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綴りちゃん② ― ずっと一緒…

少しずつ、りんと千草の距離が近づいていきます。

まだ“友情”と呼べる関係の中で、

ほんの少しだけ形を変え始めた「想い」。


それは優しさにも見えて、

けれど、どこかで軋むような痛みを孕んでいました。


彼女にとって、りんは光そのもの。

眩しくて、手を伸ばしたくなる光。


——ただ、それがどれほど脆く儚いものなのかを、

彼女はまだ知らなかった。


それから、私とりんは少しずつ話すようになった。


最初は勉強を教えあったり、宿題の答えを確認したり。


放課後の帰り道では、好きなスイーツや映画の話をした。


——あの子はいつだって自然体だった。


私が少し理屈っぽい話をしても、「なるほどね!」と笑ってくれる。


それだけで胸の奥が、少し温かくなった。


りんといる時間は、どこか光に似ていた。

まぶしくて、でも見ていたい光。

そんな日々が、いつまでも続くような気がしていた。




【放課後・帰り道】


夕陽が坂の上から差し込み、街全体がオレンジに染まっていた。


りんと私は並んで歩いていた。


「ねぇ綴りちゃん、この通りのクレープ屋さん知ってる? めっちゃ美味しいんだよ!」


「……あぁ、うん。駅前の角のところでしょ。」


「そうそう! 今度一緒に行こ!」


りんの声は、どこまでも軽くて、眩しい。

私は頷きながら、笑うふりをした。


——“綴りちゃん”。


その呼び方を、最初に聞いたときは嬉しかった。


誰かが私を名前で呼んでくれる、それだけで世界が色づいた気がした。


でも、いつの間にか胸の奥に小さな痛みが残るようになった。


りんが私をそう呼ぶたびに、


“千草”という名前が遠くへ押し流されていく気がした。


「ねぇ綴りちゃん、今日の授業マジで眠かったね〜!」


「……そうね」


口では笑っても、心のどこかで何かが軋む。


(……“綴りちゃん”。)


(あの響きは、好きなはずなのに。どうして少しだけ胸が痛むんだろう。)


言葉にならない違和感だけが胸の奥に沈んだ。


【休日・昼 市立図書館】


窓から射す光がページの上に落ちていた。


館内は静かで、遠くからページをめくる音だけが聞こえる。


りんは机に肘をつき、ペンをくるくる回していた。


「ねぇ綴りちゃん、ここの問題、どうやって解くの?」


「ここは符号を変えるの。……ほら、マイナスを外に出して。」


「なるほど〜! ありがと! 綴りちゃんってほんと頼りになるね!」


笑う声が少し大きくて、周りの視線がちらりと向く。


りんは小さく舌を出して「てへ」と笑った。

千草は無意識に口元を緩めていた。


——誰かとこうやって勉強するのは、初めてだった。


文字が並ぶノートの上に、隣の笑顔の残像が滲む。


“誰かと共有する”ということが、こんなにも暖かい

ものだったなんて。


りんがペンを置き、伸びをしながら小さく呟いた。


「ねぇ綴りちゃん、あたしね、人の名前どうしても

覚えられないんだよね〜」


「あなた、今日も先生の名前間違えてたわよ。」


「えへへ〜、なんでだろうね〜」


その笑い声に合わせて、窓の外の木々がざわめいた。

静けさの中で、千草の胸の奥に小さな音が走る。


(……私の本当の名前、覚えてるのかしら。)


(“綴りちゃん”って、言いやすいから呼んでるだけ

じゃ……)


言葉が喉まで上がって、そこで止まった。

言えない。怖い。


今この瞬間私たちの関係が壊れてしまうのが、

なにより怖かった。




【昼休み・教室】


窓から差し込む光が、机の上の弁当箱を照らしていた。


りんは教卓の近くで、数人のクラスメイトに囲まれて笑っている。


「りんちゃん、それ美味しそう〜!」


「一口あげよっか?」


「いいの!? ありがとー!」


笑い声が重なり、教室の空気が明るく弾む。


りんの笑顔は、どこまでも柔らかくて、誰の心にも

届くようだった。


千草は自分の席からその光景を見ていた。

机の上の弁当を開いたまま、箸を持つ手が止まる。


——本当は、今日は一緒に食べたかった。


 りんと並んで、他愛もない話をしながら。


 でも、声をかけるタイミングを探しているうちに、

 あの子の周りにはもうたくさんの笑顔が集まっていた。


りんが誰かの冗談に笑う。


その笑顔は、いつもと同じ。

でも、自分にだけ向けられていたものじゃない。


胸の奥が、かすかにチクチクと痛んだ。


(……わかってる。りんはみんなから好かれてる。

 あの明るさは、特別なんかじゃない。

 でも——)


(その笑顔を、私だけのものだと思ってた。)

(どうして……こんなに苦しいの。)


箸が震えた。

視界が少し滲んで、息が詰まる。


千草は静かに席を立った。

周囲の笑い声を背に、教室を出る。


廊下に出た瞬間、世界の音が遠ざかる。

足音が反響して、胸の鼓動と重なる。


階段を下り、靴箱の前で足が止まった。

壁にもたれかかりながら、ゆっくりとしゃがみ込む。


「……なんで……」


掠れた声が漏れた。


胸の奥に手を当てると、心臓の鼓動が痛いほど速い。

息を整えようとしても、喉の奥が震える。


(あんな笑顔、他の誰にも見せないでよ……)


りんの笑顔が頭から離れなかった。


あの光を、もう一度自分だけに向けてほしい——

その願いが、静かに形を変え始めていた。



【休日・午前 住宅街】


風のない昼下がり。

アスファルトの上に、木漏れ日が模様のように揺れていた。


千草は電柱の影に立ち、少し離れた家の玄関を見つめていた。


制服ではなく、淡いベージュのコート。

手には小さな紙袋を持って、何度も時計を見る。


(……ほんの少しだけ。今日だけ。)


りんの家の場所は、下校のときに偶然知った。


“偶然”と呼べるほど軽いものじゃないけれど、

その時は、ただ知りたかっただけ。


どんな場所に住んでいるのか、どんな朝を迎えるのか——


それを知れば、もう少し近づける気がした。


やがて、玄関のドアが開く音。


りんが出てくる。

髪を後ろで結び、バッグを持って軽い足取り。

その姿を見た瞬間、胸の奥がふっと熱を帯びた。


千草は少し距離をとって歩き出す。


視線は下に落とし、スマホを見ているふりをしながら。


(……本当に、偶然みたいに。)


りんは商店街を抜け、駅前のカフェへ入っていった。

千草も数分後に扉を開ける。


ベルの音。


りんが窓際の席でメニューを見ていた。

千草は一瞬ためらって、そして——


「……あっ、りんちゃん?」


振り向いたりんの顔が、ぱっと明るくなる。


「えっ、綴りちゃん!? 偶然だね〜!」


その笑顔に、胸の奥がじんと痛んだ。

罪悪感と幸福が、ひとつに混ざり合っていく。


「うん……ほんと、偶然ね。」


その日は、少しだけ一緒にお茶をした。


りんが楽しそうに話す声。

カップに反射する光。

その一瞬一瞬が、眩しくて息ができなかった。



——その夜、千草は窓の外を見ていた。

風に揺れる街灯の光が、静かに胸の奥を撫でていく。


「……また、会えるかな。」


呟いたあと、ふと口元がかすかに歪んだ。

光が唇をかすめ、その笑みだけが夜の中に浮かんでいた。


【高校三年・春】


そして私は高校三年になった。


この頃になると、りんの後をつけることが“日課”になっていた。


どこで降りて、どの店に寄り、どんなスイーツを頼むのか——


すべて、もう知っている。


最初はほんの興味だった。

でも気づけば、週に一度は“偶然”を装って声をかけるようになっていた。


「……あっ、りんちゃん?」


「えっ、綴りちゃん!? また会ったね〜!」


その無邪気な笑顔を見るたび、

胸の奥で何かが満たされる音がした。


りんはきっと、これを“偶然”だと信じている。


私も、そう思い込むようにしていた。

そうしなければ、この幸福が壊れてしまう気がしたから。



【ホームルーム】


担任が教壇に立ち、手にしたプリントを軽く叩いた。


「おーいお前たち、そろそろ進路のこと考え

始めろよー!


 希望調査、仮でいいから今週中にな!」


教室が一気にざわめく。


「え、もう出すの?」「もう決めたの?」

「どこにする?」

「まだ俺決めてねー」


そんな声があちこちで飛び交う。


笑い声と紙をめくる音が重なり、

春の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。


千草は頬杖をついたまま、窓際の光をぼんやり

見つめていた。


(……りんは、どこに行くんだろう。)


横目で見ると、

りんは友達に囲まれ、明るく笑っていた。


「りんちゃんどこ行くの?」「もしかして東大?」


りんが照れくさそうに笑いながら、


「んーどうしようかなぁ」


その横顔を見た瞬間、胸の奥がズキ、と痛んだ。


(……あの子には、未来がある。世界が広い。)


(でも、私の世界は——あの子の隣でしか

形にならない。)


机の上のプリントを見つめながら、

千草は無意識に、ペンで“りん”の文字を書きかけていた。



【休み時間】


昼休みのチャイムが鳴り終わり、教室のざわめきが少し落ち着いていた。


千草は自分の席で、進路希望調査のプリントをぼんやりと見つめていた。


何度も書いては消した空欄。

その紙の白さが、やけにまぶしく感じる。


そこへ、りんがひょこっと顔を出した。


「綴りちゃん、決めたの?」


「えっ……? まだだけど。」


りんは机に肘をついて、にこっと笑った。


「えへへ、あたしはね〜、桜ヶ丘女子大にした!」


「えっ!? りんちゃんなら、もっと上いけるよ。」


「いいのいいの! だってここの学食めっちゃ美味しそうなんだよ!

 インスタで見たんだ〜、パフェが超でっかいの!」


千草は思わず笑ってしまった。


「ふふっ……まさにりんちゃんって回答だね。」


「え〜! 今バカにしたでしょ!?」

りんがほっぺを膨らませて、ぷいっと横を向く。


その仕草が、どうしようもなく愛おしかった。


千草の胸の奥で、静かな音がした。

ペンを握る手が自然に動く。


「……決めた。私、りんちゃんと同じとこにする。」


「えっ? 本当!? やったぁ! 綴りちゃんと一緒だぁ!」


りんが両手を上げて笑う。

その笑顔を見た瞬間、千草の世界が“決まった”。


——行き先も、未来も、私の生きる場所も。

すべては、あの笑顔の隣にある。



【夜・千草の家】


夕食後、リビングに並ぶ三人の影。

テーブルの上には、進路希望調査の紙が置かれていた。


「桜ヶ丘女子大? ……どういうつもり?」

母の声が低く響く。


「あなたの成績なら東大を狙えるでしょ。

 今さらそんな中途半端な大学に行く意味があるの?」


父も新聞をたたみ、眉をひそめた。


「お前は昔から努力家だった。無駄にするな。」


千草は静かに立ち上がり、プリントを手に取った。

「……私の行きたいところに行くだけ。」


「話はまだ終わってないぞ!」


父の声が背後で響く。

だが、千草はもう聞いていなかった。


階段を上る足音だけが家に響く。

部屋のドアを閉めると、世界の音がすっと消えた。


——もう、親なんてどうでもいい。

成績も、将来も、立派な大学も。

私が生きる理由は、そんなものじゃない。


窓の外には、街灯の光が滲んでいた。

その明かりが、どこか遠くの星みたいに見えた。


千草は胸に手を当て、ゆっくりと息を吸い込む。


「りんちゃん……私はあなたと出会って、

初めて愛を知ったの。」


「私はこれからも、あなたと一緒にいたい……ずっと、ね。」


千草の胸の奥が、熱く、痛く、震えていた。


         続く

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


りんと千草、ふたりの関係はまだ「優しさ」と「憧れ」のあいだにあります。

けれど、その境界は思っているよりずっと脆く、

小さなきっかけで簡単に揺らいでしまうものです。


この章では、千草の“光”への想いが、

どのように少しずつ形を変えていくのかを描きました。


次回、千草過去編——完結。

彼女の中で、その“光”がどう歪み、壊れていくのか。

最後まで見届けてください。

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