『行方不明者が通った店——Athlize』 4章『偽りの楽園』始動
3章を読んでくださり、本当にありがとうございます。
ここから物語は大きく形を変えます。
表で見える顔と、裏で動き出すもの。
その“二つの世界”が、少しずつ交わり始めます。
4章『偽りの楽園』。
明るさの下に隠された影を、ぜひ楽しんでください。
8:15 東京・新宿中央署 超越対策課オフィス
カツ、カツ、カツ――
シエラのヒールの音が、静まり返ったフロアに跳ねる。
腕を組んではほどき、デスクの間を行ったり来たり。
落ち着かない視線だけが、時計の秒針を追っていた。
そこで、背後からため息混じりの声。
「シエラ、少しは落ち着きなさい。」
みゆきが書類を抱えながら、眉を寄せる。
シエラはぴたりと足を止め、振り返った。
「だってぇ……今日は、りんの退院後の初出勤日でしょ。落ち着くわけないじゃん……!」
言いながら、また歩き出しそうになる足。
女の子みたいにそわそわし続ける指先。
その瞬間――
ガチャッ。
ドアノブの金属音。
シエラの肩がびくっと跳ねる。
視線が吸い寄せられるように扉へ向く。
ひょこっ、とドアの隙間から顔を出す。
りんだった。
少し照れたような、弱々しい笑みで頭を下げる。
「……お騒がせしました。」
その声を聞いた途端、
シエラの体が反射で飛んだ。
「りん~~~~!!!」
全力で抱きつく。
りんの上半身が少し後ろに倒れる。
「ちょっ……シエラ、抱きつかないで……っ!」
わたわたと手を振りながらも、
泣き笑いのシエラが顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶ。
「心配だったんだよぉ!!!」
みっともないほど大きな声。
りんは一瞬だけ目を閉じ、
ふっと柔らかく笑った。
「……ありがとう、シエラ。
あたしの傷……あなたが魔法で直してくれたんでしょ?」
シエラは鼻をすすりながら、大きく頷く。
そのやりとりを見て、
みゆきの表情がようやく緩む。
ゆっくり前に進みながら声を張る。
「じゃ、今日も頑張っていくわよ~~」
拍手のように、空気がふっと軽くなる。
中央署・幹部専用会議室
蛍光灯の白い光が、磨かれた長テーブルを静かに照らしていた。
空調の微かな唸りだけが、広い部屋の静寂を切り裂いている。
革張りの椅子が軋む音とともに、
9時30分 を指す時計の針が小さく跳ねた。
村崎警視長が、ゆっくりと立ち上がる。
資料を開く紙の音が、冷たい空気へ落ちた。
沈黙のまま、
視線だけが一斉に資料へ降りる。
そして――
割れるような静けさを破り、村崎の低い声が響いた。
「……埼玉県所沢市で行方不明事件が多発している。」
ざわり、と。
誰かの呼吸がわずかに乱れる。
村崎はページの端を押さえながら続けた。
「一週間で七名。
年齢も性別も職業も、一切共通点がない。
現場には痕跡すら残っていない。」
会議室はさらに静まる。
沈黙に押し潰されそうだ。
「捜査は継続中だが――進展はゼロだ。」
白髪の管理官が、鼻で笑いながら吐き捨てた。
「……村崎警視長、また超越課に任せる気か。」
空気がざらりと揺れる。
別の幹部が腕を組んだまま、
低く、冷たい声で続けた。
「あんな癖者揃いに任せられん。
埼玉県警の第一課に任せておけばよかろう。」
「第一課は優秀だ。
実績もある。妙な真似はせん。」
会議室の温度がさらに落ちる。
偏見とプライドの匂いが濃く沈殿していく。
村崎は資料を静かに閉じた。
そして、鋭い声で言い放つ。
「――超越課を作ったのは、私だ。」
沈黙。
一瞬で空気が凍りついた。
「第一課が優秀なのは認める。
だが今回の件は、常識の範疇にない。」
村崎は全員を見渡し、
感情を一切乗せず、ただ事実だけで切り裂く。
「最も安全に扱える場所は、他ではない。」
誰も言葉を返さない。
蛍光灯の白い光だけが、
無情にテーブルへ落ちていた。
重い扉が背後で静かに閉まった。
金属の低い響きが、長い廊下に沈んでいく。
村崎は資料を脇に抱え、
無言のまま歩き出す。
革靴の音が、磨かれた床へ乾いたリズムを刻む。
コツ……コツ……コツ。
会議室で交わされた言葉が
まだ耳の奥でざらついて残っていた。
村崎は小さく息を吐き、
独りごとのように静かに呟く。
「癖者揃い、か。」
ほんの少しだけ、目元が緩んだ。
扉の向こうに、
“超越対策課”と刻まれたプレートが見える。
立ち止まり、
視線を落とす。
「……あいつら、ちゃんとやれているだろうか。」
それだけ言うと、
村崎は手を伸ばし、静かにノックし、ドアを開けた。
乾いた音がフロアに響いた。
机がわずかに揺れ、紙がふわりと跳ねる。
テーブルの中央で、
組まれた二つの腕が離れる。
シエラの手が、拓磨の手を机に叩きつけていた。
「……だぁーーっ!!負けたぁ!!」
拓磨が椅子の背にのけ反り、両手で頭を抱える。
「お前強すぎだろシエラ!!意味わかんねぇって!!」
シエラは肩をすくめ、にやりと笑った。
「ふっ……あたしに勝つのは100万年早いね。」
めちゃくちゃ嬉しそうに、胸を張って自慢げ。
すぐ横で、りんがくすくす笑って言う。
「拓磨弱〜〜い。」
「っせぇ!」
拓磨は頬杖をつき、そっぽを向いた。
眉間に皺を寄せ、ぷいっと横を向いたまま口を尖らせる。
その後ろ――
遠くのガラス張りの入口に、村崎の姿が映っていた。
腕を組み、こめかみをぴくぴくさせながら……
ぷるぷる震えている。
拓磨が勢いよく立ち上がる。
「よし!シエラもう一回だ!!今のは準備運動だ!!」
シエラは顎をしゃくって、ちらっと入口の方を見る。
「……それより、あの人ずっと見てるけど。大丈夫?」
拓磨とりんが同時に振り返る。
「——警視長!?」
瞬間、二人の顔が蒼白になる。
村崎は静かに歩み寄り、
足元から冷気が立ち上るような声で言った。
「……おまえら。今は、なんの時間だ?」
その低い声が、
背筋を針で刺すみたいにフロアを凍らせた。
りんと拓磨は、肩を寄せ合いながらしどろもどろになる。
「い、いやぁ〜〜これには……深い事情がありまして……その……」
「違うんですよその……」
シエラはぽかん、と首をかしげるだけ。
村崎は目を細め、
声をさらに低く落とした。
「……そうか。なら——しっかり“話”を聞かせてもらおう。」
りんと拓磨は同時に息を呑む。
「ひぇっ……」
空気が重く沈む。
誰も動けない。
村崎は深く、重い溜息をついた。
「……まったく。遠藤は何をしている。」
視線が奥のデスクへ向く。
そこには、みゆきがいた。
眉根を寄せ、真剣な表情でパソコン画面を凝視している。
完全に仕事中の雰囲気。
村崎は腕を組み直し、声を飛ばす。
「おい、遠藤!!」
――無反応。
りんと拓磨とシエラが同時に小声で叫ぶ。
「あっ…今は行かない方が……っ」
だが村崎の足は止まらない。
革靴の音が、冷たく床に響く。
コツ、コツ、コツ。
みゆきは、イヤホンを片耳に差したまま
キーボードの横で指先を揺らし、
小さく口ずさんでいる。
「ルミナスハート……第24話……ここ、何回見てもいいわねぇ……」
うっとりとした表情。
画面にはアニメの映像が小さく流れている。
村崎が真横に立った瞬間――
ブチッ。
イヤホンが一瞬で引き抜かれた。
みゆきは勢いよく振り向き、
ぱっと目を見開いて言った。
「今いいところなのよ?……長ッ!!?」
村崎はこめかみを引き攣らせ、
肩をぷるぷる震わせながら叫んだ。
「――――遠藤!!!!!」
怒号がオフィス全体に響き渡る。
9:45超越対策課オフィス内
空気は嘘みたいに静まり返っていた。
机の上に置かれた資料だけが、
紙の擦れる乾いた音を立てている。
村崎は一度小さく咳払いし、
淡々と声を落とした。
「——以上が会議で話し合われた内容だ。」
シエラも拓磨も、姿勢を正して前を向いている。
みゆきは、さっきまでのテンションの反動で、
肩をすぼめ、しょんぼりと視線を落としていた。
村崎は全員を見渡し、静かに続けた。
「この事件……おまえたちに任せようと思う。」
その言葉に、空気がピリッと震える。
りんが一歩前へ出る。
真剣な瞳を村崎に向けて。
「しかし、能力事件だとは断言されていないんですよね。第一課に任せても良いのでは?」
村崎は短く息を吐き、腕を組む。
「……確かに、この事件が能力絡みかどうかは分からん。
だが私は——おまえたちに任せた方が、
“安全性が高まる”と踏んだ。」
りんは数秒黙り、深く頷いた。
「……わかりました。」
村崎は視線を全員に流し、問いかける。
「この事件、やってみたい者はいるか。」
沈黙の一瞬——
ビッ!
「はいはいは〜〜いっ!!」
シエラが勢いよく手を挙げる。
椅子がガタッと鳴るほどの勢いで。
りんが目を丸くし、拓磨が苦笑した。
村崎はゆっくりとその手を見つめ、
静かに言った。
「……お前が、最近仮配属されたシエラか。」
「うんそうだよ!なんか楽しそうだしやってみたい!」
無邪気な笑顔。
空気が一瞬だけ柔らかくなる。
村崎は重い沈黙の中、
目頭を指で押さえながら、
小さく、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「……また癖の強いのが増えたな。」
そして顔を上げ、短く命じた。
「——では。もう一人。拓磨、お前が行け。」
「っ……俺っすか!?」
拓磨の肩が跳ね上がる。
りんは横目で小さく笑った。
その瞬間、
村崎は静かに咳払いをひとつ漏らした。
空気が再び鋭く引き締まる。
村崎は資料の束を手元へ引き寄せ、
一枚の地図をゆっくりと広げた。
紙がこすれる乾いた音だけが部屋に落ちる。
「痕跡は——見つかっていない。」
声は淡々としていたが、
その奥には重い確信が潜んでいた。
「だが、私の見立てでは……
行方不明者たちが辿った“共通の場所”がある。」
テーブル中央へ、地図が滑らせて置かれる。
視線が集まる。
複数の赤いピンが、
同じ通り沿いに刺さっていた。
りんが眉を寄せる。
「このエリア……狭すぎる。」
拓磨が身を乗り出す。
「ここ、どこだ……?」
村崎の指が、
地図の一点を静かに叩いた。
『Athlize』
その文字だけが、
鋭く浮き上がった。
村崎は地図から目を離し、
静かに続けた。
「被害者全員、この店に通っていたという証言がある。
……私は、ここが怪しいと踏んでいる。」
言葉を区切り、
視線をゆっくり横に滑らせる。
「——青木。お前、ここに見覚えはないか?」
拓磨は一瞬固まり、
次の瞬間、目がみるみる見開かれていく。
「こ……ここ……!」
声が裏返る。
「マッスル界の聖地……!
健康食と本格プロテイン、そして筋肉談義の聖域……!
マッスル同士のコミュニティ喫茶店——『Athlize』……!」
シエラとりんが呆気にとられる中、
拓磨の全身から音が出そうな勢いでスイッチが入る。
「警視長!! 行きます!!
俺、行くっす!!! 絶対行くっす!!!」
椅子がガタンと跳ね、その声だけがオフィスに響いた。
「…決まりだな」
村崎はわずかに目を細めながら
ボソッと言った。
朝の光が差し込み、紙がかすかに鳴った――オフィスの空気が、わずかに熱を帯びた。
続く
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
4章では、青木拓磨に少しスポットが当たります。
彼の“素”の一面や、シエラとの距離感が
これまでとは少し違う形で見えてくるはずです。
日常の空気が変わり始める瞬間を、
楽しんでもらえたら嬉しいです。




