18.深海の守護者
一隻の私兵潜水艇を撃破したものの、アクアレル号の周囲には、なお十数隻の敵艇が残されていた。彼らは仲間を失った怒りと焦りで、さらに激しい攻撃を仕掛けてくる。レーザーの光線が飛び交い、水中ミサイルが唸りを上げて迫る。アクアレル号の船体は、すでに限界に近い軋みを上げていた。
「くそっ、まだこんなにいんのかよ!」
イヴァンが苛立ちと疲労で叫んだ。
ノアは、モニターから目を離さず、状況を報告する。
「敵の残存戦力、依然として優勢!このままでは、アクアレル号も長くは持たない!」
エミリーは、精密な狙撃で敵艇のセンサーを破壊しようと試みるが、数と速度で勝る敵には追いつけない。
「防戦一方だわ!突破口が見えない!」
ミリアムは、歌い続けていた。彼女の「幻惑の歌」は、私兵たちのソナーを攪乱し、彼らの動きを鈍らせてはいたが、絶え間ない攻撃は彼女の精神を激しく消耗させていた。ホエールたちの「協力の歌」は、彼女の歌声に力を与えていたが、限界が近づいているのは明らかだった。
「だめ……!このままじゃ……!」
ミリアムの歌声が、かすれていく。
その時だった。
ミリアムの耳に、これまで聞いたどんな「音」とも異なる、深遠で、広大で、そして圧倒的な「音」が響き渡った。
それは、この惑星アクエリアの海底の、さらに深奥から湧き上がるような「音」だった。それは、単一の存在から発せられる「音」ではなく、数億年の時をかけて培われた、惑星アクエリアの「生命」そのものが発する「歌」のようだった。
その「音」が響いた瞬間、海底の泥が大きく揺れ動いた。私兵たちの潜水艇も、その異様な振動に大きく揺さぶられる。アクアレル号の船体も激しく震え、乗員全員がその尋常ならざる「気配」に息を呑んだ。
「な、何だ!?この振動は!?」
私兵の一人が叫んだ。
「この水圧下で……こんな大規模な揺れが……!?」
ノアの声が、恐怖に染まる。彼のメインモニターには、ソナーが捉えた信じられない反応が映し出されていた。
それは、ルミナス・ホエールよりもはるかに巨大な、文字通り測定不能なほどの巨大な生物影だった。その影は、ゆっくりと、しかし確実に、海底の闇から姿を現しつつあった。
「嘘だろ……ありえない……こんな巨大な生物、存在しないはずだ……!」
ノアの声が、震えと困惑に染まる。彼の科学的な知識では、理解も計測もできない、常識外れの存在だった。
カケルも、そのソナー反応と、全身を包み込む圧倒的な「存在感」に息を呑んだ。彼の身体が、本能的に警告を発しているかのようだった。
そして、深海の闇から、その姿がゆっくりと現れ始めた。
それは、まるで惑星アクエリアの海底がそのまま生命体になったかのような、信じられないほどの超巨大生物だった。
全身を覆うのは、長年の間に堆積したであろう深海の鉱物と、そこに自生した無数の発光サンゴのような有機体。その体からは、数億年の歴史を物語るかのような、古代の光が放たれていた。遥か上空を漂うルミナス・ホエールたちが、その巨大な影の前では、まるで小石のように小さく見えた。
私兵たちは、そのあまりの巨大さに、完全に凍り付いていた。通信が途絶した静寂の中、各艇のクルーが、言葉にならない悲鳴を上げるのが、ミリアムの耳には聞こえていた。
「な、なんだ、あれは……!?化け物か!?」
私兵のパイロットの一人が、恐怖に引きつった声で叫んだ。
「攻撃しろ!全火力を集中しろ!」
私兵の隊長らしき声が、パニックの中で命令を下す。しかし、その声には、もはや命令としての響きはなかった。ただの絶望的な叫びだった。
複数の私兵艇が、その超巨大生物に向けて一斉にレーザーを発射した。強力なエネルギービームが、深海の闇を切り裂き、巨大生物の体に命中する。しかし、そのレーザーは、まるで水面に小石を投げ入れたかのように、何の影響も与えることなく、その巨大な体を素通りしていった。彼らの攻撃は、全く意味をなさなかった。
その光景に、チームYも息を呑んだ。
「全く効いてないぞ……!なんて硬さだ……!」
イヴァンが、絶句して呟いた。
「あれが……アクエリアの……海の守護者……」
ミリアムは、恍惚とした表情で、その超巨大生物を見上げていた。彼女には、その巨大生物が発する「音」が、まるで優しく、しかし圧倒的な「子守唄」のように聞こえていた。それは、この海を侵す者には容赦なく、しかしこの海を守ろうとする者には無限の優しさを示す、絶対的な「守護の音」だった。
超巨大生物は、ゆっくりと、しかし荘厳な動きで、その巨大な頭部を私兵たちの潜水艇がある方向へ向けた。その時、その体表に無数に輝く発光体が、まるで生き物のように蠢き、そして、一点に収束していく。
「来るぞ……!」
カケルが叫んだ。その超巨大生物が発する「力」の「音」が、肌を直接叩くように感じられた。
次の瞬間。
超巨大生物の頭部から、超高密度の超音波が放たれた。それは、物理的な「音」の壁となって、深海を駆け抜ける。その超音波は、ただの攻撃ではなかった。私兵たちの潜水艇が発する「金属の音」や「電子音」を完璧に捉え、その潜水艇の固有振動数と共鳴し、内部から破壊する、まさに「音」による絶対的な攻撃だった。
私兵たちの潜水艇は、超音波を浴びた瞬間、船体が激しく震え、装甲に亀裂が走り、内部から計器が爆発する「音」が響いた。外側からではなく、内側から深刻なダメージを負い、推進器から火花を散らしながら、制御不能となり深海の闇へと沈んでいく。
私兵たちの悲鳴や、破壊される「金属の音」は、ミリアムの耳には、その超音波の圧倒的な「音」にかき消されて、ほとんど聞こえなかった。
一隻、また一隻と、私兵の潜水艇が次々と機能停止し、沈黙していく。彼らは、何が起こったのか理解する間もなく、絶望の中で海の底へと沈んでいった。
ノアは、モニターに映し出される私兵艇の消滅に、ただ呆然とするしかなかった。
「ば、馬鹿な……こんな攻撃、データに存在しない……!」
イヴァンは、口をあんぐりと開け、その光景を凝視していた。
「すげぇ……あの化け物、一撃で全部ぶっ潰しやがった……」
エミリーは、水中銃を構えたまま、その巨大生物の姿に見入っていた。彼女の冷徹な表情にも、畏敬の念が浮かんでいた。
「まさに……惑星の意志……」
ミリアムは、その超巨大生物が放つ「音」を、全身で受け止めていた。それは、この海の怒り、そして悲しみを代弁し、悪意を打ち砕く、圧倒的な「鎮魂の歌」だった。
そして、私兵たちが全て沈黙した後、その超巨大生物は、ゆっくりと、再び海底の闇の中へと消えていった。まるで、最初からそこに存在しなかったかのように、その姿は完全に消え去った。残されたのは、深刻なダメージを負いながらも、静かに沈んでいく私兵潜水艇の影と、静まり返った深海だけだった。
アクエリアの海は、深海の守護者によって、ついに悪意から解放されたのだ。




