綴りちゃん③ 執着
今回は “千草過去編” のラストになります。
これまでの流れが一つの形になります。
静かに読んでもらえたら嬉しいです。
【大学進学】
春の匂いがまだ少し冷たかった頃。
私は、りんちゃんと並んで大学の階段を上っていた。
同じ大学、同じ学科。
あの子の隣を歩けるだけで、
新しい生活が少しだけ明るく見えた。
空きコマが一緒なら、自然と学食へ向かった。
りんちゃんは大盛りのパフェを嬉しそうに頼んで、
私はその横顔を見るだけで満たされていた。
毎日が“当たり前”みたいに隣同士で、
これがずっと続くんだって、本当に思ってた。
でもある日、ゼミ配属の紙が貼り出された。
人混みをかき分けて自分の名前を追った瞬間、
足が止まった。
——違う。
りんちゃんの名前は、別の列にあった。
たった数歩の距離なのに、
どうしてか胸の奥がすっと冷えていった。
りんちゃんは軽い声で
「そっかぁ!でもさ!ずっと離れたわけじゃない
からさ、またご飯一緒に食べよ〜」
って笑っていた。
私は笑って頷いたけれど、
その声が胸にうまく届かなかった。
気にしていないのは、りんちゃんだけ。
その温度差が、
私の中に小さな不安として沈んでいくのを感じた。
気づかれないまま、静かに。
ゼミが別になった日を境に、
りんちゃんの毎日は少しずつ変わっていった。
気づけば、あの子のまわりには、
新しい友達が、何人も何人も増えていた。
教室で名前を呼ばれる声が、前より増えた。
笑い声も、いつの間にか別の輪の中に混ざっていた。
「今日会える?」
授業が終わるたび、私はいつものようにLINEを送った。
でも返ってくるのは、
ほとんど同じような言葉ばかり。
『ごめんね、今日は友達と会うの』
『ゼミの飲み会があってさ』
スマホの画面を見つめたまま、
私は“あぁ、そうなんだ”って呟いて、
送信する前の文章を消していった。
わかってる。
りんちゃんは悪くない。
誰にでも優しくて、誘われたら断れなくて、
そういうところが大好きなんだから。
……でも。
胸の中の小さな不安は、
日を追うごとに形を持ち始めた。
りんちゃんの隣にいるのは、
もう私じゃなくてもいいのかな。
あの子にとって、私は特別じゃなかったのかな。
そんな考えが浮かんでは、
「違う」と否定して、
でもまた浮かんできて……
消えなくなっていく。
夜、静まり返った部屋でひとりになると、
私の時間だけが止まっているみたいで、
りんちゃんの時間だけが、
遠くへ、遠くへ流れていくように感じた。
その流れに取り残されるのが怖くて、
どうしようもなく、胸が締めつけられた。
りんちゃんと会えない日が、少しずつ増えていった。
“用事がある”“飲み会がある”
理由はどれも自然で、当たり前で、普通のこと。
だからこそ、胸の奥にじわりと広がる不安を
誰にも言えなかった。
りんちゃんだって時間を作ってくれる日がある。
学食で笑い合う日も、ふたりで帰る日も、
ちゃんとある。
消えたわけじゃない。
私を避けてるわけでもない。
それでも——
“今日会えない”っていう一言だけで、
一日が音を立てて崩れていく気がした。
私はいつからこんなに、
りんちゃんがいないと不安になるようになったん
だろう。
その答えを探すみたいに、
ある日、授業が終わったあと、私はりんちゃんの後ろ姿を追っていた。
最初はただ、“今日のりんちゃんを見て
安心したかった”だけ。
けれど翌日も、またその翌日も、
気づけば私は同じ道を歩いていた。
誰と話しているんだろう。
あの笑顔は、誰に向けられているんだろう。
名前を呼ばれて振り返る、その声は誰のもの
なんだろう。
そんなことばかりが気になって、
講義の内容なんて、もう頭に入らなくなっていた。
りんちゃんの背中は、いつ見ても明るくて、
その明るさが、胸を少し痛くした。
“今日は会える日なのかな”
“明日はどうなんだろう”
そんなことばかり考えて、
スマホを見つめてしまう自分が、だんだん嫌いになった。
会えない日が一日あるだけで不安になって、
それを隠すために笑顔を作って、
でも夜になると心が沈んでいって——
気づけば私は、
毎日のように、りんちゃんの後ろ姿を追いかけていた。
自分でも理由がわからなかった。
ただ、
“りんちゃんがどこにいるのか知っていたい”
それだけで、胸が少し楽になる気がした。
止めようと思っても、止められなかった。
【下校時】
いつものように、りんちゃんを追って歩いていた
帰り道。
人通りが多い時間帯で、前からスーツ姿の男性が早足で近づいてきた。
私は道の端に寄こうとして——
よけきれなかった。
肩が相手の腕にぶつかった感触が確かにあった。
軽く揺れるほどの衝撃。
「あ……ごめんなさい」
反射的に声が出た。
でも、その男性は私を見なかった。
むしろ、ぶつかった瞬間に立ち止まり、
自分の肩を手で押さえて、
驚いたようにあたりを見回した。
「……え? 今……誰か……?」
眉をひそめて、左右に目を走らせる。
少し後ずさりして、
まるで“見えない何か”にぶつかったみたいに肩をさすっていた。
私はすぐ近くに立っているのに、
その人の視線は私の脇をするすると通り過ぎていく。
顔が合うことは最後までなかった。
「すみません……」
もう一度、そう呟いてみた。
その瞬間だけ、
男の人の肩がわずかに跳ねた。
——聞こえたんだ。
でも、
私を見ようとはしなかった。
いや、見られなかった。
そこに“誰もいない”ように。
胸の奥が、すっと冷える。
けれど不思議と怖くなかった。
むしろ。
透明なら、りんちゃんの邪魔にならない。
誰にも奪われない。
誰にも見つからずに、ずっと隣にいられる。
そう思った瞬間、
りんちゃんの背中を見つめながら、私は静かに笑った。
口元だけが上がった。
でも目は笑っていなかった。
【大学・学食】
大学の後半に入った頃、
りんちゃんがふいに言った。
「わたし、警察になろうかなって思ってるんだ〜」
明るくて、未来を楽しみにしている声だった。
理由も自然だった。
りんちゃんは昔から、困っている人を放って
おけないし、
家族にもその道を勧められていたらしい。
「綴りちゃんは? 進路、どうするの?」
私は笑って誤魔化した。
「……まだ決めてない、かな」
本当は違う。
未来なんてどうでもよかった。
りんちゃんの隣にいられる場所があるなら——
それだけで十分だった。
でもそんな本音は言えない。
喉の奥に押し込んだ。
やがて入校の日が近づき、
りんちゃんは必要な物を揃えるために忙しそう
だった。
私はそのたびに
“もうすぐ離れてしまうんだ”という事実を突きつけられた。
胸が、ひどく締めつけられた。
その夜、ひとりで布団の中にうずくまりながら、
私はずっと同じことを考えていた。
——離れるのが怖い。
——でも、りんちゃんは止められない。
——だったら……。
そこで、ふっと胸の奥が軽くなる瞬間があった。
「……私が一緒に行けばいいんだ」
それだけだった。
りんちゃんの進路に、私が合わせればいい。
りんちゃんの生活に、私が入り込めばいい。
姿が見えなくたって、声が届かなくたって、
私はずっと“りんちゃんの隣”にいられる。
その考えに触れた瞬間、
胸の痛みはすっと抜けていった。
——離れない。
——置いていかれない。
——私は、りんちゃんのすぐ後ろを歩けばいい。
それだけで世界が静かに整った。
入校日。
駅のホームには、まだ朝の冷たい空気が残っていた。
りんちゃんは大きなバッグを肩に下げて、
振り向いて笑った。
「じゃあ行ってくるね!
綴りちゃんも頑張って!」
私は笑って手を振った。
りんちゃんが電車に乗り込み、
ドアが閉まる瞬間まで。
でも——
りんちゃんが知らないだけ。
私は透明なまま、
りんちゃんのすぐ後ろについてホームに入り、
改札も、校門も、そのまま通り抜けた。
教室の後ろに立ち、
グラウンドの隅でりんちゃんを見つめ、
夜は宿舎の廊下で寝息を聞く。
私にとっては“いつものこと”の延長だった。
ただ、誰の目にも映らないだけ。
りんちゃんの隣にいられるなら、
私はどんな形でもよかった。
透明でも、存在が消えていっても。
——ただ、そばにいられればそれでよかった。
警察学校を卒業して半年。
りんちゃんは、ついに一人暮らしを始めた。
配属先は「警視庁・超越対策課」。
異能に関わる事件を扱う、“特別”と呼ばれる部署らしい。
でも私は、その言葉の重さを深く考えることはなかった。
りんちゃんが選んだ仕事なら、それでよかった。
それ以上の意味なんて、私には必要なかった。
りんちゃんが鍵を開けて部屋に入る頃には、
私はすでに部屋の中にいた。
家具の配置。
クローゼットの中。
キッチンの棚の高さ。
一つひとつを確かめるように見て、触れて、覚えていった。
りんちゃんの生活の中に、
私の居場所が静かに沈んでいくのを感じた。
◆
ある日、仕事から帰ってきたりんちゃんが
部屋を見回して、小さく眉を寄せた。
「……あれ? ここ、こんな位置だったっけ……?」
私は息を飲んだ。
触れたのはほんの少しだけ。
リモコンの角度、膝掛けの折り目。
そんな小さな違い。
なのに——りんちゃんは気づいた。
胸の奥が跳ねた。
“ねえ、見えてる?
ここにいるよ。
ずっと、ずっと一緒にいるよ。”
そんな期待がゆっくりと膨らんでいった。
りんちゃんは数秒だけ悩んだ後、
「……気のせいかぁ。疲れてるのかな」
と笑ってスリッパを脱いだ。
肩がすっと下りる。
安堵と残念さが混ざった、複雑な感情。
それでも嬉しかった。
りんちゃんが“私”に触れかけた、その事実だけで。
◆
その夜。
りんちゃんが静かな寝息を立て始めた頃、
私はベッドの横に座った。
手を伸ばせば触れられる距離。
でも触れない。
触れたら、何かが壊れてしまいそうで。
カーテンの隙間から月明かりが落ちて、
りんちゃんの横顔を淡く照らす。
私はその光の形を確かめるみたいに、
じっと見つめ続けた。
「……りんちゃん。
私とあなた……ずっと一緒だよ」
その言葉は、夜に溶けて消えた。
でも私は、確かに満たされていた。
隣にいられるだけでよかった。
誰にも見えなくても。
誰にも気づかれなくても。
——りんちゃんと、同じ部屋の空気を吸えている
なら。
夕方の空気は、昼の熱を少しだけ残したまま、
冷たく沈んでいこうとしていた。
いつものように、りんちゃんを透明なまま追っていた。
休日で、街は家族連れや買い物帰りの人で賑わっていた。
りんちゃんは公園の前で立ち止まり、
誰かに手を振った。
小さな女の子。
小学低学年くらいの、細い腕。
ピンクのリュックを背負って、走ってくる。
——誰?
私は自然と足を止めて、
電柱の陰に身を寄せた。
りんちゃんはその子を見るなり、
ふわっと、優しく笑った。
それが——
私の知らない、笑顔だった。
大人に向ける優しさでも、
友達に向ける明るさでもない。
まるで宝物を抱きしめるみたいな、
そんな柔らかい笑顔。
「りんおねぇちゃん! 来たよ!」
女の子の声が弾む。
「ほのかちゃん、今日も元気だね〜」
りんちゃんが頭を撫でる。
……ほのか。
胸の奥が、ぐらりと揺れた。
ほのか。
ほのか。
ほのか。
知らない名前が、私の世界に混ざった。
りんちゃんは、あの子には
あんな顔をするの?
私にはもう向けてくれない顔を
あの子には見せるの?
「ねえ、りんおねぇちゃん! 聞いて! 今日ね——」
ほのかの声が明るく響くたびに、
私の胸の奥が焼けるように熱くなっていった。
りんちゃんは、小さな子に合わせて笑って、
優しく頷いてあげて、
その全部が自然で、柔らかくて。
その姿が、どうしようもなく、
憎かった。
……やめて。
私以外にそんな顔をしないで。
私だけを見てよ。
胸の奥から溢れた言葉が、
喉の奥で固まって、形になれないまま膨らんでいった。
気づけば、私は電柱を掴んでいた。
強く。
強く。
強く。
ガリッ……。
指先に伝わる嫌な振動。
コンクリートがわずかに砕ける音。
視線を下ろすと、
電柱の表面に細い亀裂が走っていた。
私の力で。
私の嫉妬で。
でも、驚きもしなかった。
そんな自分に。
むしろ、落ち着いた。
——邪魔しないでよ。
——りんちゃんは、私のものだよ。
——奪わないで。奪わせないで。
ほのかの笑い声は、小鳥みたいに軽くて、
でも私には刃物みたいに刺さった。
「……殺す」
口の中で、言葉が勝手に転がる。
「殺す……」
指先が震えて、
掴んでいた電柱に力が入る。
ガギッ……!
コンクリートの表面に深い亀裂が走った。
「殺す……殺す……」
声が少しずつ熱を帯びていく。
喉が震えて、息が乱れていく。
「殺す、殺す、殺す、殺す……!」
ぶつぶつと呟くたびに、
電柱の表面が剥がれ落ちた。
粉塵がぱらぱらと風に溶けていく。
胸の奥から湧き上がる憎悪は、
自分の声とは思えないほど鮮明だった。
「りんちゃんを取らないで……
邪魔しないで……
奪うなら……殺す……!」
爪がコンクリートに食い込み、
指先が赤く染まる。
なのに何も痛くなかった。
「殺す殺す殺す殺す殺す……!」
夕方の空気が震えるほどの熱量で呟き続けても、
誰にも気づかれない。
透明な私は、
ただ静かに壊れていくだけ。
——りんちゃんを奪う存在は、
すべて消えていい。
その瞬間、心の奥で
“決定的な何か”が音を立てて折れた。
【八王子・廃病院】
ほのかを“殺す”と決めたその夜、
私は気づいたら歩いていた。
導かれるみたいに、頭で考える前に足が向いていた。
たどり着いたのは、
暗闇に沈んだ古い建物——廃病院。
「……ここ、だ」
数十年前に閉院して、
小学生の頃は“出るらしい”って噂だけがよく流れていた場所。
実際に来るのは初めてなのに、
迷わずここに着いた。
まるで最初から
ここで殺すことが決まっていたみたいに。
私は建物を見上げながら、小さく息を吐いた。
「……ほのかを殺すなら、場所はここでいい」
そう呟いた瞬間、
次に“どう殺すか”がゆっくり形になり始めた。
廃病院の前で立ち止まった時、
胸の奥に沈んでいた“形のない衝動”が、
ゆっくりと順序を持ち始めた。
——ほのかをここに連れてくる。
まずそれが最初に浮かんだ。
静かな手術室に、あの子を座らせる。
逃げないように。見逃さないように。
——次は、りんちゃん。
ほのかのスマホでも、家の電話でもいい。
りんちゃんは呼ばれたら必ず来る。
優しいから。
私みたいに、ほのかを嫌ったりしないから。
だから、来てもらう。
——それから。
りんちゃんを殺して、
そのまま……食べる。
りんちゃんの魂が私に入る瞬間を、
ほのかに見てもらう。
ほのかにとって一番大好きな“りんおねぇちゃん”が、
血を流して崩れていくところを。
そして、完全なりんちゃんになった私が——
最後にほのかを殺す。
それがあの子にとって、一番幸せな終わり方でしょ?
一番大好きな人に、
一番最後に触れられて、
優しく、痛くなく、
“終わらせてもらえる”んだから。
私は廃病院の暗闇を見つめながら、
そっと口元を上げた。
「……私が。
あたしが優しく殺してあげるよ、ほのかちゃん」
その言葉は、夜風に溶けていった。
続く
千草の過去編は今回で一区切りになります。
彼女がどう壊れ、どう“りん”だけを求めていったのか——
その流れを描き切りました。
次からは現在パートに戻ります。
りんが気づけなかった“すぐそばの異常”が、ようやく輪郭を帯びていきます。
よろしくお願いします。




