ほんの少し、近づいた日
今回は白石と加藤を中心にした、少し穏やかなスピンオフ回です。
事件の合間の、何気ないやり取りを楽しんでもらえたら嬉しいです。
病室のテレビは、音量を落としたまま点いていた。
白石結衣は、ベッドに半身を起こし、ぼんやりと画面を眺めている。
完治とは言えないが、包帯も減り、体を起こすのもずいぶん楽になった。
画面の中では、ワイドショーの司会者が落ち着いた声で話していた。
『――新宿大災害から、今日で七年です』
映し出されるのは、当時の映像。
焼け落ちた街、規制線、騒然とする人々。
白石は、わずかに目を細めた。
「……そっか」
小さく、独り言が零れる。
「あれから、もう七年……」
時間が経った実感は、正直あまりない。
ただ、世界だけが前へ前へ進んでいるような、そんな感覚があった。
画面には、別のテロップが流れる。
『犯行声明を出した男・神代祈音。
“七年後、神の鉄槌が下る”という言葉の意味とは――』
白石は、それ以上見続ける気になれず、リモコンに手を伸ばした。
その瞬間だった。
コンコン、と控えめなノック音。
「……?」
「し〜らいしさん! 起きてます?」
聞き覚えのある、少し明るい声。
「……あ、開いてるわよ」
返事をすると、扉がゆっくり開いた。
「失礼しまーす!」
顔を出したのは、加藤だった。
私服姿で、手には小さな紙袋を提げている。
「加藤くん……?」
白石は、少し意外そうに目を瞬いた。
「面会に来てくれたの?」
「はい! もちろんです!」
加藤はにっと笑い、病室に入ってくる。
「大好きな先輩のためなら、なんだってしますから!」
「……はいはい」
呆れたように言いながらも、白石の口元はわずかに緩んでいた。
「はい、これ。お土産です」
紙袋を差し出され、中を覗くとチョコレート菓子が入っている。
「あら、ありがとう」
「病院食、甘いもの少ないって聞いたんで!」
「気が利くじゃない」
白石は受け取り、ベッド脇の棚に置いた。
「体調どうですか?」
「だいぶ良くなったわ。退院も、もう少しみたい」
「よかった……」
ほっとしたように息を吐き、加藤は真剣な顔になる。
「早く良くなって、復帰してくださいね」
その言葉に、白石は一瞬だけ視線を逸らし、それから頷いた。
「……ええ。そうするつもり」
加藤の顔を見た、その瞬間。
脳裏に、別の光景がよぎる。
銃声。
怒号。
そして――
『俺が時間、稼ぎます!』
必死な声で叫び、前に出た加藤の背中。
あの時の必死さ。
恐怖を押し殺した表情。
白石の胸が、きゅっと締めつけられる。
「……?」
加藤が、不思議そうに首を傾げた。
「白石さん?」
「……っ、な、なんでもない」
白石は慌てて視線を戻す。
気づけば、頬が少し熱かった。
「ちょっと……ぼーっとしてただけ」
「大丈夫ですか? 無理しないでくださいよ?」
「心配しすぎ」
そう言いながらも、白石は加藤から目を逸らしたままだった。
静かな病室に残ったのは、加藤の声と、白石の少し早い鼓動だけだった。
(……なにやってるの、私)
白石は、そっと胸元に手を当てる。
(加藤くんなんて、今まで全然気に留めてなかったじゃない)
(それなのに……なんで顔を見るだけで、こんなに……)
自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
その時だった。
「……あれ?」
加藤が、白石の顔を覗き込む。
「白石さん、顔……赤くないっすか?」
「え?」
「熱、出てないっすか?」
そう言って、一歩近づく。
「ちょ、ちょっと失礼しますね――」
「ばっ……!」
白石は反射的に身を引いた。
「や、やめ……!」
その瞬間。
コンコン。
病室のドアがノックされる。
「失礼しまーす」
ドアが開き――
「結衣――」
みゆきの声が途中で止まった。
病室の中。
やけに近い距離の二人。
白石は顔を真っ赤にして、加藤は身を乗り出したまま。
一瞬の沈黙。
その横で、シエラがゆっくりと状況を見回す。
「……」
「……」
みゆきが、そっと一歩下がった。
「あ……」
シエラが、ニヤニヤしながら一言。
「失礼しました〜」
――バタン。
ドアが閉まった。
「ちょっ!!」
白石は思わず声を上げ、ベッドから身を乗り出す。
「待って!!」
「待って待って待って!!」
ドアの向こうに向かって叫ぶ。
「ほんとに違うから!!」
気まずい沈黙が、病室を包んだ。
誰も、すぐには口を開けない。
さっきまであった慌ただしさが嘘みたいに、空気だけが重く残っている。
「……」
「……」
その沈黙を、最初に破ったのは――シエラだった。
「結衣、元気になってよかった!」
ぱっと表情を明るくして、ベッドのそばに歩み寄る。
「みゆきから話聞いたとき、ほんと心配だったんだよ?」
「もう少し遅れてたら危なかったって聞いてさ」
白石は、少し驚いたように目を瞬かせてから、ふっと笑った。
「ありがとう、シエラちゃん」
「もうだいぶ良くなったわ。退院も、あと少しみたい」
「そっか!」
シエラは嬉しそうに頷く。
「じゃあさ、退院したら今度どこかおでかけしよ!」
「ずっと病院じゃ、気分も塞がっちゃうでしょ?」
「いいわね」
白石は穏やかに笑って言った。
「退院したら、今度はゆっくり外に出ましょ」
「みんなで」
「いいね!」
シエラが即答する。
そのやり取りを、みゆきと加藤は少し離れたところで見ていた。
空気は、ようやく和らいだ――はずだった。
シエラは、ふと視線を横に動かす。
白石の隣。
少し距離を取って立っている加藤。
そして、白石の頬が――まだ、ほんのり赤いことに気づく。
「……ねぇ、結衣」
何気ない声。
けれど、その目はやけに鋭かった。
「その隣の男の人のこと、好きなの?」
「えっ?」
加藤が、素っ頓狂な声を上げる。
「えっ!?」
「え、え、俺っすか!?」
白石は一瞬、言葉を失った。
「ち、ちがっ――!」
慌てて手を振る。
「違うの! 違うから!!」
「そ、そういうんじゃなくて……!」
声が裏返る。
加藤も、完全に動揺していた。
「えっ、えっ……!?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「俺、そんな……! えっ!?」
なぜか顔まで赤くなっている。
その様子を見て――
シエラは、ゆっくりと二人の顔を見比べた。
白石の慌てぶり。
加藤のうぶすぎる反応。
「……ふ〜ん」
口元に、にやりとした笑みが浮かぶ。
「なるほどね」
「ちょ、ちょっとシエラちゃん!?」
白石が抗議するが、もう遅い。
シエラは楽しそうに肩をすくめた。
「ま、いいや」
その直後、みゆきが小さく息を吐く。
「……結衣、ごめんね」
「シエラが、変なこと言って」
「ちょっと!?」
シエラがすぐに反応する。
「何〜その言い方!」
頬をぷくっと膨らませ、不満そうに腕を組んだ。
「変じゃないでしょ。気になっただけじゃん」
その様子に、白石は思わず吹き出す。
「ふふ……大丈夫よ」
「気にしてないから」
そう言って、やわらかく微笑んだ。
みゆきは少し安心したように肩の力を抜く。
「……なら、よかった」
そして、思い出したように手に持っていた紙袋を差し出した。
「そうだ。退院まで暇してるかなと思って」
「これ、プレゼント」
「え、なになに〜?」
白石は目を輝かせる。
「開けていい?」
みゆきがこくりと頷いた。
袋の中から出てきたのは、数枚組のDVDケース。
「……え?」
表紙を見て、白石が固まる。
――『ルミナスハート』全話収録BOX。
「それ、全話分!」
みゆきが急に饒舌になる。
「おすすめだから!」
「特に第二期がいいの!」
「キャラの掘り下げが深くてさ、後半の展開とか――」
語り始めたみゆきの声が、どんどん熱を帯びていく。
「……」
白石はDVDを見下ろしたまま、言葉を失っていた。
「あ……ありがと……」
「見てみる、ね……」
少し引きつった笑顔で、そう答えた。
その様子を、少し離れたところから加藤は呆然と見ていた。
(……あの人、本当に――)
視線の先では、DVDを前に急に饒舌になっているみゆき。
(あの時の、超越対策課の人だよな……)
銀行強盗事件の最中。
冷静で、的確で、無駄のない動き。
命のやり取りの中にいた、頼れる大人。
(めちゃくちゃ、かっこよかったのに……)
今は。
アニメの話題で身振り手振りを交え、止まらなくなっている。
(……なんというか……)
(オタク、だな……)
その瞬間。
「だよね、みゆきって」
隣から、さらっと声が飛んできた。
「自分ではオタクじゃないって言い張ってるけどさ」
「実際、ちょ〜オタクだよね」
「――っ!?」
加藤は、思わず声を上げた。
「わっ!!」
反射的にシエラを見る。
「な、なんで俺の思ったこと、分かったんすか!?」
シエラは、にやにやと楽しそうに笑った。
「だってさ」
加藤の顔を指差す。
「アンタ、顔に出すぎ」
「えっ……!?」
加藤は慌てて口元を押さえる。
「そ、そんな……!」
気づけば、耳まで真っ赤になっていた。
その様子を見て、シエラはさらに楽しそうに肩を揺らす。
「ほんと、分かりやすいなぁ」
「……シエラ」
みゆきが、じとっとした視線を向ける。
「今、私のことオタクって言ったでしょ」
「え?」
シエラは首を傾げる。
「いや? 別に?」
「今、絶対言った」
「言ってないってば」
「じゃあ、さっき誰のこと見てたの」
シエラは少し考えるふりをしてから、
ひょい、と指を伸ばした。
「この人」
「……え?」
指の先にいたのは、加藤だった。
「この人が、思ってた」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って!?」
加藤が慌てて手を振る。
「俺、何も言ってないっす!」
そのやり取りを見て――
白石は、思わず口元を押さえる。
「……ぷっ」
それにつられるように、加藤も小さく吹き出した。
「……っ」
一瞬目が合って、二人は慌てて視線を逸らす。
病室に、ようやく柔らかい空気が戻ってきた。
しばらくして、みゆきが小さく咳払いをする。
「……じゃあ、そろそろお先に失礼しようかしら」
「え、もう?」
白石が少し残念そうに言う。
「うん。また来るし」
みゆきはそう言って、手を振った。
「結衣、無理しないでね」
「ありがとう。今日は本当にありがと」
シエラも一緒に手を振る。
「じゃあね、結衣!」
「早く元気になって、遊びに行こ!」
「ええ。気をつけて」
二人がドアに向かいかけた、その時。
シエラが、ふいに足を止める。
くるりと振り返り、加藤のすぐ隣まで寄ってきた。
「……ね」
小声で囁く。
「これで二人きりなんだから」
にっと笑って、親指を立てる。
「ガンバ」
「――っ!?」
加藤の顔が、一気に赤くなる。
「ちょ、ちょっと……!」
シエラは満足そうに笑い、そのままドアを開けた。
「じゃ、またね〜」
――カチャリ。
ドアが閉まる。
病室に残ったのは、白石と加藤、二人だけ。
ピッ……ピッ……と、心拍モニターの規則正しい音が、やけに大きく聞こえる。
「……」
「……」
沈黙。
どちらともなく、口を開いた。
「あの――」
「あの……!」
声が重なり、二人は固まる。
「……す、すみません」
加藤が慌てて言う。
「いえ……」
白石も、少し照れたように微笑む。
また、短い沈黙。
加藤は、意を決したように背筋を伸ばした。
「……白石さん」
「はい」
加藤は、一度息を吸う。
「今度……」
「もしよかったら、食事でもどうですか?」
視線を逸らしながら、早口で続ける。
「退院してからでいいんで!」
「俺、奢りますし!」
白石は、一瞬驚いたように目を瞬かせ――
それから、ゆっくりと頬を赤らめた。
「……うん」
小さく、でもはっきりと頷く。
「……っ!」
加藤の胸が、大きく跳ねた。
心臓の音が、うるさいくらいに響いている。
(……これ、聞こえてないよな……?)
そんな不安が浮かぶほど、鼓動が速い。
病室の窓から、夕日が差し込んでいた。
オレンジ色の光が、白いカーテンを染め、
二人の影を、静かに床へと伸ばしていく。
今日という一日が、ゆっくりと終わっていく。
その中で――
二人の距離だけが、ほんの少し、近づいていた。
今回は、少し穏やかな日常回でした。
白石と加藤、それぞれの距離がほんの少しだけ近づく回になったと思います。
次回は、異能力者とは何か。
そして七年前の新宿大災害とは何だったのか――
物語の根幹に触れる章となります。お楽しみに。




