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深海に響く子守唄

 マリンスワローの船内は、依然として緊急アラートの赤色灯が点滅し、狂暴化したルミナス・ホエールたちの猛攻で激しく揺れていた。ミリアムは激しい頭痛に苛まれながらも、幼い頃の記憶から得た確信に突き動かされていた。


「歌……!歌を歌えば……!」


 ミリアムは、苦しむホエールたちを見つめ、震える唇からかすれた声を絞り出した。


 カケルは、ミリアムの言葉を聞き取り、その意図を理解しようとした。


「ミリアム、どうするつもりだ!?何かできるのか!?」


「私にしか聞こえない……ホエールたちの歌……!それを、私が……私が歌うの……!」


 ミリアムは、自分でも何が起こるか分からないまま、本能に従い、喉の奥からメロディを紡ぎ出した。それは、彼女が幼い頃、病気の犬を癒すために口ずさんだ、あのシンプルな子守唄だった。


 彼女の声は、最初はか細く、震えていた。しかし、ホエールたちの「苦痛の音」に耳を傾け、それに自分の「歌」を共鳴させようと試みるにつれて、その声は徐々に、しかし確実に力強さを帯びていった。


「ノア!潜水艇の外部マイクを最大出力で開いて!」


 カケルは、直感的に叫んだ。ミリアムの歌が何らかの形でホエールたちに届く可能性があると信じたのだ。


 ノアは、混乱しながらも指示に従い、メインコンソールのスイッチを叩いた。


「外部マイク、最大出力!潜水艇の全スピーカーを同期させる!」


 マリンスワローの機体外部に設置された複数の高性能マイクとスピーカーが作動し、ミリアムの歌声が深海へと放たれた。


 その歌声は、単なる音波ではなかった。彼女の歌声は、まるで海の深層に広がる、無数の音の周波数と共鳴し始めるかのように、奇妙な響きを帯びていく。それは、ミリアム自身の意識が、その歌を通してホエールたちへと直接語りかけるような、テレパシーにも似た感覚を伴っていた。


 その瞬間、ミリアムの脳内で、何かが弾けるような感覚が走った。


 それまで断片的に聞こえていた「音」の洪水が、突如として、明確な情報として、彼女の意識の中に流れ込んできたのだ。


 ルミナス・ホエールたちの「怒りの音」は、実は汚染物質が彼らの神経を侵食し、細胞組織を破壊している「痛みの音」と、その苦痛から逃れたいという「絶望の音」が混じり合ったものだと理解した。

 さらに、彼女の耳には、これまで聞こえなかった無数の「音」が流れ込んできた。


 潜水艇の周囲を流れる海流の微細な変化。


 海中に漂う汚染物質の分子レベルの振動。


 遙か遠く、海底に沈む不法投棄された廃棄物容器の金属が発する、重く濁った「音」。


 そして、その廃棄物容器の内部から、かすかに漏れ出す化学物質の「泡立つ音」。


 さらには、それらの廃棄物を管理するために設置されたであろう、人工的な監視システムの微弱な電子音。


 海全体が、巨大な音響空間と化し、その全ての「音」が、ミリアムの脳内に流れ込んできた。


 それは、単なる聴覚ではない。まるで、海中のあらゆる要素が発する「情報」を、彼女の脳が「音」として認識し、空間そのものを把握するかのような、圧倒的な知覚だった。彼女の視覚が捉える範囲を超え、遥か遠くの海底の状況までをも、「音」として正確に認識できるようになったのだ。


「聞こえる……!全部……全部聞こえるよ!」


 ミリアムは、涙を流しながらも、その目には驚きと、そして確信の光を宿らせた。


 彼女は、自身の歌声で、ルミナス・ホエールたちの「苦痛の歌」に、「癒やしの波長」を重ねるように調整し始めた。


 彼女の歌声が、ホエールたちの「怒りの音」を少しずつ包み込み、鎮めていく。マリンスワローに体当たりしていたホエールたちの動きが、次第に緩慢になっていくのが見て取れた。


「ホエールたちの動きが鈍ったぞ!」


 イヴァンが驚きの声を上げる。


「ミリアムの歌が効いているのか!?」


 カケルも、その現象に目を見張った。


 ノアは、モニターのデータに釘付けになっていた。


「信じられない……ミリアムの歌声が発する周波数に、ホエールたちの脳波が反応している!彼らの精神活動が、安定し始めている……!」


 エミリーも、驚きを隠せない。


「まるで、ミリアムの歌が、海の秩序を取り戻そうとしているかのようだわ……」


 ミリアムは、歌い続けながら、新たに覚醒した能力で、汚染源の特定に集中した。


「汚染物質の音は……ここからよ!」


 ミリアムは、潜水艇の右舷下、深い海底の特定の地点を指差した。


「すごく冷たくて、重たい音……その奥に、もっと、もっと悪い音がするの……機械の音みたいな……」


 ノアは、ミリアムが指差した方向へソナーを向けた。モニターに映し出されたのは、これまでの調査では見つけられなかった、巨大な不法投棄施設のようなシルエットだった。


「これは……!海底に隠蔽された大規模な構造物だ!ガスクロス産業のデータにはない!」


「やはり、ガスクロス産業の仕業か……」


 カケルは、憎々しげに呟いた。


 ミリアムは、歌い続けながら、その構造物から発せられる「機械の音」に耳を澄ませた。それは、常に微細な振動を伴い、まるで「脈動」しているかのようだった。その「脈動」は、汚染物質を海へと排し続けている「音」だと、彼女は直感的に理解した。そして、その「機械の音」の中に、微弱だが、ある一定のパターンを持つ電子信号の「音」を捉えた。


「ノア……あの悪い機械の音……なんか、チカチカする『音』が混じってる……それは、定期的に、同じリズムで……」


 ミリアムは、必死に自分の感覚を伝えようとした。彼女は、それが監視システムの信号であることまでは理解していなかったが、その「音」が、何かを「監視している」ことだけは感じ取れた。


 ノアは、ミリアムの言葉を聞き逃さなかった。彼の専門分野だ。


「チカチカする音……定期的なリズム……まさか、隠蔽された監視システムか!?」


 ノアは、すぐにミリアムが感知した周波数を元に、逆探知を開始した。


 ルミナス・ホエールたちは、ミリアムの歌声に導かれるように、マリンスワローの周囲で穏やかに泳ぎ始めた。彼らの体から放たれる光は、まだ弱々しいものの、以前のような歪みはなく、わずかながらではあるが、本来の神秘的な輝きを取り戻しつつあった。彼らの「悲鳴」は、「安堵の音」へと変わり、ミリアムの心を温かく包み込んだ。


 ミリアムの能力は、完全に覚醒した。彼女は、もはや単なる「万物の音を聞く」能力者ではなかった。空間に存在するあらゆる「音」から情報を読み取り、生命と共鳴し、その本質を理解する、真の「空間認識能力者」へと変貌を遂げたのだ。そして、その力は、この惑星アクエリア、そしてルミナス・ホエールたちを救うための、決定的な鍵となる。

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