Ominous ― 不穏
自分はどうやらお酒アレルギー気味らしく、
調子に乗って飲むと、
頭痛・全身痛・謎の痒みがセットでやってきます。
二日酔いって、ほんと最悪です。
今回は、そんな状態から始まる話。
それでは本編です。
翌日、9時30分。
庁舎の廊下は、すでに慌ただしかった。
行き交う職員の足音、コピー機の音、遠くで鳴る電話。
その端を、白石結衣は壁伝いに歩いていた。
「……うぅ……」
こめかみを押さえる。
頭の奥が、ずん、と重い。
(昨日、飲みすぎた……)
胃のあたりがむかむかして、視界が少し揺れる。
仕事始めだというのに、最悪のコンディションだった。
「……気持ち悪……」
思わず足を止めた、その時。
正面から、資料の束を抱えた少女が歩いてくる。
金色の髪。
きちんとしたスーツ姿――
(……あ)
白石の脳裏に、昨夜の居酒屋がよぎった。
「……あっ。昨日の……シエラちゃんだっけ?」
少女も気づいたように顔を上げる。
「あっ、結衣じゃん!」
弾んだ声。
次の瞬間、
シエラは資料を抱えたまま、たたた、と小走りで近づいてくる。
「やっほー!」
「……おはよう」
白石は片手を軽く上げながら、苦笑した。
シエラはすぐに顔を覗き込む。
「どしたの?顔、すごいことになってるよ?」
「……」
白石はこめかみを押さえたまま、素直に答えた。
「……二日酔い」
「やっぱり!」
シエラがぱっと手を叩く。
「昨日、結構飲んでたもんね〜」
「……うん……」
胃の奥が、きゅっと重くなる。
その様子を見て、
シエラは一瞬だけ考えるような顔をしてから、にこっと笑った。
「あ、じゃあさ!」
次の瞬間には、もう身体を翻していた。
「あたし、なんか温かいの買ってくるね!」
「え、ちょっ――」
白石が止めるより早く、
シエラは「すぐ戻るから!」と手を振りながら、
たたた、と廊下の向こうへ駆けていく。
取り残された白石は、
しばらくその背中を見つめていた。
「……」
小さく、息を吐く。
「……優しいな」
そう呟いてから、
もう一度、ゆっくりと頭を押さえた。
数分後。
廊下の向こうから、軽い足音が近づいてきた。
「あ、結衣!」
声と一緒に、シエラが姿を現す。
手には、紙カップが二つ。
「お茶にしてみたよ。あったかい方がいいかなって」
白石は少し驚いたように目を瞬かせてから、
「あっ……ありがとう」
と、素直に受け取った。
シエラはにこにこしながら言う。
「二日酔い、きついよね〜。
こういうの飲むと、だいぶ楽になると思うよ」
白石は、カップを両手で包む。
「少しだけ、ゆっくりしてから仕事戻りなよ。
無理すると、余計ひどくなるからさ」
シエラのその言葉に、白石は小さく頷いた。
「……いただきます」
一口。
喉を通った瞬間、
じんわりとした温かさが、身体の奥に広がる。
「……沁みる……」
思わず本音が漏れた。
それを聞いて、シエラは満足そうに笑う。
「でしょ」
少し間を置いてから、
シエラはふと思い出したように続ける。
「そういえばさ。
あたし、ここ来てまだ数週間くらいなんだよね」
「だから、まだ慣れてないところも多くてさ。
よかったら、なんか日本のこととか、仕事のこと教えてよ」
「……うん」
白石が答えると、
シエラは軽く手を振った。
「じゃあ、あたしこれ、みゆきに渡してくるね」
そう言って、くるりと踵を返し、
また小走りで廊下の向こうへ向かっていく。
その背中を、白石はしばらく見送っていた。
(……不思議な子だな)
そう思いながら、
もう一口、静かにお茶を飲んだ。
十分ほどしてから。
白石は、少しだけ落ち着いた胃を確かめるように深く息を吐き、自分のオフィスへ戻った。
席に着いた、その瞬間。
「し〜らいしさぁぁぁん!!」
でかい。
やたらと、でかい。
「……っ!」
頭の奥に、がん、と響く。
思わず眉をひそめ、
その声の主を睨みつけるように顔を上げると――
案の定。
加藤が、にこにこと立っていた。
「……なに」
声に、露骨な不機嫌さが混じる。
「今日、不調っすか?」
「見りゃ分かるでしょ……」
白石はこめかみを押さえたまま、吐き捨てるように言った。
「朝から顔色ヤバかったんで」
そう言いながら、
加藤は机の上に、紙カップをそっと置く。
「これ、よかったら」
「……?」
白石が視線を落とす。
はちみつレモン系の、あったかそうな飲み物だった。
「いや、その……」
加藤は少しだけ視線を逸らしながら、
「二日酔いとか、効くらしいっすよ。
気分悪そうだったんで、渡しとこうかなって」
一瞬。
白石は、言葉を失った。
「あっ……」
「……ありがと」
思わず、素直な声が出る。
(まさか、加藤からこんなものもらうとは……)
少しだけ、意外そうな顔をした、その瞬間。
「え、なにその顔」
加藤がにやっと笑う。
「あっ、惚れました?
いいっすよ、俺。いつでもウェルカムなんで」
「……うっさい」
白石は即座に返した。
「調子乗らないで」
(ちょっとだけ“いい人かも”って思った自分が、馬鹿みたい)
そう内心で毒づきながら、
それでもカップを手に取る。
湯気が、ほんのりと立ち上っていた。
――その時。
デスクの内線が、甲高い音を立てて鳴った。
そして、
「一課各員。
西新宿、東都信用銀行西新宿支店で銀行強盗発生。
現在、犯人は店内に立てこもり中。所轄が初動対応中だ。至急、応援を要請する」
空気が、一瞬で変わった。
白石は、手にしたカップを見下ろす。
(……最悪のタイミング)
その直後。
「――誰か、行ける者はいるか」
低く、張りのある声。
一課の警視が、室内を見渡していた。
一瞬の、間。
白石は、こめかみに残る鈍い痛みを無視して、
すっと手を挙げた。
「……私が行きます」
自分でも、少し無茶だとは思った。
胃の奥はまだ重いし、頭も完全じゃない。
それでも。
(今、行かなきゃ)
その隣で、
「俺も行けます」
加藤の声が、重なった。
警視は二人を見比べ、短く頷く。
「――白石。加藤。
お前たちで行け」
「了解しました」
白石が即答する。
「了解っす」
加藤も続いた。
白石は、カップをそっと机に置いた。
さっきまで感じていた気持ち悪さが、
少しだけ遠のいた気がした。
(……仕事だ)
そう心の中で呟き、
彼女は立ち上がった。
10:00
西新宿――東都信用銀行 西新宿支店。
ロビーは、異様な静けさに包まれていた。
床に座らされた行員たちが、肩を寄せ合っている。
誰も喋らない。
喋れない。
一人の若い女性行員は、両手を膝の上で固く握りしめ、今にも泣き出しそうな顔で前を見つめていた。
その隣では、震えを抑えきれない男性社員が、
小さく息を吸っては吐いてを繰り返している。
さらに奥。
親子連れの客が身を縮め、
子どもは声を殺して母親の服を掴んでいた。
その中で――
一人だけ、静かにうなだれている男がいた。
用務員と思しき、年配の男。
帽子を深く被ったまま、微動だにしない。
恐怖に凍りついた、というよりも。
ただ、現実を受け入れてしまったような姿だった。
「早くしろ!!」
怒声が、ロビーに響く。
新田恒一が、カウンターの内側に銃を向けていた。
「金だ!
さっさと全部、詰めろ!!」
行員の手が、震えながら札束を袋に押し込む。
苛立ったように、新田が銃を天井へ向ける。
パンッ――。
乾いた発砲音。
照明が揺れ、
ロビーに小さな悲鳴が走った。
「ひっ……!」
若い女性行員が、思わず声を上げ、口を塞ぐ。
その瞬間。
外から、拡声器越しの声が響いた。
『――無駄な抵抗はやめなさい。
銀行は完全に包囲されています』
新田は、舌打ちを一つ。
「……チッ」
銃を持ったまま、ゆっくりと入口へ歩き出す。
自動ドアの前で立ち止まり、
一歩、外へ出た。
そこには――
盾を構えた警察官たちが、何重にも並んでいた。
数十人。
完全に包囲されている。
新田は、その光景を一瞥し、
パン、と。
何の躊躇もなく、銃を上に向けて撃った。
乾いた発砲音が、
西新宿のオフィス街に響く。
「……余計なことするなよ」
低い声。
「少しでも中に入れば――」
銃口を、入口の奥へ向ける。
「ここにいる奴ら、全員殺す」
盾の向こうで、警察官たちの動きが止まった。
誰も、踏み込めない。
その様子を見て、
新田は口の端を、わずかに吊り上げた。
続く
新田という男、
警察の前に出てきて発砲するにしては、
ずいぶん落ち着いているように見えます。
何か、裏がありそうですが……。
結衣と加藤は、この事件を止められるのか。




