『双瞳の戦姫は、濁世を嗤う』
――この世界は、醜さでできている。
誰かを踏みつけて、誰かを犠牲にして、それでも自分だけは“正しい”と信じている。
あたしの双眸は、それを全部見透かしてしまう。
嘘も、偽善も、責任のすり替えも……全部、隠しきれずにここへ流れ着く。
だからあたしは、手を伸ばす。
ただ守るためじゃない。罰するためでもない。
この濁った世界を嗤いながら、それでも終わらせる。
【午後22時50分 アルメス物流第七ビル・正面】
封鎖線の向こう側――突入班の準備が進む中、みゆきと拓磨は警官たちをかき分けてビルの前へと駆けつけた。
夜空に突き刺さるような高層ビルの20階。静まり返ったその窓の奥で、いまも何かが進行している。
「シエラ! 危ないから下がりなさい!!」
みゆきが声を張り上げたが、少女は振り返りもしなかった。
封鎖線のすぐ内側、ビルの真下。
シエラはまっすぐ上空を見上げ、風の匂いを確かめるように深く息を吸い込んでいた。
「わ〜、やっぱり実際に見ると結構高いね。……でも、まぁ大丈夫か」
そうつぶやくと、彼女は軽く膝を曲げ――**ドンッ!**という衝撃と共に地面を蹴った。
空気が震え、視界からその姿が一瞬で消える。
「ちょ、消えた!?」
「……跳んだ、だと……?」
目を疑う光景だった。人間の運動能力ではありえない跳躍で、金髪の少女は一気に地上約60メートル――ビル20階へと舞い上がっていく。
「……あの子、本当に“人間”なの?」
みゆきと拓磨はただ呆然と、その光景を見上げるしかなかった。
そして、次の瞬間――
ガシャァァン!!
轟音と共に強化ガラスが粉砕され、シエラの姿が上階へと消える。
【午後22時50分 アルメス物流第七ビル・20階】
壊れた窓から夜風が吹き込み、粉々になったガラス片が床一面に散らばっていた。
その中心で、五十嵐真也はゆっくりと歩を進める。足音が、静まり返った空間に不気味なリズムを刻んでいた。
「……さて、どうしてやろうかねぇ、“係長”さんよ」
冷ややかに吐き捨てられた言葉に、縛られた人質たちの肩がびくりと震える。
斎藤は汗まみれの顔を歪めながら、なおも命乞いを続けていた。
「ま、待て! 話せばわかる! お前の怒りも、無念も全部理解した!
だから……だから、こんなことやめて、俺と一緒にやり直さないか?
お前が望むなら、俺から社長に掛け合ってやる! 職場に戻ってこい!
“もう一度チャンス”をやる!!」
縋るような声。
しかし、それは決して「反省」ではなかった。
ただ、自分だけが助かりたい――それだけが透けて見える声だった。
五十嵐は、黙って斎藤を見つめる。
「……“チャンス”?」
次の瞬間、乾いた笑い声が漏れた。だがそれは、笑いというにはあまりにも冷たかった。
「チャンスって言葉、便利だな。お前らみたいなやつは、それを“鎖”みたいに振り回して、俺みたいな人間を縛ってきたんだ」
ゆっくりと一歩、また一歩と近づく。
指先がわずかに動くだけで、空気がピリッと震える。
「なぁ、斎藤。
あんたらは“理解した”って言いながら、何も変わらなかった。
俺の失敗を笑い、俺の努力を踏みにじり、最後は“無能”って言葉で片付けた」
「ち、違う! それは――!」
「黙れ」
バシュゥンッ!
圧縮空気弾が斎藤の頬すれすれをかすめ、背後の壁を粉砕した。
粉塵が舞い、部屋中の空気が張り詰める。
「お前らは、俺を“ゴミ”みたいに扱ってきた。
だったら今度は――俺が“処分する番”だろうが」
人質たちの顔から血の気が引いていく。
その視線が、ただの復讐者ではない“何か”を見る目に変わった。
「……あぁ、そうだ。お前の“好きなもの”を教えてくれよ。
それが“壊れる音”と一緒に消えていく様を、最後に見せてやる」
五十嵐はゆっくりと手を持ち上げ、斎藤の頭へと狙いを定める。
「さよならだ、“係長”」
――その瞬間だった。
ガシャァァァン!!!
耳をつんざく破砕音とともに、20階の強化ガラスが吹き飛んだ。
粉々の破片が宙を舞い、夜風が室内を駆け抜ける。
「……あれ?」
驚愕に顔を歪める五十嵐。
人質たちが一斉にそちらを振り向く。
――割れた窓の向こう、月光を背負いながら、ひとりの少女がゆっくりと姿を現した。
金と紫の双眸が、静かに室内を見渡す。
「……お取り込み中、だった?」
その言葉に、五十嵐真也は言葉を失った。
指先がわずかに震え、額にじわりと冷や汗が滲む。
「……な、なんだ……お前……ここ、20階だぞ……!? どうやって来た……!?」
「ん? ジャンプだけど?」
――静寂が落ちた。
次の瞬間、五十嵐の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「ジャンプ……? は、はは……そんな、そんなバカな……人間じゃねぇ……!」
足が一歩、二歩と後ずさる。
冷や汗がこめかみを伝い、背筋に冷たい恐怖が這い上がる。
「来るな……来るなぁッ! 撃て! 撃てぇぇぇ!!」
突然の叫びに、共犯者たちが顔を見合わせた。
銃を構えたまま、その場から動けない。
「な、なにやってんだよ……! 早く撃てって言ってんだろッ!!」
怒号が響く。しかし、指は震え、引き金は引けない。
目の前の存在が、あまりにも“異質”すぎて。
「チッ……役立たずがッ!」
バシュゥン!
五十嵐が天井へと空気弾を撃ち込む。破裂音と衝撃波が室内を揺らし、砕けた天井材が共犯者たちの肩に降りかかった。
「ひぃっ……!」
悲鳴とともに、ようやく5つの銃口がシエラへと向けられる。
それでも、彼女は眉一つ動かさず、静かに立っていた。
「……ふぅん。歓迎されてないみたいだね」
紫と金、二色の瞳が冷たく光を宿す。
その一歩を踏み出した瞬間、空気が、重く、張りつめた。
針のような緊張がその場を貫いた――その均衡を、情けない悲鳴が破る。
その背後で、縄に縛られた係長が必死に声を張り上げた。
「た、助けてくれ! 頼む!
助けてくれたら、報奨金を払う! 今すぐ社長に話を通してやる、だから――!」
それに続いて社員たちも声を張り上げる
「俺たちは関係ない!」
「全部あいつのせいだ!」
次々と飛び交う悲鳴じみた言葉。
命が惜しいのか、全員が口々に「自分は悪くない」と繰り返す。
だが――シエラの瞳には、それが**醜い“濁り”**として見えていた。
恐怖、保身、責任転嫁。どす黒い思考が、まるで霧のように彼らの頭上に渦巻いている。
「……なるほどね」
シエラはゆっくりと視線を巡らせた。
五十嵐の心の奥に眠る“怒り”も、同じ霧の中に滲んでいる。
――理不尽な押しつけ、陰口、鬱憤のはけ口。
彼が壊れた理由は、決して「一人分の罪」じゃなかった。
静かに息を吐き、シエラは唇の端をわずかに吊り上げる。
「ひとりで勝手に化けたと思ってる? ちゃんと育ててきたじゃん、“みんな”でさ」
その一言は、刃より鋭く、何よりも重く、室内を切り裂いた。
誰も反論できず、誰も目を合わせようとしなかった。
沈黙が支配する空間に、シエラの声だけがふわりと落ちた。
「……まっ、助けるんだよね。これ“事件”ってやつらしいし」
その一言が合図だったかのように、五十嵐の顔色が変わる。
こめかみを伝う汗は、もはや怒りではなく“恐怖”の色をしていた。
「ふざけるなッ!! 撃てぇぇぇッ!!!」
「う……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
共犯者たちは涙を滲ませながら引き金を引いた。
だが――
ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!
放たれた弾丸はすべて、空を切って消える。
シエラは一歩も動いていなかった。髪一筋すら乱れず、ただそこに“立っているだけ”だった。
「は?」
「嘘だろ……」
「当たってねぇ……?」
呆然とする共犯者たちの前で、シエラは肩をすくめて言った。
「ちょっと〜、危ないじゃないの。人に向けて撃つもんじゃないでしょ」
次の瞬間――彼女の手の中には、共犯者の一人が握っていたはずの拳銃があった。
「へぇ〜、これ引くと出るんだ? 弾丸って案外単純なんだね」
その光景に、五十嵐の背筋が凍りつく。
「……は? あいつ、今なにを……? いつの間に……!? まったく、動きが見えなかった……!」
焦燥が一気に広がる。
シエラは深く息を吐き、わざとらしく退屈そうに髪をかき上げた。
「ん〜、遊んでる暇ないんだよね。ごめん、ちょっと寝てて」
闇が彼女の指先に集束し、薄紫の魔力が共犯者たちの足元へと広がっていく。
《スリープ》
「な、なんだ……これ……目が……」
共犯者たちは一人、また一人と膝をつき、そのまま床に崩れ落ちていった。
床に沈んだ共犯者たちを一瞥し、シエラはゆっくりと顔を上げた。
その紫と金の双眸が、ただ一人立ち尽くす男――五十嵐真也を射抜く。
「……あとは、君だけだね」
静かで、しかし絶対的な“宣告”だった。
その言葉に、五十嵐の背筋がピクリと震える。
「クソッ……!」
奥歯がギリッと音を立てる。
計画は狂った。共犯者は使い物にならず、人質は完全に守られている。
何より――“この少女”の存在が、彼の中の支配の幻想を一瞬で崩していた。
「俺を……止められると思ってんのかよ……!」
――もう後戻りはできない。
積み上げてきた“復讐”も、“怒り”も、“生きる理由”すらも、今すべてが崩れかけている。
低く吐き出された声には、恐怖と怒りと、そして焦燥が滲んでいた。
ーーーーーーーー続くーーーーー
――こういうことって、別に珍しくもないんだよ。
誰かが壊れて、誰かが巻き込まれて、誰かが“悪者”にされて終わる。
毎日のニュースで流れていくような出来事のひとつに過ぎない。
ただ、それが起こるたびに思う。
人は、限界まで追い詰められてもなお、「自分は大丈夫」って顔で生きているって。
……結局のところ、これは“他人事”なんかじゃない。
誰のすぐ隣でも、今日みたいなことは簡単に起きるんだよ。
次回は五十嵐真也編最終章!あたしの活躍も最高潮だから絶対みてよね!!




