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能力者の過信

自室の静けさが妙に耳に染みた。八月朔日はソファーに沈みぼんやりと天井を見上げる。気づけば、なぜあの時千歳を連れ帰ったのか、その理由を探していた。


 ――そんなに考えてもわからないなら、一生わからない。


 そんな千歳の言葉が蘇る。皮肉交じりの口ぶりだったが、的を射ていたのかもしれない。飴玉を一粒、また一粒と口に放り込みしずかに瞼を下ろした。


 ゴミ山に投げ捨てられていた千歳を連れ帰った時、すでに彼は弱り切っていて自ら立ち上がる力も残っていなかった。八月朔日は彼を風呂に入れ、温かいお茶を飲ませ、そのまま布団へと寝かせた。

 その様子をうかがっていた氷沼は、胸の奥でひとつため息をついた。まるで八月朔日があの少年を気に入っているような表情をしていたからだ。昔から八月朔日を知る氷沼にはよくわかっていた。あの男は、本来こういう人間ではない。情に流されるような器でもないし、他人に、ましてやこんな子供に関心など抱くようなやつでもない。…ただ一人を除いては。

 それが今では一人の少年のためにここまで世話をしている。残虐非道な人間も、時がたてば柔らかくなるものなのかと、氷沼は思った。または、千歳という存在が、それほどのものなのかもしれない。

 数日後、ようやく体力を取り、いつものように食事をとることができるようになった千歳に話を聞いた。なぜあの日、あの場所にいたのか。それは、この場に滞在する罪悪感から逃れるためだったという。

「俺みたいなやつは、薄汚れたごみ箱裏が一番お似合いなんだ。」

どこか遠くを見つめてそう言う千歳の瞳には、うすい靄がかかっているように見えた。そんな千歳を見つめる八月朔日は小さく笑う。

「本当は?」

心の内をすべて見透かされているかのように、そう問われた。彼の前で隠し事をするのはできないと悟ったにか、葛藤する千歳の口元が、とぎれとぎれに告げた。

「…恨んでる、復習したい奴がいたんだ。」

ぬくもりが残るマグカップを枕元のサイドテーブルに置き、千歳はその過去を語った。

 貧しい家庭環境で満足な食事もとれず、学校でも虐げられ、友達と呼べるような存在もいなかった。いつしか両親に見捨てられ、住む場所をなくし、行く場もなく、気が付けば路地裏が自分の帰る場所になっていた。

 あの日、着心地の悪い服とこの空腹をどうにかするためかつての家を訪れた。しかし、そこはすでに誰かに荒らされていた。家族の姿もどこにもなかった。家の中を物色していた時に、一人の男に出くわした。

「千歳だな」

見たこともない男が彼の名前を知っていた。背後から突然聞こえたその声に驚き、数歩身体を引いた。その男は、淡白に話を続けた。

「あの両親は、決してお前を捨てたわけではない。生かすために手放したんだ。」

倒産、借金、闇金に追われる日々、知らなかった現実が、見ず知らずの男によって語られ、最後にこう言った。

「俺が、あいつらを殺した。」

その言葉が本当だったのかはわからない。だがまだ幼い彼にとって、それが真実だと受け入れるしかできなかった。衝撃的すぎる話の内容に混乱し、気づいたときにはごみの山の上で寝転がっていた。このまま、大好きな両親のもとへ行けるならと、彼はそっと目を閉じていた。


「なるほど、ふかふかの羽毛より、腐ったごみ袋の感触の方がお好みだったとは。さすがだね。」

千歳は一瞬ぽかんとして、それからむっとした顔を八月朔日に向けた。真面目な気持ちで基地を開いたというのに、この男はいつも通りの調子で茶化してくる。その軽さがどうしようもなく苛立たしかった。

「冗談だよ、冗談。」

八月朔日は肩を揺らして笑う。そんな彼を千歳はしばらくの間、じっと睨みつ続けた。一息つきほとぼりが冷めたころ、八月朔日がわずかに目を細めた。

「…おそらく彼らもGiftedだろうね。」

落ち着いた声色で、独り言のように静かにつぶやいた。まだ先ほどの軽口を根に持っているのか、千歳はそっぽを向き視線すらよこさないままだった。そんな膨れた横顔に目をやり、何かを思考するように黙り込んだ。そうして数秒の沈黙ののち、何かを決断したように八月朔日が口を開いた。

「君のその復讐心を、僕が買おう。」

ぽつりと落とされたその言葉に、千歳の肩が小さく揺れた。驚きと困惑が混じりこわばった表情とようやく目が合った。

「…無理だよ、あんた、強いでもあいつらは…赫終団なんだ。」

赫終団――、それはGiftedの中でも過激派で、もっとも排他的な思想を掲げる集団である。

Giftedには、いくつかの思想派閥がある。

戦輪派。戦は運命の輪であり、Giftedはその中心にある。

淘汰派。強者のみが生き残るべきである。

共存派。皆々共に生きるべきである。

中立派。あくまで中立であり、いずれの主張にも関与しない。


赫焉団はその中の淘汰派に属し、その頂点に立つのは、Giftedのなかでも特別なBroodブルードと呼ばれる突然変異である。その力は常軌を逸しており、情や倫理もない。そんな相手にケンカを売るなど、ただの死では済まされないかもしれない。

小さな手が震えるのも無理はない話だった。

「…僕を舐めてもらっちゃ困るな。」

薄笑みを浮かべ、八月朔日は嘆声を上げてゆっくりと立ち上がった。彼が何を考えているのかはわからない。だがその言動が、今後何が起こるのかを予想させているように思えた。横顔に浮かぶ不敵な笑みが、いつも以上に彼の素顔を歪ませていた。

「待て、ど、どこに…。」

扉へと向かう八月朔日の裾をつかみ、行く手を阻んだ。不安がにじむ声と、小さくか弱い手を彼は優しく握る。その手は未だに震えていて、止めたいけど止められない、そんな千歳の想いが、指先からじかに伝わってくるようだった。

「いい夢を見せてあげるよ。」

その声だけを残して、ドアのきしむ音が響いた。残された部屋には静寂だけが漂っていた。


─────────────────────


路地裏のようなねっとりした空気の住宅街、この近辺に千歳の元居た家があるという。周囲は静かだが、不穏な空気がそこかしこに漂っている。この界隈は、警察ですら踏み入れるのをためらうそういう場所だった。あたりを見渡しながらゆっくりと歩みを進めていると、背後からざらついた声が響いた。

「おやぁ~…なんだか殺し甲斐のありそうなGiftedのオーラを感じんなぁ?」

言葉と同時に襲い来る殺気を、八月朔日は振り返ることもなくひとつ足を引いた。その場を風が通り過ぎたかのように思えた閃光は、目の前の壁に炸裂し、鈍い音と共に焦げ跡を残した。似たような焦げ跡が地面やそこら中の壁にあることから、この一帯はあのGiftedの遊び場になっていることを物語っていた。

「…やるじゃん。」

物陰から現れたのは鋭い目つきをした男だった。皮膚は白く、頬はこけているのにその瞳だけがぎらついていた。焼け焦げたような痕がいくつも浮かんでいる手の甲、ボサボサの金髪を掻き上げる様子は、まるでその生傷を誇示するように見せつけていた。破れた上着の下からも古傷が覗いている。

――このGiftedは、おそらく戦輪派だろう。彼らにとって、傷は戦の勲章であり、何よりも価値のあるものだと主張する。

僕には到底理解の出来ない思想だ。

八月朔日は嘆息し、やれやれと首を横に振った。だがふと疑念が胸をよぎる。赫焉団は淘汰派の集団で、他者を蹴落とし頂点に立とうとする思想。自己の戦歴を賛美するような派閥ではないはず。

何かの罠なのか、何か別の意図が…?

だがその真相を探るのは今ではない。八月朔日は静かに視線を向ける。その眼差しは軽口を叩く男のそれではなかった。感情の色をすべて引きはがしたような、獲物を見据える狩人の目だった。GiftedがGiftedを狩るとき、理屈や理性、善悪などは後回しになる。その身に流れる魄が、静かに、そして確実に獣を目覚め焦るのだ。

「千歳蓮…、この名前に聞き覚えはあるかい?」

「あぁ?いちいち名前なんか覚えてねーよ。お前あのガキのつれか?」

「いいや、ただの代行さ。」

能力者同士の争いは、法の外にある。


――第七特例法 第十三条(特殊能力保持者の行動規範)

特殊能力を有する者(以下、能力者)は、非能力者に対しその能力を行使してはならない。

また、能力者相互における能力行使に伴う事象については、これを一切の干渉対象とせず、行政上の判断・保護を要さない。

かかる交錯は当事者間における自然淘汰の一形態として認識され、法的保護の対象とは見なされない。


つまり、能力者同士の殺し合いは――「合法」である。

どれだけ残酷であろうと、理不尽であろうと、国家はそれを「自然淘汰」として黙認している。

正義も悪も関係ない。ただ強さだけが、ここでは“生きる権利”となる。そしてこの路地裏は、その無法が最も濃く滲む“実験場”のような場所だった。


「どこの誰だか知らねぇが……上物の“魄”を喰わせてもらうぜ!」

 男の口元が裂けるように歪み、牙を剥くように笑う。

 空気が震え、肌をなでる風がざらつきを帯びた。

世界がまた一歩、狂気の方へと傾いた。

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