17.海の軍勢
アクアレル号のメインシステムが復旧し、船内に再び活気が戻った。しかし、私兵たちの潜水艇は依然として周囲を警戒し、新たな汚染源からの「腐敗の音」は、刻一刻と海を蝕んでいた。時間との戦い、そして劣勢は変わっていない。
ミリアムは、海底に不時着したアクアレル号の操縦席に立った。彼女の瞳は、深海の闇の向こうを見据えている。彼女の覚醒した能力は、もはや単なる聴覚の範囲を超え、海全体の「意識」と共鳴し始めていた。
「カケル……私、わかったよ。どうすれば、奴らを倒せるか……」
ミリアムは、静かに、しかし確かな声で言った。
カケルは、ミリアムの言葉に注目した。
「どうするんだ、ミリアム?アクアレル号はまだ万全じゃない。それに、私兵たちの武装は強力だ」
ミリアムは、アクアレル号の外部マイクとスピーカーシステムのコンソールに触れた。
「私たちは、この海の生き物たちと一緒に戦うの。私の歌で、みんなに力を貸してもらう」
ノアが、驚いたように口を開いた。
「海の生物と共闘だと!?そんなことが、可能なのか?」
「ミリアムの能力なら、あるいは……」
エミリーが、ミリアムの能力の可能性に思いを馳せた。
イヴァンは、半信半疑ながらもミリアムの言葉に耳を傾けた。
「冗談だろ?魚やクジラが、俺たちの言うこと聞くわけねえだろ!」
ミリアムは、まっすぐに彼らを見つめた。
「聞こえるの。ホエールたちの……この海で苦しんでいる全ての命の『音』が……彼らは、私たちに『力を貸したい』って、言ってる……」
カケルは、ミリアムの言葉を信じることに迷いはなかった。これまでのミリアムの言動、そしてホエールが身を挺して彼らを救った事実が、彼女の言葉の真実性を裏付けていた。
「ノア、アクアレル号の外部マイクとスピーカーを最大限に活用しろ。ミリアムの歌声を、この海全体に響かせるんだ!」
カケルは、ノアに指示を出した。
ノアは、すぐにコンソールを操作し、アクアレル号の音響システムをミリアムの歌声に最適化した。イヴァンは、警戒しつつもミリアムの傍らに立ち、エミリーは、いつでも支援できるように射撃態勢に入った。
ミリアムは、深呼吸し、心を落ち着かせた。そして、ルミナス・ホエールが最期に託した「希望の音」を胸に、再び歌い始めた。
その歌声は、アクアレル号の外部スピーカーを通して深海へと放たれた。それは、マリンスワローで歌った時よりも、さらに強く、深く、そして広範囲に響き渡る「歌」だった。ミリアムの歌声は、アクエリアの海に流れる全ての海流と共鳴し、海底の岩肌を震わせ、水圧の壁を越えて、惑星の隅々まで広がっていく。
すると、奇跡が起こり始めた。
まず、私兵たちの潜水艇の周囲で、微細なプランクトンの群れが、異常な密度で増殖し始めたのだ。彼らは、ミリアムの歌に導かれるように、私兵たちのソナーを完全に遮断する、生きた「ノイズバリア」を形成していった。
『ソナーが完全に機能停止!目標を見失いました!』
『何が起こってる!?こんな現象、聞いたことがないぞ!』
私兵たちの潜水艇から、焦りの声が聞こえてくる。
ミリアムの歌声は、さらに深まる。巨大な魚群が、不法投棄施設の周囲に集結し、私兵たちの視界を完全に遮った。彼らは、施設の監視カメラにも映り込み、システムの混乱を誘発する。
『監視カメラが砂嵐だ!何も見えない!』
『どういうことだ!』
「まさか、これが……ミリアムの言う、海の力なのか……?」
ノアは、モニターに映る信じられない光景に、言葉を失っていた。
イヴァンは、窓の外の状況を凝視していた。
「すげえ……本当に、魚たちが俺たちの味方になってやがる……!」
エミリーは、水中銃を構えながら、私兵たちの混乱を好機と捉えた。
「今よ、カケル!この混乱に乗じて、攻撃するわ!」
カケルは、アクアレル号の操縦桿を握り、ミリアムに確認した。
「ミリアム、私兵たちの弱点はどこだ!?この混乱の中で、奴らの死角を狙う!」
ミリアムは、歌い続けながら、私兵たちの潜水艇が発する「音」に耳を澄ませた。彼女には、それぞれの艇の構造、搭乗している兵士たちの配置、そしてその潜水艇が持つ微妙な「歪み」が、全て「音」として把握できた。
「あの潜水艇の……左舷の下部に、一番弱い『音』がする!そこを狙って!」
ミリアムは、明確な指示を出した。彼女の「音」による空間認識は、もはやソナーやレーダーを凌駕する精度を持っていた。
カケルは、ミリアムの指示に従い、アクアレル号を精密に操縦する。私兵たちは、ソナーも視界も遮られ、混乱の中で闇雲にレーザーを乱射していたが、ミリアムの指示を受けたカケルの操縦は、その全てを回避した。
そして、不意を突かれた私兵の潜水艇の、ミリアムが指摘した弱点に、アクアレル号の格納された水中ミサイルが直撃した。衝撃と同時に、海中に閃光が走り、私兵の潜水艇は制御不能になり、深海へと沈んでいく。
「よし!一隻撃破!」
イヴァンが歓声を上げた。
「まだだ、気を抜くな!奴らは複数いる!」
カケルが注意を促す。
しかし、ミリアムの「海の歌」は、すでに海全体に広がり、惑星アクエリアの生命を覚醒させていた。彼女の歌声は、海の深部に眠る、巨大なクジラたちをも揺り動かしていたのだ。




