《正義が交わる場所で》
今回はただの事件じゃない。“正しさ”がぶつかり合う修羅場だよ。
“正義”って言葉、簡単そうに聞こえるけど、人の数だけ形があるんだよね。
誰かの正義は、別の誰かにとっては悪にもなる――そんな“ぶつかり合い”の現場に、あたしは飛び込むことになったの。
そしてこの話が、“第1章”の終着点。
ここまで積み重ねてきたすべてが、この瞬間でひとつの答えにたどり着く。
さて、この中で本当に正しいのは誰だと思う?
……ま、答えは最後まで読んでからのお楽しみ、ってことで
【午後22時52分 アルメス物流第七ビル・正面】
「危ないって言ったばかりなのに……ほんと、どこまで行く気なのよ……」
封鎖線の前で、みゆきは額を押さえて深くため息をついた。
「……まぁいいわ。今は人質が最優先よ」
気持ちを切り替えるように頭を振り、みゆきは拓磨へと指示を飛ばす。
「拓磨、あんたは階段から行きなさい。少しでも人質の確認が早い方がいい」
「はいはい……了解ですよ、課長」
ピシャリと一言返すと、みゆきは腰のベルトを握り、手袋をきつく締めた。
「私は……上から行く」
「……って、上からってまさか――」
拓磨の言葉が終わる前に、みゆきの身体がふわりと浮き上がる。
足元を中心に、重力が“反転”していた。
周囲の警官がざわつく。「な、浮いてる……!?」「あれが重力制御……!」
夜風が頬を打ち、20階の窓がすぐそこまで迫る。
みゆきは一度だけ深呼吸をして、視線を鋭く上へと向けた。
「――今行くから、危ない真似はしないでよ!」
そのまま、彼女の身体は重力を裏切るように静かに上昇を始めた
【午後22時53分 アルメス物流第七ビル・20階】
――なんなんだ、あいつは。
額を伝う汗が、止まらなかった。
足の裏がじっとりと湿っている。
膝が勝手に震えて、重心がうまく保てない。
“化け物”という言葉が、喉の奥まで込み上げてくる。
だがそれを声に出すことすら、今の自分にはできなかった。
紫と金――夜の光を吸い込んだような、二つの瞳がこちらをまっすぐ射抜いている。
その少女は、ただ一歩ずつ、音もなく近づいてきていた。
「来るな……来るなッ!!」
叫んだ。
震える手を突き出し、指先に力を込める。
「出ろ……出ろよォォッ!!」
――何も、起きない。
空気が震えるはずだった。
風圧が生まれ、敵を粉砕するはずだった。
何度も繰り返したはずのあの能力が、まるで存在そのものを否定されたかのように沈黙している。
「な……んでだ……? どうして……!」
恐怖が喉を焼く。背筋が冷たく凍りつく。
目の前の少女が、ゆっくりと歩を進めてくるたびに、膝が一歩、また一歩と後ろへと下がっていく。
「……人の前でそれ撃つの、危ないでしょ」
彼女は静かに言った。ただそれだけの声が、五十嵐の心臓を鷲掴みにする。
“消された”――本能がそう理解する。
逃げなければ。逃げないと殺される。
そう叫ぶ理性の声が、脚へと命令を送る。……だが、脚は動かない。
「くそ……動け……動けよッ……!」
喉から絞り出した声は、恐怖にかすれきっていた。
逃げたいのに、身体が鉛のように重い。
混乱の声をよそに、シエラは一歩、また一歩と歩みを止めない。
紫と金の双眸が、まっすぐ彼を射抜いていた。
「……君のそれ、あたしの世界にもあったんだよね」
淡々と、まるで日常の話でもするかのような口調だった。
「風魔法。適性があれば、子どもでも護身用に使えるくらい、当たり前の力だったよ」
ひらひらと、自分の指先を眺めながら言葉を続ける。
その仕草は不思議なほど優雅で、だからこそ、底知れぬ恐怖を孕んでいた。
「……たとえば、こう」
──その瞬間。
【午後22時53分 ビル外】
「シエラぁぁぁーーーッ!!」
20階へと上昇中のみゆきが、窓の向こうにその姿を捉えた。
叫びが夜空を裂く――同時に、ビル全体が震えた。
【同刻 20階】
ドゴォォォォォン!!
耳をつんざく轟音。五十嵐の頬を、何かが掠めていく。
咄嗟に音のした方へ顔を向けた彼は、次の瞬間、息を飲んだ。
――壁が、ない。
さっきまで壁だった一帯は、まるで「指でなぞって消した」かのように空白になっていた。
「な、なんだ……今のは……? 俺の……とは桁が違う……!」
膝が崩れ、心臓が悲鳴を上げる。
恐怖が理性を食いちぎり、逃げようとした脚は――一歩も動かなかった。
ただ、ゆっくりと近づいてくる“それ”を、見ていることしかできない。
【午後22時52分 ビル前】
「……なに、あれ……?」
突入直前のみゆきは、思わず足を止めた。
二十階の一角――ほんの数秒前まで壁だった場所が、跡形もなく消えている。
砲弾? 違う。衝撃波? それとも超高熱の爆破?
どれも違う。
あれは“力”だ。――あの金髪の少女が放った“何か”。
胸の奥が、じわりと冷たくなる。
「……本当、何者なの……あの子は……?」
出会ってまだ数時間――それなのに、気づけば私は、その存在がほんの少し“怖い”とさえ思っていた。
【午後22時56分 アルメス物流第七ビル・20階】
床に膝をつき、五十嵐はただ震えていた。
声も出ない。足も動かない。頭の中で「逃げろ」と叫んでいるのに、身体が一ミリも反応しない。
――恐怖が、すべてを縛っていた。
「……ねぇ、もう終わり? 降参するなら撃つのやめるけど?」
淡々とした声が響く。
金と紫の双眸が、まるで“興味”さえ失ったように彼を見下ろしていた。
五十嵐は何か言おうと口を開いたが、喉が焼けついたように言葉は出てこない。
ただ、震えるだけ。情けないほどに。
「……もう戦う意志はないみたいだね」
シエラは静かに息を吐き、わずかに肩の力を抜いた。
その瞬間――
「シエラぁぁぁッ!! あんた何やってんのよ!!」
割れるような声とともに、背後の窓が再び砕け散った。
重力場を操作して飛び込んできたみゆきが、床に着地すると同時に怒声をぶつける。
「勝手に突っ込んで、勝手に片付けて! 警察の意味ないじゃない!」
「あはは、ごめんごめん。気づいたら動いてたんだよね〜」
シエラは悪びれた様子もなく、頭をかく。
みゆきはため息をつき、制服の胸ポケットから手錠を取り出した。
「……五十嵐真也。人質監禁、殺人未遂、超越能力の不正行使――そのすべての罪状で、あなたを逮捕します」
膝をついたままの五十嵐は、抵抗する力もなく手錠をかけられた。
「……はぁ、マジかよ……」
遅れて駆け込んできた拓磨が、膝に手をついて大きく息を吐く。
二十階分を一気に駆け上がってきたせいで、肩が激しく上下していた。
「……全部、終わってんじゃん。俺が汗だくで登ってる間にさ」
「遅いのよ、ほんと。もっと早く来なさいっての」
みゆきが呆れたように言い放つと、拓磨は苦笑いを浮かべ、額の汗をぬぐった。
「課長も一回、階段で二十階まで駆け上がってみてくださいよ〜……
そしたらこの気持ち、ちょっとはわかりますって」
「うるさい。文句言う前に現場確認」
口ではそう返しながらも、みゆきの表情はどこか緩んでいた。
口ではそう返しながらも、みゆきの表情はどこか緩んでいた。
「――あははっ」
そのやり取りを少し離れた場所で聞いていたシエラが、思わず吹き出した。
肩を揺らして笑いながら、金と紫の瞳でふたりを見つめる。
「なんかさ、君たち見てると……漫才でもしてるみたいで面白いんだよね」
「漫才って……こっちは命がけだったんだけど」
拓磨がぼやくと、シエラはさらに楽しそうに口角を上げた。
「でも……そういうの、あたし好きだよ!」
先ほどまでの殺気も緊張も、そこにはもう微塵もなかった。
ふと気づけば、静寂を破るように人質たちの声が響いていた。
救出された人質たちは、震える声で何度も口にする。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……!」
しかし、シエラはその言葉に首をかしげた。
「ん〜、“ありがとう”って言われてもなぁ」
そして、くるりと振り返り、指をパチンと鳴らす。
「あ、そうだ。君たち、このまま何もなかったみたいに過ごすの、あたし嫌だからさ――
“毎日一回、足の小指を角にぶつける”魔法、かけといたから」
「……え?」
「ま、命までは取らないよ。痛いくらいで済むはず」
あっけらかんと笑う彼女に、誰も何も言い返せなかった。
(……えげつねぇな)
みゆきと拓磨は、顔を見合わせて同じことを思っていた。
ただ、その“地味に嫌すぎる罰”だけが、静かな夜の中に残響した。
【午後23時10分 アルメス物流第七ビル・前】
パトカーの赤色灯が夜の街を染める。
手錠をかけられた五十嵐と共犯者たちが、ひとり、またひとりと車へと乗せられていく。
その様子を見届けながら、みゆきは隣に立つ金髪の少女へと視線を向けた。
(あの力があれば、また誰かを救える。……私たちが手を伸ばせない場所まで、きっと)
小さく息を吐いて、口を開く。
「ねぇ、シエラ。……あなた、警察になってみる気、ある?」
「……へ?」
唐突な言葉に、少女は目を瞬かせた。
「正直今日、あなたの力がなかったら、被害はもっと広がってた。
正直、今後も“あなたが必要になる”場面は必ず来ると思うの。
……それに、行くあてがないんでしょ? だったら、ここにいなさいよ」
少しの沈黙。夜風がふたりの髪を揺らす。
「ん〜……今日やってみて、なんか楽しかったんだよね」
シエラはそう言って、月を見上げながら笑った。
「人を助けるの、あたし好き出だし。だから、やってみようかなって思う」
みゆきはその言葉に、ふっと口元をゆるめた。
「……そう。なら、よろしく頼むわね。新人さん」
初めて出会ったときとは違う、どこか柔らかな空気が二人の間に流れていた。
五十嵐真也 事件記録(通称:「アルメス物流ビル占拠事件」)
事件名:「アルメス物流ビル占拠事件」
発生日:2025年5月18日 22時頃
発生場所:東京都港区・アルメス物流第七ビル 20階
事件概要:元物流企業社員・五十嵐真也が、過去の職場でのパワハラ・不当解雇を理由に元同僚5名を拉致・拘束。さらに超越能力(空気圧縮系)を用いて警官多数に重傷を負わせ、ビル全体を占拠・籠城した。
⸻
主犯
氏名:五十嵐 真也
年齢:32歳
能力:空気圧縮系(攻撃・破壊型)
罪状:
・複数人に対する拉致・監禁罪
・殺人未遂および傷害罪(警官・一般市民への攻撃による)
・器物損壊および爆発物使用等破壊行為
・共犯者への強要罪
・テロ等準備罪(能力を用いた計画的暴力行為)
刑罰:
通常の刑法では裁けない“超越能力者犯罪”として、**《特別監視施設 第三収容区画》**へ収監。
能力抑制装置による終身拘束および、年単位での心理更生審査対象となる。
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共犯者(元同僚5名)
罪状:
・拉致・監禁の共犯
・暴行・傷害の共犯
・テロ準備共謀罪
刑罰:
通常刑法に基づき、それぞれ懲役8〜12年の実刑判決。
※全員が「脅迫による共犯」であったが、被害者に対する加担・暴行が認められ減刑なし。
《序章の罪 ― アルメス物流ビル占拠事件 ―》完
これで、第1章はひとまず終わり。
ただの事件解決じゃなく、「力」と「正しさ」がぶつかる現場を通して、物語はようやく“スタートライン”に立ったって感じかな。
ここから先――いせギャルは本格的に動き出す。
あたしたちの物語は、もっと深く、もっと激しく、人間と世界の“本質”に踏み込んでいくよ。
次の章も、絶対に見逃さないでね




