裁かれた真実
メガネを探しているのに、
実は頭にかけている。
そんな話よく聞きませんか?
一度「ない」と思い込むと、
そこにしか目がいかなくなる。
……自分は思い込みすぎて、
よくテンパるタイプなんですけどね。
【新宿・田崎家前】
古い集合住宅の前で、りんは一度だけ足を止めた。
「……ここね」
小さく呟き、呼び鈴に指を伸ばす。
――ピンポーン。
少し間があってから、室内の奥で物音がした。
「……はーい」
扉が開く。
立っていたのは、三十代後半ほどの女性だった。
少しふくよかな体つき。
だが、顔色は悪く、目の下にははっきりとしたクマが浮かんでいる。
眠れていない。
それは一目で分かった。
りんは、軽く会釈をする。
「田崎陸君の、ご関係者の方でしょうか」
女性は一瞬、目を伏せてから、小さく頷いた。
「……はい。陸の……母です」
りんは、静かに警察手帳を取り出し、相手に見せる。
「私は警視庁の西園寺と申します」
女性は、警察手帳を見つめたまま、数秒沈黙した。
やがて、かすれた声で。
「……何でしょうか」
りんは、言葉を選びながら口を開く。
「この度は、陸君のことで――
心よりお悔やみ申し上げます」
女性の肩が、わずかに揺れた。
りんは続ける。
「現在、陸君について事情を伺っております。
もし差し支えなければ、少しお話を聞かせていただけませんか」
短い沈黙。
女性は視線を落とし、唇を噛んでから――
「……分かりました」
小さく、そう答えた。
りんは、玄関先で問いかける。
「陸君は、どのようなお子さんでしたか」
女性は、しばらく考え込むように目を閉じた。
「あの子は……」
ゆっくりと言葉を探す。
「周りからは、やんちゃな子だって言われてました」
自嘲気味に、かすかに笑う。
「私も、正直……手を焼いてましたから」
一度、息を吐く。
「夜遅くまで帰ってこなかったり、
注意しても聞かなかったり……」
それでも、と前置きしてから、声の調子が変わった。
「弟たちには、面倒見が良かったんです」
少しだけ、柔らかい表情になる。
「下の子が泣いてたら、黙ってお菓子あげたり……
宿題も、見てやったりして」
その表情が、すぐに曇る。
「……あの子」
声が、震えた。
「同級生の子が亡くなったって聞いた時……
すごく、落ち込んでました」
りんは、黙って聞いている。
女性は、ぎゅっと両手を握りしめた。
「『俺が殺した』って……」
喉が詰まったように、一瞬言葉が途切れる。
「『やっちゃいけないことをした』って……
何度も、私たちに言ってました」
目を伏せたまま、続ける。
「外では、強がってたかもしれません。でも……
家では、ずっと反省してました」
沈黙が落ちる。
玄関先に、重たい空気だけが残った。
りんは、静かに頷いた。
「……分かりました」
丁寧に頭を下げる。
「お話しくださって、ありがとうございます」
女性は何も言わず、ただ小さく会釈を返した。
そして――
ゆっくりと、扉を閉める。
ガチャリ、と小さな音。
扉の向こうで、鍵が掛かる気配がした。
りんは、その場に数秒立ち尽くしたまま、閉じられた扉を見つめていた。
隣で、シエラも何も言わなかった。
りんは、ゆっくりと息を吐く。
「……次、行こ。」
それだけ言って、踵を返す。
シエラは一瞬、閉じられた扉を振り返ってから――
「……うん」
短く答え、りんの後を追った。
二人の足音が、静かな通路に遠ざかっていった。
◆
【捜査車両・車内】
低く唸るエンジン音が、車内に一定のリズムを刻んでいた。
ハンドルを握っているのは、一般の警官だ。
前方の道路状況に集中し、ミラー越しに後部座席を見ることはない。
後部座席には、りんとシエラが並んで座っている。
二人とも、窓の外を見たまま黙っていた。
しばらくして、りんが前方に声を投げた。
「田崎陸の学校に向かって。」
「……分かりました」
警官は短く答え、ハンドルを切る。
車が、ゆるやかに進路を変えた。
シエラが、隣から小さく声を出す。
「最近の動向、聞くんだね」
りんは、一度だけ端末に目を落とし、すぐに視線を戻した。
「そう」
淡々と、しかしはっきりと言う。
「最近、何か変わったことが分かれば――
犯人に、近づけると思う」
それ以上、言葉は続かなかった。
車内には、エンジン音だけが残る。
張りつめた空気のまま、捜査車両は学校の方向へと走り続けていた
◆
【新宿区立 若松中学校・16時30分】
校門の前で、捜査車両が静かに止まった。
「……着きました」
運転席の警官がそう告げる。
りんとシエラは後部座席から降り、校舎を見上げた。
下校時間はほぼ終わり、正門からは数人の生徒が談笑しながら出ていく。
グラウンドの方からは、笛の音と掛け声が風に乗って届いていた。
いつもと変わらない放課後の光景。
事件の影は、どこにも見当たらない。
二人は校門をくぐり、校舎の中へ入る。
廊下にはまだ人の気配が残っていたが、
生徒たちは足早に教室を離れ、教師の姿もまばらだった。
職員に案内され、校舎の奥へ進む。
通されたのは、来客用の応接室だった。
低いテーブルを挟んでソファが向かい合い、
棚には来客用の湯のみが整然と並んでいる。
壁には校訓と、少し色褪せた集合写真。
窓の外では、グラウンドを横切って帰っていく生徒の背中が見えた。
――コン、コン。
軽く扉が叩かれる。
「失礼します」
そう言って、扉が開いた。
先頭に立っていたのは、校長だった。
その後ろに教頭、続いて学年主任と、担任教師が並ぶ。
全員が、どこか硬い表情をしている。
校長が一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。
「本日は、お忙しい中ありがとうございます。
新宿区立若松中学校、校長の松田です」
りんも立ち上がり、軽く会釈を返す。
教頭は脇に控え、
学年主任と担任は、少し距離を取って立っていた。
誰も、すぐには口を開かない。
応接室に、張りつめた沈黙が落ちる。
外からは、部活動の掛け声が微かに聞こえてくる。
その音が、やけに遠かった。
りんは、相手の顔を一人ずつ見渡してから、静かに口を開いた。
「田崎陸君について、
ここ最近で気になったことや、変化はありましたか」
一瞬、沈黙が落ちる。
校長と教頭が視線を交わし、
学年主任は腕を組んだまま考え込む。
「……うーん」
誰からともなく、そんな声が漏れた。
やがて、担任教師が一歩前に出る。
「特に、大きな変化はなかったと思います」
そう前置きしてから、言葉を選ぶように続けた。
「ただ……いじめの件があってから、
少し元気がないようには見えました」
「それと……」
「反省している、という言い方が正しいかは分かりませんが、
クラスとの関わり方が、少し変わったようにも見えました」
「以前より、周りを気にかけるようになったり、
困っている生徒を手伝ったり……」
「……きっと本人なりに、
考えていたんじゃないかと、私は思っています」
担任は、そこで言葉を切った。
りんは、小さく頷いた。
「そうですか。分かりました。
本日はご協力、ありがとうございます」
形式的な言葉だったが、声は落ち着いていた。
教師たちは揃って頭を下げる。
シエラは終始、何も言わず、
ただその様子を静かに見ていた。
【超越対策課・執務室】
「……戻りました」
りんはそう言うと、立ち止まることなくデスクへ向かった。
鞄を置き、椅子を引き、迷いなくパソコンの電源を入れる。
画面が立ち上がるのを待つ間も、無駄な動きはない。
指先が、すぐにキーボードに触れた。
カタカタ、と乾いた音が室内に響く。
シエラは、その様子を少し不思議そうに眺めてから、声をかけた。
「……りん、どうしたの?」
りんは画面から目を離さない。
「今回と、前回の事件」
短く切り出す。
「どっちもモチーフは“天罰”。それは分かるでしょ」
シエラは頷いた。
「うん」
「でも……今回のは、ズレてるのよ」
キーボードを叩く手を止めず、りんは続けた。
「確かに、田崎陸君はいじめをしていた。でも――
実は、学校の介入で解決してる」
画面を切り替え、内部資料を開く。
「移動中に調べてたんだけど、
警察の記録にもちゃんと残ってた」
「当時、学校には聞き取りが入ってるし、
話し合いも行われてる」
「その後は、表向きだけじゃなく、
関係は実際に改善してた」
「……仲良くなってた、と言っていい」
シエラは、少しだけ目を見開いた。
「でも……中野君は、死んだんだよね」
「ええ」
りんは頷く。
「河川敷に架かる橋から転落。
遺書は見つかってない。目撃者もなし」
淡々と事実を並べる。
「処理としては、事故」
シエラが首を傾げる。
「……じゃあ、なんで“自殺”って話になったの?」
りんの指が、一瞬だけ止まる。
「“なった”んじゃないわ」
画面をスクロールしながら、静かに言った。
「そう“見立てられた”の」
「過去にいじめがあった」
「被害者が死亡した」
「場所は高所」
「当時の状況だけ見れば、
警察が“自殺の可能性が高い”と考えたのは、無理もない」
「原因が田崎君との関係だ、
って整理されたのも……自然な流れ」
シエラは黙って聞いている。
「でも」
りんは、低く続けた。
「それは、あくまで“当時の見立て”」
「事故として処理してる以上、
断定できる材料は、最初から何もない」
キーボードの音が、再び速くなる。
「……ところが」
画面を切り替え、別のログを開く。
「後日、SNSに過去のいじめ動画が投稿された」
「『これが原因じゃね?』って一文付きで」
シエラが、はっと息を呑む。
「……炎上したんだ」
「そう」
りんは視線を画面に固定したまま続ける。
「“自殺”って言葉と、
“いじめ”って過去が、
そこで完全に結びついた」
「事故処理とか、解決済みだったこととか、
全部、無視されて」
「もし犯人が――
そこしか見てなかったとしたら」
言葉を切り、
「ネットニュースと、SNSだけ」
その瞬間、シエラが声を上げる。
「……ズレがあるってことだね!」
りんの指が止まる。
次の瞬間――
カチッ、とエンターキーを押した。
「……ビンゴ」
画面に並んだログを、指でなぞる。
「やっぱり」
唇の端が、わずかに上がる。
「田崎君関連の検索、
この一、二日で一気に増えてる」
「“自殺”“いじめ”“主犯格”――
全部、同じ見出し経由」
シエラが身を乗り出す。
「じゃあ……」
りんは、画面の一部を指差した。
「このアカウント」
低く、確信を込めて言う。
「ここを辿れば……
犯人が、次に“裁こうとしている相手”が見える」
キーボードの音が、再び加速した。
——カチ、と。
誰にも気づかれない音で、時間だけが減っていく。
続く
今回は、
「正しさ」が必ずしも
「真実に辿り着くとは限らない」
という話でした。
次回、事件は解決に向かいます。




