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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第一二話 廃棄物
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12-5 歯ぎしりするばかり

 くたばり損ないの屍人形め。ヒトモドキの胸に一つ二つ穴が開いた所でどうってこたぁねぇ。


 刃先は彼女の胸に吸い込まれていった。


 いや、その様に見えた。


 手応えアリと確信するその刹那せつな、目の前の女生徒は忽然こつぜんと姿が消え、次の瞬間には右手首からイヤな音がして、手にしていたはずのナイフが床に転がって居た。


 莫迦な、とたたらを踏み、床を滑るナイフを追おうとして、小指、薬指、中指の順に衝撃が走った。


 大鉈おおなたの峰で打ちえられていると気付いたのは、親指が変な方向に曲がった次の瞬間だった。


「ほらほら、自分の得物に気を取られすぎだ。相手から目を離すな」


 手首の次は腕にいくよ。

 下椀骨、肘、上腕骨、肩、鎖骨。

 次はガラ空きの脇から肋骨を上から順番だ。右が終わったら今度は左にいこうか。


 彼女が一言ずつ宣言するごとに激痛が走った。

 鈍い音共に身体の中で、何某なにがしかが次々に砕けてゆく感触があった。

 見切った、完全に避けられたと確信するごとに、鉄の塊は軌道を変え、自分の知覚出来ない角度から飛んできて、我が身を打ちえ、いたぶり続けるのである。


 ふざけるな、と吠えた。つかんでその首をへし折ってやる、と息巻いた。

 だが掴みかかるその指先は、ほんのあと少し。

 ほんの数センチ先を嘲笑うかのように擦り抜け、その次の瞬間には身体の何処どこかに激痛が走るのだ。


 衣服の端どころか毛先一本すら触れることはままならず、ただただ、彼女の予告どおりに全身の骨は砕かれてゆくのである。


「どうしたどうした。まだ三十秒しか経ってないよ。ちゃんと踏ん張れ、もっと気合い入れろ。しのいでいなすコトすら出来ないのか」


 振られる鉈は正に変幻自在。切っ先が何度も消えて見えるのは、ただ速いからだけではない。

 軌道が途中で予測していない方向に折れ曲がるので、自分の視界から外れてしまう為だ。


 それが理解出来て居るのに避けられない。

 間合いをはずそうと距離を取ろうとしても、先読みされて間を詰められた。


 がむしゃらに腕を振っても、ただ無残に打ち落とされた。

 ガラ空きになった顔や顎に、返す鉈の峰が喰い込み続けた。

 蹴りを放ってもアッサリと蹴り返され、足元を払われて転倒した。

 追い打ちを避けようと転がって逃げようとしても同様。背骨や肩甲骨や脇腹を容赦なく打ち据えられた。


 立ち上がろうとすると足を払われて、膝と足首に打ち込まれた。関節が逆方向にねじれる激痛に「ぎゃあ」と叫んだ。体をかわし、痛みに耐えながら何とか起き上がったはいいものの、もう立っているだけで精一杯。


 そして嵐のような連打が全身を打ちえてゆくのだ。


 畜生、畜生、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、チクショウ。


 こんチクショオォ!




 何時だってそうだった。


 クラスの中で大人しく、やり玉に上げられないよう息を潜めていた。

 でもそんなのは長続きしない。連中はそういう生徒を目聡めざとく見つけ、自分達の玩具としてもてあそび始めるからだ。


 上から目線のアホウどもは、何時も何時も自分よりも弱い相手を地面に這いつくばらせた。

 より強いヤツに尻尾を振り、格下とみなす者を集団であざ笑い、土下座したその頭を踏みつけるのだ。


 ふざけるな。僕が・・・・僕が、もっと、もっともっと強ければ。


 コイツらよりも強い力を持っていれば。


 そしたらこんな連中にいいようにされないのに。


 見返して、存分に今までのウサを晴らすことが出来るのに。


 折られた前歯や、踏みにじられて割れた眼鏡。

 鏡の中に居るみじめな自分に歯噛みする必要は無かったのに。


 そして、そして・・・・あの日あの夜あの公園に居なかったら、もう少しマシな未来がやって来ただろうに。


 下校中、校門を出て直ぐのところで待ち伏せされて、カネをせびられた。無いと突っぱねたら公園まで引っ張って連れて行かれた。見知ったクラスメイトと見知らぬ男子、そして女生徒が居た。


 殴られて蹴られて、転がされた。衣服を全部()かれてスマホも割られ、夜の公園のトイレでさらし者になった。生意気なこといってスイマセンと土下座させられた。


 踏みつけられて頭から小便をかけられて悔し涙を流した。


「情けなぇな。タマ付いてんのかよアンタ」


 見知らぬ女生徒に嘲笑あざわらわれた。

 急所を蹴られて悶絶し、スマホで動画を撮られた挙げ句ネットにさらされた。

「さっそくイイネが付いたよ」と面白可笑しく笑う姿が信じられなかった。

 そんな動画を見ている連中もだ。

 ましてやソレに評価を付けるなんて。


 唐突にスーツ姿の男性がトイレに入って来た。助けて、と声が出そうになった。だけど中で何があったのか察した途端、その場で直ぐさま回れ右をした。

 男子や女子をたしなめる訳でも無く、助けを呼んでくれる訳でも無く、ただ関わり合いになることを嫌がって逃げていった。


 僕のこの状況を見て、何とも思わないのか?


 誰も彼も自分の事しか考えて居ないのか?


 ただ自分さえ良ければソレで良いのか。


 僕は唖然あぜんとする。頭の中が真っ白になった。




 気が付くと空が真っ暗だった。


 連中はもう居ない。公衆便所の脇に在る茂みの中で、素裸のままひっくり返って居る自分が居るダケだった。


 あれから散々玩具にされた。

 口に出来ない様々な屈辱を味わされて、それでもなお、唯々諾々(いいだくだく)と従う自分が情けなかった。これ以上痛い目に合いたくなかったからだ。

 どれだけ屈辱にまみれても、ケガをするよりはマシだと自分に言い聞かせていたからだ。

 反抗すれば反抗した分だけ殴られた。蹴られた。髪を引き千切られた。


 何度もスイマセン、ごめんなさい、と謝った。その都度に嘲笑と罵声を浴びせられた。

 タマ無しが、と吐き捨てられた。

 ウジ虫め、とあざけられた。そしてそんな姿の全てを動画に撮られ続けた。


 コレを学校にさらされたくなかったら、今度こそカネを用意してこい。そう捨て台詞を残して、ようやくヤツラは居なくなった。


 悔しかった。歯ぎしりした。

 だと言うのに、ようやく終わったとホッとする。そんな自分が果てしなく情けなかった。涙があふれて止まらなかった。せめて泣くものかと我慢していたから尚更なおさらだった。


 だが夜は、それで終わりじゃあなかったのだ。


 悔し涙がようやく果てて、起き上がろうとした時である。不意に町の喧噪けんそうが消えた。まるで世界すべての音をミュートされたような唐突とうとつさだった。


 そして次の瞬間、何だかよく判らないモノに食らいつかれた。

 右足に走る激痛に悲鳴を上げた。


 犬かと何かかと思ったが全然違う。暗くてよく分からなかったが、ヒトじゃないというコトは分かった。何しろ生臭くてヌルヌルしていて何匹も居た。

 何本もの腕で、手も足も押さえ込まれ逃げ出したくても逃げ出せなかった。鋭い爪や歯があって、そのまま僕の腹や手足、身体のアチコチを食い千切り始めたのだ。


 大きな悲鳴を上げたと思う。喉が裂けんばかりの声と共に、口元から血があふれて居たから。

 それともソレは内臓を噛み破られたせいだったからだろうか。

 激痛に絶えられず我を忘れて暴れた。でも全然自由にならなかった。


 世の中にこれ程の苦しみがあったのか。

 ただただ、怖さと訳の分からなさと言語を絶した痛みに叫んで暴れ続けた。ソレこそ無我夢中、狂ったように藻掻もがき続けた。でもやっぱり、僕を襲ったモノからは逃れられなかった。


 生きながら内臓を喰われる苦悶に、手足の肉を食い千切られる痛みに叫んで暴れることしか出来なかった。


 僕がいったい何をした。


 何故こんな目に合わなきゃならない。


 なんでこんな苦しみに、こんな痛みに悶絶しなければならない。


 僕を喰うよりも、あのクラスメイトや女子を喰えば良かったのに。


 いじめられて、いたぶられて、玩具にされて、笑われて、見捨てられて。


 の世のモノとも思えぬ激痛に絶叫を上げ続けながら、世界の全てを呪った。


 そしてそのまま僕は、得体の知れないモノに貪られ続けたのである。




「珍しいケースね。喰われて生き残るなんて、そうそう無いことよ」


 頭上から降ってくる淡々とした物言いに腹が立ったが、俺はもう指一本も動かすことが出来なかった。

 ひっくり返って居る茶褐色の床から臭う悪臭が我慢ならなかったが、指で鼻をつままむことすら出来やしない。


「公園の茂みに転がるあなたに小型のアレが何匹も集まって、寄ってたかって貪った。モテモテだこと、余程美味しそうだったのね」


 ふざけんな、このクソ牝が。


「そしてその場で始まった餌の取り合いで何匹かが肉塊に。独り占めしようとしたのね。そのどさくさのお陰で命拾い。我欲の強いアレどもで助かった。どんな生き物でもイキり過ぎは禁物。そうは思わない?」


 スマホをスワイプしながら資料を読み上げる声は実に楽しげに聞こえ、それが更に俺の神経を逆なでしていた。


「そして外回り組の駆除者に助けられた。お陰で九死に一生、幸運に幸運が重なったといった塩梅ね」


 おめでとうございます、などと、黒髪のビッチは手を叩いている。

 出来れば唾を吐きかけてやりたかったが、肋骨の激痛で呼吸も満足に出来ない有様ではにらみ付けるのが精一杯だった。


「痛すぎて声も出せない?でもデコピンを良いようにいたぶったのだからその報いだわ。ジックリしっかり味わっておきなさい。それが敗北者の務めよ」


 ヤツの足元に猫用のバスケットが在った。のぞき窓のスキマから黒いカタマリが丸くまっているのが見える。


「なんで、クソ毛玉の居る場所が、分かった」


「おや、喋れるとはオドロキ。だんまりを決め込んでいたのはタダの腹いせだったと。みみっちい男だ」


「・・・・」


「デコピンが意識を取り戻してくれて助かったわ。でなきゃ手遅れになるトコロだった。

 二、三〇メートル程度ならアイツの声は聞き取れる。居場所だけならその倍は固い。脳会話という言葉を聞いたことはないかしら」


 くそ、それが端から分かっていたら学校の植え込みの中じゃなく、校外の橋の下にでも放り込んでおいたものを。


「ヘボいあなたの腕なんてこの程度。アチコチ骨は折れてるみたいだけど、アンタなら一晩で治るでしょう。そのタフさだけは感心するわ。明日からはあたしの言うコトを聞いてもらう。文句はないわよね」


「お、俺はまだ、負けちゃいねぇ」


「はっ!」


 呆れたような、あるいは迂闊うかつに洩れた失笑のような声だった。


「この有様でまだそんな口が利けるのね。おもしろい、いつでも挑んでいらっしゃい。でも今のままでは今日と同じ事を繰り返すダケ。もっと謙虚に腕を磨きなさい。フィジカルだけではあたしには勝てないわよ」


 黒髪のビッチは見下した一瞥いちべつをくれると、「相手をして欲しかったら此処ここの清掃をやっておけ」そう言い残して教室から去って行った。


 クソ、ふざけんな。俺をここに転がしたままかよ。


 そのまま明かりすら消されて、遠ざかって行く足音だけが響く。

 外園は悪臭に埋もれたまま、ただ為す術無く歯ぎしりするばかりであった。

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