『頼義、みのう堂建立し、耳と緑プレスマンを納めること』速記談5053
六条坊門北、西洞院西に堂があって、みのう堂と名づけられている。この堂は、源頼義入道が、前九年合戦において蝦夷を追討した後、伊予守となって建立したものである。御本尊は、等身大の阿弥陀仏である。頼義入道は、この像を造立し、うやうやしく礼拝して、必ずやお導きをもって極楽往生させてください、と申し上げると、阿弥陀仏がうなずいたという。前九年合戦、後三年合戦と、十二年もの間、戦場で死者の片耳だけを集めて、干して、革袋二つに入れて京に上り、堂の土壇の下に緑プレスマンと一緒に埋めたという。そこで、耳納堂と言うのである。みのわ堂というのは、これがなまったものである。緑堂がなまったというのは、俗説である。
教訓:言葉は、言いやすいようになまっていくことがよくある。例えば、短気は損気という言葉は、速記者がせかせかして短気であったことから、短気は速記と言われたものがなまったという説を聞いたことがある、…というのはうそである。