音の消えた夜に、罪だけが鳴る
ねぇ、“怪物”ってさ、どこか遠くの世界にいるもんだと思ってなかった?
ニュースの中とか、物語の中だけの存在――そう思ってたでしょ?
でもね、本当は違うの。もしかしたら“それ”は、すぐそばにいるのかもしれないよ。
……自分の中に、ずっと前から潜んでたのかもしれない。
今回の話は、ちょっと重たいよ。
真白は「壊したのは自分だ」って信じて、夜の街を必死に逃げ続ける。
音が消えた世界で、人が次々と命を落としていく――まるで現実の方が悪夢みたいな事件。
あたし? うん、ついに“現場”ってやつに出る日が来た。
どんな結末が待っていても、これはきっと“はじまり”なんだと思う。
――静寂の夜に、鳴り響くのは罪の音だけ。
【午後20時05分 新宿・繁華街〜駅前周辺】
息が、苦しい。
どこへ向かっているのかもわからないまま、真白は夜の街をただ走っていた。
雑踏の中をすり抜けるたび、肩が誰かとぶつかる。
「危ないな」と誰かが吐き捨てる声が背中に刺さった。
それだけで、心臓がひとつ強く跳ねる。まるで「殺人鬼」と呼ばれたような錯覚が、頭の奥にこびりついて離れない。
――あれは、あたしがやったの?
頭の中で、さっきの光景が何度も再生される。
テーブルの向こう、止まったまま動かない人たち。
恐怖に見開かれた瞳。崩れ落ちた体。
その一つひとつが、「お前が壊したんだ」と責めてくる。
喉が焼けつくように乾いていた。息がうまく吸えない。
胃の奥から何かがこみ上げ、思わず立ち止まりそうになる。
けれど足は勝手に地面を蹴っていた。止まったら、あの光景が追いついてくる気がして。
“怪物”って、もっと別のものだと思ってた。
誰かを襲う存在、誰かを壊す存在、テレビの中の遠い世界――
でも今、地面を蹴っているこの足こそが、その“怪物”のものだ。
信号が赤に変わる。車が急ブレーキをかけ、クラクションが夜を裂く。
歩道で立ち止まった親子が、不安そうな目でこちらを見た。
――見ないで。お願い、見ないで。
そう叫びたかったのに、声が出なかった。
喉がひりついて、涙が勝手に滲んでくる。世界が滲んで、歪んで、息ができない。
ショーウィンドウに映った自分の姿が、一瞬、知らない誰かに見えた。
その目は空っぽで、何も映していない。
“人間”じゃない。壊すためだけに生まれた存在。
――あれが、あたし。
もう、音なんてどうでもよかった。
怖いのは、世界じゃない。“自分”だ。
逃げなきゃ。あの場所から。あの記憶から。あたし自身から。
そう思いながら、真白は夜の街を走り続けた。
行くあてもなく、ただ――怪物になってしまった自分から、逃げ出すように。
【翌朝 あおい宅 シエラの部屋】
カーテンの隙間から、やわらかな朝の光が差し込んでいた。
今日から“仮勤務”のはずなのに――シエラはベッドの上で大の字のまま、気持ちよさそうに寝息を立てている。
「……おい、起きろ」
返事なし。
「聞こえてんだろ、朝だぞ。ってか初日だろ」
布団の中から「……あと五分〜」と、やる気ゼロの声が返ってきた。
「はぁ……なんで俺がこんなことまで」
あおいは頭をかきながら肩を軽く揺すったが、ピクリとも動かない。
「……もう知らねぇ。遅刻して怒られても知らんからな」
そう言い残し、ソファに戻ってゲームを再開する。
―――
【出発10分前】
「やばいやばいやばい!! なんで起こしてくれなかったのよ!」
寝癖を爆発させたシエラが、あわてて部屋から飛び出してくる。
身につけているのは、あおいから借りたグレーのパーカーとジーンズ。
サイズが大きすぎて袖が手の甲まで隠れ、裾もだぼついていた。
「いや、起こしたし。無視したのお前だろ」
「うそ!? 全然覚えてないんだけど!」
鏡を覗き込んだシエラは、不満げに唇を尖らせる。
「なんか地味〜……テンション上がらないんだけど」
「贅沢言うな。貸してやっただけありがたいと思え」
「はぁ〜……服がダサいとか最悪〜!」
必死に髪を整えながら、シエラはあたふたと準備を続ける。
「ギリ間に合うかな!? あ、靴どこ!」
「知らねぇよ……」
そのままドタバタと玄関へ駆け出していく背中を見送り、あおいは深いため息をついた。
「……先が思いやられるな」
――この日が、彼女の“最初の現場”になる。
【午前8時12分 警視庁本庁・第六会議室】
白い蛍光灯の光が無機質に照らす会議室には、言いようのない緊張が漂っていた。
モニターには、昨夜“新宿ステラダイン2階”で起きた事件の映像が再生されている。
週末の夜。2階フロアは家族連れや学生でにぎわい、笑い声と食器の音が絶えなかった。
その中央のテーブルに、フードを深くかぶった少女が一人、静かに座っている。
不審な動きは何もない。ただコップを指でなぞり、ぼんやりと前を見ているだけ――。
だが、次の瞬間、世界から音が消えた。
ガラスのぶつかる音も、子どもの笑い声も、店員の声も――すべてが一斉に、耳の奥から消え失せる。
まるで“空気が水に変わった”ような圧迫感だけが、映像越しにも伝わってきた。
少女は静かに立ち上がり――その次の瞬間、隣の客が崩れ落ちる。
“どうやって”という記録は存在しない。
フォークを突き立てた姿も、刺す動作も、カメラには映っていない。ただ“結果”だけが残されていく。
逃げ出そうとした者の背中が階段に届く前に、喉を裂かれて沈む。
叫ぼうとした口が開くより早く、命が途絶える。
止まっているのではない。速すぎて、目が追いつかないのだ。
人々は混乱の中で転げ、テーブルを倒し、泣き叫ぶ。
それでも世界は“静か”だった。
フォークが肉を裂く音すらなく、ただ沈黙の中で命だけが消えていく。
やがて、2階フロアは無人のように静まり返った。
転がる椅子の軋みと、割れた皿の転がる音――“音”が戻ったのは、全員が動かなくなってからだ。
立っているのは、最初と同じ――あの少女、ただ一人。
映像が止まった瞬間、会議室の空気はさらに重く沈み込んだ。
誰も口を開かない。咳払いひとつすら、場の緊張を壊せなかった。
「――映像は、ここまでです」
異能班の捜査官が、抑えた声で報告を始める。
「確認された死者は27名。事件の発生からわずか5分間の出来事でした。
現場から押収された凶器はフォーク数本のみ。少女の指紋、足跡、血痕などは一切検出されていません」
静寂が、会議室全体を締め付けた。
みゆきは、無意識に指先が冷たくなっていくのを感じながら、心の奥でつぶやく。
――これは、もう“人間”ではない。
やがて、中央席の男――警視総監・村崎が、低く静かな声で命じた。
「……この案件、超越対策課が直接当たれ」
ざわめきが広がる。
「現場検証は異能班が続行する。だが、制圧と確保はお前たちの役目だ。……逃がすな。どんな手を使ってでもだ」
そして、言葉が続く。
「今日から仮で入る“例の子”――シエラも同行させろ」
その一言に、みゆきはわずかに息を飲んだ。
――シエラの名前が、初めて“現場”と結びついた瞬間だった。
ーーーーーー続くーーーーーー
「怪物」って言葉、なんか簡単に使われがちだけどさ、本当はそんな単純なもんじゃないんだよね。
自分が望んでそうなったわけじゃなくても、気づいたら“そう呼ばれる側”に立ってることだってある。
今回の真白も、きっとそうなんだと思う。
そして――あたしの物語も、ここから一段階進んでいく。
初めての現場、初めて向き合う“人じゃない何か”。
軽い気持ちで踏み込める場所じゃないけど、だからこそ、見なきゃいけないものがあるんだ。
次回、静寂の裏側に隠された“真実”が、少しずつ顔を出すよ。
……ちゃんと見ててね。ここから先は、もう戻れないかもしれないから。
少しでも「続きが気になる」と思ってくれたら、感想やブクマで教えてくれると嬉しいな。




