11.猛攻撃の末に
ガスクロス産業の私兵が操る高速艇は、まるで深海の狼のようにマリンスワローを包囲し、無慈悲な攻撃を続けていた。ミサイルやレーザーが潜水艇のシールドを叩き、船体から嫌な軋み音が響く。警告灯の赤色が船内を不気味に照らし、アラート音がけたたましく鳴り響いていた。
「シールド出力、残り20パーセント!このままじゃ持たない!」
ノアの叫び声が響く。
「くそっ、やりやがったな、てめえら!」
イヴァンは怒りに顔を歪め、船内の武器庫から水中ライフルを取り出そうとした。
「待って、イヴァン!」
ミリアムが、か細い声で制止した。彼女の顔は蒼白で、意識はもうろうとしていた。
「だめ……ホエールたちが、近くにいる……流れ弾が当たっちゃう……」
その言葉に、イヴァンはハッと動きを止めた。ミリアムの言う通りだった。狂暴化したルミナス・ホエールたちは、私兵たちの攻撃と汚染の影響で錯乱状態にあり、マリンスワローの周囲を予測不能な動きで泳ぎ回っている。
正当防衛とはいえ、彼らが本気で応戦すれば、流れ弾がホエールたちに当たってしまう危険性が高かった。GRSIの任務は、あくまでホエールたちの保護が最優先だ。
カケルも、そのジレンマに苦しんでいた。
「奴らはそれを分かってやっているんだ。俺たちに本気を出させないように……!」
彼は、歯噛みした。
「エミリー、目標を絞って、推進器だけを狙え!船体への直撃は避けて、機動力を奪うんだ!」
カケルは、エミリーに指示を出した。
エミリーは、精密な射撃で私兵の高速艇の推進器を狙う。数発の正確な射撃で、一隻の高速艇が動きを鈍らせた。しかし、それは一時しのぎに過ぎなかった。敵は数に勝り、次々と新たな攻撃を仕掛けてくる。
「もう一隻、推進器に損傷を与えたわ!でも、残りの艇が回り込んできた!」
エミリーの声が、焦りを帯びる。
ミリアムの耳には、ホエールたちの「苦痛の音」と、私兵たちの「嘲りの音」が混じり合って聞こえていた。彼らは、ホエールたちが苦しむ姿を、まるで楽しんでいるかのようだった。その冷酷な「音」が、ミリアムの心を深くえぐり、彼女の覚醒したばかりの能力は、彼女自身を最も脆弱な状態に追い詰めていた。
「だめ……ホエールたちが……」
ミリアムは、必死に歌を紡ごうとするが、私兵たちの攻撃による衝撃波が、彼女の集中を妨げ、歌声を乱す。彼女の癒やしの歌は、もはやホエールたちには届いていなかった。
突如、マリンスワローのシールドが悲鳴のような音を立てて砕け散った。私兵たちの強力なレーザーが直撃したのだ。船体が激しく揺れ、火花が散る。
「シールド、ブレイク!船体各所に亀裂発生!浸水開始!」
ノアの絶望的な叫び声が、船内に響き渡った。
マリンスワローは、制御不能になり、深海へとゆっくりと沈み始める。私兵の高速艇は、とどめを刺すかのように、マリンスワローに追い打ちの攻撃を仕掛けてきた。その狙いは、マリンスワローのコックピットを貫き、チームYを確実に仕留めることだった。
「レーザー接近!!」
ノアが絶望的な悲鳴をあげた。他のメンバーも全てを覚悟した。
その時だった。
マリンスワローの目前に、一頭のルミナス・ホエールが割って入った。
そのホエールは、これまでミリアムの歌によって鎮められ、穏やかに泳いでいたはずの個体だった。
その体から放たれる光は、再び輝きを増していた。だが、それは苦痛の光ではなく、マリンスワロー、そしてチームYを守ろうとする、決意の光だった。
ドォン!!
マリンスワローは大きく揺れた。私兵の放ったレーザーは、目の前に入ったホエールの巨大な体に直撃していた。
「あ…!!」
ミリアムは、声にならない悲鳴を上げた。ホエールの体から、光が急速に失われていくのが見えた。
その光が消えていく「音」は、まるで美しいガラス細工が砕け散るかのような、脆く、そして悲しい「音」だった。しかし、その悲しみの「音」の奥底には、ミリアムの心に直接語りかけるかのような、温かく、力強い「音」が響き渡った。
「ありがとう……」
それは、はっきりと、ミリアムの心に届いた。ホエールが、チームYを、そして自分を救うために、身を挺してくれたのだと理解した。
ホエールの巨大な体が、ゆっくりと、しかし確実に光を失いながら、深海の闇へと沈んでいく。
その光景と「音」は、ミリアムの心を深く、深く、えぐり取った。彼女の目からは、もう涙さえも流れ落ちなかった。ただ、深い絶望と、何も救えなかった無力感が、彼女の全身を支配した。
その瞬間、チームYの他のメンバーも、ホエールの「気持ち」を感じ取っていた。
カケルは、沈んでいくホエールを呆然と見つめていた。言葉にならない感情が胸を締め付ける。
「そんな……なぜ……」
彼の脳裏には、ホエールの「決意」と、チームを守ろうとする「意志」が、明確なイメージとして焼き付いていた。
イヴァンは、目に涙を浮かべ、拳を固く握りしめた。
「くそっ……!俺たちを……守ってくれたのか……」
彼には、ホエールの「勇気」が、皮膚の感覚として伝わってきたかのようだった。
エミリーは、静かにホエールが沈んでいくのを見守っていた。彼女の表情は、感情を抑えていたが、その瞳の奥には、深い悲しみが宿っていた。
「あの子は、私たちに、希望を託してくれたのね……」
彼女には、ホエールの「犠牲」が、言葉を超えた「メッセージ」として心に響いた。
ノアは、モニターに映るホエールの消えゆく光の反応を見つめながら、静かに、しかし力強く呟いた。
「あのホエールは……僕たちに、未来を託したんだ……」
彼には、ホエールの「意志」が、データという枠を超えて、確かな「情報」として伝わってきたかのようだった。
彼らは、ミリアムのように「音」として理解することはできない。しかし、ホエールが自分たちを守るために命を捧げたこと、そしてその最期の瞬間に、言葉にはならない「感謝」と「希望」を託したことを、全員が深く理解したのだ。
全てが、失われた。
守るべきホエールの一頭は、目の前で命を終えた。
マリンスワローは、深い、深い、未知の領域へと沈み始めた。
ホエールたちの「悲鳴」も、私兵たちの「嘲り」も、そして自分自身の「無力さ」も、全ての「音」が、ミリアムの心を深く、深く、暗闇へと引きずり込んでいくようだった。
彼女は、せっかく覚醒したばかりの自分の能力が、まるで何の役にも立たなかったかのように感じた。ホエールを救うどころか、目の前で命が失われていくのを、ただ聞いていることしかできなかったのだ。
そして、その犠牲が、自分たちを守るためだったという事実が、ミリアムの心を、これまでにないほど深く打ちのめした。




