16.修理
アクアレル号のハッチが閉まり、チームYは辛うじてガスクロス産業の私兵の攻撃から逃れた。しかし、潜水艇の内部は薄暗く、緊急用の微かな照明だけが、彼らの顔を照らしている。冷たい水が船底に溜まり始めており、機体のあちこちから不気味な軋み音が聞こえてくる。
「くそっ、助かったのはいいが、この船、まともに動くのか?」
イヴァンが、船底に溜まる水を見て不安げに呟いた。
「修理は必要だ。だが、完全に沈んだマリンスワローよりはマシだ」
カケルは、冷静にアクアレル号の計器盤に目を走らせた。
「ノア、メインシステムの状態はどうだ?動かせるのか?」
ノアは、既にメインコンソールに食らいつくようにして、指を高速で動かしていた。彼の額には脂汗がにじみ、顔は青白い。しかし、その瞳には、天才的なエンジニアとしての集中力が宿っていた。
「船体損傷率、35パーセント。各区画に浸水あり。しかし、メインリアクターはかろうじて無事だ。生命維持システムも、予備電源でぎりぎり稼働できる。操縦系統にも深刻なダメージがあるが……」
ノアは、次々とデータを読み上げていく。彼の口から出る言葉は、絶望的な状況を物語っていた。
「つまり、動かせるってことなの?」
エミリーが、ノアの言葉の核心を問う。
「理論上は、可能だ。だが、完全な状態ではない。まともに動かせば、すぐに船体が崩壊する可能性もある。そして、私兵たちはまだ外にいる。この場所から移動すること自体がリスクだ」
ノアは、データに基づいた冷静な判断を下した。
ミリアムは、ノアの傍らに立ち、彼のコンソールから漏れ出る「音」に耳を澄ませていた。彼女には、アクアレル号の各パーツが発する「不具合の音」が、まるで生き物の「うめき声」のように聞こえる。そして、ノアが触れるキーボードの「音」からは、彼の頭の中で、無数の計算が高速で処理されている「思考の音」が鮮明に聞こえてきた。
「ノア……私に聞こえるよ……この潜水艇の、一番痛い『音』が……」
ミリアムは、そっとノアの肩に触れた。
ノアは、驚いたようにミリアムを見た。彼が必死に解析している複雑なデータが、ミリアムには「音」として理解できるのか?
「どこだ、ミリアム?具体的に教えてくれ!」
ノアは、藁にもすがる思いでミリアムに問いかけた。
ミリアムは、目を閉じて意識を集中する。
「この潜水艇の……右舷側の、深度調整バラストタンクの接続部に、すごく嫌な『音』がする……そこから、水が漏れてるよ……。あと、メイン動力系の、供給ラインにも、弱い『音』がある……」
ノアは、ミリアムの言葉を聞くと、すぐさまコンソールの表示を切り替えた。ミリアムが指摘した箇所は、彼がまだ完全には特定できていなかった、しかし明らかに重要な損傷箇所だった。
「まさか……本当に分かっているのか……!?」
ノアは、驚きと同時に、新たな活路を見出したかのように顔色を変えた。
「ミリアム、君の『音』が、修理の速度を格段に上げてくれる!この精密な修理に必要な情報は、まさにこれだ!」
ノアは、ミリアムの「音」による情報と、自身の天才的な知識を融合させ、驚異的な速度でアクアレル号の修理を進めていった。彼は、マリンスワローから持ってきた応急修理キットの限られた資材を最大限に活用し、ミリアムが指摘する不具合箇所を次々と修復していく。
イヴァンとエミリーは、ノアの作業を補助した。狭い潜水艇内での作業は困難を極めたが、彼らはノアの指示に従い、工具を手渡し、損傷箇所を固定するなどの力仕事を行った。カケルは、私兵たちの動きを警戒し、常に周囲の状況に目を光らせていた。
そして、数十分後。
「完了した……!主要システム、全て復旧!推進器も起動可能だ!」
ノアの声が、興奮と達成感に満ちて響いた。彼の顔は、疲労でやつれているが、その目には確かな光が宿っていた。
アクアレル号の薄暗かった照明が、一段階明るくなった。船底の浸水も止まり、船体が安定したのが感じられた。
「やったな、ノア!」
イヴァンがノアの肩を叩く。
「あなたとミリアムの連携、見事だったわ」
エミリーが称賛の言葉を贈った。
カケルは、ノアの能力に改めて感嘆した。そして、何よりも、ミリアムの能力が、ノアの知識と結びつくことで、これほどまでに大きな力を発揮することに驚きを隠せない。
「これで、動ける。だが、まだ私兵たちは外にいる。この潜水艇が動いた瞬間に攻撃されるだろう」
カケルは、冷静に次の手を考えていた。
ミリアムは、アクアレル号のコンソールから聞こえる「音」に、耳を澄ませた。修理されたアクアレル号の「音」は、まだ完璧ではないが、以前のような「痛みの音」は消え、「力強い鼓動の音」へと変化していた。
そして、その鼓動と共に、彼女の耳には、アクエリアの海全体から響き渡る、無数の生命たちの「歌」が、再びはっきりと聞こえ始めていた。
それは、ルミナス・ホエールたちの「希望の歌」。そして、海中のあらゆる生物たちが、汚染に苦しみながらも、必死に生きようとする「生命の歌」だった。彼女は、その「歌」が、自分たちに「力を貸そう」と語りかけているように感じた。
「カケル……私、分かったよ……。私兵たちを倒す方法が……」
ミリアムは、静かに、しかし確かな声で言った。彼女の瞳には、アクエリアの海を救うための、強い決意の光が宿っていた。




