白石結衣 第5章 白い影 開始
※本章より、第5章に入ります。
第5章では、
白石結衣という一人の女性警察官に焦点を当て、
彼女の日常と、人となりを描いていきます。
何も起きないように見える日々の中で、
いせギャルの世界は、静かに動き出します。
これまでとは少し違う視点の物語になりますが、
引き続きお付き合いいただければ幸いです。
【6月11日 15時10分。新宿】
平日の昼下がりだというのに、通りは相変わらず人で溢れていた。
観光客、買い物帰りの主婦、仕事をサボったようなスーツ姿。
雑踏はいつも通りで、誰もが自分の行き先しか見ていない――はずだった。
その流れが、ある一点で歪んだ。
男が一人、立っている。
右手には果物ナイフ。
刃は陽光を反射し、落ち着きなく揺れていた。
「俺はもう終わりなんだ!!」
喉を裂くような叫び声が、街の音を一瞬だけ塗り潰す。
「なら――一人でも道連れにしてやる!!」
男はナイフを振り回す。
だが、誰かを狙っているわけではない。
空を切る刃先は定まらず、足元も覚束ない。
人々は距離を取り、円を描くように広がった。
逃げきれない者は立ち止まり、逃げる者は振り返り、
そして――スマホを構える者が現れる。
「やば……」
誰かが呟く。
動画を回す若者。
写真だけ撮って後ずさる女。
震える指で警察に電話をかける中年の男性。
誰も近づかない。
だが、誰も完全には離れない。
――その空気を、破ったのは一人の女性だった。
人の輪の外から、迷いのない足取りで駆け出す。
悲鳴も、叫びもない。
ただ一直線。
男が振り返った、その瞬間だった。
一歩。
身体が潜り込み、重心を刈る。
次の瞬間、男の視界が天地を失った。
鈍い音と共に、背中がアスファルトに叩きつけられる。
息が詰まり、叫びは途中で途切れた。
女は止まらない。
倒れた勢いのまま、ナイフを握る腕を捻り上げる。
関節が悲鳴を上げる角度。
抵抗する暇すらない。
金属音。
ナイフが地面を転がった。
「誰か、早く警察!」
女の声が、はっきりと響く。
一拍の沈黙。
次の瞬間――
「おお……!」
「すげ……」
どこからともなく、拍手が起きた。
ぽつ、ぽつ、と。
やがてそれは、場違いなほどはっきりした音になる。
パチパチ、と。
さっきまでスマホを向けていた手が、
今度は賞賛のために打ち鳴らされていた。
【翌日 午前9時】
新宿中央署・会議室。
長机が並び、前方に署長と幹部が座っている。
空気は静かで、事務的だった。
「――では、今回の新宿駅周辺における刃物事案について」
淡々と概要が読み上げられる。
非番中に発生。
迅速な判断。
被害者なし。
「白石結衣巡査部長、前へ」
名前を呼ばれ、白石は一歩前に出た。
背筋を伸ばし、姿勢を正す。
賞状を手にした上役が、短く言う。
「非番にもかかわらず、よくやった」
「……ありがとうございます」
白石はそう答え、深く一礼する。
控えめな拍手が起きる。
パチ、パチ。
白石は一瞬だけ振り返り、
会議室の端に立つ人物を見つけた。
遠藤みゆきだ。
課長として、表情は崩さない。
だが、その視線は確かに白石を見ていた。
白石は小さく息を吸い、
ほんの少しだけ胸を張る。
すぐに前を向き直り、
また、いつもの無表情に戻った。
会議室を出て、白石は廊下を歩いていた。
さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように、署内はいつもの朝に戻っている。
「し〜らいしさぁん!」
やけに伸びた声が背中に飛んできた。
白石が振り返ると、
若い男性が小走りで近づいてくる。
「……加藤くん?」
少し明るめの茶髪。
警察官としてはだいぶ攻めた色だが、規定ギリギリで留めている。
耳元には、ピアスを外した跡がうっすら残っていた。全体的に、どう見てもチャラい。
――が、目だけはやけに真っ直ぐだった。
「いやー、表彰の件聞きましたよ!
すごすぎじゃないっすか!」
加藤は目を輝かせたまま、勢いよく言う。
「強くて!
可愛くて!
しかも優しいとか、反則じゃないですか!」
白石は一瞬だけ眉をひそめ、すぐに笑った。
「褒めすぎ」
「尊敬してます!マジで!
俺、白石さんみたいな警察官になりたいっす!」
一拍置いて、加藤が急に真顔になる。
「……だから」
白石が首を傾げた、その瞬間。
「結婚してください!!」
廊下に、場違いな宣言が響いた。
白石は吹き出しそうになるのを堪え、肩をすくめる。
「私を揶揄わないの」
笑いながら、きっぱりと言う。
「それに――加藤くんのこと、異性としては見てないから」
「ひど!!」
加藤は即座に声を上げた
白石は小さく笑い、歩き出す。
「でも、ありがとう。気持ちは嬉しいよ」
「……俺、白石さんに認めてもらえるよう頑張りますから」
白石は振り返らずに答えた。
「期待してる」
「マジっすか!」
その声を背に、白石はそのまま廊下を進んだ。
【18時過ぎ。新宿中央署・庁舎前】
まだ日は高く、空は明るかった。
六月の夕方は、思ったよりも長い。
白石は庁舎を出ると、ぐっと背伸びをする。
「……今日も仕事、頑張った」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いて、軽く拳を握る。
その背中に――
「結衣!」
聞き慣れた声が飛んできた。
白石は思わず振り向く。
「……みゆき!」
立っていたのは、遠藤みゆきだった。
制服姿のまま、腕を組み、いつもの余裕のある表情を浮かべている。
「おめでとう、結衣。見てたよ!」
「……ありがとう」
白石は少し照れたように答える。
「大したことしてないんだけど」
「それ言うところが、結衣らしい」
みゆきはくすっと笑い、少し間を置いてから言った。
「で、今日このあとどう?」
白石が首を傾げる。
「え?」
「せっかくだしさ。
一杯、行かない?」
白石は一瞬考えてから、頷いた。
「……うん、行こう」
「よし、決まり」
みゆきは満足そうに笑い、白石の隣に並ぶ。
まだ明るい夕方の街へ、二人は歩き出した。
続く
今回は、白石結衣という女性の日常を描きました。
いきなり求婚を申し出されるシーンは、
個人的にどうしても描きたくて入れました(笑)
結衣は結婚願望はかなり高めですが、
どうやらお相手は加藤ではなかったようです。
がんばれ、加藤。
次回は居酒屋での続きになります。
みゆきがしっかり酔い、
結衣の好みのタイプも明らかになる(かもしれない)
騒がしい夜になりそうです!
引き続き、よろしくお願いします。




