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悪い音

 マリンスワローは、ミリアムが示す方向へと、まるで引き寄せられるかのように深く潜航を続けていた。外部ライトが届かない領域に入ると、潜水艇の周囲は完全な闇に包まれ、ルミナス・ホエールたちが放つ微かな光だけが、遠くで点滅している。その光も、時間の経過と共に弱々しくなっていくのが見て取れた。


 ミリアムは、呼吸が浅くなり、身体を小刻みに震わせながらも、必死に前方を見つめている。


「あっち……もっと、もっと深い……そこに、大きな悪い音が……」


 彼女は、言葉にならない感覚を、か細い声で伝えようとする。その「悪い音」は、彼女の神経を直接蝕むかのように、全身に不快感を与えていた。


 カケルは、潜水艇の操縦桿を握りしめ、ノアに指示を出した。


「ノア、深度と水圧の限界値を再確認しろ。これ以上はマリンスワローの限界を超えるかもしれない」


 ノアは、冷や汗を流しながらコンソールを操作する。


「現在の深度で既に限界に近い。これ以上は船体にひびが入る可能性が……!」


 彼の声は、緊張でかすかに震えていた。


 その時だった。


 突如として、マリンスワローのソナーが激しい反応を示した。表示されるのは、巨大な複数の影。それらは、信じられないほどの速度で潜水艇に接近してくる。


「何だこれ!?」


 イヴァンが叫んだ。彼の目は、モニターに映し出された影に釘付けになっていた。それは、これまで見てきたルミナス・ホエールの姿とは全く異なる、異様な形状をしていた。


 ノアの声が響き渡る。


「ルミナス・ホエールだ!しかし、動きが異常だ!汚染の影響で、精神的に錯乱している可能性がある!」


 画面に映し出されたルミナス・ホエールの姿は、まさに悪夢のようだった。かつての美しい光は歪み、その体からは黒い斑点と、見るもおぞましい粘液が滲み出ている。彼らの目は血走り、その口からは、通常のホエールからは考えられないような、奇妙な、しかし獰猛な「咆哮」のような「音」が発せられていた。それは、ミリアムが今まで聞いてきた「悲しい音」とは異なり、純粋な「怒り」と「苦痛」が混じり合った、暴力的な「音」だった。


「来るぞ!」


 エミリーが叫んだ。


 狂ったルミナス・ホエールの一頭が、巨大な体をマリンスワローに叩きつけてきた。衝撃が潜水艇全体を揺るがし、内部の計器が激しく点滅する。緊急アラートが鳴り響き、船内に赤色の警告灯が点灯した。


「くそっ、シールド展開!」


 カケルが叫んだが、マリンスワローはすでに攻撃を受けていた。


「シールド出力低下!船体に亀裂発生!」


 ノアの声が絶望的に響く。


 ホエールたちは、まるで怒れる獣のように、次々とマリンスワローに体当たりを繰り返す。彼らの目には、理性がなく、ただ破壊衝動だけが宿っているかのようだった。マリンスワローは、巨大なホエールたちの猛攻の前に、まるで玩具のように翻弄される。


「くそっ、こんな奴らをどうやって止めろってんだ!?」


 イヴァンは、シートに身体を押し付けられながら叫んだ。彼の格闘術も、この深海の巨大生物相手では無力だ。


「このままでは、潜水艇が潰される!ホエールたちを傷つけずに止める方法を……」


 エミリーは、冷静さを保とうと必死だったが、状況は絶望的だった。通常兵器ではホエールを殺してしまう可能性があり、保護が任務であるGRSIとしては、それは絶対に避けたかった。


 ミリアムは、その場で震えが止まらなかった。耳を塞いでも、ホエールたちの「怒りの音」と「苦痛の音」が、彼女の脳内で嵐のように荒れ狂う。それは、彼女の神経を直接焼き尽くすかのような、耐え難い痛みと混乱をもたらした。


「いやぁぁぁあ!!」


 ミリアムは叫び声を上げた。彼女の意識は、激しい「音」の濁流に飲み込まれそうになっていた。


 その時、ミリアムの脳裏に、かつてニュース映像で見た、弱々しく光るルミナス・ホエールの姿が鮮明にフラッシュバックした。あの「悲しい音」。そして、その奥に隠されていた「助けて」という切実な願い。


「助けて……!」

「痛い……!」

「苦しい……!」


 今、彼女に襲いかかっているホエールたちの「怒りの音」の底には、やはり同じ「助けて」という「音」が隠されていることに、ミリアムは気づいた。彼らは、苦しみすぎて、正気を失っているのだ。


「違う……!これは、怒りの音じゃない……!」


 ミリアムは、震える身体で必死に叫んだ。


「これは、悲鳴なんだ……!助けを求める悲鳴なの……!」


 カケルは、ミリアムの言葉にハッとした。彼女の感覚が、この状況で何かの突破口を開くかもしれない。


「ミリアム、どうすればいい!?」


 カケルは、迷わずミリアムに問いかけた。


 ミリアムは、荒い呼吸を繰り返しながら、痛みに歪む顔で、潜水艇の窓の向こうに迫るホエールを見つめた。彼女の意識は朦朧としているが、その瞳の奥には、彼らを救いたいという純粋な願いが宿っていた。


「歌……!歌を……!私に、彼らの歌が聞こえる……!」


 ミリアムは、震える声で呟いた。彼女自身にも、その「歌」が何なのか、どうすれば彼らを鎮められるのか、まだ明確には分からなかった。しかし、その「歌」こそが、彼らの苦しみを癒し、暴走を止める唯一の方法だと、本能的に理解していた。彼女の身体が、意識が、その「歌」を奏でることを求めていた。


 チームYは、絶望的な状況の中で、ミリアムの言葉に一縷の望みを託すしかなかった。彼らは、彼女の言う「歌」が、本当にホエールたちを鎮めることができるのか、半信半疑だった。しかし、目の前で迫りくる危機を回避するためには、もはや彼女の未知の能力に賭けるしかなかったのだ。


 マリンスワローは、ホエールたちの猛攻に耐えながら、深海へと漂っていた。この極限状態の中、ミリアムの内に秘められた力が、今まさに目覚めようとしていた。彼女の中にあった何らかの素質は、単なる共感能力から、生命そのものと共鳴し、その「歌」を操る、より高次元の力へと変貌を遂げようとしていたのだ。

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