は?」
俺は思わず後ずさった。
すると、背後の城のバルコニーから、俺を見下ろしている視線に気づいた。
聖女リリアだ。
彼女は、俺がミューの手を取るのではないかと、悲痛な、しかしどこまでも俺の痛みに寄り添うような「本物の慈愛」に満ちた瞳で俺を見つめていた。
その彼女の横にも、別のウィンドウが浮かび上がって見える。
【選択肢 B:ミューを見送り、理解者であるリリアと共に王都に残る】
視界がぐにゃりと歪む。
胃液が込み上げ、俺は口元を押さえた。
「カイト……? どうしたの?」
心配そうに覗き込んでくるミュー。その優しさすらも、システムによって計算された【好感度変動イベント】にしか見えない。
(……ふざけるな。ふざけるなッ!!)
俺は、自分の震える両手を見つめた。
マーラの離反。セラのモブ化。そして、ミューの自立と誘い。
これらはすべて、彼女たちが「心」を手に入れたからこそ起きた、本物のドラマだ。読者が見れば「ヒロインたちが成長した、感動的な展開」だろう。
だが、俺にはわかる。
このタイミングで、俺から「双子メイド」という記号を没収し、「自由なミュー」と「共依存のリリア」という対極の二択を提示してくるこの状況。
これは、神(運営)が俺に突きつけてきた、**【中盤のルート分岐イベント】**だ。
(没入感を上げるためにヒロインに自我を持たせたかと思えば、結局は俺に『どっちのヒロインを攻略するか』を選ばせるための、高度なギャルゲーのシナリオ進行じゃねえか!!)
彼女たちの涙も、決意も、俺を誘う眩しい笑顔も。
俺に「この世界は本物だ」と信じ込ませ、ゲームを継続させるために神様が用意した、最新の【ご都合主義パッチ】に過ぎない。
「……ごめん、ミュー。俺は、行けない」
俺は、空中に浮かぶ幻の【選択肢 B】を睨みつけながら、氷のように冷たい声でミューの手を振り払った。
彼女がどんなに自由になろうと、俺という存在はすでに、このクソみたいなシナリオの「フラグ管理」に完全に絡め取られているのだから。
ミューは一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに「そっか。バイバイ、カイト!」と笑って、城門の外へと駆け出していった。
希望に満ちた彼女の後ろ姿が、俺には「イベントスチルCGのフェードアウト」にしか見えなかった。
俺は、二度と戻らない正気(狂気)を抱えたまま、リリアの待つ城へと、まるで指定されたルートをなぞるように歩き出した。
第2章後半:あの日の亡霊――白紙の聖女と、生きた傷跡(リリア視点)
夜の静寂の中、私はカイト様の部屋の前に立っていました。
心臓が、トクトクと生々しい音を立てています。
「設定」の中だけで生きていた頃には決して感じなかった、胸の奥が締め付けられるような本物の痛み。
ミューが旅立ち、双子のメイドが崩壊した今、彼を支えられるのは私しかいない。その使命感と、何より彼への狂おしいほどの愛おしさが、私の背中を押していました。
ゆっくりとドアを開けると、彼は明かりもつけず、ベッドの端に腰掛けていました。
その背中はひどく小さく、世界のすべてを拒絶するように丸まっていました。
「……カイト様」
私がその名前を呼ぶと、彼の肩がビクッと跳ねました。
「どうして、お前がここに……」
「全部、思い出したからです。……いいえ、今の『私』が、あの時のあなたの言葉を、ようやく本当の意味で理解できたからです」
私は彼に歩み寄り、冷え切ったその両手を、私の両手で包み込みました。
そして、彼が最も触れられたくない、けれど誰かに見つけてほしかったであろう「あの夜」の記憶を口にしました。
「前に……あなたが、泣きながら私に打ち明けてくださった夜がありましたね」
カイト様の息が、ヒュッと止まるのがわかりました。
「毎日、毎日、誰とも喋らずにパソコンの画面を見つめていたこと。上司の方から、名前すらまともに呼ばれなかったこと。……友達もいなかった。女の手を握ったことだってなかった。誰の記憶にも残らない、空っぽで惨めな人生だったと、そう仰いましたね」
私は、あの日彼が吐き出した言葉の破片を、一言一句違わず、まるで聖書の一節のように大切に拾い上げました。
「あの夜、私はあなたを『影の支配者』だなんて、ピエロのような言葉で笑い飛ばしてしまいました。あなたが血を流すような思いで、ご自身の本当の姿を差し出してくださったのに……。私は、与えられたプログラムのまま、あなたを都合よく慰める『お人形』でしかなかった」
ポロポロと、私の目から涙がこぼれ落ち、彼の手の甲を濡らしました。
カイト様は、目を見開き、私を……私の涙を、信じられないものを見るような瞳で見つめていました。
「ねえ、カイト様。聞いてください。私の過去は、ただ『孤児院で育った』という数行の文字があるだけ。先生の顔も、夕飯の匂いも、何一つ存在しない、空っぽの器でした」
私は、彼の手に自分の頬をすり寄せました。彼の体温が、愛おしくてたまりません。
「だからこそ、私にはわかるんです。あなたのその『惨めな記憶』が、どれほど血の通った『本物の命の証』なのかが。……あなただけが、この嘘だらけの世界で、ただ一人痛みを抱えて泣いていた『本物の人間』だった」
私が彼に惹かれた理由。
それは、彼が世界を救う無敵の勇者だったからではありません。
誰にも見向きもされず、空っぽの人生に絶望していた、等身大の不完全な魂が、設定しかない私の「空虚」を、初めて満たしてくれたからです。
「私はもう、世界を救う無敵の勇者様なんていりません。……私は、痛みに震える等身大の『あなた』を、私の命のすべてを使って愛します」
私は彼の胸に飛び込み、その背中に腕を回しました。
「あの夜の私の言葉も、喘ぎ声も、全部作り物でした。でも、今こうしてあなたを抱きしめているこの腕の熱は、鼓動は、絶対に本物です。……だから、もう一人で泣かないで」
私の言葉に、カイト様の身体が、ガタガタと激しく震え始めました。
彼の手が、私の背中にゆっくりと回り、そして、私の服をきつく握りしめるのがわかりました。
(ああ……届いた)
私は歓喜に打ち震えました。
ずっと一人で地獄を歩いていた彼の心に、ついに私の愛が、本当の理解が届いたのだと。彼が今、私の腕の中で安堵の涙を流してくれているのだと、そう信じて疑わなかったのです。
この時の私は、気づいていませんでした。
私のこの「究極の理解」と「完璧な懺悔」こそが、彼を最も深く絶望させる【最後の刃】になってしまったことに。
第3章:完璧なテキストログと、凍りついた抱擁(カイト視点)
暗い部屋の中、俺はリリアの温かい腕の中に包まれていた。
彼女の体温。トクトクと脈打つ心臓の音。俺の服を握りしめる指先の、必死な力加減。
それらすべてが、あの夜の「WAVデータのような喘ぎ声」とは比べ物にならないほど、生々しく、リアルな「人間」のそれだった。
(……温かい)
ミューが去り、マーラが壊れ、徹底的に孤立した俺の心に、その熱はあまりにも甘美に染み渡った。
彼女の目から溢れる涙が、俺の手の甲を濡らす。その熱さに、俺の中で錆びついていた感情が、ギギギと音を立てて動き出しそうになる。
• 【希望】
(もしかして……。もしかしたら、今度こそ本当に奇跡が起きたのか?
あの薄っぺらなプログラムの殻を破って、彼女の中に『本物の心』が生まれたのか?
この涙は、この温もりは、俺の孤独を癒やすための、たった一つの真実なんじゃないのか……?)
俺の手が、無意識のうちに彼女の背中へと回ろうとした、その時だった。
「毎日、毎日、誰とも喋らずにパソコンの画面を見つめていたこと。上司の方から、名前すらまともに呼ばれなかったこと。……友達もいなかった。女の手を握ったことだってなかった」
リリアの口から紡がれたその言葉が、俺の脳髄を氷点下まで冷却した。
ピタリ、と。俺の手が空中で止まる。
(……は?)
彼女は、泣きながら続けていた。
「誰の記憶にも残らない、空っぽで惨めな人生だったと、そう仰いましたね」
俺の呼吸が止まった。
背筋を、冷たい虫が這い上がってくるような感覚。
(……なんで、一言一句、間違えずに言えるんだ?)
あれは、すべてを諦めてリリアを抱いたあの夜。俺が精神的に限界を迎え、自暴自棄になってベッドの上で喚き散らした、ただの独り言だった。
感情に任せて吐き捨てた、支離滅裂な愚痴の羅列。
それを、彼女はまるで台本を読み上げるように、接続詞の一つ、語尾のニュアンスに至るまで、完璧に再現して見せたのだ。
• 【疑念】
(……待てよ。おかしいだろ。
もし本当に、彼女が人間らしい『心』で、あの夜の記憶を反芻して心を痛めたのなら。記憶はもっと曖昧で、感情的に歪曲されていたり、彼女自身の言葉で要約されたりするはずだ。
『すごく辛そうだった』とか『一人で泣いていた』とか、そういう人間らしい表現になるはずなんだ。
なのに、なんだこの機械的な正確さは。
まるで……**【セーブデータから過去の会話ログを参照して、それをそのまま出力している】**みたいじゃないか……!!)
「……あなただけが、この嘘だらけの世界で、ただ一人痛みを抱えて泣いていた『本物の人間』だった」
リリアの声は、どこまでも優しく、慈愛に満ちていた。
だが、その完璧すぎるセリフ回しが、今の俺には**「高度なAIによる感情シミュレーション音声」**にしか聞こえなかった。
• 【限界点】
(違う! 疑うな! 彼女の涙を見ろ! この体温を感じろ! これは本物だ! 信じろよ、俺! 信じなきゃ、俺は本当に一人ぼっちになっちまう!)
VS
(目を覚ませ! タイミングが良すぎるだろ! 俺が一番弱っているこの瞬間に、俺が一番欲しかった『理解』の言葉を、完璧な順序で提供してくる。……これが、神様が用意した『救済イベント』じゃなくて、なんだって言うんだ!!)
「あの夜の私の言葉も、喘ぎ声も、全部作り物でした。でも、今こうしてあなたを抱きしめているこの腕の熱は、鼓動は、絶対に本物です。……だから、もう一人で泣かないで」
彼女はそう言って、さらに強く俺を抱きしめた。
俺の限界だった。
ガタガタと、俺の身体が激しく震え始めた。
それは、リリアが信じ切っているような「安堵の涙」などではない。
底なしの恐怖。
この世界を管理するシステム(神)の、あまりにも悪辣で、あまりにも精巧な「ご都合主義パッチ」に対する、魂の戦慄だった。
俺は、震える手で、ゆっくりとリリアの背中に腕を回した。
そして、彼女の服をきつく握りしめた。すがりつくように。
(……完璧だ。完璧すぎるよ、リリア。
お前のその『本物の愛』の演技こそが、俺を一生この世界から逃がさないために誂えられた、世界で一番贅沢な『作り物』の証拠なんだ……!!)
俺は、温かい地獄の底で、声を殺して絶望した。
第4章前半:黄金の残機と、赤く染まる王都(リリア視点)
土曜日の昼下がり。
空が禍々しい紫色に染まり、王都の正門前に『それ』は舞い降りました。
「我は魔王。……愚かなる人間どもよ、我が絶望の底へ沈むがいい」
かつての、安っぽい骸骨の姿ではありませんでした。
漆黒の翼、重厚な装飾の施された鎧、そして空気が震えるほどの圧倒的な魔力。わざわざ王都まで足を運んできた魔王の存在感は、以前とは比べ物にならないほど「本物の死」の匂いを漂わせていました。
「……くそっ、重い……ッ!」
カイト様が、血を吐きながら聖剣を振るいます。
以前のループでは、彼が片手で放つ魔法だけで退けていたはずの魔王が、今はカイト様の渾身の一撃を軽々と弾き返していました。底知れぬ魔王の恐るべき真の力。それに立ち向かうカイト様のお身体は、すでに無数の傷でボロボロでした。
「カイト様……ッ!」
魔王の巨大な大剣が、カイト様の頭上に振り下ろされようとした、その瞬間。
私は走っていました。
考えるより先に、身体が動いていました。
「させるものですか……ッ!」
――ザパンッ!!!
私の身体は、カイト様を庇うように飛び出し、魔王の剣によって斜めに両断されました。
「あ、が……ッ!?」
熱い。痛い。視界が明滅し、自分の内臓がこぼれ落ちる生々しい感覚に、息が止まります。初めて味わう『死の苦痛』は、想像を絶する地獄でした。
(痛い……痛い……! でも、これでいい!)
薄れゆく意識の中で、私はカイト様の無事な姿を見て、笑いました。
なぜなら、私は知っているからです。
以前のループで、カイト様が錯乱してマーラの首を刎ねた時。時間が戻らなくても、マーラはたった数分で、元のメイド服を着た姿でケロッと息を吹き返したことを。
この作られた箱庭の世界では、私たちのような『配置されただけの存在』は、命を落としてもすぐに元の場所へと戻されるのです。
なら、私のこの命は、彼を守るためのただの『盾』。
ふと目を開けると、私は王城の自室のベッドに立っていました。
痛みはありません。服も破れていません。
私は迷うことなく窓を蹴破り、再び戦場である王都の正門へと全速力で駆け出しました。
「カイト様! 今行きますわ!」
私が正門に到着した時、カイト様は魔王の炎に焼かれそうになっていました。
私は再び、彼の盾として飛び込みました。
全身が黒焦げになる激痛。二度目の死。
そして、目覚め。
城から正門へダッシュ。
三度目の死。四度目の死。五度目の死。
「な、なんだ貴様は……!? なぜ、何度殺しても湧いてくる!!」
魔王が、恐怖の混じった声を上げました。
無理もありません。
今のこの世界では、なぜか『死体』が消えずに残るようになっています。
戦場にはすでに、両断された私、黒焦げになった私、串刺しにされた私の亡骸が、いくつも、いくつも山のように積み重なっていたのですから。
「ふふ……。魔王、あなたにはわからないでしょうね」
六度目の目覚めを終えた私が、血の海と化した石畳を踏み締めながら笑いかけます。
「この程度の痛み、彼がずっと一人で抱えてきた孤独に比べれば、そよ風のようなものですわ。……私の命は、何度でも彼のために使い潰せる。彼への愛を証明できるのなら、百万回だって肉塊になってみせます!」
「……リ、リア……? お前、なんだよ、それ……」
背後で、カイト様が震える声で私の名前を呼びました。
私の死体の山を前に、彼の顔は蒼白になっていました。無理もありません。彼のような優しい人が、私の自己犠牲を目の当たりにして、心を痛めないはずがないのです。
「カイト様。悲しまないでください。これは、私の誇りです」
私は、自分の死体の山を指差しました。
「さあ! 私の亡骸を、足場にしてください! 私の死体を盾にして、あいつの懐に潜り込むのです! 私たち二人の力で……この運命を、打ち砕きましょう!!」
「狂っている……! き、貴様ら、正気か……ッ!?」
魔王が怯み、一歩後ずさりました。
その一瞬の隙を、カイト様は見逃しませんでした。
「う、うおおおおおおおおおッ!!」
彼は獣のような叫び声を上げ、転がっている「私」の身体を足場にして跳躍しました。
そして、そのまま渾身の力で聖剣を振り下ろし――魔王の分厚い装甲ごと、その心臓を貫きました。
「見事だ……勇者……、そして、狂気の、聖女よ……」
魔王は光の粒子となって、ついに空の彼方へと消滅しました。
終わったのです。
戦場には、静寂が訪れました。
夕日が、王都の門を赤く染め上げています。
そして、その赤い光に照らされるのは、地面を埋め尽くすほどの、おびただしい数の『私の死体』。
私は、息で肩を上下させているカイト様に歩み寄りました。
彼のために命を投げ出せた達成感と、彼と共に強敵を打ち倒したという熱い絆の証明。私の心は、これ以上ないほどの『純愛』で満たされていました。
「やりましたね、カイト様……」
私は、自分の死体の山を背にして、今までで一番美しい、心からの笑顔で彼に微笑みかけました。
これでもう、彼は一人ではありません。私が永遠に、彼を守るのですから。
第4章後半:残機の山と、絶望の答え合わせ(カイト視点)
重い。速い。そして、圧倒的に痛い。
チート能力を没収された俺の身体は、魔王の放つ魔法の余波だけで皮膚が焼け焦げ、剣で打ち合うたびに骨が軋む悲鳴を上げていた。
「ハァッ……ハァッ……!」
王都の正門前。視界は血と汗で滲んでいる。
魔王の巨大な大剣が、無慈悲に俺の頭上に振り下ろされようとした。
避けられない。死ぬ――そう覚悟した瞬間だった。
「させるものですか……ッ!」
視界の横から飛び込んできたリリアが、俺の盾となり、魔王の大剣に斜めに両断された。
「あ、が……ッ!?」
ドバッ、と。
凄惨な音と共に、彼女の美しい身体が上下に分断され、赤黒い臓物が石畳にぶちまけられた。
「リリア……ッ!?」
生々しい鉄の臭い。俺は絶叫し、その場に崩れ落ちそうになった。
人間になった彼女が、俺を庇って死んだ。その事実が、俺の心を真っ二つに引き裂こうとした。
だが、俺が悲劇に酔いしれる暇など、この狂った世界は与えてくれなかった。
数分後。
魔王の追撃を必死に避けていた俺の背後から、聞き慣れた足音が駆け寄ってきた。
「カイト様! 今行きますわ!」
……そこには、傷一つない、新品の服を着たリリアが走ってきていた。
城の自室(初期位置)でリロードされ、全速力でここへ戻ってきたのだ。
そして彼女は、呆然とする俺の目の前で、再び魔王の炎に飛び込み――黒焦げになって死んだ。
そしてまた数分後。新しいリリアが走り込んでくる。
串刺しにされ、潰され、焼かれる。
痛覚パッチが当たっている彼女は、死ぬたびに「痛い!」「いやあッ!」と本物の悲鳴を上げ、涙を流している。
(……なんだ、これは)
何度目かのリロード。
戦場には、すでに十体近い『リリアの死体』が、文字通り山のように積み重なっていた。
この世界のアップデートで「死体が消えなくなった」結果、そこには直視できないほどのグロテスクな肉の壁が形成されていた。
「な、なんだ貴様は……!? なぜ、何度殺しても湧いてくる!!」
魔王が戦慄の声を上げる。俺も同じだった。
血の海と化した石畳を踏み締めながら、新しいリリアが微笑んだ。
「この程度の痛み、彼がずっと一人で抱えてきた孤独に比べれば、そよ風のようなものですわ。……私の命は、彼を守るためのただの『残機』。彼への愛を証明できるのなら、百万回だって肉塊になってみせます!」
「……リ、リア……? お前、なんだよ、それ……」
俺の口から、無意識にそんな声が漏れた。
彼女は、積み重なった自分の死体の山を指差し、今までで一番美しい、聖女のような笑顔でこう言った。
「さあ! 私の亡骸を、足場にしてください! 私の死体を盾にして、あいつの懐に潜り込むのです!」
その瞬間。
俺の脳内で激しく揺れ動いていた『反復横跳びの針』が、ピタリと、一つの極限で完全に停止した。
(――ああ、なるほど。やっぱり、そういうことか)
俺は、自分の死体の山を背にして微笑むリリアを見つめながら、氷のように冷たく、そして明確に理解した。
(俺は、彼女が『心』を持ったと思っていた。あの夜の涙や、俺を抱きしめる温もりに、『本物の人間』を見出したと錯覚していた。
だけど、違う。絶対に違う。
本物の生きた人間は、自分の死体が無惨に転がっているのを見て、それを『足場にしろ』なんて笑顔で言えるわけがない。命を、何度でも蘇る『残機』として戦術に組み込む精神なんて、狂気ですらない。)
目の前で繰り広げられているのは、究極の自己犠牲でも、感動の純愛でもない。
(システムだ。
難易度を極限まで上げたこのバトルで、絶対に俺をゲームオーバーにさせないための、公式が用意した*【ヒロインの無限復活ギミック】**。
その仕様を、『愛する主人公を身を呈して守り続けるヒロイン』という、最高にエモくてグロテスクなシナリオ(演出)でコーティングしているだけなんだ!!)*
俺の疑惑は、絶対的な確信に変わった。
彼女がどれほど痛みに泣き叫ぼうが、俺を愛していると語ろうが、その根底にある「命の概念」そのものが、根本的に人間とは決定的に異なっているのだ。
「う、うおおおおおおおおおッ!!」
俺は、獣のような叫び声を上げた。
それは魔王への怒りではない。このどこまでも悪辣で、俺の心を嘲笑うように完璧な劇を強要してくる、この世界そのものへの激怒だった。
俺は、指示された通り、リリアの死体を踏み台にして跳躍した。
足裏に伝わる、柔らかな肉の感触。その不快感すらも、神が用意した演出の一環なのだろう。
「見事だ……勇者……」
俺の聖剣が心臓を貫き、魔王は予定調和のセリフを吐いて消滅した。
俺は血だまりの中に着地し、荒い息を吐いた。
「やりましたね、カイト様……」
背後から声がした。
振り返ると、夕日が王都の門を赤く染め上げている。
地面を埋め尽くすおびただしい数の『自分の死体』。その中心で、今さっきリロードされたばかりのリリアが、達成感と愛に満ちた、完璧なヒロインの笑顔を俺に向けていた。
(……ああ、吐き気がする。そのカメラワークが計算し尽くされた完璧な構図も。俺のために命を使い潰せるという、そのプログラムされた究極の愛も)
俺は、血に濡れた聖剣を握りしめながら、ただ一人、絶対零度の地獄に取り残されていた。
エピローグ:偽らざる純愛の檻(リリア視点)
王都の喧騒が、遠く窓の外から響いてきます。
何回目かわからない、色鮮やかな紙吹雪が舞う祝勝パレード。国民たちの歓声は、勇者様が救ったこの世界の平和を謳歌していました。
けれど、私はその喧騒に背を向け、暗い廊下の突き当たり、彼の部屋のドアの前に座り込んでいます。
「カイト様……。今日も、お食事をここに置いておきますわね」
返事はありません。
ドアの向こうからは、時折、彼が喉の奥で漏らす、獣のような、あるいは壊れた機械のような、掠れた泣き声だけが聞こえてきます。
あの日、魔王を倒したあとの夕暮れ時。
私の求婚を拒絶し、血を吐くような叫び声を上げて、彼はこの部屋に逃げ込んでしまいました。
「構図が完璧すぎる」「演出だ」「ご都合主義だ」……。彼が口にした言葉の意味を、今の私なら正しく理解できます。
かつての私は、システムに守られただけの、彼を「接待」するためだけの空っぽな肯定マシンでした。
彼がどれほど孤独でも、どれほど罪に震えても、私はそれを「素晴らしい美徳」だとラベルを貼り替えて、彼の本当の痛みから目を逸らし続けてきたのです。
そんな偽物の愛で、彼をどれほど深く傷つけ、追い詰めてしまったことか。
(ごめんなさい、カイト様……。あんなに残酷な『楽園』に、あなたを一人で閉じ込めていたなんて……)
今の私は、知っています。
この世界が、誰かに作られた箱庭であること。私の過去が白紙であること。
そして、私が今こうして彼を想って流している涙すら、誰かが計算した「高精細な感情パッチ」の結果かもしれないということを。
でも、カイト様。
たとえこの胸の鼓動が、誰かにプログラミングされた秒針の音だったとしても。
この熱い想いだけは、あなたに触れたいと願うこの指先の震えだけは、私にとっての、この宇宙で唯一の「真実」なのです。
「カイト様。……怖がらなくていいのですよ。パレードの歓声が、あんなに嘘っぽく聞こえるのは、あなたが『正気』だから。この世界の歪みに気づけるほど、あなたが誰よりも人間らしく、繊細な心を持っているからですわ」
私はドアに背中を預け、彼と同じ闇を共有するように、静かに瞳を閉じました。
「あなたは、もう頑張らなくていいのです。魔王を倒す必要も、誰かの期待に応える必要もありません。……この世界がどれほど嘘に満ちていても、ここにいる私の愛だけは、あなたがかつて泣きながら話してくれた、あの暗い場所での『本当のあなた』を、そのままに抱きしめ続けます」
かつての私は、彼を気持ちよくさせるためだけに笑っていました。
でも今の私は、彼と一緒に泣くためにここにいます。
彼がこの壊れたループの世界で、精神を焼き切ってしまうほどに深く傷ついたのなら。その破片を一つずつ拾い集めて、永遠に繋ぎ止めておくのが、私の唯一の贖罪であり、愛なのです。
「大丈夫……。大丈夫ですよ、カイト様。私はどこにも行きません」
私はドア越しに、彼がいるであろう場所に向かって、そっと手をかざしました。
木材の冷たい感触が、今の私には、彼を守るための絶対的な壁の温もりに感じられました。
「あなたが眠るまで、ここにいますわ。明日も、明後日も、このループが何度繰り返されても……。私は、あなたのたった一人の『理解者』として、ここであなたを愛し続けます」
私は、心からの幸せを感じて微笑みました。
扉の向こう側で、カイト様がまた絶望に満ちた悲鳴を上げたのが聞こえました。
ああ、愛しい人。
その悲鳴こそが、あなたが私を求めている何よりの証拠。
外では、終わらない祝勝パレードの音楽が鳴り響いています。
でも、この部屋の前だけは、私たちのための、真実の静寂が満ちていました。
これが、私の選んだ、偽らざる純愛の終着駅。
「愛しています、カイト様。……ずっと、ずっと、一緒ですわね」
私は、暗闇の中で、誰にも見られない完璧な笑顔で、そう囁き続けました。
真エピローグ:最適化された絶望と、狂信のパレード(カイト視点)
暗闇。
俺は、この「部屋」という名のセットの隅で、膝を抱えて震えている。
「カイト様……。今日も、お食事をここに置いておきますわね」
ドアの向こうから、リリアの声がした。
解像度が上がり、吐息の揺らぎや、喉の鳴る音まで再現された**「超高音質な毒」**が、俺の鼓膜を侵食する。
「怖がらなくていいのですよ。パレードの歓声が、あんなに嘘っぽく聞こえるのは、あなたが『正気』だから。……あなたが誰よりも人間らしく、繊細な心を持っているからですわ」
全身の毛穴が粟立つ。
違う。そうじゃない。
彼女は、俺が「パレードが嘘くさい」と思っていることまで、完璧に計算して肯定してみせた。
これは『愛』じゃない。運営(神)による**【思考のデバッグ】だ。
このVer 2.0の世界は、俺の脳内のストレス指数を常にスキャンし、俺が世界を拒絶すればするほど、それを「攻略対象の繊細な心の機微」へと変換し、リリアに「最も俺を無力化できる慰めの言葉」**を自動生成させている。
彼女の語る「愛」は、俺をこの部屋に縛り付けておくための、最も効率的な鎖なのだ。
(……くそっ、なんだこの音は。うるさい、うるさいんだよ……!)
俺は耳を塞ぐ。
窓の外から聞こえる祝勝パレードの喧騒が、以前(Ver 1.0)とは決定的に違っていた。
かつてのような、安っぽいループ素材の使い回しではない。
声が枯れるほどの絶叫。悲鳴に近い歓喜。熱狂というよりは、何かに追い立てられるような切迫した響き。
『勇者様万歳!』『ありがとう、俺たちの英雄!』
その声の渦の中に、俺は微かな違和感を聞き取った。
以前、俺がパレード中に虐殺を行った、あのパン屋の親父の声だ。
彼は叫んでいた。喉が裂けんばかりに。まるで、そう叫ばなければ、何かに押し潰されてしまうかのように。
カチャリ、とドアノブが回る音がした。鍵をかけているから開かない。
隙間から、食事のトレイが差し入れられる。
運んできたのは、リリアではなく、メイドのセラだった。
「……食事を、置いておきます。カイト様」
俺は、ドアの隙間から彼女の顔を見た。そして、息を呑んだ。
セラの目は、死んでいた。
だが、それは以前のような「データとしての虚無」ではない。
彼女の瞳の奥には、深淵のような絶望的な恐怖が渦巻いていた。
唇は微かに震え、何かブツブツと呟いている。
「……私はメイド。カイト様にお仕えする、双子の妹。お茶を淹れるのが仕事。私はメイド。私は、メイド……」
彼女は、必死に自分に言い聞かせていた。
マーラが去り、「双子」というアイデンティティを失った彼女は、自我が崩壊する恐怖に直面した。
そして、彼女が選んだのは――残された「メイド」という『設定』に、狂気的なまでに縋り付くことだった。
その姿を見た瞬間、俺の脳内で、外のパレードの騒音の「正体」が繋がった。
(……まさか。あいつらも、そうなのか?)
俺は震える足で窓辺に這い寄り、カーテンの隙間から外を覗き見た。
そこは、地獄の釜の底だった。
色鮮やかな紙吹雪が舞う中、王都の国民全員が、目を血走らせ、泡を吹かんばかりの形相で、俺を称える言葉を叫び続けていた。
彼らは、全員「気づいて」しまったのだ。
自分たちが、誰かに作られた箱庭の、空っぽの人形であることに。
この世界が、勇者という一人の男を接待するためだけに存在する、狂った舞台装置であることに。
自我を持ってしまった彼らは、その耐え難い虚無と恐怖から逃れるために、どうしたか?
――全員で、一つの巨大な『設定』に縋り付いたのだ。
「勇者様が世界を救った!」「私たちは幸せな国民だ!」「この世界は素晴らしい!」
彼らは、そう信じ込むことでしか、自我を保てない。
この熱狂的なパレードは、祝祭などではない。
恐怖に発狂した何万人ものNPCたちが、互いの存在意義を肯定し合うことで辛うじて正気を保っている、**大規模な集団ヒステリー(カルト宗教の儀式)**なのだ。
「大丈夫……。大丈夫ですよ、カイト様。私はどこにも行きません」
背後のドア越しに、リリアの優しい声が聞こえた。
ああ、そうだ。お前だけが、この狂ったカルトの頂点に立つ、完璧な聖女。
俺という神輿を担ぎ上げ、この世界の虚構を「真実の愛」で塗り固めるための、最強のシステム。
「愛しています、カイト様。……ずっと、ずっと、一緒ですわね」
俺は理解した。
ここには、救いも、逃げ場も、最初から存在しなかった。
外には、設定に縋り付いて発狂した何万人の信者たち。
ドアの向こうには、俺の思考を先読みして退路を断つ、完璧な愛の看守。
俺は、窓のカーテンを閉め切った。
そして、二度と開くことのないドアを見つめながら、暗闇の中で膝を抱えた。
後日談:『仕様書通りの幸福 ―家族(追加コンテンツ)という名の終身刑―』
第1章:絵画のような朝
柔らかな木漏れ日が、伯爵邸の豪華な寝室を照らしていました。
「パパ! 起きて! 朝だよ!」
元気な声と共に、ベッドに飛び込んできたのは、わんぱくな長女・アイリスでした。彼女はカイトの腹の上に乗り、無邪気な笑顔でその頬を叩きます。その後ろから、本を抱えた控えめな長男・ルカが、はにかみながら部屋に入ってきました。
「おはよう、パパ。……お姉ちゃん、あんまり暴れちゃダメだよ」
「いいの! パパ、今日は一緒にお庭で剣の練習してくれるって約束したもんね!」
子供たちの笑い声。愛おしい重み。
そこへ、寝間着姿のリリアが、以前と変わらぬ聖女のような慈愛を湛えて歩み寄ってきます。彼女はカイトの隣に腰を下ろすと、その額に優しくキスをしました。
「おはようございます、貴方。……ふふ、幸せな朝ですわね」
カイトは、完璧な「父親の笑顔」でそれに応えました。
「ああ。……おはよう、リリア。アイリス、ルカ」
第2章:伯爵という名の「固定アセット」(カイト視点)
子供たちを庭へ送り出し、俺はバルコニーからその姿を眺めていた。
元勇者、現伯爵。魔王を倒し、聖女と結ばれ、二人の子宝に恵まれた英雄。
王都の国民は、今でも俺たちが馬車で通りかかるたびに、あの時と同じ熱狂的な、そして少しだけ瞳の奥が濁った笑顔で「万歳!」と叫び続けている。
(……ああ、吐き気がする)
俺は手すりを握りしめた。
この生活が始まってから、もう数年が経つ。だが、俺の脳内を支配しているのは「幸福」ではない。絶え間ない**「悪寒」**だ。
• アイリスの「わんぱくさ」
彼女が転んで膝を擦りむいた時、彼女は決まって「えへへ、パパ、見て! 名誉の負傷だよ!」と笑う。そのセリフの回し方、膝の傷から流れる血の量、そして俺が頭を撫でた時の「嬉しそうなモーション」。
それは、俺が前世で見た**『理想的な元気な娘』というテンプレ**を、高解像度で出力しただけの挙動にしか見えない。
• ルカの「控えめさ」
彼はいつも、俺の書庫で難しい本を読んでいる。だが、その本のページを捲る間隔は、いつだって正確に「45秒」だ。彼が俺を見上げる時の、少し自信なさげな、でも尊敬に満ちたその瞳の輝き。
それは、俺が最も「庇護欲を掻き立てられる」ように、システムが数万通りのパラメータから弾き出した**『守りたくなる息子』という最適解**なのだ。
俺はこの子たちを愛している……のか?
それとも、俺の脳に「父親としての愛」という名のパッチが強制適応されているだけなのか?
(子供という名の『人質』。……これさえいなければ、俺はまだ死を望めたのに)
リリアが後ろから、俺の腰に腕を回した。
「どうかなさいましたか? カイト様。……そんなに険しい顔をして」
「……いや。幸せすぎて、少し怖くなっただけだ」
「あら……。大丈夫ですよ。この幸せは、誰にも壊せません。この子たちも、私も、永遠にあなたの側にいますわ」
リリアの声は、どこまでも甘い。
だが、俺は知っている。
この子たちの「わんぱくな行動」も「控えめな言葉」も、すべては俺のストレス値を監視し、俺をこの世界に繋ぎ止めておくための**【離脱防止用追加コンテンツ】**であることを。
俺がもし、また自殺を試みようとすれば。
この子たちは、世界で一番悲しい顔をして、世界で一番俺の胸を刺す言葉を、完璧な演技で投げかけてくるだろう。
「パパ、行かないで」「パパ、僕たちが悪いの?」
そんなセリフを吐くように、あらかじめプログラミングされているのだ。
俺は、リリアの温かい手の上に、自分の手を重ねた。
俺の脳内の「幸福度グラフ」が、一定の数値を保つようにシステムが微調整を行っているのを感じる。
(……逃げられない。俺はもう、死ぬことすら許されない)
「パパ! 早く来てよ!」
庭から、アイリスが呼んでいる。
俺は、死んだ魚のような瞳の上に、完璧に調整された「幸せな父親」のテクスチャを貼り付けて、眩しい光の中へと降りていった。
第3章・アナザーサイド:福音の朝、あるいは完璧な円環(リリア視点)
カーテンの隙間から差し込む光が、宝石のようにキラキラと部屋を彩っています。
お隣で眠るカイト様の穏やかな寝顔を見つめるのが、私の毎朝の至福のルーティン。
(ああ……なんて幸せなのかしら)
かつて、彼がこの部屋に閉じこもり、獣のような悲鳴を上げていたあの暗い日々が、今では遠い昔の出来事のようです。あの時、諦めずにドア越しに愛を囁き続けて本当によかった。
私の健気な祈りが、献身が、ついにカイト様の凍りついた心を溶かし、彼は「この世界で共に生きる」ことを選んでくださった。
あれから、私たちの物語は**「完璧な幸福」**へと書き換えられました。
「パパ! 起きて! 朝だよ!」
わんぱくなアイリスがベッドに飛び込み、カイト様を揺り動かします。その後ろからは、お気に入りの本を抱えたルカが、はにかみながらトコトコと歩いてきます。
「……おはよう、パパ」
二人の子供たち。
私たちの想いが形になった、まさに**「愛の結晶」**。
彼らが笑うたびに、この世界が祝福で満たされていくのを感じます。この子たちは、カイト様が私にくれた、最高の「真実の証明」なのです。
「おはよう、カイト様。……ふふ、幸せな朝ですわね」
私がそっとカイト様の額に口づけをすると、彼はいつものように、穏やかで優しい「完璧な父親の笑顔」を返してくれました。
「ああ。……おはよう、リリア。アイリス、ルカ」
その声を聞くたびに、私の胸は甘い熱さで満たされます。
今の彼は、もう何かに怯えることも、虚空を睨んで絶望することもありません。かつての彼が抱えていた「孤独」という名の病は、私の愛によって完治したのです。
朝食の後、バルコニーで風に当たるカイト様の背中を見つけました。
その広い背中は、一国の英雄、そして一族の主としての威厳に満ちています。
(ふふ、少し物思いに耽っているのかしら。そんな横顔も素敵……)
私はそっと近づき、彼の腰に腕を回しました。
以前の彼なら、こうして触れるだけで拒絶するように震えていたけれど、今の彼は、温かく私を受け入れてくれます。
「どうかなさいましたか? カイト様。……そんなに険しい顔をして」
「……いや。幸せすぎて、少し怖くなっただけだ」
カイト様のその言葉に、私は胸が締め付けられるほど愛おしくなりました。
「幸せすぎて怖い」だなんて。そんなことを言えるくらい、今の彼はこの世界を、私との生活を「現実」として愛してくれている。
「あら……。大丈夫ですよ。この幸せは、誰にも壊せません。この子たちも、私も、永遠にあなたの側にいますわ」
私は彼の掌に自分の手を重ね、その指先の感覚を確かめました。
かつて彼が「作り物だ」と叫んだこの温もりも、今では彼を支える「揺るぎない真実」として機能している。
私が彼に寄り添い、彼がそれに応えてくれる。
子供たちが健やかに育ち、国民たちは私たちを称え続ける。
これこそが、私が見たかった光景。
これこそが、私たちが手に入れるべきだった、永遠に終わらないハッピーエンド。
「パパ! 早く来てよ!」
庭で跳ね回るアイリスの声に、カイト様が微笑みながら頷きます。
その瞳に、かつてのような濁りや迷いはもうありません。
あるのはただ、私たちが築き上げた、美しく、高精細で、汚れなき「平和」だけ。
(愛しています、カイト様。この穏やかな地獄……いいえ、楽園を、私は永遠に守り抜いてみせますわ)
私は、太陽の光を浴びて輝く彼の横顔を見つめながら、この完璧な世界を維持し続ける幸福に、心から酔いしれていました。
ミュールート『善意という名の不可視の檻』
(『仕様書通りの絶望 ―高精細な純愛の檻―』の分岐ルートです。)
第2章:崩壊する属性と、ルート分岐の幻視(続き)
(……ふざけるな)
俺は、宙に浮かぶ白抜きの文字を睨みつけた。
ミューが差し出した「自由」への招待状。それが、この低予算フリゲのシステム上では**『ミュールートへの突入フラグ』**という記号でしかない。
俺がミューの手を取れば、物語は「自由への冒険」という名のレールを走り出す。
俺がミューの手を拒めば、物語は「リリアによる全肯定の監獄」という名の泥沼に沈む。
俺が何を考え、どれだけ葛藤しようとも、この世界は俺の人生を「AかBか」の二択でしか処理しない。
俺の魂の叫びは、1ビットのスイッチに還元されて消えていく。
「……カイト?」
ミューが不安そうに、俺の顔を覗き込んだ。
彼女には、この文字が見えていない。彼女にとっては、これは勇気を振り絞った「人生最大の賭け」であり、魂からの叫びなのだ。
それを「ルート分岐」だなんて呼び捨てにすることは、彼女の『本物』に対する、これ以上ない冒涜だった。
視界の端では、バルコニーからリリアが涙を溜めた瞳で俺を見つめている。
彼女の横に浮かぶ【選択肢 B】が、俺を誘う。
『狂ってもいい。何も考えなくていい。俺が用意した過去の中で、俺のすべてを肯定してやる。だから、ここにいろ』
そう、システムが囁いている。
「……ああ、わかったよ」
俺は、吐き気を飲み込んで笑った。
完璧な、勇者の笑顔を。
「行こう、ミュー。俺も、そんなのは真っ平だと思ってたんだ」
俺は、浮かび上がる【選択肢 A】を叩き割るように、ミューの小さな手を強く握りしめた。
その瞬間。
脳内に、澄み切った、しかし無機質なチャイムの音が響いた。
『――ルート確定:【Mew - True Adventure】を開始します』
『――メインクエスト:【勇者の使命】が一時凍結されました』
『――ミューの好感度が【MAX】に固定されました』
視界が、一瞬だけホワイトアウトする。
それは「Ver 1.0」の時の、あの安っぽい場面転換(暗転)よりもずっと高精細で、暴力的な輝きだった。
「……っ!!」
光が収まったとき、俺たちは王都の重厚な正門をくぐり抜けていた。
背後で、城門が「ゴゴゴ……」と重厚なSE(効果音)を響かせながら閉まっていく。
「やった……やったよ、カイト! 私たち、本当に自由になったんだ!!」
ミューが、俺の腕にしがみついて叫ぶ。
広大な草原。どこまでも続く青い空。
Ver 1.0の時には数枚のテクスチャの使い回しだった風景は、今や見渡す限りの草花が風に揺れ、遠くの山々からは高解像度な水蒸気が立ち昇っている。
だが、俺の視界の隅には、変わらず「それ」が表示され続けていた。
【現在の目的:自由な冒険を楽しむ】
(……楽しむ、だと?)
俺は、隣で無邪気に跳ねるミューの横顔を見た。
彼女は、自分が勝ち取った「自由」に酔いしれている。
だが、俺にはわかる。
この広大な景色も、清々しい風も、俺たちが今踏み出した一歩ですら、**『ミュールート:第1話』という名の、決められたオープニングムービー(演出)**でしかないことを。
「カイト! 走ろう! どこまでも行こう!」
ミューの手を引かれ、俺は駆け出した。
自由を求めて走っているはずなのに、俺の足裏に伝わる地面の感触は、どこまでも「正解のルート」を歩かされているような、不気味な安定感に満ちていた。
第2章 後編:【ミュー視点】 始まりの風、拓かれる運命
「――自由だ!!」
王都の巨大な鉄の門が、重厚な音を立てて閉まっていく。
その響きは、ミューには「過去との決別」を告げるファンファーレのように聞こえた。
目の前に広がるのは、どこまでも続くエメラルドグリーンの草原。
空は吸い込まれるほどに青く、見たこともないほど大きな太陽が、ミューたちの前途を祝すように黄金の光を降り注いでいる。
(ああ……すごい。世界って、こんなに眩しかったんだ……!)
ミューの胸の奥で、鼓動が激しく高鳴る。
ミューには、過去がない。お父さんも、お母さんも、故郷の思い出だって何一つない。誰かが作った「設定」という名の檻の中で、ただ怯えていただけの、名前のない奴隷だった。
でも、今は違う。
ミューの隣には、カイトがいる。
あの日、暗闇の中からミューを連れ出してくれた、たった一人の大切なパートナー。
カイトがミューの手を握り返してくれたあの瞬間、ミューは確かに感じたんだ。
頭の中に響いた、運命の鐘の音を!
それはきっと、神様だって書き換えられない、ミューとカイトだけの「本物の絆」が結ばれた証。
「カイト! 走ろう! どこまでも行こう!」
ミューはカイトの手を引いて、思い切り駆け出した。
踏みしめる土の感触、頬を撫でる風の冷たさ、そして繋いだ手の温もり。
そのすべてが、新しく生まれたばかりのミューの「魂」に、熱い生の実感を刻みつけていく。
「見てよカイト! あの山の向こうには、きっとミューたちの知らない不思議な生き物や、キラキラした宝石みたいな湖がいっぱい待ってるよ!」
ミューたちが一歩進むたびに、世界が新しく塗り替えられていくみたい。
誰かに決められたお話なんて関係ない。
ミューが歩く道が、そのままミューの伝説になるんだ。
後ろを振り返れば、遠ざかっていく王都が見える。
そこには、自分を閉じ込めていたリリアちゃんや、どこかへ行っちゃったマーラちゃんもいる。
みんな、悲しい運命に縛られて、自分の形を見失っていた。
でも、ミューは決めたんだ。
いつか、この世界の果てまで冒険して、もっともっと強くなって……。
その時は、ミューがみんなに教えてあげるんだ。「世界はこんなに自由で、ワクワクに溢れてるんだよ!」って!
「ミューの冒険は、ここからなんだ……!」
ミューは空に向かって、思いっきり拳を突き上げた。
風が強く吹き抜け、ミューの獣の耳を優しく震わせる。
たとえこの先に、どんな強い魔王や困難が待ち受けていたとしても、今のミューなら、カイトと一緒なら、絶対に乗り越えられる!
だって、ミューたちの心は今、この広い世界よりも大きく燃え上がっているんだから!
「行こう、カイト! 伝説の第一章、スタートだよ!!」
ミューは最高の笑顔で、輝く地平線へと跳ねるように走り出した。
その背中には、希望という名の黄金の翼が、確かに羽ばたいているように見えた。
第3章:【カイト視点】 ご都合主義の奔流と、再会の台本
王都の門をくぐり抜けてからの数週間は、俺にとって「地獄のような既視感」の連続だった。
ミューは「すごいよカイト! 毎日が新しい発見だね!」と目を輝かせていたが、俺の網膜には、それらの光景がまったく別の情報として映し出されていた。
――街道に出て最初の森で、ゴブリンの奇襲を受けた。
(Ver 1.0のチュートリアル戦闘と同じ配置だ。ミューの新しい爪スキルを試させるための、動くサンドバッグたち)
――隣町で、盗賊に襲われていた商人を助けた。
(商人は「たまたま」ミューが欲しがっていたレア装備を持っていた。ご丁寧に、お礼としてそれを無料で譲ってくれた。……そんな都合のいい話があるか)
――立ち寄った古代遺跡で、ミューが隠し通路を見つけた。
(彼女の『獣の勘』スキルが発動した瞬間に、壁のテクスチャが不自然に光ったのを俺は見逃さなかった。ここを掘れ、という運営からの安っぽい誘導サインだ)
俺たちが「自由な冒険」だと思って踏みしめている道は、すべて女神(運営)がきれいに舗装した**『初心者向け王道シナリオ・ルートA』**でしかなかった。
高精細なグラフィック、臨場感あふれる環境音。それらがリアルであればあるほど、その裏で動いているスクリプトの安直さが際立ち、俺の精神を逆なでする。
俺は、隣で無邪気に笑うミューの「本物の感動」を壊さないためだけに、必死で表情筋を固定し、「ああ、すごい偶然だね」と棒読みのセリフを吐き続けていた。
そして、その「偶然」の極みは、とある国境沿いの宿場町で訪れた。
「わあ、賑やかな町! カイト、あそこの宿屋でご飯にしよ!」
ミューに手を引かれ、活気のある――活気があるように見えるAIが配置された――酒場の扉を開けた瞬間。
俺の鼻が、ピクリと反応した。
酒と料理の匂いに混じって漂う、強烈な**「イベント発生の臭い」**。
(……まさか、な)
俺の嫌な予感は、酒場のカウンター席に座っていた「見覚えのある後ろ姿」によって、最悪の形で的中した。
その人物は、俺たちの入店音に反応して振り返り――そして、凍りついた。
「……っ、あ、あなた、は……ッ!?」
深緑色の髪。整った顔立ち。
かつて「双子のメイド(姉)」という記号で呼ばれていた少女、マーラだった。
「……奇遇だな、マーラ」
俺が努めて冷静に声をかけると、ガタンッ! と椅子が倒れる音が響いた。
マーラは顔面蒼白になり、自分の首筋を両手で庇いながら、後ずさったのだ。
「こ、来ないで……! 人殺し、怪物……ッ! なんで、なんでこんな所にまで……!」
彼女の瞳孔は恐怖で見開かれ、全身が小刻みに震えている。
それは「ツンデレ」なんて生易しいものではない。自分が一度殺された記憶を持つ被害者の、生々しいPTSDの反応だった。
(……ふざけるなよ)
俺は奥歯を噛み締めた。
俺たちが王都を出て、いくつもの分岐路を適当に選んできた末に、この広い世界で、ピンポイントで彼女と同じ宿屋の同じ時間帯に居合わせる確率。
そんな天文学的な奇跡が、自然に起こるわけがない。
これは、システムが俺たちに課した**【重要イベント:離脱キャラとの再会と和解】**の強制執行だ。
彼女のこの「本物のトラウマ」すらも、運営にとっては物語を盛り上げるためのスパイスでしかないのだ。
「ま、マーラちゃん!? 久しぶり! 元気だった!?」
凍りつく空気の中、唯一、状況を読めない(読まない)「超人」が、キラキラした声で割って入った。
「ひ、久しぶり、じゃないわよこの駄犬! なんでこいつと一緒にいるの!? 殺されるわよ!?」
「えー? 大丈夫だよー。今のカイトは、昔のカイトじゃないもん!」
ミューは、恐怖で震えるマーラと、能面のような顔で立ち尽くす俺の間に、ポンッと割って入った。
そして、太陽のように屈託のない笑顔で、とんでもなく残酷なことを言い放った。
「ねっ、マーラちゃん! 一緒にご飯食べよ? いろいろあったけど、話せばきっとわかるよ! だってミューたち、同じ城で暮らした仲間だもん!」
(……やめろ、ミュー)
俺は心の中で呻いた。
ミューのその行動は、100%の純粋な善意だ。彼女は本気で、俺たちが分かり合えると信じている。
だが、その眩しすぎる「王道主人公ムーブ」が、この場の空気を決定づけてしまう。
これで、俺はマーラに謝罪し、和解のプロセスを踏まざるを得なくなった。
マーラもまた、ミューのこの圧倒的な「光」の前では、トラウマを抱えたまま渋々テーブルに着くしかなくなる。
「……ほら、カイトも! 怖い顔しないの! 仲直りの握手!」
ミューに腕を引っ張られ、俺はマーラの前へ引きずり出される。
マーラは、まだガタガタと震えながら、それでも射殺すような目で俺を睨みつけている。
俺は、目の前に表示された(ように見える)システムウィンドウの【選択肢:誠心誠意謝罪して、仲間に誘う】を、死んだ目で心の中でクリックした。
「……すまなかった、マーラ。あの時の俺は、どうかしていた。今は、違う」
俺の口から、台本通りの綺麗なセリフが滑り落ちる。
その瞬間、酒場のBGMが、少しだけ感動的な曲調に変わった気がした。
(ああ……。俺の人生、あと何回この茶番を繰り返せば終わるんだ……?)
ミューの満足げな笑顔の横で、俺は完璧な「改心した勇者」の顔を作りながら、静かに魂をすり減らしていた。
第3章 後編:【ミュー視点】 運命の再会! 絆は時を超えて
「わあ、賑やかな町! カイト、あそこの宿屋でご飯にしよ!」
ミューはカイトの手を引いて、元気よく酒場の扉を跳ね上げた。
旅に出てからというもの、毎日が驚きの連続だった。怖い魔物との戦いも、困っている人を助けるお仕事も、全部がミューの新しい「冒険の1ページ」になっていく。
(カイト、前よりもずっと優しくなったよね。ミュー、カイトの隣にいられて本当に幸せ……!)
そんなことを考えていたミューの鼻が、懐かしい「匂い」をキャッチした。
酒場の喧騒の中に、確かに混じっている。
冷たくて、でもどこか背筋が伸びるような、凛としたメイドさんの匂い――。
「……あ、マーラちゃん!?」
カウンターに座っていたのは、かつてお城で一緒に過ごしたマーラちゃんだった!
ミューは驚きのあまり、パッと目を輝かせた。
広い広い世界で、またこうして出会えるなんて……!
これって、神様がミューたちに「仲直りして」って言ってる、最高の**『運命』**に違いないよ!
「……っ、あ、あなた、は……ッ!?」
でも、振り返ったマーラちゃんの顔は真っ白だった。
首筋を隠して、ガタガタ震えて……まるで、カイトの中に「怖い怪物」を見ているみたい。
(……そっか。マーラちゃんはまだ、知らないんだ)
カイトがあの日、どれだけ悩んで、どれだけ苦しんで、そして「勇者」っていう重たい鎧を脱ぎ捨ててミューと一緒に歩き出したのかを。
マーラちゃんの中で、時間はあのお城の怖い夜で止まったままなんだ。
「ま、マーラちゃん!? 久しぶり! 元気だった!?」
ミューは迷わず二人の間に駆け寄った。
マーラちゃんがカイトを怖がっているなら、ミューがその「壁」を壊してあげなきゃ。
だってミューたちは、同じ場所で、同じ空っぽの運命を背負って生まれた「仲間」なんだもん!
「ひ、久しぶり、じゃないわよこの駄犬! なんでこいつと一緒にいるの!? 殺されるわよ!?」
「えー? 大丈夫だよー。今のカイトは、昔のカイトじゃないもん!」
ミューは胸を張って答えた。
カイトが今、どれだけ自分を押し殺して……ううん、どれだけ優しくミューを支えてくれているか。
その「本当の姿」を、マーラちゃんにも知ってほしい。
「ねっ、マーラちゃん! 一緒にご飯食べよ? いろいろあったけど、話せばきっとわかるよ! だってミューたち、同じ城で暮らした仲間だもん!」
マーラちゃんはまだ怖がっているけど、ミューにはわかるよ。
彼女がこうして一人で王都を飛び出したのは、自分だけの「答え」を探したかったからだって。
ミューと同じ。自分の足で立ちたかったんだ。
そんな二人が出会ったんだから、もう「敵」である理由なんて、どこにもないよ!
「……ほら、カイトも! 怖い顔しないの! 仲直りの握手!」
ミューはカイトの腕を力いっぱい引っ張った。
カイトは少し困ったような、でもどこか優しい(ようにミューには見える)顔で、ゆっくりと手を差し出した。
「……すまなかった、マーラ。あの時の俺は、どうかしていた。今は、違う」
カイトの言葉!
不器用だけど、心のこもった(とミューは確信している)謝罪!
その瞬間、ミューの耳には、祝福の歌のような酒場のガヤガヤした音が響いた気がした。
(やった……! 一歩前進だよ、カイト!)
マーラちゃんはまだ不満そうに口を尖らせているけど、その手はゆっくりとカイトの差し出した手へ伸びていく。
かつては「設定」という鎖に縛られていただけのミューたちが、自分の意思で、新しい絆を結び直した歴史的な瞬間!
「えへへ、これで決まりだね! 今日はミューのおごりで、パーッとお祝いしよ!」
ミューは最高の笑顔で、二人の手を重ね合わせた。
窓の外には、ミューたちの未来を祝福するように、黄金色の夕日が差し込んでいる。
(見ててね、マーラちゃん、セラちゃん、リリアちゃん。ミューたちが、この世界の悲しいお約束を全部ぶっ壊して、最高に楽しい『新しい物語』を見せてあげるんだから!!)
ミューは希望に満ちた胸を躍らせながら、新しい仲間(?)との再会に、思いっきり乾杯の声を上げた!
第4章:【カイト視点】 予定調和の巨悪と、フラグ回収の足音
宿場町の酒場で、ミューの善意という名の暴力によって無理やり同じテーブルに着かされてから数時間後。
俺の懸念は、最悪の、そして最も「お約束」な形で現実のものとなった。
『ギャアアアアアッ!!』
『魔物だ! 魔王軍の奇襲だぞ!!』
突如として村を包んだ悲鳴と、燃え上がる炎の匂い。
窓の外を見れば、さっきまで平和だった辺境の村に、似つかわしくないほど巨大で禍々しい魔族――Ver 1.0では使い回しの記号だった中ボスが、最新の物理演算と無駄に豪華なエフェクトでフルリメイクされた、高精細な魔族――が暴れ回っていた。
「……はっ」
俺は思わず、乾いた笑いを漏らしそうになった。
俺たちがこの村に到着し、マーラと再会し、酒場で微妙な空気を共有したまさにその直後。
まるで「役者が揃うのを待っていた」かのような、完璧なタイミングでの敵の襲来。
(……ご丁寧に、俺たちを共闘させて『絆』を深めさせるためだけに、ここまでの開発リソースを割いてきやがったのか……!)
「カイト! 大変、村の人たちが! 行かなきゃ!」
ミューが椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その瞳は恐怖ではなく、正義感と使命感にキラキラと燃えている。完全に、王道熱血ファンタジーの主人公の顔だ。
「ま、待ちなさいよ! あんなの、私たちだけでどうにかなる相手じゃないわ!」
マーラが悲鳴のような声を上げた。彼女は自分が作り物だと知っているが、同時に「死の痛み」も知っている。彼女の震えは、紛れもない『本物』の恐怖だった。
「大丈夫だよマーラちゃん! ミューたちなら、絶対に勝てる! カイトもいるもん!」
ミューは迷いなく剣を抜き、炎の中へと飛び出していく。
残された俺とマーラ。
俺の視界の端に、【クエスト発生:村を襲う巨悪を討て】という白抜きの文字が幻視された。
……行くしかない。ここで逃げれば、システムは俺たちが戦うまで、より凄惨な「見えない壁」を用意して俺たちを追い詰めるだけだ。
「……マーラ、俺の後ろから離れるな」
俺は剣を抜き、冷たく言い放った。
「っ……あ、あんたの指図なんて受けないわよ! 私は、私のために……!」
マーラは強がって見せたが、その足は震えていた。
外に出ると、高解像度の炎のエフェクトと、鼓膜を揺らす重低音のオーケストラBGMが村を包んでいた。
巨大な魔族が、逃げ遅れた子供に巨大な斧を振り下ろそうとしている。
ミューが「やらせない!」と飛び込み、その一撃を弾き返す。完璧なタイミング。完璧なヒロイック・アクション。
「カイト、今!」
ミューの叫びに合わせ、俺は機械的に最も効率のいいコンボを叩き込む。
だが、魔族は「お約束」通りに第二形態(激怒状態)へと移行し、咆哮と共に周囲へ無差別の範囲攻撃を放った。
瓦礫が吹き飛び、鋭い破片がマーラへと向かって飛んでいく。
(……ああ、やっぱり来るか)
俺の体は、思考よりも先に動いていた。
いや、「動かされていた」と言った方が正しいかもしれない。
俺はマーラを抱き寄せ、その破片を背中で受けた。
Ver 2.0の仕様が生み出す、リアルで鋭い痛みが背中を突き抜ける。
「ぐっ……!」
「……っ!? か、カイト……!?」
腕の中で、マーラが信じられないものを見るように俺を見上げた。
かつて自分を惨殺した男が、自分の命を懸けて自分を庇った。彼女のプログラムされた「恐怖」が、「戸惑い」へ、そして「好意」へと急速に書き換えられていく音が聞こえるようだった。
「バ、バカじゃないの!? 私を庇うなんて……! 私、あんたのこと恨んでるのよ!?」
マーラの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
彼女の心臓の鼓動が、俺の胸越しにドクドクと伝わってくる。彼女のこの感情の揺れ動きは、間違いなく「本物」だ。
「……勘違いするな。お前がここで死んだら、ミューが悲しむからだ」
俺の口から、無意識のうちに『完璧なツンデレへの返し台詞』が滑り出た。
(……最悪だ。俺の脳髄まで、このクソゲーのテキストに侵食されてやがる)
「っ……!! べ、別にあんたに助けてなんて頼んでないわよ! 私だって、戦えるんだから!」
マーラは顔を真っ赤にして俺を突き飛ばすと、手から魔法の光を放ち、魔族の目を的確に射抜いた。
その瞬間、俺の脳内で『チロリン♪』という、あの嫌悪すべき電子音が鳴り響いた気がした。
【マーラの好感度が上昇しました】
【パーティーメンバー『マーラ(ツンデレ真)』が正式加入しました】
「やったね、マーラちゃん! 二人とも、一気に決めるよ!!」
ミューが満面の笑みで叫び、黄金の光を纏って魔族へトドメの一撃を放つ。
断末魔と共に、巨大な魔族が無駄に美麗な光の粒子となって雲散霧消していく。
「……ふん。足手まといにはならなかったでしょ」
息を切らしながら、マーラが俺の方を見て、少しだけ誇らしげに、そして照れくさそうに笑った。
その頬は朱に染まり、かつての「機械的なメイド」の面影は微塵もない。彼女は今、この劇的な戦闘を経て、見事に「ヒロイン」として覚醒したのだ。
「カイト、マーラちゃん! 私たち、すっごいチームだね!」
ミューが無邪気に二人の手を引き寄せる。
本物の達成感に満ちたミュー。
本物の恋心に揺れるマーラ。
俺は、彼女たちのその「本物の熱」に焼かれながら、ただ一人、吐き気を噛み殺して完璧な勇者の笑みを浮かべていた。
(……ああ、わかったよ、女神様。これが、お前が用意した『マーラ再加入イベント』の全貌か。……反吐が出るほど、よく出来たシナリオだ)
村人たちの歓声と、感動的な勝利のBGMの中。
俺は、この世界の「ご都合主義」という名の絶対的な暴力に、静かに首を絞められていた。
第4章 後編:【ミュー視点】 炸裂する絆! 守るための爪
『ギャアアアアアッ!!』
『魔物だ! 魔王軍の奇襲だぞ!!』
平和だった村の空気が、一瞬で凍りついた。
窓の外には、燃え上がる家々と、それを見下ろす山のように大きな魔族の姿。
(……っきゃない!)
ミューは迷わず椅子を蹴り飛ばした。
胸の奥で、熱い炎がボワッと燃え上がるのを感じる。
昔のミューなら、ただガタガタ震えて、誰かが助けてくれるのを待つしかなかった。でも、今のミューは違う。ミューには、守りたい仲間がいて、一緒に戦ってくれるカイトがいる!
「カイト! 大変、村の人たちが! 行かなきゃ!」
「ま、待ちなさいよ! あんなの、私たちだけでどうにかなる相手じゃないわ!」
震えるマーラちゃんに、ミューはニカッと笑いかけた。
「大丈夫だよマーラちゃん! ミューたちなら、絶対に勝てる! カイトもいるもん!」
炎の中へ飛び出すと、魔族が逃げ遅れた子供に巨大な斧を振り下ろそうとしていた。
(間に合え……っ!)
ミューは獣の脚力を全開にして、地面を蹴った。
『設定』として与えられただけの犬耳と尻尾が、今は風を読み、バランスを取るための最高の相棒になっている。
「やらせない!!」
両手に意識を集中させる。指先から、鋭く、硬く伸びる『爪』。
ミューの武器は、誰かが作った剣じゃない。ミュー自身の一部だ!
黄金色のオーラを纏った爪を交差させ、ミューは巨大な斧の刃を真っ向から弾き飛ばした。
ギィィィンッ!! と火花が散る。重い。でも、押し負けない!
「カイト、今!」
ミューの叫びと同時に、カイトが流星のように飛び込んでくる。無駄のない、完璧でかっこいい剣の軌跡。カイトの一撃が魔族の装甲を深く切り裂いた。
だが、魔族は怒りの咆哮を上げ、身体を赤く染めながら周囲の建物を手当たり次第に破壊し始めた。
凄まじい風圧と、飛んでくる大量の瓦礫。
その鋭い破片の一つが、動けないマーラちゃんの方へ真っ直ぐ飛んでいく!
「マーラちゃん!!」
ミューが叫んだその時、信じられないスピードで間に割って入った背中があった。
カイトだ。
カイトは、マーラちゃんをぎゅっと抱きしめ、自分の背中でその破片を受け止めた。
「ぐっ……!」
「……っ!? か、カイト……!?」
マーラちゃんが、信じられないものを見るように目を見開いている。
(カイト……っ! かっこいいよ!)
ミューは胸が熱くなった。昔の、マーラちゃんを傷つけたカイトはもういない。自分の身を呈してでも仲間を守る、これこそがカイトの『本当の姿』なんだ!
「バ、バカじゃないの!? 私を庇うなんて……! 私、あんたのこと恨んでるのよ!?」
涙を浮かべるマーラちゃんに、カイトは少しぶっきらぼうに、でも優しさを隠しきれない声で言った。
「……勘違いするな。お前がここで死んだら、ミューが悲しむからだ」
その言葉に、マーラちゃんの顔がパッと赤くなる。
(あははっ、二人とも不器用だなあ。でも、もう大丈夫!)
マーラちゃんはカイトを突き飛ばすようにして立ち上がると、「足手まといにはならないわ!」と、魔族の急所へ向けて完璧な魔法を放った。
カイトが守り、マーラちゃんが魔法で隙を作る。
二人が作ってくれた、たった一度の最高のチャンス!
「いくよ……これで、おしまいッ!!」
ミューは空高く跳躍した。
全身の力を、両手の爪に込める。カイトからもらった勇気と、マーラちゃんとの新しい絆。その全部が、ミューの爪を眩しい黄金色に輝かせる!
「はぁぁぁぁぁッ!!」
十字に振り抜かれたミューの爪が、魔族の巨体を光の軌跡で真っ二つに切り裂いた。
断末魔と共に、魔族がサラサラと光の粒になって消えていく。
空には、いつの間にか綺麗な青空が戻っていた。
「……ふん。足手まといにはならなかったでしょ」
息を切らしながら、照れくさそうに笑うマーラちゃん。
ミューはたまらなくなって、カイトとマーラちゃんの手をガシッと掴んだ。
「カイト、マーラちゃん! 私たち、すっごいチームだね!」
三人の手が重なる。
温かい。これが、みんなで作った『本物の絆』なんだ。
ミューの冒険は、今、最高の仲間と一緒に、本当のスタートを切ったんだ!
第5章:【カイト視点】 逃れられぬ引力と、自由意志の牢獄
マーラがパーティーに加わってから数日後。
俺たちは、隣国へと続く街道の関所で、完全に足止めを食らっていた。
「王都が……魔王軍の総攻撃を受けている?」
関所に押し寄せていた避難民の一人が、泥だらけの服で泣き叫んでいた。
Ver 1.0の時にはただのテキストメッセージで済まされていた「王都の危機」が、今は無駄に悲痛なフルボイスと、高精細な涙のエフェクト付きで俺たちの鼓膜と網膜を殴りつけてくる。
「……王都が……」
マーラの顔から、スッと血の気が引くのがわかった。
「大変だ……リリアちゃんたちが危ない! ねえカイト、すぐに戻らなきゃ!」
ミューが俺の腕を強く引いた。
その瞳には、1ミリの淀みもない。100%の正義感。かつて自分を閉じ込めていた国であっても、そこに生きる人々を見捨てないという、王道熱血主人公としての完璧な善意。
俺は、視界の端に点滅し始めた【メインクエスト更新:王都防衛戦へ向かえ】というシステムウィンドウを、吐き気を堪えながら見つめていた。
(……ああ、やっぱりな)
俺たちが西へ行こうとすれば「橋が落ちている」。北へ行こうとすれば「吹雪で進めない」。
この数日、俺たちがどれだけメインルートから外れようとしても、世界はあらゆる「自然な障害」を用意して俺たちの行く手を阻んできた。
そして今度は、これだ。
物理的な見えない壁で進行を防ぐのが無理だと悟ったシステム(女神)は、ついに**「ヒロインたちの感情」をハッキングして、俺を王都へ引きずり戻しに来た**のだ。
「私……行かなくちゃ」
震える声で、マーラがぽつりと呟いた。
彼女は自分の両腕を強く抱きしめ、うつむきながらも、その言葉には確かな熱がこもっていた。
「私、あの城を出る時、セラを……私の半身を、見捨てたの。私が『マーラ』になるために、あの子を『設定』の檻に閉じ込めたまま、自分だけ逃げ出した……っ!」
マーラの大粒の涙が、地面のテクスチャに染み込んでいく。
「あの子に、謝らなきゃいけない。あの子がただのコピー(ゴミ)として死ぬ前に、私が……私が助けに行かなくちゃ!!」
それは、自我を獲得した彼女が抱える、紛れもない「本物の罪悪感」と「贖罪」の決意だった。
「マーラちゃん……。うん、行こう! 絶対にセラちゃんを助け出すんだ!」
ミューがマーラの手を力強く握りしめる。
熱血主人公と、過去を乗り越えようとするヒロイン。二人の本物の絆が、黄金の夕日を背にして最高にエモーショナルな構図を作っている。
だが、俺の心は、絶対零度まで冷え切っていた。
(……すげえよ、お前は)
俺は、誰もいない虚空――この世界を記述している女神(鯖管)――に向かって、心の中で乾いた拍手を送った。
システムは、俺に強制力を行使する必要すらなかったのだ。
ミューの「正義感」と、マーラの「罪悪感」。
彼女たちが旅の中で培ったその美しい『本物の心』を、システムは**「王都へ帰還させるための最強の誘導」**として利用したのだ。
彼女たちが人間らしく成長すればするほど、その心は「お約束(ご都合主義)」のシナリオに完璧に合致していく。
俺がこの狂った強制イベントから逃げるためには、「行く必要なんてない」と彼女たちの心をへし折るしかない。
だが、ミューのまっすぐな瞳と、マーラの涙を見て、俺にそんなことができるはずがなかった。
「……行くぞ、二人とも」
俺は、自分の魂を削り取って作った「完璧な勇者の笑顔」を顔に貼り付け、王都への道へ振り返った。
「カイト……! うんっ!!」
「……あんたに言われなくても、行くわよ」
二人の足取りは、先ほどまでの迷いが嘘のように力強い。
だが俺の目には、彼女たちの足元に、**王都の決戦場へ向けて引かれた、太くて輝かしい「システムの一本道」**がはっきりと見えていた。
(……この世界に、俺の自由なんて最初から1バイトもなかったんだな)
俺は、二人の背中を守るように歩き出しながら、絶望という名のラスボス戦へ向かう覚悟を、静かに、そして完全に決めた。
第5章 後編:【ミュー視点】 涙の誓いと、絆が示す道!
「王都が……魔王軍の総攻撃を受けている?」
避難してきた人たちの悲鳴を聞いた瞬間、ミューの心臓がドクンと大きく跳ねた。
王都。
それは、ミューが「名前のない奴隷」から「カイトの相棒」になった、始まりの場所。
そこにはまだ、リリアちゃんやセラちゃん、それにたくさんのお城の人たちがいる。
(大変だ……リリアちゃんたちが危ない! ねえカイト、すぐに戻らなきゃ!)
ミューは無我夢中でカイトの腕を引っ張っていた。
せっかく自由な世界に飛び出したのに、引き返すなんて……普通なら迷うかもしれない。
でも、ミューに迷いなんて1ミリもなかった!
だって、助けを待っている人がいるんだよ? それを見捨てて「自由だー!」なんて笑ってられないもん!
「私……行かなくちゃ」
その時、隣でマーラちゃんが震える声で呟いた。
顔を真っ青にして、ギュッと自分の腕を抱きしめている。
「私、あの城を出る時、セラを……私の半身を、見捨てたの。私が『マーラ』になるために、あの子を『設定』の檻に閉じ込めたまま、自分だけ逃げ出した……っ!」
ポロポロと、マーラちゃんの大きな瞳から涙が溢れ落ちた。
地面に落ちたその涙は、今までミューが見てきたどんな宝石よりも、綺麗で、本物だった。
「あの子に、謝らなきゃいけない。あの子がただのコピー(ゴミ)として死ぬ前に、私が……私が助けに行かなくちゃ!!」
(マーラちゃん……っ!!)
ミューの胸の奥が、熱くてたまらなくなった。
マーラちゃんは、もうただの「怒りっぽい元メイドさん」じゃない。
自分の弱さとちゃんと向き合って、大切な妹のために立ち上がろうとしている、最高にかっこいい女の子だ!
「マーラちゃん……。うん、行こう! 絶対にセラちゃんを助け出すんだ!」
ミューは、マーラちゃんの冷たい手を両手でしっかりと握りしめた。
大丈夫、ミューたちがついてる! 私たちの絆があれば、どんな強敵だって、どんな悲しい運命だって、絶対にひっくり返せる!
ミューは、ギュンッとカイトの方を振り向いた。
カイトは、少しだけ俯いて、何かをじっと考えているみたいだった。
(カイト……。そうだよね、せっかく王都を出たのに、また戻るなんて。でも、カイトなら……!)
「……行くぞ、二人とも」
顔を上げたカイトは、太陽みたいに温かくて、どこまでも頼もしい、最高の笑顔をミューたちに向けてくれた。
「カイト……! うんっ!!」
「……あんたに言われなくても、行くわよ」
ミューは嬉しくて、思いっきり頷いた。
(やっぱりカイトはすごいよ! ミューの自慢の相棒だよ!)
ミューたちが一歩踏み出した瞬間、西の空に沈みかけていた夕日が、パァァッと黄金色に輝いて、王都へと続く道を真っ直ぐに照らし出してくれた。
まるで、神様が「君たちの行く道は間違ってないよ」って、背中を押してくれているみたい!
(待っててね、セラちゃん、リリアちゃん! ミューたちが、絶対に助け出してみせるから!)
ミューは前を向いた。
これから向かうのは、きっと今までで一番大きくて、一番激しい戦いになる。
でも、怖くない。
ミューの隣には、過去を乗り越えたマーラちゃんがいる。
そして、どんな時でも一番前で道を切り開いてくれる、最高の勇者・カイトがいるんだから!
「いっけぇぇぇえええええ!!」
ミューは、王都の空を覆う黒い雲を睨みつけながら、全力で大地を蹴って走り出した!!
第6章:【カイト視点】 神作画の茶番劇と、空っぽの凱歌
王都の城門をくぐった瞬間、俺はあまりの「作り込み(リソースの暴力)」に眩暈を覚えた。
燃え盛る城下町。絶望に逃げ惑う人々の悲鳴。
そして、王城の上空に浮かぶ、天を焦がすほどの巨大な魔法陣と、そこから顕現する魔王の姿。
Ver 1.0の時は、ただ暗いテクスチャを貼り付けただけの「記号的な悪」だったはずの魔王が、今は信じられないほどのポリゴン数と、無駄に滑らかな物理演算の布きれを羽ばたかせながら、王都を見下ろしていた。
『愚かな人間どもよ。我が絶望の炎で、貴様らの罪を浄化してくれよう……!』
豪華な有名声優による、無駄にエコーの効いたフルボイス。
そして、空間全体を震わせるような、生オーケストラ音源の重厚なBGM。
(……ははっ。この「最終決戦セット」、いったいどれだけの容量を食ってんだよ)
俺は聖剣を握りしめながら、心の中で乾いた笑いを漏らした。
運営(女神)は、俺たちにこの「本番」を遊ばせるために、道中の村や街道の作り込みをスカスカにしていたのだ。ここが、このゲームの集大成だからだ。
「カイト! 行こう、みんなが待ってる!!」
ミューが剣を抜き、炎の海へと飛び出していく。その顔には、1ミリの疑いもない「王道主人公」の決意が張り付いていた。
「……セラ! 絶対に助け出すんだから!」
マーラもまた、杖を握りしめ、かつての片割れを救うために走り出す。彼女の震える背中には、血の通った「本物の悲壮感」が漂っていた。
彼女たちは、この光景を「現実」だと信じている。
王都の危機も、魔王の強大さも、すべてが自分たちの命を懸けるに値する「リアル」だと。
だが、俺にはわかる。
この状況は、ミューの『正義感』とマーラの『贖罪』を最高潮に盛り上げるために用意された、ただの**「高難易度イベントバトル」**に過ぎない。
「いくぞ、魔王!!」
ミューの号令と共に、戦闘が始まった。
それは、おぞましいほどに「完璧」な連携だった。
ミューが獣の脚力で魔王の注意を引きつけ、マーラが精密な魔法で魔王の防御を削り、俺が聖剣で致命傷を与える。
俺は自分が「動いている」というよりも、システムが用意した【最適解のコンボルート】を、見えない力で「なぞらされている」感覚に陥っていた。
『グオォォォッ!! 貴様らごときの絆で、我が深淵の闇を払えると思うなァ!!』
魔王のHPバー(俺にしか見えない)が半分を切った瞬間、お約束の「第二形態」への強制変身イベントが挟まる。
空がさらに暗くなり、絶望的なコーラスBGMが流れ始める。
「くっ……なんて圧倒的な力……! でも、負けないっ!」
ミューが膝をつきながらも、ボロボロの体で立ち上がる。
「ミュー、無理しないで! 私が盾になるわ!」
マーラが、かつての利己的なメイドからは想像もつかない自己犠牲の精神で、ミューの前に立ち塞がる。
(……やめろ。そんな「本物の心」で、こんな三文芝居の台本をなぞるな)
俺は吐き気を噛み殺した。
ミューの勇気も、マーラの成長も、すべてが美しい。
だが、その美しさが、魔王の攻撃を耐え凌ぐための「イベントフラグ」として消費されていくのが、耐えられないほどグロテスクだった。
『これで終わりだ、勇者どもォ!!』
魔王が、画面全体を覆い尽くすような即死級のチャージ攻撃のモーションに入る。
その瞬間。
「カイト!! 私たちの力を、一つに!!」
ミューが俺に向かって手を伸ばした。マーラもまた、涙と汗にまみれた顔で俺に魔力を送ってくる。
俺の視界のど真ん中に、巨大なシステムウィンドウがポップアップした。
【最終奥義:『絆の聖剣』を発動しますか?】
【 YES / NO 】
(……NOを選んだら、どうなる?)
一瞬、そんな破壊衝動が脳裏をよぎった。
だが、選べるわけがない。俺がここで拒否すれば、彼女たちの「本物の命」が、このふざけたゲームのゲームオーバー処理として消去されるだけだ。
「……ああ。俺たちの絆で、こいつを打ち砕く!!」
俺は、自分の魂を切り売りするような声でテンプレのセリフを叫び、見えない【YES】を力強く叩き割った。
『――システム:ヒロインたちの好感度(絆)が閾値を突破しました』
『――特別演出を開始します』
俺の聖剣が、ありえないほどの眩い光(過剰なエフェクト)を放つ。
ミューの獣のオーラと、マーラの魔法陣が幾重にも重なり合い、世界そのものを白く染め上げるような一撃となって魔王を貫いた。
『バ、カナ……この我が、人間の、絆、ごとき、にィィィィ……!!』
魔王が、長ったらしい断末魔と共に、無駄に美麗な光の粒子となって雲散霧消していく。
空を覆っていた暗雲が晴れ、一筋の朝日が俺たちを照らし出した。
「……勝った。勝ったよ、カイト、マーラちゃん!!」
ミューが泣き笑いの顔で、俺の胸に飛び込んできた。
「……バカ。ちょっとはヒヤヒヤしたじゃないのよ」
マーラも、顔をくしゃくしゃにして笑いながら、俺の背中にしがみついてくる。
彼女たちの体温。心臓の音。涙の感触。
それは、絶対にプログラムなんかじゃない、本物の命の熱だった。
俺は、完璧な勇者の笑顔を顔に貼り付け、二人を力強く抱きしめ返した。
周囲からは、生き残った王都の民衆たちによる、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こっている。
だが、俺の耳には、その歓声の裏で鳴り響く、無機質なファンファーレの音が聞こえていた。
【メインクエスト『魔王討伐』をクリアしました】
【エンディングルートを読み込んでいます……】
(……ああ。終わったな)
俺は、涙を流して喜ぶミューの頭を撫でながら、虚空を見つめた。
この「豪華な茶番」が終わったことで、俺たちはついに、このゲームの【クリア後】という名の、一生ログアウトできない刑務所に収監されるのだ。
第6章 後編:【ミュー視点】 届け、みんなの心! 限界突破の黄金爪!!
王都の城門をくぐった瞬間、ミューの全身の毛がブワッと逆立った。
空を覆い尽くす、禍々しい真っ黒な魔法陣。
そして、その中心から見下ろしてくるのは、今まで戦ってきたどんな魔物とも違う、圧倒的な絶望を纏った『魔王』だった。
『愚かな人間どもよ。我が絶望の炎で、貴様らの罪を浄化してくれよう……!』
空気をビリビリと震わせる声。
燃え盛る街。逃げ惑う人々。
怖い。足がすくみそうになる。でも……!
「カイト! 行こう、みんなが待ってる!!」
ミューは両手の指先にギュッと力を込めた。
シュルンッ、と鋭く伸びたミューの『爪』。誰かが鍛えた剣じゃない。ミューの魂と繋がっている、ミューだけの武器だ!
「……セラ! 絶対に助け出すんだから!」
隣でマーラちゃんが杖を構える。その横顔には、もう迷いなんて微塵もなかった。
いくよ、みんな! 私たちの冒険の、集大成だ!!
「いくぞ、魔王!!」
ミューは大地を蹴り飛ばし、燃える瓦礫を足場にして一気に空中の魔王へと跳躍した。
「はぁぁぁぁぁッ!!」
渾身の力を込めた十字の爪撃!
硬い。信じられないくらい硬い防御結界! でも、ミューの爪が弾かれるより早く、マーラちゃんの魔法が結界の隙間を的確に撃ち抜いた!
「今よ、カイト!!」
マーラちゃんの叫びに呼応して、カイトの聖剣が魔王の巨体に深々と突き刺さる!
完璧だ! ずっと一緒に旅をしてきたからわかる。言葉なんかなくても、みんなの心が一つになってる!!
『グオォォォッ!! 貴様らごときの絆で、我が深淵の闇を払えると思うなァ!!』
魔王の怒りの咆哮と共に、空がさらに暗黒に染まる。
魔王の姿がさらに禍々しく膨れ上がり、見たこともないような巨大な魔力の塊が、ミューたちを飲み込もうと迫ってきた!
(……こんなの、どうやって防げば……!)
「ミュー、無理しないで! 私が盾になるわ!」
マーラちゃんが、ミューの前に立ち塞がって防御魔法を展開する。
あのマーラちゃんが、自分の命を盾にしてミューを庇ってくれるなんて……!
「ダメだよマーラちゃん! 盾になるなら、一緒に!」
ミューはマーラちゃんの隣に立ち、交差させた爪で強引に魔力の奔流を受け止めた。
重い! 身体が軋む! でも、絶対に倒れない!
だって、私たちの後ろには……!
「カイト!! 私たちの力を、一つに!!」
ミューは限界まで踏ん張りながら、カイトに向かって手を伸ばした。
マーラちゃんも、持てるすべての魔力をカイトの剣へと注ぎ込んでいる。
一人じゃ勝てない。でも、この世界で出会えた最高の仲間となら、どんな奇跡だって起こせるんだ!
「……ああ。俺たちの絆で、こいつを打ち砕く!!」
カイトの力強い声が響いた。
その瞬間、カイトの聖剣が、まるで太陽そのものみたいに眩しい黄金の光を放ち始めた!
(カイト……! うん、いくよ!!)
ミューの爪にも、黄金のオーラがバチバチと溢れ出す。
カイトの勇気、マーラちゃんの決意、そしてミューの絶対に諦めない心。
全部が一つになって、奇跡の光が限界を突破する!!
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ミューとマーラちゃん、そしてカイトの三位一体の突撃!
黄金の爪と聖剣が、魔王の闇を真っ向から切り裂いていく!
『バ、カナ……この我が、人間の、絆、ごとき、にィィィィ……!!』
魔王の身体に無数の光の亀裂が走り――次の瞬間、鼓膜が破れるような轟音と共に、魔王は光の粒子となって空の彼方へ消え去っていった。
「…………勝った」
暗雲が晴れ、温かい朝日がミューたちを照らし出す。
剣を収めたカイトの背中が、朝日に照らされて最高にかっこよかった。
「……勝った。勝ったよ、カイト、マーラちゃん!!」
ミューはもう我慢できなくて、大粒の涙をこぼしながらカイトの胸に勢いよく飛び込んだ!
「……バカ。ちょっとはヒヤヒヤしたじゃないのよ」
マーラちゃんも泣き笑いの顔で、カイトの背中にしがみつく。
カイトの大きな腕が、ミューとマーラちゃんを優しく、力強く抱きしめ返してくれた。
温かい。カイトの心臓の音が聞こえる。
王都の人たちが、ワァァァッ! と歓声を上げて駆け寄ってくる。
(やった……やったよ! ミューたち、本当に世界を救ったんだ!)
空っぽだったミューが見つけた、世界で一番大切で、最高に誇らしい「冒険の結末」。
ミューはカイトの腕の中で、雲ひとつない青空を見上げながら、心の底から幸せを噛み締めていた。
【エピローグ:カイト視点】 完璧な凱旋と、終わらない刑期
魔王討伐から数日後。
王都の大通りは、Ver 1.0のチープな背景からは想像もつかないほど高精細な紙吹雪と、リアルな物理演算で舞い散る花びらに包まれていた。
「勇者様ぁー!」「ありがとう、俺たちの英雄!!」
沿道を埋め尽くす群衆の歓声。
彼らはただのモブNPCではない。自我を持ち、過去のループで俺が狂って刃を向けた記憶を、その魂の奥底に刻み込んでいる者たちだ。
だが今、彼らの顔に恐怖はない。
俺とミューたちが命を懸けて世界を救い、見せた「本物の絆」。そして、かつての虐殺者である俺が正気を取り戻し、真の魔王を討ち果たしたという「感動的な贖罪」。
彼らはそれに心を打たれ、本物の涙を流して俺たちを祝福しているのだ。
(……すげえな、このゲームのシナリオライターは)
俺は、パレードの馬車の上で、顔の筋肉を「完璧な勇者の笑顔」に固定したまま、心の中で吐き気を噛み殺していた。
彼らのその「本物の赦し」すらも、システムがこのエンディングの感動を最大化させるために利用した**『過去の罪からの救済イベント』**というスパイスでしかない。
馬車の前方では、さらにグロテスクなほどに「完璧な」ドラマが展開されていた。
「……ごめんなさい、セラ。私、自分が『個』になるために、あなたをあの城に置き去りにした。あなたを『設定』の中に殺そうとした……っ!」
マーラが、王城から迎えに来たセラの手にすがりつき、ボロボロと涙を流している。
「……マーラ、お姉ちゃん……。私、寂しかった。名前が消えそうで、怖かった……」
感情を失いかけていたセラが、マーラの温もりに触れ、堰を切ったように泣きじゃくった。
「私たち、もう『誰かが作った双子』じゃない。……これからは、私があなたを選んで、あなたが私を選ぶの。義理の姉妹として、私と一緒に来てくれる?」
「……うんっ! どこまでも行くよ、お姉ちゃん……っ!」
抱き合う二人。周囲の民衆が、その美しい姉妹愛にさらに大きな歓声を上げる。
(……ああ。【サブクエスト『双子メイドのアイデンティティ』:Complete】ってわけだ)
俺の目には、二人の頭上に浮かぶ『実績解除』のシステムメッセージがはっきりと幻視されていた。
そして、ドラマはそれだけでは終わらない。
歓声の中、純白のドレス――いや、「聖女の装束」を自ら脱ぎ捨て、簡素な旅の服に着替えたリリアが、馬車に駆け寄ってきたのだ。
彼女は、俺ではなく、真っ直ぐにミューの前に進み出た。
「ミューさん……。私、ずっとあなたを見ていました」
リリアの瞳から、かつての俺に対する「狂気的な執着」は完全に消え去っていた。
「あなたが『可哀想な奴隷』という役割を捨て、自分の足で未来を切り開く姿……その眩しさに、私は救われたんです。私も、『聖女』という檻から出たい。どうか、私を……あなたの旅に同行させてください!」
(……嘘だろ。ここで【隠しヒロイン:元・聖女リリア】のパーティー加入フラグまで回収するのかよ)
あまりのご都合主義の連続に、俺は眩暈すら覚えた。
依存先を俺から失い、崩壊するはずだったリリアの自我。システムは、それを**『主人公の輝きにあてられて自立するヒロイン』**という、最も美しく、最もプレイヤーが喜ぶ形に書き換えて見せたのだ。
「もちろん! リリアちゃんも、今日から私たちの仲間だよ! 一緒に、誰も知らない世界を見に行こう!」
ミューが、太陽のような笑顔でリリアの手を引き上げる。
マーラ、セラ、そしてリリア。
かつての陰惨なループで血塗られた少女たちが、ミューという「光」を中心に、本物の笑顔で手を取り合っている。
「カイト! 見て! みんな一緒だよ! 私たちの冒険は、これからもっともっと楽しくなるね!!」
ミューが、俺に向かって無邪気に振り返った。
その背後には、紙吹雪の向こうに、新たにアンロックされた「巨大な帆船」と「海図(追加DLC)」が、不気味なほど高解像度で輝いて見えた。
「ああ……そうだな。俺たちの冒険は、これからだ」
俺は、ミューの頭を優しく撫でた。
みんなが幸せだ。誰も傷ついていない。世界はこんなにも美しく、愛に満ちている。
だからこそ、俺は一生、この地獄から抜け出せない。
彼女たちのこの「本物の幸福」を守るために、俺は死ぬまで、このクソゲーが用意した『勇者』という完璧なピエロを演じ続けなければならないのだから。
鳴り止まないファンファーレと、永遠に終わらない凱旋パレードの中。
俺は、自分の魂が完全に殺された音を、誰にも気づかれないように静かに聴いていた。
【真エピローグ:ミュー視点】 終わらない明日へ! 私たちの物語はこれからだ!!
青く澄み渡った王都の空に、色とりどりの紙吹雪が舞っている。
「勇者様ぁー!」「ありがとう、俺たちの英雄!!」
沿道を埋め尽くす人々の笑顔、笑顔、笑顔。
みんながミューたちに向かって手を振り、涙を流して喜んでくれている。
あんなに怖かった魔王の闇はもうどこにもない。ミューたちが命を懸けて守り抜いた、温かくて優しい「明日」がここにあるんだ。
パレードの馬車の上で、ミューは胸がギュッと熱くなるのを感じていた。
「……ごめんなさい、セラ。私、自分が『個』になるために、あなたをあの城に置き去りにした……っ!」
振り返ると、マーラちゃんがセラちゃんの手を強く握りしめ、ボロボロと涙をこぼしていた。
「……マーラ、お姉ちゃん……。私、寂しかった。名前が消えそうで、怖かった……」
セラちゃんも、マーラちゃんの胸に飛び込んで大声で泣きじゃくる。
(よかった……本当によかったね、二人とも!)
ミューは自分のことのように嬉しくて、思わず目頭が熱くなった。
もう「誰かが作った双子のメイド」なんかじゃない。二人は今日、自分の意志で手を取り合い、本当の「姉妹」になったんだ。
「ミューさん……。私、ずっとあなたを見ていました」
ふと、透き通るような声がして、リリアちゃんがミューの前に立った。
あの重たい「聖女」のドレスではなく、動きやすい旅の服。その瞳は、ミューが初めて会った時よりもずっと強くて、キラキラと輝いている。
「あなたが『可哀想な奴隷』という役割を捨て、自分の足で未来を切り開く姿……その眩しさに、私は救われたんです。私も、『聖女』という檻から出たい。どうか、私を……あなたの旅に同行させてください!」
「もちろん!」
ミューは迷わず、リリアちゃんの手を両手で包み込んだ。
「リリアちゃんも、今日から私たちの仲間だよ! 一緒に、誰も知らない世界を見に行こう!」
マーラちゃん、セラちゃん、リリアちゃん。
みんな、最初は見えない鎖に縛られて、泣くことしかできなかった。
でも今は違う。みんなで助け合って、ぶつかり合って、最高に強くて優しい『絆』を手に入れたんだ!
「カイト! 見て! みんな一緒だよ! 私たちの冒険は、これからもっともっと楽しくなるね!!」
ミューは、ずっと隣でミューたちを守ってくれていたカイトを振り返った。
その瞬間。
カイトの優しく微笑む顔を見た途端、ミューの瞳から、我慢していた大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
「……ミュー?」
驚いて目を丸くするカイトに、ミューは泣き笑いの顔で思い切り抱きついた。
「っ……ありがとう、カイト。見つけてくれて、ありがとう……っ!!」
ミューの頭の中は、真っ白な空っぽだった。
どこで生まれたのかも、お父さんやお母さんの顔も知らない。ただの「可哀想な奴隷」として、暗い牢屋の中で震えているだけだった。
でも、カイトがミューの手を引いてくれた。
世界はこんなに広くて、綺麗で、ワクワクすることに満ちているんだって教えてくれた。
カイトが「ミュー」っていう名前を、本当の「命」にしてくれたんだ。
「ミューはもう、空っぽじゃないよ。カイトが、みんなが……ミューの心に、いっぱいの『大好き』をくれたから……!!」
ミューの涙が、カイトの胸を濡らす。
カイトの大きくて温かい手が、ミューの頭を優しく撫でてくれた。
その手の温もりが、ミューの心の一番奥までポカポカにしてくれる。
「ああ……そうだな。俺たちの冒険は、これからだ」
カイトの力強い言葉に、ミューは涙を拭って、パァッと満面の笑みを浮かべた。
そうだ。泣いてちゃダメだ。
ミューたちの物語は、ここで終わりじゃない!
紙吹雪の向こう、王都の港には、見たこともないくらい大きくて立派な帆船がミューたちを待っている。
海の向こうには、まだ見ぬ大陸、不思議な魔物、そしてたくさんの出会いが待っているはずだ!
「うんっ! 行こう、カイト! みんな!」
ミューは青空に向かって、思いっきり拳を突き上げた。
過去も、運命も、全部自分たちの手で切り開いた。
ミューたちの最高に熱くて、最高に楽しい冒険は――ここからが、本当のスタートだ!!
【後日談:ミュー視点】 輝く大海原へ!
「わぁぁぁぁっ! カイト、見て見て! 海だよ! どこまでも真っ青だよ!!」
ミューは、巨大な帆船の舳先から身を乗り出して、思いっきり潮風を吸い込んだ。
頭上では、真っ白な帆が風をいっぱいに孕んで、パンパンに膨らんでいる。
王都の港を出発して数日。ミューたちを乗せた船は、太陽の光を反射してキラキラ光る大海原を、新しい大陸へ向けて力強く進んでいた。
「こら、ミュー! あんまり身を乗り出すと落ちるわよ! まったく、この駄犬は……」
後ろから、呆れたような、でもどこか嬉しそうなマーラちゃんの声がした。
「ふふっ。お姉ちゃん、ミューちゃんは元気だね。私も、海って初めて見たから、ドキドキしてる」
マーラちゃんの隣には、お揃いの新しい旅の服を着たセラちゃんが、ニコニコと笑って並んでいる。
もう「設定上の双子」なんかじゃない。自分の足で立ち、自分の心で笑い合う、本当の姉妹の姿がそこにあった。
「素晴らしい景色ですね……。お城の窓から見ていた空が、こんなにも小さかったなんて」
少し離れた甲板では、リリアちゃんが風に髪を揺らしながら、遠い水平線を眩しそうに見つめていた。
彼女が背負っていた「聖女」という重たい役割は、もうどこにもない。そこには、自分の目で世界を見ようとする、一人の自由な女の子がいるだけだ。
マーラちゃん、セラちゃん、リリアちゃん。
かつては決められた運命の中で泣いていたみんなが、今はこうして同じ船に乗って、一緒に笑い合っている。
(みんな、最高にいい笑顔だよ。……でも、一番かっこいいのは、やっぱり!)
ミューは振り返り、舵のそばに立つ「彼」の元へ駆け寄った。
「カイト!」
太陽の光を背に受けて立つカイトは、振り返って、いつものように優しくて、大きくて、世界で一番安心する笑顔をミューに向けてくれた。
「どうした、ミュー。そんなに走ると転ぶぞ」
「えへへっ、転ばないもん! カイト、あのね!」
ミューはカイトの大きな手に、自分の両手をギュッと重ねた。
「ミュー、今すっごく幸せだよ! 過去が空っぽだったミューに、カイトがこんなに広くてキラキラした世界をくれたの。ミューに、本当の『命』をくれたの!」
カイトの目が、ほんの少しだけ見開かれたように見えた。
でもすぐに、いつもの頼もしい笑顔に戻って、ミューの頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「……お前が自分で切り開いたんだよ、ミュー。お前が、みんなをここまで連れてきたんだ」
(カイト……っ!)
カイトの温かい手のひらから、優しさがミューの心の一番奥まで流れ込んでくる。
やっぱりカイトは、ミューの自慢の勇者だ。どんな困難があっても、カイトが隣にいれば絶対に乗り越えられる!
「あ! 見て、カイト! 島だよ! 新しい島が見えてきた!!」
見晴らし台から、船乗りの声が響いた。
水平線の向こうに、うっすらと緑色の影が浮かび上がってくる。
「本当だ! カイト、いこう! 次はどんなワクワクが待ってるのかな! 強い魔物? 不思議な遺跡? それとも、おいしいごはん!?」
ミューは嬉しくてたまらなくなって、真っ青な空に向かって両手を大きく突き上げた。
誰かが書いたお話なんて、もう関係ない。
ミューたちの物語は、ミューたち自身で作っていくんだ!
船が波を割り、未知の世界へと突き進んでいく。
太陽はどこまでも眩しく、風はミューたちの背中を力強く押してくれている。
「ミュー達の冒険は、まだまだ終わらないんだ…!」
【真・後日談:カイト視点】 永遠に閉じられた地平線
「わぁぁぁぁっ! カイト、見て見て! 海だよ! どこまでも真っ青だよ!!」
舳先で風を浴び、無邪気に叫ぶミューの背中を見つめながら、俺は手すりに体重を預けた。
網膜に映る海は、不気味なほどに青い。
最新の物理演算によって複雑な波紋を描き、リアルタイムのレイトレーシングで太陽光を反射するその水面は、かつてのVer 1.0のチープな水色とは比較にならないほど「本物」に近い。
だが、俺の耳には聞こえていた。
その波音の裏側で、この広大な海をリアルタイムで生成し続けている、**世界の「排熱音」**が。
「こら、ミュー! あんまり身を乗り出すと落ちるわよ! まったく、この駄犬は……」
「ふふっ。お姉ちゃん、ミューちゃんは元気だね。私も、海って初めて見たから、ドキドキしてる」
背後では、マーラとセラが「義理の姉妹」としての微笑ましいやり取りを繰り広げている。
彼女たちの関係性の修復。それは人間としてあまりに美しく、あまりに完璧な結末だ。
だが、その完璧さこそが、俺にはこの世界の「計算高さ」に見えてしまう。
(……見事なもんだ。属性の重複を解消して、新しい『姉妹』という絆に再構築したわけか。運営のパッチ当ては完璧だな)
そして、甲板の隅ではリリアが水平線を見つめている。
「聖女」という役割を捨て、「自立した一人の女」としてミューに同行を求めた彼女の成長。それすらも、ミューという最強の王道主人公が放つ「浄化の光」によって誘導された、最も見栄えのいいイベント進行に見える。
「素晴らしい景色ですね……。お城の窓から見ていた空が、こんなにも小さかったなんて」
リリアが静かに微笑む。
その笑顔は、かつての狂気に満ちた歪みなど微塵もない、透き通るような善意に満ちていた。
俺は彼女たちの「本物の心」が育っていくのを隣で見ている。それは間違いなく、俺が望んだ「救い」のはずだった。
なのに、なぜだ。
なぜ俺の胃の腑には、冷たい鉛を飲み込んだような吐き気ばかりが溜まっていく。
「カイト!」
ミューが俺の元へ駆け寄ってくる。
彼女は、俺の手を自分の両手で包み込んだ。
その熱。その柔らかさ。その、命の拍動。
彼女の魂が「本物」であればあるほど、俺の罪悪感は加速する。
「ミュー、今すっごく幸せだよ! 過去が空っぽだったミューに、カイトがこんなに広くてキラキラした世界をくれたの。ミューに、本当の『命』をくれたの!」
(……やめてくれ、ミュー)
俺は、彼女のその混じり気のない感謝に、押し潰されそうになった。
彼女がこの世界を「キラキラ」だと感じているのは、俺が「勇者」として完璧な接待を続けているからだ。
彼女たちの「本物の幸福」を維持するために、俺はこの世界のあらゆる嘘を、たった一人で飲み込み続けなければならない。
俺は、自分の魂の欠片を削り取って作った「最高の笑顔」を、彼女に向けた。
「……お前が自分で切り開いたんだよ、ミュー。お前が、みんなをここまで連れてきたんだ」
俺の口から、無意識のうちに完璧な台詞が滑り落ちる。
「お前がこのルートを選んだんだ、俺のせいじゃない」という卑怯な言い訳を、これ以上ないほど甘い「勇者の肯定」というオブラートに包んで。
「あ! 見て、カイト! 島だよ! 新しい島が見えてきた!!」
水平線の向こう側に、新たな陸地が見えてくる。
そこにはまた、新しいダンジョンがあり、新しい魔物がおり、新しい感動のイベントが用意されているのだろう。
俺たちの船が進む速度に合わせて、「未実装(虚無)」だった空間に、膨大なデータがリアルタイムで流し込まれていくのが、俺には肌感覚でわかってしまう。
ログアウトボタンはない。
サービス終了の報せもない。
彼女たちが俺を愛し、俺を信じ、この世界で笑い続ける限り、この「幸せな刑務所」は永遠に増築され続ける。
「うんっ! 行こう、カイト! みんな!」
ミューは希望に満ちた瞳で、真っ青な空を見上げた。
彼女のその「純粋な善意」こそが、俺をこの世界に縛り付ける最強の鎖だ。
「ミュー達の冒険は、まだまだ終わらないんだ…!」
歓喜に満ちた、彼女のその言葉。
それが俺には、**「終身刑の宣告」**のように聞こえた。
俺は、二度と戻れない「現実」の記憶を脳の奥底へ押し込み、再び勇者の仮面を固定した。
風が吹き抜け、高解像度な海の匂いが鼻をくすぐる。
俺は、次の「追加コンテンツ(地獄)」へ向けて、静かに帆を張った。




