彼ら、同類への愛のみ
赤いパトライトが僕を怖がらせるように照らす。
ショッピングモールで買い物をしていたであろう人達が、救急車やパトカーに惹かれ次々と近づいてくる。
そんな中、遺体は一つの担架で運ばれていった。
「君が第一発見者だね。名前は?」
シワだらけの老人が魔法警察手帳を見せてきた。
ベテランなのだろう、人が死んだのに平静でいる。
「青銅錬磨です」
「私は刑事の安西といいます。発見時の状況についてお話をお聞かせ願えますか」
事情聴取か……。
「顔色が優れないね。大丈夫かい?」
「すみません。死体を見たのがショックで……」
初めて見たわけではない。
舐めていたのだ。
1回見たことがあるから、次見ても大丈夫だろうと軽視していた。
でも、こういうことは一度や二度では慣れないんだ。未来予知で大量の死骸を見たことが頭から離れないように。
僕って、こういうことに弱かったのかな?
「無理もない。明日にでもカウンセリングを受けるといい。良い人を知っているから、紹介しよう」
優しい声でそう言うと、蛇革の財布から出したカウンセラーの名刺をくれた。
「この番号に掛ければ無料で話を聞いてくれる」
「ありがとうございます」
でも、きっと僕はこのカウンセリングを受けない。
今は、人の言う言葉全てが空虚に聞こえるから。
もう一度1台しかない救急車の方を見る。
遺体は中に入っていて、バックドアは閉まっているので一切君達の姿は見えない。
生きるには、他人の大切なものを奪う行為をしなければならなくなる。
食べるために何かを殺す、お金のために誰かを不幸にする。
わかっている、それが自然の摂理なのだ。
人はよく自身を自然から逸脱した存在だと思いがちだけど、蟻が地中で巣という社会を形成しているように、人も魔法や科学で巣を作っているにすぎない。
なら、蟻と人間、どちらが利口なのだろう。
それぞれがそれぞれの役割を全うする蟻、今見た光景のように無駄な殺しをする人間。
人は、生きるに値する存在なのだろうか?
「……違う、そういうことは考えるな」
ウンディーネ君にも言ったはずだ。
僕は人生の苦しみを受け入れている。
人なんて所詮そんなもんだと受け入れることができている。
僕はちゃんと、それができているはず。
そのあと、安西さんの事情聴取で僕は見たことをちゃんと話した。
一切君の話で首をかしげられたけど、僕の顔色を見てすぐに別の質問に変えて話を進めてくれた。
怪しいと思う人物を聞かれたとき、明光さんの名前が脳裏に浮かんだけど、何故か口に出すことが、できなかった。
「青銅、大丈夫か?」
魔法警察が連絡したのだろう。学校に戻ろうとしたと同時に験実先生が迎えに来たので、一緒に学校へ戻ることに。
いつもの海パンに白衣という奇天烈な恰好ではなく、ちゃんとスーツを着ている。
気がつかなかったけど、魔法学校の先生らしき人も数人いた。
近所で起こった事件だし当然か。
「大変だったな。さ、帰ろう」
背中を優しく押される。
十字路の信号を渡り、校門を通り校内へ。
あとは男子寮へと歩くだけ。
もう一緒にいる必要はないのに、験実先生は隣にいる。
「顔色が悪いな。まあ無理もないか」
「はい。とても情けないです」
「いいんだよ、それで。平然としてたら、逆に説教してるところだ」
……今のは、慰めるつもりで言ったのかな。
男子寮の前に着くと、先生は止まった。
「じゃ、今日はゆっくり休め」
手を振りながら見送る先生。
多分、今日も休めない。
「はい」とは答えないで頭を下げたあと男子寮に入る。
「明日から2連休だあ! 意地でも休めよお!」
階段を上るときに少しだけ入り口を見たら、まだ先生は僕のことを見ていた。
「そういえば、今日は金曜日だった……」
部屋に戻ってバイタルチェックをしたあと、当然だけど博士に顔色が悪いことを心配されてしまった。
けど、見たもの、起こったこと、思ってることを素直に口に出せない。
ただ自分がどういう存在で、どれだけ弱くて、どうやって人に染まれるか教えてほしいと問うだけでいいのに……。
まるで心の奥に潜む何かに大人へ反抗するよう操作されている気分。
……イライラしてしょうがない。
土曜日の朝7時。結局また一睡もできなかった。
鏡に映る自分を見ると、目の下のクマが昨日よりも不快なほど濃くなっている。
とりあえず眠りたい。そう思ってスマホで方法を検索してみる。
呼吸法、姿勢、カフェインを避けること、生活リズム、寝具、ブルーライト……。
「めんどくさい」
途端にやる気を失いスマホをベッドにポイっと投げる。
求めてるものが違う。
「今すぐ眠れる方法が知りたいんだよっ」
足先で椅子を蹴る。
その行動で我に返ったのは、1秒ほど後のこと。
「あ、ごめん……」
ほんの少しズレただけだったけど、すぐに元の位置に戻してあげた。
物に当たるって、こんなに後味の悪いことだったのか。
自分の知らない一面に興味はあったけど、暴力的なことをしていることに変わりはない。
「ダメだ……このままじゃ壊れる」
予感があった。
きっと慣れない長時間の睡眠不足で感情の制御が上手くできていないんだ。
「外に出てみようかな」
重い身体を持ち上げ、スマホと財布をポケットに入れる。
外に出てみると、グラウンドの方から聞こえてくる運動部の活気溢れる声に、ほんの少しだけど元気が貰える。
「休日だろうと頑張る人は頑張ってるんだよね」
まあ、頑張りすぎるのも毒なんだけど。
結局のところスイッチのオンオフをちゃんとできる人が、一番効率的に生きている。頑張りは、常にオンだからね。
校門を通り、十字路を渡り、あのバス停に着いた。
事件現場のバス停小屋は証拠収集が終わったのか、昨日はあった規制テープが無くなっている。
眠くて立つのも辛いけど、人が死んだ場所に座るのはさすがに恐いので止めておく。
標識版へと目をやると、次のバスは20分後。待つには少しばかり長いか。
こういう時、スマホは便利だ。時間つぶしが容易にできる。
ニュースは、ネガティブなことしか目に入れられないだろうからダメ。数独でもやろうかな。
最近入れたアプリだけど、思った以上にのめり込んでしまい、もう一番上の難易度まで達成してしまった。
ここまで夢中になったのは、入学前に博士の息子から教えてもらった、モンスターを捕まえて戦わせる世界的にも有名なあのゲーム以来ではなかろうか。
アプリを開き数独をやろうとした時、僕が来た方向とは真逆から男性が近づいてきた。
なんだかスマホの画面を見られるのが恥ずかしくなり、男性が通り過ぎるまで画面を暗くすることに。
別に恥ずかしいことじゃないのにしてしまう。こういう時の心理ってなんていうのかな。
早く行ってくれないかなと願うが男性はなかなか通り過ぎてくれない。それどころか、バス停小屋の前で止まってしまった。
「礼子……」
何か言ってる。
誰の名前、って疑問に持つことは馬鹿だね。
見たところ20代で、特徴的なのはそばかすと太い眉毛。背中の黒い大きなバッグには、うさぎ、犬、ネズミが描かれたプラスチックのバッジがついている。
「好きだったよな、これ。俺も最近好きになった」
そう言って男性は黒い桑の実を小屋の前に置いて拝むように手を合わせたあと、隣の公園へ入っていった。
「……大丈夫かな」
置かれた桑の実は、さっきまでの一部始終を見ていたのかカラスがサッと取っていってしまった。
気になる。とても気になる。
男性の後を追うために僕も公園の中へ。
入り口から全体を見渡せるほど広く緑の多い公園なので、すぐに男性は見つかった。
中心にある円になった道路を歩き、どんどん奥へ。
途中で草原に出て、一つの木に立ち止まった。
10秒ほど木を見つめたあと、バッグから太いロープを出す。枝に輪っかが垂れるように結んだあと、自分の首にロープを……
「ちょちょちょちょちょストップストップ⁉ 何してるんですか⁉」
急いで男性の背中に掴みかかり、これからやろうとしていることを止める。
「放してくれえ‼ 死なせてくれえ‼」
「できませんよ! 子供のオアシスである公園で自殺なんてさせません! やるなら自宅でやってください!」
「家だと上手く宙吊りになれないんだよお‼ だからここで死なせてくれえ‼」
引き離そうとする男性を力でねじ伏せ立てなくする。
5分ぐらいで、男性は落ち着いてきたのか抵抗を止め、ただただ泣き崩れた。
周りに誰もいないことが幸いした。こんなところ子供にはとてもじゃないが見せられない。
「うぅ……礼子、礼子」
「あの、礼子さんって、昨日そこのバス停小屋で亡くなられた女性の方ですよね。あなたは礼子さんの旦那さんですか?」
「違う‼ 俺は礼子の恋人だ‼ それに、それにそれに……」
額を地面に着け、拳を地面に打ち付ける。
「ころしたのは、おれなんだよお……」
……。
「あなたが?」
「そうだ‼ 俺がやったんだ‼ 礼子の腹を刺したのは俺だ‼」
「……え、でもどうして……」
「俺だってわからないんだよお……。赤ん坊ができたって聞いたから慌てて礼子のバイト先に迎えに行ったら、何故か腹にペンを刺しちまった……」
……じゃあ、この人が2人を殺したってこと、なの?
「あの、さっきあなたは礼子さんと恋人だって言いましたよね。つまり、婚姻前に子供ができたってことですが、そのことに不満は――」
「あるわけないだろお‼ 祝うために迎えに行ったんだから‼」
そりゃあそうだよね。バッグについてる動物のバッジ、うさぎ、犬、ネズミは子孫繁栄の意味で縁起が良いとされてるはずだし。
「ていうか、お前さっきバス停にいただろ。なんで後をつけてたんだよ。警察か?」
「いいえ。あなたさっきバス停小屋に桑の実を置きましたよね。桑の実の花言葉の一つは『ともに死のう』なので、もしかしたらと思って様子を見てました」
まさか公園で堂々と死のうとするとは思ってなかったけど。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
「良々雲英世……」
「僕は青銅錬磨といいます。英世さん、一から説明してください。昨日、何があったんですか?」
「俺は昨日…………あああああああああ‼ なんで俺はあんなことをしたんだああああああ‼」
「ちょっと⁉ また死のうとしないでください!」
あー、面倒くさいなもう‼
さっきと同じごたごたをまたやること5分。
深呼吸をさせてどうにか泣く程度に収まらせたあと、英世さんは弱弱しい声で話し始めた。
「本当にいきなりだったんだよ。仕事してたらいきなり礼子から『子供ができたかもしれない』って連絡が来て。だから嬉しくて早退してショッピングモールまで迎えに行ったら、バス停小屋で急に焦り始めて」
「焦り?」
「わからねえんだよ。プロポーズするつもりだったし子供も望んでたのに、バス待ってたら急に子供なんか育てられるわけないって怖くなって。それでやっぱりおろそうとか口に出しちまった。当然言い争いになって、逆上しちまってそれから……」
「礼子さんを、殺した」
「なんであんなことしたんだ、俺は……」
頭を抱える英世さん。
「一切君を殺したのは、それを邪魔してきたからですか?」
「知らねえよそんな奴、誰だよ。あそこで死んだのは1人だろ」
「え?」
……あれ? そういえばこの人って……。
「あの、あなたは魔法使いですか?」
「こんな時に何おかしなこと言ってんだよ。そんなのいるわけないだろ‼」
魔法使いじゃ、ない?
ちょっと待って。そういえば思い出してみると礼子さんって女性は……。
それに今ちゃんと思い出してみると、あの時の会話から事件の夜までおかしな部分がありすぎるような……。
「……そっか。そういうことか」
だから明光さんもあんなこと言ってきたんだ。
ポケットからスマホを取り出し、昨日のバス停小屋のニュースを調べる。
「やっぱり……」
完全に見逃していた。というより、見逃すように翻弄されていた。
やられた。もっと警戒すべきだった。
「英世さん。一緒に来てくれませんか?」
「は、なんで?」
「おそらくですけど、これから行く場所にあなたが礼子さんを殺した原因、というよりそうなるように操った犯人がいます」
「は?」
「とにかく来てください。あなたの意思で礼子さんを殺したわけじゃない証明にもなりますから」
法には触れるが、救いにはなるし僕の助けにもなる。
英世さんを、魔法使いの世界に引き込もう。
3分ほどで到着したのは、さっきまでいたバス停小屋。
「ここに何があるんだよ?」
「ちょっと待っててください」
小屋の中を見渡す。
そしてうまく透明化したその体を掴み、壁へと投げつけた。
「いてっ!」
最近聞いた声。
透明になっていた体に色が戻り、その姿をあらわにする。
ツヤツヤした長い茶髪、前よりも死んだような目。
「いててて、やっぱりバレちゃったか」
佐藤一切君がそこにいた。
「ど、どういうことだこりゃ⁉ 何もないところから人が現れやがった⁉」
驚く英世さん。
「青銅君、これは大問題だよ。非魔法使いの前で魔法に関する情報を与えることは法で禁止されている」
やれやれと言った感じで立ち上がる一切君。
「こうでもしないと君は油断しないと思ったからね。もし僕だけがここに来たら、君は警戒して僕に触れさせなかっただろ」
非魔法使いに魔法に関する情報を与えてはならない。透明化し、こちらを観察してた一切君は、僕が法を犯してまで自分のことを捕まえに来るとは思ってなかったのだろう。だから英世さんを連れてきた。一切君を油断させるために。
「上手く死体を見せたつもりだったんだけど……どうやって気づいたの?」
「それを君が聞くの? 君自身でこの結果を生み出したのに?」
「あははは、まあね」
声に覇気がない。
反撃された場合の準備はしてたけど、本人はそうすることもできないくらいやる気を失ってるらしい。
「一切君。君は座敷わらしだったんだね」
「ざ、座敷わらしって、あの幸せにしてくれる子供の幽霊か⁉ これが?」
そういえば非魔法使いの間ではそんな言い伝えだったっけ。
「英世さん、僕達魔法使いの間では、座敷わらしは不幸へ導く厄介者なんですよ」
魔法使いの世界では、幽霊という存在の一部はその正体が明らかになっている。
朱美さんが使っていた分身魔法の一部を応用したもので、残留思念の具現化と言えばいいだろう。
死ぬ間際に、自分の想いを形としてその場に残すために作られた魔法。
その名は、『想いを伝える魔法』
病院などでは、病死した患者が遺書代わりにこの魔法を使って遺族に最後のメッセージを伝えることも珍しくない。
これまで、どれだけの人が『ウィッシュ』によって救われてきたことか。
使い方さえ誤らなければ素晴らしい魔法なのだが、誤った場合がとてつもなく厄介なことになる。
想いを形にする、つまり恨みや憎しみなんかも具現化することができるということ。
しかも形として残す手段として、自分と全く同じ姿の分身を残し、その分身に復讐をさせるというやり方もできる。一部の幽霊の正体はこれだ。
恨み憎しみの塊となった分身を作り、本体の死後も暴れ続ける厄介者。そしてそれを、僕達魔法使いは『座敷わらし』と呼ぶ。
一説では、何百年も前に権力者によって浮浪者となった非魔法使いが、座敷わらしに自分を貶めた権力者を逆に貶めてもらったことで、非魔法使いの間で座敷わらしは幸福を呼ぶと伝えられるようになったという。
まさかこんなところで会うとは思ってなかった。
「不幸に導く厄介者とは酷い言い方だ。私はただ、生前の私の願いを実現させただけにすぎない」
「それが礼子さんを殺すことなの?」
「その通り。私はあの女をずっと殺してやりたかった。だから君達に『幻術』を掛けて殺すよう誘導したのさ」
『幻術』……掛けた相手の五感全てを操作し、相手に幻覚を見せる魔法。
催眠術とよく似ているけど、こちらは暗示が必要ないというメリットがある。
そして暗示が必要ないだけで、歴史上でも多くの権力者がこの魔法で地に落とされたと聞く。僕もまんまとやられかけた。
「お前が……俺に礼子を……」
拳を握る英世さん。
今にも殴りかかりそうだな。
「そっちの男は話の邪魔になるね……」
そう言って一切君は手のひらを英世さんに向けると、英世さんはまるで石にでもなったかのように動かなくなった。
幻術じゃこういうことはできない…………催眠魔法か。
確かに非魔法使いなら催眠魔法を掛けることも容易だろう。
「僕に幻術を掛けたのは、保険のため?」
「そうだよ。そこの男が失敗した場合、君にやらせればほぼ100パーセント成功するからね。幻術中に催眠魔法を掛ければ、どんな魔法使いであろうと抗うことはできないでしょ。たとえ、君でも」
危うく犯罪の片棒を担がされるところだったのか。
おっかないことを考える。
「だけど君を完璧に操ることはできなかった。幻術を掛けるまでは成功したのに、あの女が割り込んできたせいで効果が薄まってしまった。全部あの女のせいだ」
やっぱり、明光さんは僕をサポートしてくれていたのか。
一昨日のバス停小屋での会話の時、突然割り込んできたのと廊下での殺すという発言にはちゃんとした意味があった。
幻術から目覚めやすくするように、あえて僕の頭に刺激を与えるような行動と言葉を選んだのだ。
幻術や催眠の類は外部からの刺激を受けると効果が薄くなることが多いからね。
なんでこんな回りくどいやり方だったのかはわからないけど。
「ま、隙を突いて仕返しは済んだから、もう気にしてないんだけど」
明光さんが病欠したのも一切君が原因か。
残留思念のくせに魔法まで使えるなんて、座敷わらしが歴史上でも多くの問題を起こしている理由がよくわかる。
「君の言動には完全にやられたよ。僕をよく観察して研究してる」
佐藤というありふれた苗字、ウンディーネ君に似せた雰囲気、勘という曖昧なもので語るポジティブな嘘、僕の価値観には同調せずあえて本音を混ぜた会話、そして最後の水原というワードで僕の警戒心はほとんど無くなった。おまけに、会話中に幻術をゆっくりと掛けることで、僕が一切君の不審な部分を見逃すことになってしまった。
もし明光さんが来なかったら、僕は彼の手駒になっていたことだろう。
「一応聞いておこうか。どうやって僕が幻術を掛けてるってわかったの?」
「おかしいと思ったのは、英世さんが非魔法使いだったことだよ。思い返してみると、僕は礼子さんを一目見て非魔法使いだって断定したのに、君から魔法使いだと言われたらすぐにそうだと思い込んでしまった。なのに君は、そのあと『非魔法使いを彼女以外にしてもいい』と矛盾した言葉を吐いた。僕が幻術に掛かっているか確認するために言ったんだろ。そして疑問を持たない僕を見て、君は僕が幻術に掛かったことを確信した。あとはバレないように僕を油断させつつ徐々に魔法を強めていけばいい」
「じゃあ、私が座敷わらしだと気づいた理由は?」
んー、こっちはあんまりカッコよくないから言いたくなかったんだけどなあ。幻術に関係なく、僕が見逃してただけだし。
「僕が通報した後、救急車に遺体が運ばれるとき担架が1つだけだった。しかも救急車に運んだのは1回だけ。往復してた記憶はない。つまり、僕の見た通りなら2人の遺体を担架1つで一度に運んだことになる。そんな雑なことを救急隊員がするわけないだろ。それに、安西さんに一切君の話をすると首を傾げられていたからかな。それで確認のためニュースを見たら、被害者は1人だけだと報道されてた。君の死体はあの場にはなかったのだと悟ったよ」
安西さんが何も指摘してこなかったのは、きっと僕が死体を見て混乱したからおかしな言動をしていると思ったんだろう。
実際、昨日の僕は周りを観察して推理できるような精神状態じゃなかったし。
「今度は僕から質問するよ。どうして礼子さんを殺したかったの?」
「君はどう思う?」
「あくまで予想だけど、君は礼子さんのことを憎んでいたと同時に愛してた。愛してたから、死んでほしかった。そうすれば、君のいる死後の世界に来てくれるから、かな」
死後の世界が本当にあるかどうかは知らない。興味もない。
ただもしあるのなら、1人でそこに行くのは、とても寂しいのかもしれない。
「生き物の本能って本当に奇々怪々だよね。気まぐれで外で待ってなきゃよかった、いつも通りバス停小屋の中にいれば車に轢かれることはなかった。絶対に許さないって思ってたのに、死に際に見た彼女の絶望した顔を見て、私は興奮した。生き物は死に際こそ子孫繁栄の機能が働くという迷信があるが、私は身をもってそれを体験したよ。迷信は本当だったんだ」
「だから恋をしたの?」
「ああ。絶望している彼女に恋をしたんだよ。そして恋をしたのだから、自分のモノにしたいと思うのは必然」
恋は、自分のものにしたいもの……。
「欲しいから、恋人に殺される礼子さんの絶望した顔を見てから殺した……」
「その通りだ。君は本当に聡明だから嬉しいよ。私の考えを理解してくれる」
流暢にそんなことを言ってくる。
……微笑んでるところ悪いと思うし嫌な奴って思われるだろうけど、同類だと思いたくないから言うことにしよう。
「で、どんな感じでしたか?」
「……」
「どうして黙るんですか? 殺してあなたはどう感じたのって聞いただけですよ?」
「……君は意地悪だね。わかってるだろ?」
「わかりませんね。早く教えてください。どんな感じでしたか?」
意地悪でも構わない。彼の価値観に同調するよりはマシだ。
「殺した時は同じ世界にいれるって喜べたのに、後からそこまですることじゃないって自覚した。ここで見てるだけで充分だったんだって後悔した。これが君の欲しい答えだろ」
少しだけシーンとした時間が続くと、一切君の体が透け始めた。
「そろそろ消える時間だね。3年間の監視と幻術に硬直魔法、魔力が尽きた」
ウィッシュで残留思念を残せる時間は、込めた魔力が尽きるまで。
3年も維持し続ける魔力を持ってるなんて、生前の一切君はさぞ才能にあふれた魔法使いだったのだろう。
「最後に1つだけ聞かせて。一昨日、どうして君も一緒に死んだように見せかけたの? あの時には君はすでに幻術を維持する気力も無かったはず。なのにどうして自分の死体を僕に見せることだけはやめなかったの? 君はあの光景を僕に見せて、何を伝えようとしてたの?」
「そうだねえ……人生の終わり、その答えの1つを示したかったのかもね」
「答え?」
「大切な誰かと死ぬという選択もある、ってことさ」
「聞いて損したよ。そんな選択はしない。身勝手な僕でも分別の一欠片ぐらいはある」
それに、一緒に死にたいと思えるような人なんて僕には……。
「そうか。じゃあこちらも見返りに最後のお願いがある。一昨日言いそびれてしまったことだ」
「なに?」
「魔法学校のグラウンドにある物置の中に、私が死ぬ前に残したプチボックスがある。まだ残ってるようだから、それを開けてくれ」
「中に君の死体が入ってるとかないよね?」
「私の死体はプチボックスに入れられ礼子の家の庭に埋められている。だからそんな心配はいらない」
とんでもないことを平気で暴露してきたね。
それに礼子さん、非魔法使いなのにプチボックスをどうやって……ってそういえば一切君はプチボックス集めが趣味って言ってたね。事故後に一切君の遺体から盗んでそれで隠したのか。
非魔法使いなのにプチボックスでそんな使い方を閃くとは。被害者もろくな人間じゃないね。
「中身は私の黒歴史だ。できれば捨ててほしいが、家族に渡しても構わない」
「じゃあ渡すことにするよ。一応遺品だからね」
「君ならそうするとわかってたよ。だから構わないと言ったんだ。それと、最後に忠告しておこうか。君はあの女……裏表明光と仲が良いみたいだけど――」
「仲良くない」
そこだけは譲れない。
「あ、そう……。まあとにかく、彼女とこれから親しくなるのなら気を付けた方がいい。私は彼女を間近で見て、かぐや姫かと鳥肌が立った」
「かぐや姫?」
「竹林に捨てられた魔法使いの話だよ。非魔法使いの老夫婦のもとで拾われ育てられたけど、人間の性を見すぎて都に住む非魔法使いを絶滅させかけた話。知らない?」
「いや、かぐや姫の物語自体は知ってるんだけど、どうして明光さんがかぐや姫なのかなって」
共通点が思いつかない。
「だってあの女、オゾンの香りが体に染みついてるんだ。成層圏にでも住んでるのかってぐらいにね」
そういえばかぐや姫は月から来たって説があったね。
場所は違うけど、かぐや姫にも宇宙的な匂いが染みついていてもおかしくないか。
「そうなんだ。香水も付けてないのに凄く良い匂いがするとは思ってたけど、そういう視点で見たことがなかったな」
匂いで物語のキャラクターを連想する、か。今度僕もやってみようかな。
「万年友達ゼロだった私が言うのもなんだが、相手はちゃんと選んだ方がいいよ。それじゃあ、笹船に乗ったアメンボよ、ちーりお」
そう言って完全に消えてしまった一切君。
笹船? アメンボ? そんなことわざあったっけ?
「あと、発音もうちょっと勉強しようよ」
多分英語の『CHEERIO』を言おうとしてたよね。さようならって意味があったはずだし。
「さて……」
横で固まってる英世さんをどうしようか。
一切君の魔法が解けて自由になったら、きっと礼子さんがいなくなって苦しむだろうし。
「験実先生に頼んでみるか」
スマホを取り出し先生に連絡する。
何があったのか詳細を話すと、すぐに眉間にしわを寄せながら走って来てくれた。
「お前なあ、なんでそう何度も変なことに巻き込まれるんだよ」
開口一番そんなことを言われた。
「僕だって巻き込まれたくて巻き込まれてるわけじゃありませんよ。いつも僕は被害者側なんですから」
本当にこればかりは僕自身でどうにかなる話じゃない。
でもこういうことはやっぱり貴重な経験になるだろうし、忌避するものでもない。
「それにしても、まさか座敷わらしとはな。しかも佐藤一切のか」
「知ってるんですか?」
「俺のクラスの生徒だった。いつも1人で魔法の開発に没頭してて、才能あふれる世紀の天才魔法使いなんて教師たちの間で言われたりもしてたな。行方不明になって何回も探したが、見つけられなかった。相手の女性は非魔法使いなんだろ? どうやって魔法警察の捜査から逃げ延びたんだよ」
「さあ?」
それについて、一切君は何も言及してなかったので僕にもわからない。
一切君は礼子さんが運転する車に轢かれたようだから、血痕とかだってあるだろうし、どうやって証拠を隠蔽したのか……。
「そっちは魔法警察に任せるしかありませんね。問題なのは……」
「この人か」
2人で英世さんを見る。
「やっぱり、英世さんも魔法警察に任せるしかないんでしょうか?」
「そりゃあな。俺たちが勝手に何かするわけにもいかないだろ。充分に話を聞いてから、魔法に関する記憶を消す、それで終わりだ」
「礼子さんの記憶を消すことは……」
「無理だな。話からして交際期間は長そうだ。それだけの時間の記憶、それも一部分だけを消すと、本人の精神にも影響が出る」
「そうですか」
やっぱりそう都合よくはいかないよね。
「しょうがない。これも現実ってやつだ。苦しくても受け入れないとな」
「はい……」
「さてと、じゃあ魔法警察に来てもらうか」
験実先生がポケットから出したスマホで連絡しようとする。
「その必要はありません。私が全て見ていましたから」
突然バス停小屋の裏から声がした。
というかこの声は……。
「おはようございます。魔法警察の安西です」
昨日僕に事情聴取した刑事さんだ。
ずっと透明になって見てたのか。
そういえば魔法警察は外での魔法の使用がある程度認められているんだったね。
あと……
「なんで犬3匹も連れてるんですか?」
3匹とも焦げ茶色のかわいい見た目。ミニチュアダックスかな。
「朝の散歩だよ。魔法学校の近くを通ってたら偶然校門から出てくる君の姿が見えてね。昨日、君の言動におかしな点が多かったことが気になって見張っていたんだ。すまないね」
そんなことしてたんだ。全然気づかなかった。
「それと、一応言っておくけど、非魔法使いに魔法の存在を教えるのは法律違反です。今回は見逃しますが、次はありませんからね。気を付けるように」
厳しいことだ。まあ、法の番人なんだから当然なんだけど。
むしろ見逃してくれる方がおかしいんだよね、こういう時。
「……はい、すみません」
素直に謝ると、安西さんはニッコリと笑った。
「だが、君の推理は素晴らしいものだった。まるで竜胆法芽君のようだったよ」
「竜胆法芽?」
なんかどこかで聞いたような……。
「探偵だよ。去年通り魔にあって他界してしまったが、その前まではいろんな難事件の謎を解いてきた凄い人だ。私も何度も助けられた。確か、娘さんが同じ学校にいたはずだが……」
「それって、竜胆咲生先輩のことでしょうか?」
「そうそう、咲生君だ。たまに法芽君が嬉しそうに話していたよ。優秀なんだって?」
「はい。とても優秀な先輩です」
それについては疑いようがない。
「先輩は刑事を目指しているらしいですし、いずれ安西さんも会うことになるのではないでしょうか?」
その時に引退してなければの話だけど。
見た目からしてそろそろじゃなかろうか。
「そうか、それは嬉しいことを聞いた。どうだい、君も刑事を目指さないか? その力はいずれ、多くの人を救えるかもしれないよ」
刑事、か。
「……お誘いは嬉しいのですが、僕は死体には弱いみたいなので遠慮しておきます」
それに、寿命から考えると僕が刑事になるのは難しい。
推理を生かす仕事なら、探偵の方がまだ長くできる。
「そうか。気が変わったらいつでも歓迎するよ。私も昔は船に乗っていたが、いなくなった友人を探したくて刑事になったからね」
「それは、海の上で?」
もしそうなら、見つけることは不可能に近いだろう。
「いいや、ちゃんと陸の上だよ。願うなら、こうして刑事をやれている間に見つかってほしいものだ」
過去を思い出したかのように暗い顔をしたあと、すぐに安西さんは刑事としての仕事を始めた。
僕のことをずっと見てたらしいから長時間事情聴取はされなかったけど、魔法が解けて動けるようになった英世さんには詳しい話を聞くために警察署へ連れて行くらしい。
安西さんに連れてかれる英世さんは一度僕の方を振り向いて、「ありがとな」と言ってくれた。
これから記憶が消されるなんて、これっぽっちも思っていない顔だ。
きっと記憶が消されたあと英世さんには、礼子さんは行方不明の犯人に殺された、とでも伝えられるのだろう。そして英世さんは犯人を一生恨み続ける。操られていたとはいえ、自分で殺したことも知らずに。
「人の作るルールは残酷だ……」
完全に見えなくなると、験実先生は大きく伸びをした。
「さてと、俺も帰るか。青銅はどうする?」
「僕も帰ります。ちょっと気になることがあるので。グラウンドの物置の鍵を貸していただけますか? 中に一切君の遺品があるみたいなんです。それと、養護教諭は今日いらっしゃいますか?」
学校に戻り、一度職員室で先生から鍵を貰ったあと、1人グラウンドの物置へ。
初めて見たけど、中は各部活が使ってる器具が入っているプチボックスでいっぱいだ。
「あ、あったあった!」
奥に隠すように1つだけ、部活名も何も書かれていないプチボックスがあった。
埃まみれで汚いが、手に取って開けてみる。
中に入っていたのは、彼の親族と思われる人たちが集まった絵だった。ウンディーネ君によく似てる顔の人もいる。
「そういえば一切君、親戚付き合いはほとんどしてないって言ってたね」
これが黒歴史ってことは、彼は一時期こんな光景を……。
「ん?」
何かが足元に落ちた。
「封筒?」
絵の裏に張り付けられていたのだろうか。
宛名も何も書かれていない。
テープを取り、中を見る。
『卒業後の私へ
こんなことを聞けば傷つくかもしれないが、まだ孤独なのかな?
この手紙を書いている頃の私は、魔法の探求ばかりしてたせいで人間関係が疎いことに酷く後悔しているよ。話しかけてくれた親戚の子供たちと仲良くすればよかった、クラスメイトともっと話せばよかったってね。
私はきっと、人とのコミュニケーションよりも魔法を探求する方が得意なんだ。でも人間の、他者と触れ合いたい本能に抗うことはできない。
実際、私は高校に入学し寮生活になって家族と離れてから突然人が恋しくなった。
中学生までは家族が傍にいてくれた。親戚たちも話しかけてはこなくなったけど、見守ってくれた。ウンディーネがしつこく話しかけてきた。だから孤独ではなかったんだ。
家族もいない、本当の孤独はとても辛く苦しい。だから何回もクラスメイトに話しかけようと頑張っているけど、まだできていない。
気休めに自分に幻術を掛けてみたりもしたけど、虚しくなるだけだった。
未来の私よ、君は名誉以外の何かを手に入れられただろうか。私が私でいられるまでに』
「……孤独は、やっぱり耐えられないものなのかな……」
僕が他のホムンクルスを、家族を望むように。
「なら、どうして未来の僕はあんなことを……」
孤独が嫌なら、殺さなきゃいいのに。
一切君の遺品は家族に返すことにした。
手紙自身が家に帰りたがっていそうだったし、家族も彼の本音が知りたいだろう。
知って後悔するかもしれないけど、本音は大抵誰かを傷つけたり悔やませたりするもの。本音を知れる対価と受け取るしかないのだ。
験実先生と話し合った結果、遺品は後日先生自身で届けることになった。
生前全く関係がなかった僕が行くよりも、元担任の験実先生の方が良いと思ったからだ。
なら、僕の仕事はあと1つだけ。
ショッピングモールで買ってきた米や梅干しを持って女子寮の中へ。
「多分、ここら辺のような……」
1年生は全員3階なはずだし、クラスの番号順から考えて間違いない。
一つ一つ部屋番号を見ていくと、探していた番号192114が見つかる。
インターホンを押すと、部屋の中から弱弱しい足音が響いた。
『どちらさ――あ、錬磨君ですか。珍しいですね。何か御用ですか?』
「恩返しだよ。もし嫌じゃなかったら中に入れてくれないかな。そうじゃないと何もできない」
声もいつもより覇気がない。
やっぱり相当消耗させられてるね。
鍵の音が聞こえた後、ガチャリとドアが開く。
中から出てきたのは、パジャマ姿の明光さんだ。
「女性の部屋に入るのにアポイントも取らず急に来るなんて、デリカシーがなさすぎるんじゃないですか?」
「よくそんな余裕そうなこと言えるね。本当はギリギリのくせに」
もう夏になるというのに、パジャマは長袖だし頭から布団を被っている。
体も震えてるし、どこからどう見ても病人だ。
「ギリギリなのはどっちでしょうねえ。目の下のクマが私にははっきりと見えますよ」
お互い図星を突いたあと、フッと笑う。
何が面白かったのかはわからないが、ついそうしてしまっていた。
「何もできませんが、それでも構わなければ入ってください」
そう言われたので遠慮なく中に入る。
「うわ、寒っ!」
5℃くらいだろうか。冬とさほど変わらない。
半袖だから余計に冷たく感じる。
うーん、大丈夫かな。
「一切君、随分強い呪いを君に掛けたみたいだね」
「単純に体内の魔力が乱されて風邪っぽくなってるだけです。数日もすれば治りますよ」
「だから氷結魔法を出しっぱなしにしてるわけだね」
魔法を使用することで乱された魔力を枯渇させ症状をなくす。
害のある血液を全部抜いて治療するみたいな感じか。
確かにそれなら1人でもできるけど、遠回りになる。
枯渇させるために使用する魔法にも魔力がいる。乱された状態じゃ魔法だって上手く出せないだろう。
この消費ペースだと、月曜日までに治るのは難しい。
かと言って、この状態で魔法使い専門の病院まで行くのは厳しいだろうし、今日は養護教諭も出張で学校にはいない。
ならば……
「ベッドに横になりなよ。僕が魔力を吸って枯渇させる。その方が早く治るからね」
「どさくさに紛れて変なこと――」
「しないよ。そんなこと言うんだったら逆に魔力を流して内側から破裂させるよ」
「ふふ、怖い怖い」
全然怖がってないくせに。
横になった明光さんの傍まで近寄り、見下ろす。
「じゃあ、腕に触るよ」
「はい、どうぞ」
左腕に触る。
密室で男に触れられるのに抵抗が一切感じられないのも、それはそれで心配になるね。
「ちょっと痛いと思うけど、我慢してよ」
明光さんの体内の魔力の流れ、パイプを感じ取り、僕の指先にある魔力のパイプと繋げる。
明光さんのパイプと僕のパイプで枝分かれした血管のような状態にしたあと、僕のパイプだけに流れるように吸引。
その瞬間、明光さんの眉間にしわが寄った。
パイプの中が真空状態になって収縮してるようなものだからね。全身に痛みが広がるのは当然だろう。
「もう少しだからね」
僕の中に流れてくる明光さんの魔力は、とても冷たい。
さっき氷結魔法使ってたし、体も冷え切ってるから当然か。
冷たいのは苦手だけど、この際仕方ない。
あと、明光さんってやっぱり魔力の量多いんだね。部屋の中でずっと氷結魔法を使ってたことも加味すると、世界的にも稀なくらいではなかろうか。
それに凄く澄んでる。地球の空気を吸ってる生き物でここまで綺麗な魔力は中々持てない。それこそ、機械で浄化でもしない限りほぼ不可能だ。
一切君が明光さんのことをかぐや姫と言ったのは、あながち間違いではないのかもしれない。
「はい、これで明日には元気になるはずだよ」
明光さんの魔力が流れてこなくなったので吸引を止め、手を離す。
「魔力はゼロの状態だから、体内で十分に生成されるまでは安静にね」
「ありがとうございます。錬磨君は優しいですね。他人の魔力を吸収するのは、結構危険なことなのに」
「感染症とかでしょ。僕はそういうのに耐性があるから、何の心配もいらない」
体内の明光さんの魔力を自分の魔力で包み込む。これで数時間もすれば僕の魔力へと変換される。
どちらかと言えば、冷えてることの方が問題だ。
「ふぁ~」
大きなあくびが出てしまう。
「眠そうですね。いつから寝てないのですか?」
「もう2日ぐらい。それよりも、もう9時だけど朝ごはんは済ませた?」
そう言うと、明光さんは自分のお腹をパジャマ越しに撫でた。
「そういえばまだでしたね」
「じゃあお粥作ってあげるよ。キッチン借りていい?」
「ええ、それは構いませんが……」
少し重い身体を動かし、キッチンへ。
今更だけど、明光さんの部屋にある家具って和風なんだね。
寮だから畳まではいかないけど、十分に和を感じることができる。
実家がそうなのかな?
それに本棚には各分野の難しそうな本がびっしり。天文学に関するものまである。
「こ、この炊飯器って……」
本棚の本に目を見張っていたが、キッチンに来た途端ドンと置かれた黒い炊飯器に目が離せなくなった。
確かこれは、釜で炊いた米を再現できるお高いやつなはず。食感や米の種類まで選ぶことができ、お弁当に合わせて冷めてもおいしくなるようにすることもできる優れもの。
まさか明光さんがこんなものを持っているとは…………安い炊飯器では満足できなくなり、鍋で炊くようになった僕への嫌味か。
「どうしました錬磨君?」
「……いや、なんでもないよ」
さすがの明光さんでも、炊飯器で嫉妬してる僕の心までは読めないか。ていうかそこまで読めたらもう超人だよ。
「明光さん、この土鍋使わせてもらうよ」
高級炊飯器に負けたくないので、棚から出した土鍋でお粥を作ることにする。これも結構高そうだね。
「錬磨君、お粥ならその炊飯器で作れますよ」
指摘されちゃったよ。どう言いくるめようか、というかできるのか。
「僕はこっちの方が慣れてるから……」
それしか思いつかなかった。
寝不足は脳の活動を低下させることがよくわかる。
「――フフ」
読まれたね。わかってたけど。
笑うなら笑うがいい。所詮僕は高級炊飯器と競うような小さいホムンクルスだよ。
明光さんが笑った理由は聞かずにお粥作りへ。
「この前見た時もそうでしたがキッチンに立つ姿、とても様になってますね」
「そうかな?」
自分ではよくわからない。
そもそも様になってるというが、それは人によって基準が違う。
「作業効率だけですが、専業主夫として家を任せられるレベルはありますよ」
「よくそんなことわかるね」
「私は錬磨君よりもずっと経験がありますから」
「どうせ僕は経験の浅い一歳児だよ」
これ以上先輩面されたらキレそうだし、話題を変えよう。
「話は変わるけどさ、どうして僕を助けてくれたの?」
これだけで一切君のことを言ってるのを察してくれるだろう。
「あ、やっと気づいたんですね。あの座敷わらしはどうなりました? 消えました?」
「消えたよ。満足そうにね」
「そうですか。それはちょっと残念ですね。ぜひ呪いのお返しをしたいと思っていたので」
目が怖い。
一切君がまだいたら、何するつもりなんだろう。
わからないけど、ろくなことにはならなそう。
「なんであんな言い方したの?」
「殺すって言ったことですか?」
「うん。結構怖かったよ、あれ。ちょっとでも理性が無かったらその場で殺しにかかってたかも。正直に言ってくれれば――」
「私が『あなたは幻術に掛かってますよ』と助言したところで、錬磨君は素直に受け取ってくれますか?」
「……」
それは、ノーだ。多分裏があると受け取るに決まってる。明光さんの言うことだし。
「そういうことですよ」
全部計算のうちってことか。
キッチンに立ち明光さんに背中を向けたまま、僕は問うことを決める。
「もう一つ聞くよ。この前言ってたことって、ホントなの?」
「……何度質問されても変わりませんよ。私の構造はあなたとほぼ同じです」
それはつまり……
「君も、ホムンクルスなんだね」
3日前、僕と明光さんで食事をしている時、突然言われた。
驚きはあったけど、僕以外のホムンクルスがいたことについては大したことじゃない。
世界には僕たちが知らない研究所がいくつもあるんだ。その中で、誰にも言えない実験をしてる場所があることなんて珍しいことじゃない。
でも僕が作られた研究所ではホムンクルスは僕だけだったから、明光さんはきっと別の研究所で作られたのだろう
「ホムンクルスといっても、違いはありますけどね。私は純人間型、あなたのように爬虫類は混ぜられてません」
僕の体のことをそこまでお見通しとは。
「それと、私はあなたのようにカプセル内で培養液に浸すような古いやり方ではなく、もっと進んだ技術で作られてますから。この姿だって、自己の意志でなってるんですよ」
「そこがよくわからない。自己の意志ってことは、本当の姿は別ってことだよね。なら、本来の君は何なの?」
「知りたいですか?」
後ろは振り向かずに頷く。
「本当の私は、もっと大きいんです。あなたや人間よりも、ずっとずっと」
「……身長の話?」
それぐらいしか受け取れない。
「答えは錬磨君がこれからの私を見て考えてください」
明光さんはそれ以上何も言わなかった。
「まあ、私がホムンクルスなことは大した問題ではありません。詳しく話したところで今の錬磨君を混乱させるだけです。この話はもう終わりにしましょう」
……あまり話したくないことなのかな。
自分もホムンクルス、ということを僕が知るだけで充分なのだろう。
一度息を吸ってこれから言うことに覚悟を決める。
「こんなこと言うと心底不快に思うだろうけど、これからは君への態度を改めるよ」
「随分と直球ですね」
「何も言わずに不仲から仲良くなっていこうとするような卑怯者になりたくないから。それに、今回は君に助けられた。恩知らずにもなりたくない。僕は、僕を受け入れようとしてくれる人を、こっちからも受け入れることができるようになりたいから。僕なりの反省と受け取ってほしい」
変わらなきゃいけない、僕は。
残りの寿命通りに生きたいのなら。少しでも満足した死を迎えたいのなら。
一切君みたいな、そして彼が見せてきた末路になりたくないのなら。
どう受け取るのか気になり、顔だけを明光さんへ向ける。
「反省というのは、言葉ではなく態度で示せとよく言われますが、言葉にしないと反省は始まらないもの。言葉は簡単に作れるほど薄っぺらなものですが、本人以外はその真意を知ることができない。両者の食い違いを避けるためにも、言葉で始まることに意味がある」
「偉人の言葉? 凄く共感できるんだけど」
「いいえ、私の考えです。あなたはやっぱり私とそっくりですね」
いつもより暖かい笑みを浮かべ、こちらを見つめてくる。
「そうかもね。ここまで似てると、もう否定する気も起きない」
これがホムンクルスの特徴なのだろうか。
人から作られた故の多様性の無さ。他のホムンクルスも同じだったりして。
「できたよ」
お粥と付け合わせの梅干しなど少々、それにデザートのすりおろしりんごをトレーに乗せる。
物足りないかもしれないけど、胃に負担を掛けない方がいいからね。
トレーを明光さんの膝へ布団越しに置く。
「あら、美味しそう。量もちょうどいい。こういう気遣いができる人だったんですね」
「看病しに来た人が作ったご飯を見て言うことなのそれ?」
「私一言も『看病して』、なんて言ってないですもーん」
なに子供みたいな言い方してるのこの人?
「いただきます」
両手を合わせ微笑みながらそう言うと、木製のスプーンでお粥を掬い口の中へ。
「見た目通りとっても美味しいですね。毎日でも食べたいくらいです」
「社交辞令なら受け付けてないよ」
「かわいくないですね。素直に喜べばいいのに」
明光さんの言うことはどこまでが本気かわからない。話半分で聞くのが一番だ。
そのあとも嬉しそうに食べ続け、あっという間に完食してしまった。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様」
空になったお椀を持ってキッチンに向かい、流しで洗う。
「すみません、何から何まで」
「いいよ。僕が勝手にやってることだから」
理由が無ければ、きっと僕はこんなことしない。
これは善意ではなく、お礼という義務感からの行動なのだから。
「もう寝た方がいいよ。疲れてるでしょ」
「えー、もう少しお話ししましょうよ。ただ寝るのってとても暇なんですから」
「スマホ使いなよ。今の時代ならそれ1つで暇潰しになるでしょ」
「錬磨君とお話しする方が私は好きなんです。ね? ちょっと話したら大人しく寝ますから」
「……はあ」
小さいため息を吐いたあと、椅子をベッドのすぐ横に置いて座る。
「で、どんな話がしたいの?」
「そうですねえ……じゃあ昨今問題になっている『若者のテレビ離れ』はどうです?」
「なんでそんな話題を選択したの?」
どう見ても寝る前に話す内容ではない。
「いいじゃないですか。では、錬磨君は若者のテレビ離れ、どう思いますか?」
「……そもそも、僕はその言い方が納得できてないんだ。どうして『離れ』という字を入れる必要があるのか」
「だって、離れてますからね」
「離れてる理由って単純にテレビがつまらないからでしょ。ニュースはいつも暗いし、バラエティ番組といっても毎日毎日芸能人が椅子に座って喋るだけ。動きがあっても精々飲食店を回ったりするだけ。たまにならいいけど、毎日だとさすがにつまらないよ」
「仕方ありませんよ。過激なことすると一部の視聴者からはクレームが来るんですから」
「そこだよ。クレームっていうけど、それしてるのって大人だよね。しかも、かなり年のいってる人。公園で子供の遊び声がうるさいってクレーム入れてる人も年寄りばかり。つまり、若者の楽しみを奪っているのは大人なんだよ。それなのに『若者のテレビ離れ』って……まるで若者が悪いみたいな言い方はおかしいんじゃないかな。若者をテレビから離れさせてるのは、クレームを入れてる大人とそれに従う大人なのに。若者はただ、スマホとかでテレビよりも面白いものに夢中なだけなんだよ」
単純な責任転嫁。
なんならテレビを離れる若者の方が正しい判断をしてるとも言える。テレビなんか見なくても、生きることはできるしね。ニュースを見て困るのは話題の減少くらいだし。
「じゃあ、錬磨君はどんな言い方をすべきだと思いますか?」
「『テレビによる若者への冷淡』、かな」
「まさにあなたの意見を表してる言い方ですね」
「明光さんは?」
「私ですか? 私も錬磨君とほとんど同じ意見ですよ。若者はより楽しいことへ目を向けるべきですから。政治や日本の未来を考えるばかりが、賢い生き方ではないんですよ。考えすぎて勝手に鬱になる人もいますからね。ストレスフリー、それこそが私たちが目指すべき社会です」
やっぱり明光さんと僕の思考回路はよく似てる。今の言葉に納得しかしてないし。
「そろそろ眠くなった?」
「えー、もう少し。次の話題に移りましょう」
「なら、僕から出してもいいかな」
「なんです?」
「2日前、僕は未来予知の魔法を使った。そこで見た光景の話だよ」
僕は話した。未来予知で見た未来のことを。
明光さんを殺したこと、地球を壊したこと。
誰かに聞いてほしかったから。話すことで楽になりたかったから。
「そういう未来を見たんですね。それで、錬磨君はどうしてその未来にそこまで頭を抱えているんですか?」
「え?」
「だって、そういう未来を見たなら、そういう未来にしないって選択ができるじゃないですか」
確かにそうだけど、僕の悩みは違う。
「それがどうしようもないことだったら?」
止められないことだったら? 何をしても無駄だったら?
そう考えるだけで、これから生きることに不安が生じる。
「日頃から心に留めておけばいいんです。自分は絶対にそんなことしないって。そうすれば、何も心配はいりません」
「明光さんはそうしてるの?」
「はい。私にも1つだけ実現させたくない未来があります。そのためにも、毎日を大切に思って頑張ってるんです。錬磨君もそうしてみては?」
未来のために毎日を頑張る、か。
「考えてみるよ」
確かに未来はちょっとしたことで簡単に変わる。悩みすぎてもしょうがないのかもしれない。
「ふぁ~」
話してスッキリしたせいか、今までで一番大きなあくびが出た。
限界だね。もう目を開けるのもきつい。
「一緒に寝ますか? ここ、空いてますよ」
少し端にズレた明光さんは、空いたベッド部分をポンポンと叩いた。
「凍死寸前でもそんなことはしない。態度を改めるとはいったけど、そこまでオープンにするわけじゃないから」
思ってもないくせによくそんな冗談言えるよ。
「ふふ、そうですか」
それにしてもさっき明光さんの冷たい魔力を吸ったせいもあって、体が冷えてしまった。異常に眠い。またあくびが出そうだ。
「なら、代わりに手を握ってくれませんか?」
「どうして?」
「体調が悪くなった時の定番ですから。親が病気の子供の手を握るのは、物語でもよくあることでしょう?」
僕、親でも兄弟でもないんだけどなあ……。
「大人しく寝てくれるならいいよ」
「はい、わかりました」
布団から出てきた明光さんの左手を握る。
冷たい……お粥を食べた後とは思えないほどに。
「おやすみなさい」
そう言って目を瞑る明光さんが、僕はちょっと羨ましかった。
僕も早く寝たい……。
個人差はあるけど、目を瞑ってから眠るまでの時間はおよそ30分。
つまり、僕はあと30分も眠れないということ。
2日も寝てない、体温が冷たい、そして手を握られてる安心感。眠気が頂点に達した。
「ちょっと目を瞑るくらいならいいか……」
眠ったとしても、座ってる状態なら15分くらいで目が覚めるだろうし……。
油がはねたような音で鼓膜が響き、目が開く。
「良い匂い……」
何か焼いてるのかな……でも誰が?
確か……僕は明光さんの看病のために……
「あっ!」
僕明光さんの部屋にいたじゃん! もうそろそろ明光さんも寝たころだし部屋に戻ってゆっくり――。
「あれ? 明光さんは?」
目の前で手を握りながら横たわっていたはずの明光さんの姿がない。
「ていうか、いつ僕はベッドに移動したんだ?」
椅子に座ってたはずなんだけど……
「あ、おはようございます錬磨君」
声は良い匂いのするキッチンの方からだった。
エプロンを着て、フライパンで何かを焼いている。
「ああ、おはよう明光さん」
……おは?
あれ? なんでおはようなんだろう?
「随分とお疲れだったんですね。20時間は寝てましたよ」
「え⁉」
部屋についてる時計を見ると、短針が6、長針が5を指していた。
確か明光さんの部屋に訪れたのが午前9時頃だったはず。それなのに窓の外から朝日が照らされてるってことは……僕本当に20時間ぐらい寝てたってことか。
ちょっと寝るつもりが、こんなに長い時間になってしまうとは思わなかった。
やっぱり体を冷やしたのが原因だな。一時的な冬眠状態になってしまったか。
「朝ごはんにベーコンエッグを作りました。錬磨君の分もあるので一緒に食べましょう」
「ああ、うん……。体の方はもういいの?」
「はい。錬磨君の看病のおかげですっかり良くなりました」
「そっか……それは良かったね」
自分が他人の部屋で20時間も寝てしまったことを、まだ受け入れることができないらしい。
「ちなみに、僕をベッドに移動させたのは明光さん?」
「座りながらだと辛いと思ったので。一緒には寝ましたが、何もしていないのでご安心を。一度お顔を洗ってきてはどうでしょう。気分が晴れますよ」
「うん、わかった。それじゃあ、洗面台借りるね」
落ち着こう。とりあえず人の部屋で寝てしまったことはこの際しょうがない。
明光さんの言う通り顔を洗ってスッキリしよ――
「――は?」
洗面台の鏡に映る自分の顔を見て唖然とする。
一体何がどうしてこうなっているのか、誰がこんなことをしたのか、考えずともわかることだ。
料理中の明光さんの後ろに立つ。
「明光さん、これなに?」
「おや、錬磨君、お似合いですね。そのブフッ‼ ……お顔は……」
吹き出すように笑う明光さんに心底腹が立つ。
「なんでこんなことしたの?」
「そうですねえ、今まで私が話しかけると露骨に嫌な顔をしたお返しとでも思ってください。これでお相子です」
「……一応聞くけど、油性?」
「いいえ、落ちやすいよう配慮をして水性にしてあげました。ちなみにタイトルは、『日本一有名であろう交番にいるおじさんの女装――イケメン風』です。気に入っていただけましたか?」
なるほど。だから眉毛を繋げてあごひげを生やして、口紅でたらこ唇ってわけね。
「じゃあ頬にあるこの『バカ』って文字は?」
「私のお茶目心です」
「なんでちょっと照れてるの?」
ムカつく。
怒りたいのは山々だけど、こっちにも非があることゆえ怒れない。
顔に落書きって、こんなに腹が立つことだったのか。
いや、逆に考えよう。今までの僕の報いがこの程度で済んだんだ。むしろラッキーじゃないか。
そうだ、ラッキーだ……うん、ラッキーラッキー……。
そのあと顔をちゃんと洗い、ムカムカした感情を抑えながら明光さんが作った朝食を食べる。
食べ終わったら速攻で帰ることに。
「また来てくださいね~」
「もう来ません」
そう言って玄関の扉を少し強めに閉めた。
「……」
ガチャ。
「スマホ忘れた……」
「あらら、スマホ忘れちゃったんですね~。なんだったらもう一泊しますか?」
……神が本当に存在したら、こう聞いている。
『僕、何か悪いことした?』
テーブルに置き忘れたスマホをポケットに入れ、今度こそ帰る。
「それじゃあ、ホントにお邪魔しました」
「はい。また来てくださいね」
何も言い返すことができない。
できればもう来たくない。負けたくないから。
ドアを思い切り閉めたいところだけど、今は日曜の朝7時。近所に迷惑はかけられない。
ゆっくり扉を閉めたあと、一度ため息を吐いて思考を捨てる。
自分の部屋に戻ってゆっくりしよう。考えるのは休んでからだ。
女子寮のエントランスホールから外に出る。
朝日がとても眩しい。
気温が調節されてる校内とは違って、敷地外はきっと汗が出るほど暑いだろう。
「青銅君?」
横から声がした。
元気があるけど、少し戸惑いが感じられる、そして耳に入ると元気が湧き出てくる声。
「竜胆先輩、おはようございます」
いつもの綺麗な深い青色の髪、そして腰に巻かれた制服の上着。
休日なのに制服ってことは、きっとさっきまで学校にいたのだろう。
「おは、よう。……こんな朝早くにどうして女子寮に?」
「昨日クラスメイトの看病をしてたのですが、寝不足気味だったせいで座りながら寝落ちしちゃいまして。それで今帰るところだったんですよ、えへへ」
自分で説明してて恥ずかしいな、これ。
しかも看病する相手から朝食までごちそうになってるし。
「そ、そうなんだ。クラスメイトの看病、ね……」
「?」
なんであんなに動揺してるんだろう? いつもは相手の目を合わせて会話してるのに、今は目が泳いでいるし。
それに、僕が先とはいえいつもの挨拶がない。
また何か悩みを抱えているのかな? それとも僕に何かおかしなとこがあったかな?
…………よく考えたら、朝から男子生徒が女子寮から出てくるのって、やましいことにしか見えないね。しかも一泊してるし。
それで動揺してたのか。そういえばこの前見たドラマでも、姉に彼氏がいることを知って驚いてる家族のシーンがあったっけ。
他学年とはいえ、同じ学生がそういうことをしてるとわかると、やっぱりショックを受けるものなのかな。
でも僕の場合は本当に何もないのだ。
誤解されてるなら釈明したいところだけど、今そういうことを言ったら逆に怪しまれてしまうだろう。
事情は話したし、竜胆先輩頭良いから釈明せずとも察してくれることを願おう。
「それじゃあ、僕はこれで失礼しますね」
変に怪しまれないよう、堂々と先輩の横を通り過ぎる。
「待って‼」
後ろから袖を掴まれてしまった。
やっぱり誤解されてたのかな?
勘違いで「学生の分際で何をやってるんだ!」みたいな感じで説教はされたくないなあ。
恐る恐る振り返る。
「ちょっと頼みたいことがあるの。文化祭のことなんだけど――」
「文化祭?」
「そう。だからちょっと私に付き合ってくれない?」
……竜胆先輩の目、こんなにキラキラしてたっけ?
それに、さっきとは違って視線を一切外してくれない。ずっと僕の目を見ている。
焦っているからだろうか、頬も少しだけ紅潮している。
それだけ、僕の視界から得られる情報はそれだけ。
それだけなのに、どうして僕はこんなにも怖がっているのだろう。
あの眼差し、僕だけは絶対に受けてはいけないと思うのは、何故だろう……。