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心に秘めた想い出

 マリンスワローは、狂暴化したルミナス・ホエールたちの猛攻を受け、船体が軋みを上げている。緊急アラートが鳴り響き、船内は赤色の警告灯で不気味に照らされていた。ミリアムは激しい頭痛と、ホエールたちの「怒り」と「苦痛」が混じり合った「音」の濁流に苛まれ、意識が朦朧としていた。


「いやぁぁぁあ!!」


 ミリアムの悲鳴が響く。彼女の全身は小刻みに震え、両手で頭を抱え込む。


「ミリアム!しっかりしろ!」


 カケルが叫び、彼女の肩を優しくさする。


 しかし、そのカケルの声も、イヴァンの怒鳴り声も、エミリーの冷静な指示も、ノアの焦る分析も、ミリアムの耳には遠く、ぼやけて聞こえるだけだった。彼女の意識は、深海の底へと沈み込んでいくかのように、過去の記憶の奔流へと引きずり込まれていく。



 それは、まだ彼女がGRSIに入るずっと前、幼い頃の記憶だった。


 ミリアムは、ある星系の田舎にある小さな牧場で育った。そこは、広大な草原と、小さな森、そして清らかな川が流れる、自然豊かな場所だった。彼女は、幼い頃から他の子供たちとは少し違っていた。言葉を話せない動物たちの「声」が、なぜか彼女には聞こえるような気がしたのだ。


 ある日の午後、ミリアムは森の奥で、迷子になった小鳥を見つけた。ヒナだろうか、巣から落ちてしまったのか、地面にうずくまり、小さな体を震わせている。他の子供たちならただの鳴き声として聞き流すだろうが、ミリアムにはその小鳥の「声」が、明確な「不安の音」として聞こえたのだ。


「ママ……どこ?寒い……怖い……」


 ミリアムはその「音」に心を締め付けられ、小鳥にそっと近づいた。どうすればいいのか分からず、ただそこに立ち尽くす。その時、彼女の頭の中に、かすかな「チー、チー」という、小鳥の親鳥らしき「音」が響いてきた。それは、不安に揺れる小鳥の「音」とは異なり、どこか焦燥と、ヒナを探す「呼びかけの音」のように聞こえた。


 ミリアムは、その「音」を辿るように森の奥へと足を進めた。友人たちは、「ミリアム、どこに行くの!?」と叫んだが、彼女は止まらなかった。


 まるで何かに導かれるかのように、その「音」が示す方向へと歩き続ける。すると、やがて彼女の視界に、森の木々に隠れるように作られた、小さな鳥の巣が現れた。その巣のそばでは、親鳥が不安げに飛び回っている。親鳥の「音」と、迷子のヒナの「音」が、彼女の耳の中で、まるで歌のように重なり合っていた。


 ミリアムは、ヒナをそっと抱き上げ、親鳥の待つ巣へと戻してやった。ヒナが巣に戻ると、親鳥は安心したように優しい「声」を上げた。その「音」は、ミリアムにはまるで「ありがとう」と歌っているように聞こえた。ミリアムは、その時、胸の奥から温かいものが込み上げてくるのを感じた。


 しかし、その出来事を両親や友人に話しても、誰も信じてはくれなかった。


「ミリアムは優しいから、動物の気持ちが分かるんだね」と、誰もがただ微笑むだけだった。


 ミリアムは、自分の感じる「音」が、他の人には聞こえないことを、その時初めて知った。そして、どうすればこの「音」の正体を理解してもらえるのか、もどかしい思いを抱えた。


 別の日のこと。牧場の犬が、突然元気をなくし、食欲も失ってしまった。獣医も首を傾げるばかりで、原因が分からない。犬は、普段は元気いっぱいの鳴き声をあげるのに、その時はまるで「重たい鉛」が体内にあるかのような、「苦しい音」を発していた。


「痛い……痛いよ……助けて……」


 ミリアムは、犬のそばに寄り添い、その「苦しい音」に耳を傾けた。彼女は、犬のどこが、どのように「痛い」のか、言葉ではない、感覚的な「音」として感じ取ることができた。それは、胃の辺りから発せられる、鉛が溶けるような「ドロドロとした音」だった。


「パパ!この子の胃が、なんか重たい音してるの!お腹が、ぐちゃぐちゃしてる音がする!」


 ミリアムは、必死に父親に訴えた。


 父親は優しく、しかし困ったように言った。


「ミリアム、大丈夫だよ。獣医さんも診てくれてるんだから。きっとすぐに良くなるさ」


 誰も、彼女の言葉を真剣には受け止めてくれなかった。犬の「苦しい音」は増していくばかりで、ミリアムは何もできない自分にもどかしさを感じた。


 その夜、ミリアムは眠ることができなかった。犬の「苦しい音」が、ずっと彼女の頭の中で響き続けている。彼女は、どうにかしてこの「音」を止めてやりたいと強く願った。その時、彼女は無意識のうちに、子守唄を口ずさみ始めた。それは、普段犬と遊ぶ時に、気分を落ち着かせようと歌っていた、ごくシンプルなメロディだった。


 すると不思議なことに、その「歌」を口ずさむにつれて、犬の「苦しい音」が、ほんのわずかだが、和らいでいくように感じられたのだ。そして、彼女の歌の音程やリズムを変えると、犬の「音」もそれに合わせて変化するような、奇妙な感覚を覚えた。まるで、彼女の「歌」が、犬の体内の「悪い音」に働きかけ、それを「良い音」に変えようとしているかのようだった。


 ミリアムは、一晩中、その「歌」を歌い続けた。彼女が歌い続けると、犬の「苦しい音」は徐々に薄れ、代わりに、少しずつ穏やかな「呼吸の音」が聞こえてくるようになった。


 翌朝、犬は奇跡的に回復していた。獣医も首を傾げるばかりで、原因は不明のままだった。両親はミリアムが夜通し犬のそばにいてくれたおかげだと感謝してくれたが、ミリアムは知っていた。それは、彼女の「歌」が、犬の「音」に共鳴し、彼を癒やしたのだと。


 しかし、そのことを誰に話しても、やはり「ミリアムは優しい子だね」としか言ってもらえない。彼女のこの特別な感覚は、いつしか心の中に深く秘められるようになった。



 深海の潜水艇の中で、ミリアムの意識は、過去の記憶から現実へと引き戻されつつあった。狂暴化したルミナス・ホエールたちの「怒りの音」と「苦痛の音」が、再び耳を劈く。しかし、その中に、幼い頃に聞いた、あの小鳥や犬の「助けて」という「音」、そして彼女が奏でた「歌」が、奇妙なほどに重なり合って聞こえてくる。


「歌……!」


 ミリアムは、かすれた声で呟いた。そうだ、あの時と同じだ。彼らは、苦しすぎて、自分ではどうにもできない「音」を発している。そして、彼女は、その「音」を「歌」で癒すことができたのだ。


 彼女の身体は震え、激しい痛みに苛まれている。しかし、過去の記憶が、彼女に確かな方向性を示していた。


「歌を……歌を歌えば……」


 ミリアムの瞳に、かすかな光が宿り始めた。彼女は、この状況で、自分が何をすべきか、本能的に理解した。この、苦しむホエールたちの「悲鳴」を、彼女自身の「歌」で、癒やしの「音」へと変えるのだ。

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