オマエノツミヲカゾエロ
暗い一室だった。
天井の照明は落とされ、部屋を照らしているのは一台のパソコンだけ。
モニターの白い光が、散乱した紙束やファイル、書き殴られたメモの端を断続的に浮かび上がらせている。
床には印刷された記事の切り抜き。
炎上まとめサイトのスクリーンショット。
赤ペンで丸を付けられた名前が、何度も何度も現れていた。
――相沢 美咲。
部屋の中央、古いデスクの前に男が一人、椅子に腰掛けている。
背中を丸め、画面を食い入るように見つめたまま、微動だにしない。
モニターには動画サイトのページが開かれていた。
チャンネル名の下には、見覚えのあるサムネイルがいくつも並んでいる。
「コンビニの商品、勝手に開けてみた」
「カップルに不倫ドッキリ仕掛けてみた結果…」
「態度最悪な店員に正論ぶつけた」
どれも、挑発的な文字と大げさな表情。
再生数は万単位。
男は、無言でカーソルを動かした。
――カチッ。
クリックされたのは、店舗での迷惑行為を扱った動画だった。
暗転の後、画面に明るい音楽が流れる。
『どうも〜、相沢美咲でーす』
軽い声。
作ったような笑顔。
画面の中で、相沢美咲はコンビニの店内に立っていた。
カメラは明らかに隠し撮りではなく、堂々と構えられている。
『今回なんですけど〜、このお店、ちょっと店員さんの態度が悪くて〜』
間延びした口調。
わざとらしい語尾。
『接客って、もっとちゃんとするべきじゃないかな〜って思ったんで〜』
彼女は肩をすくめ、カメラに近づく。
『顔、晒したいと思いまーす』
その瞬間、コメント欄が高速で流れ始めた。
――「また始まった」
――「これはさすがにアウト」
――「店員も悪いだろ」
――「正論言ってるだけじゃん」
――「炎上商法乙」
擁護と罵倒が、無秩序に混ざり合う。
誰の声が正しいのか、もう分からない。
男は画面から目を離さなかった。
いつの間にか、右手が口元に伸びている。
無意識のまま、爪を噛んでいた。
カチ、カチ、と小さな音。
メガネのレンズが、モニターの光を反射して白く光る。
その奥にある視線は、感情を失ったように静かだった。
画面の中で、相沢美咲は笑っている。
人を晒し、
人を煽り、
人の人生を、娯楽として切り取る笑顔。
男は、画面を見つめたまま、低く息を吐いた。
――次は。
誰に向けた言葉でもなく、
誰かに聞かせるつもりもない、独り言。
部屋の中で、パソコンのファンの音だけが、一定のリズムで鳴り続けていた。
翌日の昼。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床を細く照らしていた。
よくあるマンションの一室。
白い壁に、無造作に置かれた家具。
ベッドの脇には、開きっぱなしのノートパソコンと充電ケーブル。
そのベッドの上で、相沢美咲は身じろぎした。
「……ふぁ〜……」
大きく欠伸をし、片手で目をこする。
時計を見ると、昼を少し過ぎたところだった。
「よく寝た……」
ぼそりと呟き、天井を見上げる。
「昨日は徹夜で編集したしなぁ……」
起き上がり、髪を軽くかき上げる。
枕元に置かれたスマートフォンを手に取ると、画面がすぐに点いた。
通知が、画面いっぱいに並ぶ。
再生数。
コメント。
メンション。
知らないアカウントからのDM。
相沢は、慣れた指つきで動画アプリを開いた。
「さて……」
小さく笑いながら、画面を覗き込む。
「どのくらい、伸びたかなぁ……」
数字が表示される。
再生回数――
五十万回。
「……おっ」
声が弾んだ。
「いいじゃん」
悪くない。
むしろ、かなりいい。
ベッドの縁に腰掛け、画面をスクロールする。
コメント欄は、相変わらずだった。
――「これはさすがにやりすぎ」
――「店員が可哀想」
――「でも態度悪いのは事実だろ」
――「また炎上狙い?」
――「正論ありがとう」
賛否両論。
いつもの光景。
相沢は特に気にした様子もなく、鼻で小さく笑った。
「まあまあ荒れてるね〜」
軽い調子で呟く。
「でも、伸びてるし」
スマホを握ったまま、ベッドに倒れ込む。
「炎上も、話題も……」
天井を見上げ、独り言のように続けた。
「結局、見られたもん勝ちでしょ」
その声には、迷いも、後悔もなかった。
画面の中で、再生数の数字だけが、静かに増え続けていた。
相沢はスマートフォンを置き、両腕を大きく伸ばす。
「ん〜……」
背中が鳴る。
「お腹空いたなぁ」
独り言のように呟き、ベッドから降りた。
「ご飯でも買いに行こっか」
軽い調子だった。
特別な意味はない。
いつもの一日、その続き。
帽子を深く被り、マスクをつけ、サングラスをかける。
慣れた手つきで“外用の顔”を作り、部屋を出た。
――新宿中央。
昼の街は、相変わらず賑やかだった。
人波、ネオン、笑い声、雑踏。
誰もが自分の世界に夢中で、相沢の存在など気に留めていない――はずだった。
歩き出して、すぐ。
「……?」
耳の奥に、引っかかるものを感じた。
すれ違いざま、視線が絡む。
ひそひそと、声が落ちる。
「……あれ……」
「……見たことない?」
「……あの人……」
相沢は気にしないふりをした。
(まあ……バレてるよね)
炎上系YouTuber。
陰で何か言われるのは、今に始まったことじゃない。
そう思って、足を進める。
――だが。
ふと、前方から歩いてくる男を見て、足が止まった。
「……あ」
見覚えがあった。
数年前。
コンビニで晒した、あの店員。
別の方向から、女性が近づいてくる。
カップルドッキリで泣かせた、あの女。
横断歩道の向こう。
炎上レビューで店を潰した、元店長。
(……え?)
視線を巡らせる。
いる。
いる。
いる。
街にいる“人”が、
いつの間にか、自分が過去に吊し上げた人間だけになっていた。
「……なに、これ」
声が震える。
誰かが、呟いた。
「……お前のせいで」
別の声が、重なる。
「……人生、壊された」
「……返せ」
「……返せ」
相沢は一歩、後ずさった。
「ちょっと……」
笑おうとした。
冗談みたいに流そうとした。
「なに、何よ……これ」
だが、誰も笑っていない。
人々の顔が、歪んでいく。
目が黒く沈み、口が裂け、輪郭が曖昧になる。
手足の関節が、ありえない角度に折れ曲がる。
――人の形を、保てなくなっていく。
「……っ」
相沢は踵を返し、走り出した。
「や、やだ……!」
逃げても、逃げても。
前にも、後ろにも、横にも。
異形が、いる。
口々に、同じ言葉を吐く。
「お前の罪を、数えろ」
「オマエノツミヲ、カゾエロ」
重なり合う声。
街の音は、もう聞こえない。
「……やめて……」
相沢は後ずさり、壁に背中をぶつけた。
「ちょっと……何よ……これ……」
膝が震える。
異形たちが、じりじりと距離を詰めてくる。
――その時。
「……間に合った」
低い声が、空気を切り裂いた。
次の瞬間。
異形たちの輪郭が、すうっと薄れる。
黒く濁っていた影が、霧のようにほどけていき――
消えた。
「……え……?」
相沢の足から、一気に力が抜けた。
そのまま、地べたにへたり込む。
荒い呼吸。
心臓の音だけが、やけに大きく耳に響いていた。
目の前に、影が落ちる。
「……大丈夫?」
顔を上げると、そこに立っていたのはシエラだった。
相沢は、喉を鳴らしながら、かろうじて頷く。
「は……はい……」
シエラはそれ以上何も言わず、ゆっくりと前を見据えた。
ビルとビルの隙間。
昼間でも光の届かない、細い路地。
「……そろそろ、出てきなよ」
張りのある声が、路地に響く。
「ここまで来て、隠れる意味ないでしょ」
やがて、影が動いた。
路地の奥から、白い仮面をつけた人影が、静かに姿を現す。
無地の仮面。
表情はない。
だが、確かな視線だけが、こちらを射抜いていた。
シエラは一歩前に出る。
「あんたが――久我恒一ね」
仮面の奥で、わずかに息を呑む気配。
「……なぜ、分かった」
白い仮面が外される。
現れたのは、眼鏡をかけた痩せた男だった。
無表情。
だが、その目の奥には、歪んだ確信が宿っている。
シエラは肩をすくめる。
「検索履歴よ」
淡々と告げる。
「事件、炎上、被害者の名前……
全部、同じ辿り方してた」
「それを追ったら、ここに行き着いただけ」
久我は、短く笑った。
「……なるほど」
眼鏡の位置を直し、低く息を吐く。
「バレちゃ、仕方ないか」
シエラは視線を逸らさない。
「なんで、こんなことするの?」
久我は、ちらりと相沢を見る。
地面に座り込んだまま、怯えきった彼女を。
そして、嘲るように口角を上げた。
「こいつらは、日本に住む害虫だ」
淡々と、しかし楽しげに言う。
「害虫は、駆除しなきゃダメだろ?」
皮肉を含んだ声。
相沢の肩が、びくりと跳ねた。
シエラの表情が、わずかに険しくなる。
「田崎陸君の件」
一歩、詰める。
「あんた、ネットの情報だけで判断したでしょ」
「行き過ぎた解釈だった。
事実は、もっと複雑だった」
久我は、即座に首を振った。
「それでもだ」
語気が、強まる。
「いじめをしていた事実は変わらない」
眼鏡の奥の目が、異様な光を帯びる。
「いじめは――天罰に値する」
静かに、しかし断定的に言い切った。
「それが、“イバラの王”の教えだ」
空気が、凍りつく。
シエラは、息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「イバラの……王?」
その言葉に、久我は薄く笑った。
「……お前には知る必要がない」
一歩、前に出る。
「いや――知りすぎたな」
声が、冷たく落ちる。
「消えてもらうしかない」
その瞬間。
久我の瞳が、青白く光った。
世界が――
ぐにゃりと、歪む。
シエラの足元から、景色がねじ曲がり、街の輪郭が崩れ落ちる。
視界が反転し、音が遠のき、代わりに――
懐かしい匂いが、鼻を突いた。
「……」
目の前に、立っていた。
父。
母。
兄。
記憶の中と同じ姿。
同じ声。
同じ、目。
「……お前のせいで」
父が言う。
「お前がいたから、俺たちは死んだ」
母が続く。
「あなたさえ、生まれてこなければ……」
兄が、静かに笑った。
「代わりに、死んでくれないかな」
シエラは、何も言えなかった。
ただ、彼らを見る。
逃げなかった。
すると――
背後から、幼い声がした。
「おねえちゃん」
振り向く。
そこにいたのは、弟だった。
「おねえちゃんが、ちゃんと守らなかったから」
血の涙を浮かべ、叫ぶ。
「僕は死んだんだ!」
「罪を、償ってよ!」
さらに、影が増える。
かつてのパーティメンバー。
共に戦い、共に失った仲間たち。
「なんで、君だけ生き残ったの?」
「僕たちも、生きたかった」
「君のせいだ」
「全部、君のせいだ」
声が、四方八方から降り注ぐ。
前も。
後ろも。
左右も。
逃げ場はない。
シエラは、ゆっくりと周囲を見渡した。
一人ひとりの顔を、ちゃんと見る。
目を逸らさない。
震える息を、胸の奥で押し殺す。
そして――
静かに、つぶやく
「《アーク・アブソルヴ》」
闇が、弾けた。
黒い波動が、地を這い、空を裂く。
次の瞬間。
幻は、ひび割れるように崩れ落ちた。
家族の顔が砕け、
仲間の声が歪み、
すべてが、闇に溶けて消えていく。
世界が、元に戻る。
昼の街。
ビルの谷間。
荒い息をつく相沢。
そして――
数歩先で、目を見開いたまま立ち尽くす久我。
「……な、に……」
久我の能力が、霧散していく。
シエラは、まっすぐに彼を見据えた。
そして、淡々と告げる。
「久我恒一」
「まず一件目」
「異能力を使って、田崎陸を精神的に追い詰めた」
久我の肩が、わずかに跳ねる。
「直接手は下してない。
でも――」
「恐怖と罪悪感を植え付けて、
自殺に追い込んだ」
「間接的な殺害」
言葉は、冷たく落ちた。
「二件目」
視線を、地べたに座り込む相沢へ向ける。
「相沢美咲に対しても、同じ能力を使った」
「幻覚を見せ、集団に追い詰められる状況を作った」
「これは未遂」
「同じ手口。
同じ目的」
シエラは、久我に視線を戻す。
「これは――
異能力を使った連続犯罪」
「よってあんたを逮捕する」
その瞬間だった。
久我の表情が、一瞬だけ歪む。
理解した、という顔だった。
――勝ち目がない。
そう悟ったのが、はっきりと分かった。
久我は踵を返し、路地の奥へと駆け出そうとする。
「……っ」
だが――
次の瞬間、
シエラはもう、久我の目の前に立っていた。
「は?」
久我の口から、間の抜けた声が漏れる。
「……いつの間に――」
言い終わる前に。
シエラの手が久我の腕を取り、身体を沈める。
重心が浮いた。
視界が反転する。
一本背負い。
鈍い衝撃音と共に、久我の身体が地面へ叩きつけられた。
「がっ――」
息が詰まり、声にならない。
シエラは一瞬で体勢を切り替え、久我を地面に押さえ込む。
完全に、制圧。
だが――
久我は、歪んだ笑みを浮かべていた。
「……こ……これで……」
掠れた声。
「捕まえた……つもりか……?」
シエラの視線が、わずかに鋭くなる。
久我は、血の混じった唾を吐きながら、続けた。
「……甘いんだよ……」
歯を、噛みしめる。
「……おまえも……
この世界も……」
奥歯で、何かを――
噛み砕いた。
その瞬間。
久我の身体の内側から、青白い光が漏れ出す。
「……!?」
シエラが、反射的に距離を取る。
遅い。
光が、一気に膨れ上がる。
――爆音。
衝撃波が、路地を叩き潰した。
コンクリートが砕け、空気が裂ける。
だが。
シエラは、その中心に立っていた。
闇が、瞬間的に彼女を包み込み、衝撃を受け流す。
爆光が消え、
粉塵が静かに落ちていく。
そこに残っていたのは――
原形を留めない、久我の遺体だけだった。
焦げた臭い。
焼けたコンクリート。
沈黙。
シエラは、その場から動けずに立ち尽くす。
「……」
言葉が、出なかった。
遠くで、サイレンの音が近づいてくる。
それでも、シエラはしばらくの間、
そこに残された“結果”から目を離せずにいた。
◆
「新宿中央・異能力連続私刑事件」
⸻
発生日時
2025年6月20日 15:20頃
※ 超越対策課による事後把握案件
※ 一部事案は死亡後に関連性を確認
⸻
発生場所
東京都新宿区内
(複数地点)
※ 主犯確保現場:新宿中央部・路地帯
⸻
概要
被疑者 久我 恒一 は、
異能力を用い、特定個人に対して強度の幻覚および精神的圧迫を与える行為を反復。
被疑者は、
インターネット上の炎上情報・匿名告発・まとめ記事等を根拠に
対象者を一方的に「罪人」と断定。
これら対象に対し、
過去の行為や罪悪感を具現化した幻覚を見せ、
集団から糾弾される状況を作り出すことで精神的追い込みを実施。
本件により、
•田崎 陸(15) が精神的圧迫を受け、死亡
•相沢 美咲(炎上系動画投稿者) に対する同様の行為を確認(未遂)
超越対策課所属 シエラ による現場介入・制圧行動中、
被疑者は逃走を試み、拘束直前に自爆行為を実行。
被疑者は即死。
現場は封鎖され、事件は終結した。
⸻
主犯
久我 恒一(30)
※ 死亡確認済み
⸻
能力
精神投影型幻覚生成
※ 他者の記憶・罪悪感・自責意識を増幅・具現化
※ 複数対象への同時展開が可能
※ 強度は対象の精神状態に依存
※ 対象を極度の恐怖・自責状態へ誘導
危険度:極高
(直接殺傷能力は低いが、自殺誘発・精神崩壊の危険性極大)
⸻
罪状(確定分)
・異能力を用いた精神的加害行為
・田崎陸に対する 間接的殺害
・相沢美咲に対する異能力犯罪未遂
・複数名に対する継続的な脅迫行為
・異能力不正使用
(対異能力犯罪取締法違反)
※ 被疑者死亡により刑事裁判は行われず
⸻
被害者
・田崎 陸(死亡)
・相沢 美咲(未遂・精神的被害)
⸻
被疑者 久我の処遇
拘束直前、
被疑者は体内に仕込んだ異能力誘導装置を起動し自爆。
・被疑者死亡確認
・第三者への二次被害なし
・シエラに身体的損傷なし
※ 自爆行為は計画的犯行の可能性あり
※ 事前準備の痕跡を確認
⸻
特記事項
本件は
**「ネット私刑型異能力犯罪」**の初確認事例として扱われる。
被疑者は
「天罰」「裁き」「イバラの王」といった思想的概念を用い、
自身の行為を正当化していた。
思想背景の詳細については
今後の内部研究対象とする。
⸻
備考
本件記録は
超越対策課 内部限定資料 として指定。
外部公開情報においては
「自殺による単独事件」として処理済み。
記録は暗号化の上、
Iridium本部データバンク に保管。
続く
一つの事件は、収束した。
だが、その真相が明るみに出ることはない。
街はいつも通りの顔を取り戻し、
人々は何事もなかったかのように日常へ戻っていく。
記録は残り、
事実は封じられ、
真実だけが、霧の中に沈んだ。
そして――
水面下では、別の動きが始まっている。
次回、
“王”たちが集う。




