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7/7

⑦義兄さん、エピローグで逃げようと思わないでくださいね!?

 宮内庁直下 霊事保安部。

 通称、霊安。


 その本部は巣鴨プリズンの跡地にあった。

 池袋サンシャインの業者専用の通路を通り、二人の警備が見張るエレベーターで地下深くへ。


「――あれ、ここって禁煙だっけ?」


 オキトは同席している黒服に声を掛けるも返答は無い。

 はいはい、禁煙ねと言いながら、禁煙パイポを取り出し口に加える。


「ちっ」


 後ろで黒服の舌打ちが聞こえ、睨む。


「……何か、文句でも?」


 忌々しい目で睨み返す黒服の手は、今にも血が噴き出しそうなくらいに強く握られていた。


「……何で、貴様なんだ?」

「はぁ?」

「なぜ、那由多(なゆた)様は貴様を選んだんだ!」


 下るエレベーターの中で響く怒号。

 それを平然と受け止め、黒く濁った眼で気迫を押し返す。


「あの方は、この組織のトップにあらせられる方なんだぞ! それがなぜこんな軽薄そうな、弱そうな男なんだ!」

「……俺の事をあれこれ言うのは勝手だがな。あんたが吠える程に那由多(なゆた)の決定に異を唱えているんだぜ?」


 いつも目。

 いつもの嫉妬。

 面と向かって言われたのは初めてだったが、この男が那由多を崇拝している以上、そこから先の行動を起こす事はない。

 地下二十五階。

 エレベーターの扉が開き、無言で降りる。

 閉まり際、カゴ内の壁を叩く音が響き渡った。

 ふと耳の隣でコンと木槌を叩くような音がした。


「――何ですか、あの人。殺しちゃいましょうか?」


 呉葉がプリプリとした声でオキトに語りかける。


「……職務に忠実なだけなんだよ。健気じゃないか」

「オキト様が言うと、何だか寝取った感がありますね」

「やぁめとけ。というかどこで覚えた? そんな言葉」


 だが、呉葉のおかげで溜飲が下がったのも事実。

 パイポのフレーバーで気持ちを落ち着け、古びた扉の前に立つ。

 しめ縄に幾重にも貼られた札。

 これより先は、異界。


「やるぞ。呉葉」


 オキトの両脇の空間が波打ち、呉葉の白い腕のみが現れる。

 四本の手で同時に狐の頭を象り、崩して門へと転ずる。

 狐の園。

 古い扉が、軋みを上げながら開いた。

 光すら通さない暗闇に、臆する事なく足を踏み入れる。

  入った瞬間、呉葉の声が消え、扉が閉まる気配がした。

 振り返らずに無限の闇へ。

 しばらく歩くと、左右に蝋燭の火が同時に灯る。

 滑るように火が灯り、その先に大きな朱の鳥居が現れた。


「……はぁ」


 およそ百段ある石の階段を溜息混じりで上り、ようやく終点の社へと到着。

 そこで、黒髪の美女がオキトを待っていた。

 紫を基調とした美しい着物姿で深々と頭を下げる。


「よう、那由多(なゆた)


 那由多と呼ばれた女は無言で駆け寄り、オキトに抱き着く。


「……やっと会いに来てくれましたね」

「俺も仕事で忙しくってさ。悪りぃな」

「……いえ」


 そう言って、まるで心音を確かめるようにオキトの胸に耳を当てる。

 オキトは邪見にせず、那由多の絹のような手触りの髪を撫で流す。


「あのマンションの、……異界は閉じたよ」


 その言葉にピクリとして那由多が顔を上げる。


「気付いていらしたんですね」

「最初からな」

 当然嘘である。


 霊安には不浄や異界絡みと思われる相談が、警察を通して情報が入る。

 その多くが「人間が解決すべき案件」ではあるが、稀に当たりとなる事案が混じる。

 事件を見極め、警察と霊安の“間”に立つ。

 それが探偵。


「よく俺の行きつけのバーを覚えていたな」

「……ひょっとして仲介人と懇意になってしまいましたか?」

「まさか。俺は那由多一筋だよ」


 那由多が着物の袖で笑みを隠す。


「大変だな。異界の管理者ってのは」

「まさか、両方絡んでいるとは思いませんでしたけどね」

「不浄は人の心に寄生する。だから解決は人間たちに、だったか?」


 かつて自分が伝えた言葉を一言一句を違わず言うオキト。

 それに無言で頷き、オキトの胸から一歩離れる。


「私が管理しているのは、“世界”であり、人の心ではありません」

「だが、俺が不浄王を封印した今、それらを統括しているのは、お前だろ?」

「それで、私に直談判を?」

「人としての罰は下る。だが、異界の行使は偶然だ。穏便に済ませてあげたい」

「宿河と星世での咎。帳消しにはできませぬよ?」


 那由多の声が沈む。


「それでも、さ。頼むよ、那由多」


 白い髪が誠実に頭を下げる。


「……本当に、面倒見が良いんですね」

「探偵は解決しない。できる事は――」

「橋渡し。ですか」


 那由多が岩だらけの天井を見上げる。

 行燈の光が届かない暗闇の中。

 そこにかつての自分を重ね合わせた。


「罪なお方ですね。……貴方でなければ、この世界はとうに今際となっていたでしょう」

「……自覚は、あるさ」


 その言葉に裾の奥で那由多が再び笑みを浮かべる。


「では一つ、私から条件がございます」


 那由多の目が金色に光る。


「それさえ呑んでいただけたら、受けましょう。その橋渡し。――その岸を」


 ――その後。

「あー、疲れた。腰痛ってー」


 あれから一週間後。

 雑居ビルの間の月極駐車場にアクアを止めて、昼過ぎの空に大きく背伸びをする白髪の軽薄男が一人。

 人の怒りは六秒でピークが過ぎるのだという。

 だが、あの時のトモエの怒りは相当なものだった。

 刺すという言葉は、比喩でもなく本気である事がスマホの画面越しに十分に伝わっていた。


「一週間も逃げれば、さすがに本家に帰っているだろ」


 雪奈の家に向かう時に閃いた作戦。


「ま、久々に那由多とも仲良くできたから、結果オーライか」


 名付けて、人の怒りも七日間大作戦!

 気がかりなのは子供の事だったが、自分の子である確証もない。

 責任の所在。

 そんな事を突然言われても困る。

 だが、幸いにも万年人手不足の業界だ。

 本家の方でどうにかしてくれるだろう。

 さあ、これからまたお仕事を再開だ。


「……などと、お思いですか、義兄さん……」

「ひぃ!?」


 音もなく背後に忍び寄っていたトモエの喉奥からの声で全身が硬直する。


「まさか、エピローグにかこつけて、逃げられようとお思いでしたか?」

「そ、そそそんな事は……! だから、地の文が読めたらダメだろう!?」


 その背中にはユウリが「あうあう」とよだれかけを濡らしており。

 その手には出刃包丁が握られていた。


「あ、あれー? うちの事務所にそんなものあったかぁー……?」

「さすがは異界専門の探偵ですね。買ったんですよ」

「り、料理、……でも作ってくれる、のか、……な?」

「さぁ? お得意の地の文でもお出しになられてはいかがでしょうか」


 料理されるのは、当然。

 自分だった。

 ――かな?

「……正解、です」


 都内の雑居ビルの間にある月極駐車場。

 気持ち良いくらいの青空の下、軽薄そうな男の悲鳴が響き渡る。


 だが、世界は知らない。

 この軽薄さこそが、この世界の崩壊をぎりぎりのところで押しとどめている事に。

 そしてそれが、信用されない下半身で繋ぎ留められている事に。

 がんばれ、鈴村 オキト!

 生きていたら、また会おう!


「――などと、お思いですか! 義兄さぁーん!?」

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